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九月

時すでに.1

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 あっという間に夏休みは終わって、再び規則正しい日々が始まった。
 瑠璃の寝起きはいい方で、夏休み中も起床と就寝の時間だけは一定だった。しかしそれでも朝ご飯をゆっくり食べて、また部屋でごろごろできる余裕のある休日とは感覚はかけ離れていて、学校へ向かう身体はそれなりにだるい。
 道中ですれ違う学生たちはみんな、夏休みに後ろ髪引かれるらしく眠たげな顔をしていた。

 八月が終わってからも、残暑は厳しく、まだまだ日中の日差しも強い。
 夏は終わっていないのも同然だった。
 毎年、この九月を迎えるたび、瑠璃は来年こそは秋なんて消滅して、夏が最後まであがき、それが終わった瞬間、凍えるような冬に一転するようになるのではと心配になる。

 けれど八月終わりまでうるさく鳴っていた蝉の声はぱたりと止み、早朝の空気はどこかからりとするようになった。他の季節と比べると些細だけれど、目を凝らせば、微かに秋の欠片を拾うことができた。
 学校が終わって、人気のなくなった学校の裏門でぽつんと立っていると、道路の脇に先かけのコスモスを見つけて、「秋か」と呟いた。

「さて、そろそろどーするかな……」
 瑠璃は財布の中身を見て、小さく唸った。

 登校がはじまって、二人は放課後の揺蕩いを再開するようになった。
 夏休み前と同じように、いや、それ以上に毎日のようにどこかへ行っては、少しだけ適当に遊んで、帰ってくるのを繰り返していた。
 電車に乗って、時おりそのままうたた寝して、適当な駅で乗り換えて、また別の駅に行く。そこで歩くか、ファミレスかファストフード。あるいはゲーセン、はたまたカラオケ。
 日常にぽっかり空いた時間の端から端までを埋めていくように、何処へでも行くようになった。

 当然、瑠璃の財布の中身もそれに伴って減っていく。
 ファミレスも娯楽も最近は千円を超えることがほとんどで、電車代だって積み重なって、馬鹿にならない。
 瑠璃は自分の小遣いに加えて、生活費の余りを一部、自由費として貯金していたものを切り崩している。自由、とはいえ将来のために貯金をしているのだから、切迫させるわけにはいかなかった。

「……これ以上、バカスカ使うことはできなさそうだな。……ったく、ここ最近遠出しすぎていたせいだよなぁ。完全に。油断した」

 以前のように、第二図書室に戻れればいいが、この残暑ではそれも厳しい。
 いや、ひとつだけ、思いつく場所がある。

「だけどそれは……うーん……いや、いや……」

 家だ。
 瑠璃が現在、一人暮らししているアパートの部屋。
 家であれば、抱えている問題はすべて解決する。

 瑠璃は呆れ果てて、顔を覆ってため息をつく。そこには、半分、自分自身への失望が入り混じっていた。
 よりによって何でこんな答えを思いついてしまったのだろうか。
 いや、それよりも、どうして思いついたところで、すぐにその案はなしだと棄却できないのか。
 いったい、何を迷っているのか。

 瑠璃は自分が少し怖くなった。

 今まで、家族以外の誰かを家に呼んだことはない。
 家族でさえも家に入れるのは、若干の抵抗がある。
 瑠璃にとって、アパートの部屋は誰にも見せたくない、瑠璃自身にも等しい、究極のパーソナルスペースだった。
 この先も何人にも立ち入らせないつもりはない。あの部屋を中心に、瑠璃は他人との平等な距離を計っていると言っても過言ではない。
 それなのに。
 そのはずなのに。

 瑠璃も知らぬうちに、自身の中で何かが変わり始めていた。それは瑠璃にも止められない速度と強さで、完璧だった平等と平穏を内側から犯していく。

 一体いつから?
 どうして。
 なぜ。

 スマホを握りしめる手に汗が滲んだ。

「瑠璃」

 声のする方へ視線を向ければ、軽く手をあげて、こちらに向かってくる奏がいた。
 瑠璃もそれに応えて手を振った。
 もう、このやり取りが自然になってきている自分がいるのが、手をとるようにわかってしまう。
 奏もそうなのだろうか、と遠い目で彼を見つめた。

「……どんな顔してんの」
 奏が怪訝そうな顔で首を傾げた。
「どんな顔って、どんな顔だよ?」
「……この前、嫌いなハンバーガーにピクルス抜いてって注文するのを忘れてて、食べたときに気づいた時みたいな。嫌だけど、言うほどでもないくらいの複雑な……てやつ」
「全然わからん」
 瑠璃は自分で自分の頬をひっぱってみたけれど、やはり自分ではまったくわからない。

「ほんと変な顔してた。珍しいな」
 奏はくすくすと笑う。
「そう?」
「いつも瑠璃って、他人のこともそうだけど、自分のことだって他人事だろ。ずっと一歩引いたところに意識がある」
「……まぁ。否めない」
「何を考えてんのかもわかりにくい。お前は、自分で思ってるより感情が表情に出にくい人間だよ。小瓶の内側に収まっている中身が絶対に外に染み出すことがないのと同じで。ま、だから僕は楽で一緒にいるわけだけど」
 奏は小道の石を蹴とばした。

「何が瑠璃をそうさせてんの?」
「…………さあな。それがわかりゃ苦労しねぇ」

 奏のことだよ、とは言えなかった。

「ねぇ、今日は何する?」

 ふわりと、『優等生の奏くん』でもなければ、アンニュイな裏側の彼でもない、霞の花のように、眩しい笑顔だった。
 いつから奏はこんな顔をするようになっただろうか。
 変わってしまったのは奏もなのだ、と瑠璃の顔が強張った。

 六月に第二閉架図書室から外へと出た日が瞼の裏に蘇った。
 あの時もそうだった。
 この関係をやめると瑠璃は言えなかった。奏の顔を見れば、拒絶することができなかった。そして今も、瑠璃は奏のなんてことない言葉を振り払う感情を持てずにいた。

 先月? 先々月? 六月の学校を抜け出したとき? それとも、もっと前から?

 一層、自分が怖くなる。
 今まで、自分のすべてを把握して、調整してきた。自分のことでわからないことなんてなかった。疑問があればその度に思考し、何度も瑠璃は瑠璃に対する『納得』を得てきた。
 けれど今は得体の知れない何かが自分の中で動き回っているというのに、その影さえつかむことができない。
 初めて、自分のことがわからなくなった。

「瑠璃?」
 奏に声をかけられて、ハッと顔をあげた。

「どうした? 具合でも悪い?」
「いや、別に。平気、だけど……」
「ならいいけど。んで、どうする? 今日。瑠璃が特に行きたいところないなら、ちょっと気になってる本屋あってさ……カフェが併設されてて」
「……あー、そのことなんだけど」

 いまだ消化しきれないもやもやしたものはあれど、それでも瑠璃の口はあっけなく動いた。

「今日は、俺んちにしよう」
「え……それって、瑠璃の家ってこと?」
「そう。てかそれ以外に何があるんだよ」

 奏はぽかんと口を開けて、その場に立ち止まった。
 瑠璃も気まずさからか、そろそろと視線を泳がせる。

「……お前んち、全然、想像つかないわ」
「そりゃ見せたことも、話したこともほとんどないからな」
「まじで? ほんとにいいの? 大丈夫?」
 少し迷って、瑠璃は頷いた。
「まぁ、うん。別にいいよ。奏がそれでいいなら。とは言っても、何か面白いもんがあるわけじゃないけど」
「僕は、全然大丈夫だけど。逆に……僕んちがいいとか言わないの?」
「じゃあ、聞くけど。お前んち行っていいの? 人、いるんだろ」
 慣れないことをしてしまった居たたまれなさから瑠璃は口を滑らせる。
 奏はハッとして、黙りこくった。

「……ま、まぁいろいろ俺んちのが都合良いだろ。一人暮らしだからある程度自由がきくし……行くぞ」
 ええい、ままよと言い切った勢いのまま瑠璃は歩き出して、道の先で立ち止まっていた奏を追い越す。
 奏もあとを追う。
「瑠璃んちって遠い?」
「そうでもないよ。駅よりかは、まし」

 そうして、生まれてこの方家に人を呼んだことなんてなかったのに、あっさりと奏が来ることが決まってしまった。

 自分が変わってしまったことに、瑠璃は言いようのない恐れを感じていた。自分の身体の一部が自分のものではなくなってしまったかのような突然変異。
 けれども、瑠璃の恐れを嘲笑うように、奏を家に呼ぶことに対して嫌悪の欠片さえ浮かばない。
 今まで保ち続けていた完璧な平等と平穏が壊れていくと何度も己に突きつけても尚、嫌だの「い」の字さえ瑠璃の口から出てくることはなかった。

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