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八月

夏休みの秘密.1

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 学校は夏休みに突入し、瑠璃が登校することはなくなった。
 誰に言われたというわけでもないが、瑠璃は自分の生活のリズムが乱れるのが嫌で、家では規則正しく過ごし、学校登校時とあまり変わらない時間に起きるように心掛けていた。

 部屋の掃除ひと通り終えたあと、部屋で冷房をつけながらだらだらと過ごしていると、ベッド脇に置いてあったスマートフォンが鳴った。

「はい。……え、奏?」
 それはしばらく会わなくなるはずだった奏からの電話だった。
 少し気まずそうに咳払いしてから、
「明後日、予定空いてる?」

*****

 瑠璃は八月が苦手だ。
 まず暑い。体温も、水も、風も、日の光も、漂う空気の何もかもが他の月とは比べ物にならないほどに最高潮の暑さになる。
 毎日毎日、テレビやSNSでは年々上昇する気温を声高に叫び、熱中症の警告やクーラーの設定温度の話題が飛び交って錯綜するのも、見ているだけで頭もスマホも温度が二,三上昇する。
 夏に頭を使うのはしんどい。

 身体から空気、果ては情報までが暑くなる夏が、瑠璃は嫌いだ。
 冬は着こめばいいが、暑さというものは、たとえ衣をひん剥いて裸になったところで、少しも改善されない。

「あっつ……遠くのほうが歪んで見えるのがわかるだけでも、行きたくねぇってなるの、なんでなんだろ」

 駅を降りて改札を出れば視界が開けて、一気に夏の日差しが目に痛いほどに差し込んでくる。
 レンガで舗装された道路からはサウナの灼熱の空気が常に発されているみたいで、喉はすぐにカラカラになって、黒髪のつむじは焼けるような熱を持つ。

「えーっと……あいつ、どこにいるって言ってたっけ……あ」

 視線の先、ちょうど駅構内の地図が大きく掲示されている横で、奏は壁にもたれて立っていた。
 いつもと変わらない、学校の制服姿に瑠璃は目を丸くする。

「奏!」
「あ、来た」
「……お前、何で制服?」
「ああ。午前中に学校に用があって。私服で学校に行くわけにはいかないし。だから、これ」
「じゃあ、学校の駅からここまで電車で?」
「そう」
「はー。お前、一人で電車に乗れるようになったんだな」

 感心したように言えば、奏は得意げにふふん、と笑った。

「にしても珍しいな。お前から映画見ようだなんて連絡が来るなんて」

 先日の奏からの電話は、映画を見に行こう、という外出の誘いだった。
 奏は瑠璃と遊ぶような対人ゲーム以外にも、ストーリーを重視したRPGゲームやノベルゲームもするし、小説も嗜む。
「読んでた本が原作の映画だったから。ちょっと興味あって。瑠璃、映画好きだっただろ。もしかしたら、見るかなって」
「普段は?」
「あんまり。自分の部屋で見てた。テレビがネットにつながるし」

 奏の予想通り、瑠璃も同じ映画を近日中に見ようとしていたところで、どうせならとその誘いに乗った。
 スマホの画面で、上映時刻を確認する。
 とある映画のタイトルと開場開演時刻がそれぞれ表示されていて、腕時計と照らし合わせて、「ちょうどいいな」と呟く。

 駅近くのショッピングモールに入って、休日の家族連れや恋人たちの間をすり抜けていく。
 ショッピングモールでも映画館は特殊なルートなことがほとんどだ。例えば、そこにいけるエレベーターやエスカレーターが限られていたり、最上階がまるごと映画館だったり。
 内装も随分と変わる。絨毯が暗い色になって、雰囲気も落ち着いて、灯りもだんだん落とされていく。
 そうしてポップコーンや、ドリンクの映画館特有の香りが、つん、と鼻をつくようになる。
 この明るいショッピングモールとは一線を画して、隔離された箱のような映画館が、瑠璃は好きだった。

 チケットを発券し、トイレをすませ、開演まで残り十五分になったところで、食べきれるサイズのポップコーンとドリンクを買う。
 瑠璃は奏にチケットを渡して、山盛りにされたポップコーンから粒がこぼれ落ちないよう注意しながら、慎重に歩いた。

 席は真ん中よりも少し後ろだった。瑠璃が予約したのだ。
 画面全体を見渡せるくらいが、スクリーンに没頭できて瑠璃は一番気に入っていた。
 隣同士に席について、夏場の日差しとは無縁の場内の冷房に同時に息を吐く。

「なんだかんだ、二人で会うのは終業式以来か?」
「まあね。けど瑠璃と話していたのはまだ昨日のことみたいに思ってる。お前とは久しぶりな気がしないな」
「確かに。あれだけ遊んでたしな。奏は夏休みって家で何してんの?」

 背もたれに身体を預けて、スクリーンに繰り返し流れるCMをぼんやりと眺めながら、ふと、瑠璃は尋ねた。

「……あー」
 奏は目を伏せて、少し言い淀んだ。
「……別に。瑠璃が聞いても面白くも何ともねぇよ。いろいろ学校のこととか、家のこととか。野暮用がほとんどだった」
 言葉を濁されたことに瑠璃は気づいたが、それ以上は追及することなく、「そか」と曖昧に相槌をうった。

「やっぱ休みに入ってもお前はあんま学校ある時と変わんないな」
「そんなもんだろ。学生なんて。瑠璃は?」
「俺もそうだな。変わんね。課題やって家のことやって、ゲームして適当にだらだらして、だよ」
「伊井田たちとは会わないの?」
「伊井田は、家庭教師の夏期講習あるし、まるまる夏休みは別荘行ってる奴もいる。友達だけど、四六時中一緒にいるってわけでもねぇし。しばらくは会わないだろうな。向こうから連絡来ない限り、俺もしないだろうしな」
 ズズ、と冷たい烏龍茶を吸いながら、瑠璃は心の中で独り言つ。

 不味ったな。家のことは聞かなかったほうがよかった。悪手だった。

 奏があまり家庭の話をしたがらないことに、瑠璃は以前から気づいていた。
 同級生たちが噂している通り、奏の家庭が裕福で恵まれているらしいことは当然知っている。けれど、それはあくまでクラスメイトや学校の奏のファンと同等レベルの情報で、その先は瑠璃も知らない。
 聞こうと思ったこともなかったけれど、先ほどの奏の気まずそうな表情を見て、絶対に聞くまいと心に決めた。

 家庭はひとつのボーダーラインだ。
 自分と他人の間に存在する、踏み込むのには相当な力と縁が必要な境界線。
 誰とでも平等で均等な距離を保っていたい瑠璃にとっては、触れるべきではないものだった。だから、口に出したのは拙かった。

「そういえば、瑠璃って普段、どんな映画を見てんの? ミステリーとか? お前好きそう」
 がらりと話題が変わったことに安堵しながら、瑠璃は答える。
「いや、俺は臨場感とか没入感を楽しむタイプだから、ストーリーの系統はあんま関係ないかもな。しいて言えばアクション? 迫力あるから。今日の映画も、BGMとか音響とかに力入れてそうだなと思ったから見ようとしてたわけだし」

 その時、天上のライトが絞られて、フッと辺りが暗くなった。
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