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六月

熱.2

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「おい、いい加減どこに行くつもりなのか教えろよ。こんなとこまで連れてきて」
 戸惑ったように尋ねる奏の手を取って、瑠璃は駅のホームへと続くエスカレーターをとんとんとのぼる。
「お前、電車使ったことある?」
「……あんまりっていうか、ほとんどない」
「だろうな。学校の息帰りも送迎だし。ほとんど車移動だよな」

 いつも第二閉架図書室で過ごした後、二人は校門の前で別れている。奏がどう帰宅しているかは知らないが、時折彼がスマホでどこかへ電話していたのを瑠璃は覚えていた。それに、登校時に学校近くで、彼が車から降りているのを見たことがある。

 その時、ホームにアナウンスが響き渡って、遠くからキーンという耳鳴りと電車のサイレンが聞こえてきた。
 二人は半歩、後ろへ下がった。
 引っ張られるように、ごおっと風がホームに吹き込む。ホームに入った電車の車窓を視線で追いかけた。

「なぁ、駅って人がいるんじゃ……」
 奏の言葉とは裏腹に、ホームに学生は見当らない。
 目の前を通り過ぎていく車両の中に見える乗客もまばら。夕焼けが車窓から遮られることなく車内に差し込み、切ないセピア色に空間を染め上げている。

「安心しろよ。バレないようにすんのが約束だろ。……前に再開発で大きな駅が西の方にできただろ。うちの学校の奴は皆あっち使ってるよ。こっちは古い駅。だから大丈夫」
 新しくできた西の駅は、沿線も複数作られていて、商業施設も傍にあってアクセスもずっと良い。

 電車が止まった。ドアが開いて、幾人かの乗客が降りていく。

「行くぞ」
 瑠璃は奏の腕を引っ張った。
「え、行くって……おい!」
 周りを見渡して、空いている座席の端っこに並んで座った。

 すぐに機械的なベルが鳴ってドアが閉まる。窓の向こうの景色がゆっくりと動き出した。
 がたんごとんと、慣れない揺れに身体が乗れないのか、落ち着かなさそうにきょろきょろと辺りを見回している奏に瑠璃は苦笑した。
 まるで借りてきた猫みたいだ。
 しばらくして、奏が何がしたいんだと言わんばかりに呟いた。

「お前、どこ行くつもりなんだよ」
 瑠璃はけろっとして答えた。
「別に。目的は特にないけど。なんか行きたいとこある? 逆に。あ、気に入った駅名で適当に降りてみるか?」
 困惑気味だった奏の顔がさらに歪んだ。

「さっきも言ったけど、図書室はもう無理だ。熱こもるし、暑すぎ。しばらく使えねぇよ」
「だから言っただろ、明日から瑠璃は来なくてもいいって――」
「どっか行こう」
「……は?」

 瑠璃は奏を見上げて、安心させるように笑いかける。
「お前は寄り道なんかしたことないだろうけど、この時代、電車乗りゃあ近場はだいたいどこでも行けんだよ。ファミレスとかファストフードでもいいし、どっかショッピングモールぶらついてもいい。カラオケだって付き合える。別に放課後を過ごすのにずっとあそこにこだわる必要はないだろ」

 奏はきょとんとして、目から鱗が落ちるようにぱちぱちと瞬きする。
「……その考えはなかった」
「だろうな。お前、だいたいいつもまっすぐ帰宅だろ。多分そういうことは考えてこなかったんだろうなって思ってたよ」

 奏が車窓の向こう側に視線を向けた。
 ごとごとといつもよりも大きな音を立てて、送迎の車よりもずっと早く変わりゆく景色を、奏は不思議そうに見つめる。

「奏はあの第二閉架図書室にこだわる理由はあった?」
「……いや、なかった」
 すとん、息を吐くように言葉を置いた。

 それに瑠璃はほっと胸を撫でおろした。
 もしも奏が第二閉架図書室にこだわる理由が、あの場所そのものにあった場合、こうして連れ出しても意味がない。

「そか。じゃあ、どっか涼しいとこ行こうぜ。今日の地球暑すぎ」
 車内は冷房が効いていて、汗ばむ身体をひんやりと冷やしていく。手をあげて、伸びをすれば肌に張り付くように空気が纏わりついた。

「付き合ってくれんの?」

 ふと奏を見れば、いつも気だるげな琥珀色の瞳は、夕焼けを飲み込んでしまったかのようにひどく胸を焦がすものへと変わっていた。
 瞳の中で揺れているのは確かな不安。
 それは見つめ合った視線と伝って身体の中に伝播して、瑠璃は息を呑んだ。

 どうしてこんなことをしてしまったのか。

 思えば、誰に対しても平等で、人に期待せずに一定の距離を保ってきた瑠璃にとって、これは初めて自分からした誘いだった。
 瑠璃にしては、らしくない。
 突然の衝動のわけを、瑠璃自身、まだ理解できずにいた。
 漠然とした問いを見て見ぬふりをして、なんでもなさそうな顔で答える。

「なに今更? 今までほとんど、放課後は二人で過ごしてきたじゃん」
「……そっか」

 奏はようやくそこで、ふ、と笑みを浮かべた。
 まるでずっと休まず飛び続けていた小鳥が宿木を見つけたかのような、もう大丈夫なのだと安心したような無防備な笑み。
 それに感化されるように瑠璃も微笑んだ。

「僕、初めてだ。こういう行き先のよくわかんない旅みたいなの。あと放課後どっか寄り道するのも。……変な感じ。小説とか、漫画の中みたいなことしてるな」
「うちの学校、ほとんど金持ち英才教育の生徒だから、そういう発想は大半が思考の外だろうしな。学校がでかいのも相まって、周りはなんもないし……奏って中学からずっとあの学校だろ?」
「うん。瑠璃は高校から編入組だよね」
「まぁ。けど、俺も人と寄り道したことはあんまないかな。中学も歩きで通ってたし。都会ってわけでもなかったし。昔から友達と遊ぶようなタイプでもなかった。休日に誘われたらちょっと顔を出すくらいだった」

 ほんの少し、わくわくしている自分が瑠璃の胸の内にいた。
 多分、嬉しかったのだ。
 今まで廃れた伝統のように、無気力に流されるままに守られてきた自分の中の平等のルールから、外れようとしていることを。
 いたずらのように。
 それこそ、甘美な誰にも言えない秘密を抱えた背徳感のように。
 お洒落して、いつもと違う自分に生まれ変わったかのように。
 一定に刻まれ続けた心臓の鼓動が、雫が弾けたみたいに、静かに跳ねたのに、瑠璃は気がつかなかった。

 ほんの少しの、未知の世界への旅。
 誰も知らない、遠くまで。

 そんな文句を掲げた旅行会社の吊り広告を眺めながら、二人は車内のアナウンスに耳を傾けていた。

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