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四月
日常.3
しおりを挟む「いや、なんでだよ?」
難しそうな顔をして、指先でとんとんと机を叩いていた瑠璃は、顧みた末に、疑問をこぼした。
魚の小骨のように、小さくも確かに違和感を感じ得ない疑問は、誰かに投げかけたものではなく、そのまま空中に霧散した。
教室はちょうど二限目の授業が終わった直後で、黒板の前で教師に質問している生徒がいたり、席を立って友人と世間話をする生徒たちで、まばらにざわめいていた。
教科書を閉じて、ふと視線を巡らせば、やはり教室の中心に立って、いつものように人の輪を作っている奏が自然と視界に入ってきた。
奏の周りには、よく彼が表で行動を共にしている、いわゆるクラスの中心人物たちが集まってグループを成している。
「ごめんね、奏くん! さっきの授業でわからなかったところあるんだけど、聞いてもいい?」
と女子が尋ねる。
「ああ。もしかして最後の問五? いいよ。教える教える。どこわからなかった?」
奏はにこりと笑って、彼女のノートを覗き込む。
少しして、別の男子が席に戻ってきて輪に加わった。
「奏。次の授業ってなんだったっけ?」
「英語。そういえば田中って、今日多分当たるんじゃない? 英訳できてるの?」
と奏は小首を傾げた。
げえ、と男子は目を見開いて、ばたばたとリュックからノートを取り出して開く。
「……どう見ても真っ白」
「あちゃあ」
皆して頭を抱えた。
「田中、絶対に当たるよ」
「誰かわからん? 英訳」
女子らが唸る。
「う~ん。ちょっと待って……奏くんは?」
「今日は僕もやってるのとやってないのと、どっちも……あー、うーん。これは皆で頑張るしかないかな?」
田中のノートを全員で覗きこんで、ああでもないこうでもないと山を張っていた。そうして互いに顔を見合わせながらテンポの良い、気を遣わない会話を繰り広げている様は、まるで学園ドラマのワンシーンのように華やかだった。
奏を中心にそこだけスポットライトを当てたみたいに、自然と注目を浴びている。
柔らかく人懐こい笑顔。
安心感を与える声色。
丁寧だけれど、軽快な話し方。
すべてがすべて、人に好感をもたらす。
だから、なぜなのだろう、と瑠璃は思う。
なぜ奏が自身の素を見せているのは、瑠璃だけなのか。
なぜ彼らの中の一人ではなく、瑠璃なのか。
そもそも、なぜ奏は瑠璃との友人関係を徹底的に隠しているのか。
なぜ。
奏の周りの友人たちと瑠璃では、いったい奏にとってどんな違いがあるというのか。
自分と過ごす、奏の素はやっぱり夢なのではないかと毎度疑いたくなるような光景をぼうっと見つめていれば、不意に、奏の顔がこちらを向いた。
目がばちん、と合って、視線が絡む。
その瞬間、まるで電気が走るように、互いにしかわからない導線が奏との間に繋がりそうになった。
まずい、と思って咄嗟に窓の方を向く。
――ほんと、こんなクソ面倒なことを、なんであいつはこだわってんの?
この関係を秘密にしよう。誰にも言わないようにしようと提案してきたのは、奏だった。
秘密にすることで、瑠璃に何か不利益があるわけでもなし、嫌とまでは思わなかったから、瑠璃は承諾した。
けれども考えれば考えるほど、不可解だった。
目を瞑った瑠璃の机にそっと影が差した。
「よ。七川。英語の訳見せてよ。答え合わせしたくて」
友人の伊井田だった。
「お前、次当たるっけ?」
「わかんね。ギリギリ当たるか当たんないかってとこ。まぁ、でもあの教師、間違えるとちくちく言うじゃんか。俺、嫌なんだよね。針の筵」
伊井田は、ちょうど主が離席中の瑠璃の一つ前の席の椅子を引いて座ると、ノートを開いて見せた。
瑠璃も英語のノートを開いて、伊井田に差し出す。
「……なぁ。伊井田」
「なに? えーっと……畑で育てられた肥料は……」
「俺とお前って友達だよな?」
伊井田は顔をあげて、何を言ってるんだ、と眉を顰めた。
「は? 友達じゃなかったら、逆に何?」
「まぁ、それは、そう。……そうなんだよ、まじで、友達、なんだよなぁ」
「……はぁ? お前さっきの授業寝てたん?」
「いや全然」
伊井田の返答に、違和感はない。むしろ当然だとさえ思う。
自分たちの関係がはっきりと友達だと言い切ることができるし、それ以外の何ものでもない。
伊井田は瑠璃の友達だ。
瑠璃の心ここにあらずと言ったような顔に、伊井田は英訳を手直ししながら、「なに? 昨日変な夢でも見たんか」と尋ねた。
それに瑠璃は適当に相槌をうちながら、視界の端にちらちらと映りこむ奏の姿にピントを合わせないよう、次々に彼に話しかけるクラスメイトたちに振り向くたびに揺れる、栗色の柴犬の尻尾のような一つ結びを眺めていた。
伊井田とは友達だ。
ならば、月蔵奏は目の前にいる伊井田と同じ意味の友達か?
答えは否だ。
窓の外に爽やかな青空が見えて、高く昇った太陽の光が差し込むような明るい教室で、白々とした光に肌を照らされている奏と談笑している自分が想像つかない。
いつも学校で奏と会話するときは、あの二人だけが知る、埃っぽい寂れた図書室だけだ。必ず夕日が彼の横顔を淡く彩っている。
では一体何か、と問われれば形容しがたく、だからこそ瑠璃は頭を悩ませていた。
奏と過ごすのは居心地がいい。
校則は許されていないゲーム機の持ち込みもこっそりできるし、奏とはそのゲームの趣味も、練度もレベルもおおよそ似通っていて、あまり友達とつるまない瑠璃にとっては絶好の遊び相手だった。
素の奏の纏う空気感が瑠璃は快適だった。程よい距離感が二人の間にはあった。
そうでなければ、とっくの昔に瑠璃は奏のことを拒絶していた。
けれど、いくら居心地がいいからとはいえど、誰にも言えない隠れた関係に対しては、疑問を生じざるを得ず、時折思い出しては、瑠璃は奏の真意を探ろうとしていた。
「俺らって、なんだ……?」
うんうん唸りながら、綺麗な眉間に皺を寄せて横に揺れる瑠璃を、珍獣でも見物するかのように眺めながら伊井田はせっせこせっせこと英訳を確認していた。
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