上 下
2 / 43
四月

日常.2

しおりを挟む
 旧北校舎は、現在では使われていない、古い校舎だ。
 老朽化問題を解決するために新北校舎が建造され、そちらに丸々機能が移されてからは、扉はすべて封鎖され、ここ最近は誰も近寄らない立ち入り禁止の廃墟と化していた。
 冬には取り壊されて、続々と規模が拡大している部活動ために、新しく部活棟が建つ予定らしい。

 ホームルームが終わると、瑠璃は少し友達と雑談してからブレザーの上着と鞄を抱えて、昇降口へと向かった。
 扉の封鎖のせいで、旧北校舎へと通じる普通の通路はない。
 瑠璃はいったん靴を履いて外へ出ると、小走りで旧北校舎へと向かった。
 私立校ともあって、敷地内はドームもすっぽりと入るほどに広大だ。校門近くに位置する本校舎から、敷地の片隅にある旧北校舎までを急げば、部活に入っているわけでもない、万年平凡生の瑠璃の息はあっという間にあがった。
 少しばかり息を整えてから、誰にも姿を見られないように、校舎裏の鍵の壊れた窓から侵入した。
 剥がれかけの「土足厳禁」という貼り紙を見て見ぬふりをして、静かに窓を閉める。

 三階までの階段を駆け足で上って、突き当たりの空っぽの図書室に入る。さらにその奥に第二閉架図書室はある。
 旧北校舎が生きていたころは、生徒が閲覧できない重要な図書の保管庫として使用されていたが、今ではぽっかりと空の棚ばかりが陳列する、侘しい空き部屋だった。

 軋むおんぼろ扉を開けて中に入ると、奏はいた。

 端が破れて綿がこぼれる、二人掛けの革のソファに寝そべって、勝手に持ち込んだゲーム機でピコピコ遊んでいた。
 その姿はあの教科書を音読していた彼とは似ても似つかないものだった。

 教室ではぴしりと上までボタンが留められていたブレザーは無造作に脱ぎ捨てられ、シャツの裾がベルトからはみ出している。
 幽世から現れ出たような儚く繊細な雰囲気は鳴りを潜め、ゲーム機を睨む顔はしかめ面。愛想なんて微塵も見えない。
 教室で振りまく姿からは打って変わって、怠惰を貪っている奏に、瑠璃は慣れたように呼びかけた。
 奏はゲーム機の画面から視線を離さないまま、拗ねたようにジト目をした。

「瑠璃おせぇよ。僕、待ちくたびれてたんだけど」
 瑠璃も呆れたように言葉を返す。
「……いや? せいぜい十五分だろ。それくらい待てって」
「無理無理。僕もう一試合終わっちゃったって。瑠璃が来ないから負けたって」
「俺のせいじゃないな。それ」

 口調だって、教室の時とはまるで違う。
 角のない、安心感のある口調はどこへやら。とげとげしくて、ちょっとばかしダウナー気味。
 本当に奏なのか、とクラスメイトらが見たら卒倒するだろう光景が容易に脳裏に浮かんで、瑠璃は苦笑した。

「お前、ほんとにギャップの塊だよな」
「なんでだよ。瑠璃はもう僕の素なんて見慣れてるし、今更ギャップになんてならなくね? 唯一、あっちの僕が素じゃないのを知ってて、僕の素を見せてるお前にギャップがあるって言われるの、違和感あるんだけど」
「イメージと違う一面があれば、もうギャップがあるって言うんだってよ。前にクラスの奴らが言ってた。俺は教室での奏も知ってる。けど、素の奏も知ってる。その間にある“差”は確かにギャップだよ」

 瑠璃は抱えていた鞄とブレザーを床へほっぽると、寝そべる奏の身体を奥へ押し込み、無理矢理ソファに浅く座った。
 ゲーム機から、プレイヤーが死んだ爆発音が聞こえて奏が舌打ちする。

「瑠璃のせいで死んだ」
「人のせいにすんな」

 やっぱ教室で見る奏よりも自分にはこっちのが落ち着くな。

 瑠璃は、昼間の奏を思い出して、ほっと胸を撫でおろした。

 みんなの憧れたる月蔵奏は、意図的に自身の性格を偽っている。
 普段は誰からも一目置かれる人当たりの良い優等生を演じているが、実際には口が悪く、肌に薄氷が張っているかのような冷たさを一枚纏っていて、教室で見るより――それでも同年代の男子よりはずっと育ちの良さがでるが――素っ気ない。

 それを知るのは世界でただ一人、瑠璃だけだった。

「誰にも見られてないよな?」
 お決まりのセリフに瑠璃も当然のように返す。
「そんなに警戒しなくても、別に気づかれないと思うけど? 第二閉架図書室なんて、教師にももう忘れられてんだから」
「いーや。気を付けろ。一応、ここは立ち入り禁止。表向き優等生の僕がいたらおかしーんだよ。瑠璃は肝心なところで抜けてたりすんだから」
「そう思うなら学校で、俺を巻き込むなって話なんだけど?」
「それとこれは話が別なんですよねえ」
「じゃ、リスク承知てことで了解しな」

 軽口を叩きあいながら、瑠璃は鞄からゲーム機を取り出して、自分も奏にもたれながら遊びはじめた。
 パン、ちゅどん、バンバン、とゲーム音が空虚な空き部屋に鳴り響く。
 遠く、本校舎の方からちょうど夕方の五時を知らせる鐘の音が幽かに届いた。
 少し離れたテニスコートから、テニス部の部員たちの掛け声が聞こえてくる。
 それを織り交ぜた心地よい沈黙が降りた。

 ふと、瑠璃はちらりと奏を横目で盗み見た。
 窓から差し込む夕日の逆光を浴びながら、傘のように長い睫毛を時折ぱたぱたさせて、伏し目がちにゲームに耽る姿は、ほの暗く退廃的な美しさを放っていて、思わず息を呑んだ。

 やっぱ、怖いくらい顔が良いよなぁ。こいつ。

 その甘いマスクで一体何人を虜にしてきたのだろう、と瑠璃はこれまで奏にアタックしてきた女性らを思い浮かべて憐れむ。
 学年一の美少女。年上の凛とした先輩。はたまた年上に憧れる愛らしい後輩。話を聞いている限りでは、学校外で知り合った高貴な令嬢ら。
 そうそうたる女性らが奏に告白して散っていった。
 きっといつか奏が結婚する奴は、彼と同じくらいできた女性なのだろう、と瑠璃は想像しようとして、すぐに無理だと悟る。
 そこまでの女に対しての知識も、上流家庭へのイメージも瑠璃は持っていなかった。

 瑠璃と奏は教室では必要以上の会話をしない。今日だって、朝に数学の課題ノートを提出する際に一言よろしくと言っただけ。
 さらに、二人とも日常で過ごす友達は違う。
 任されている委員会も、掃除場所も何もかもが違う。徹底的に接点は潰している。

 だから二人の関係を知る者はいない。

 遊ぶのはこの第二閉架図書室だけだった。
 授業が終わって、放課後の時間。夕方から夜になって、日が沈むまでをこの部屋の中で二人で過ごしていた。
 たいていは持ち寄ったゲーム機でひたすら遊んでいる。たまにボードゲームをしたり、本を読んだり、はたまた、ただ寝るだけだったりする。

 友達も親も教師も、誰もが二人の関係には気が付かない。
 文字通り、放課後だけの秘密の関係だと、瑠璃は思う。

 それがここひと月近く続いていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

上司と俺のSM関係

雫@3日更新予定あり
BL
タイトルの通りです。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

処理中です...