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第三章 二人の秘密
30.戻ってきた男
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ザウリの町は殺伐とした空気に包まれ、騎士達が表門に殺到していた。
ジェイスはレアナと馬に乗っている。
突然怒涛のように頭に流れ込んできた肉体に宿る記憶に、ジェイスは頭に激しい痛みを覚えながら、腕に抱いている女を確かめた。
「ジェイス?」
レアナが馬の前に座り、ジェイスを振り返る。
この女は誰か、なぜここにいるのか、即座に記憶の中を探る。
ジェイスは頭の痛みに耐えながら、周囲を見回す。武装した騎士達が通りに押し寄せている。
「ジェイス!」
突然名前を呼ばれ、ジェイスは振り返る。
「ジェイス!通信具を置いていったのか?常につけておけ!ローゼ・バーデンに殺人容疑がかかった。第一騎士団ロベリオ・バーデン様からの連絡だ。
お前のところにも隊から二人行ったはずだ。会わなかったか?彼女は?」
目の前にいる男の名前が咄嗟に思い出せず、ジェイスは口を開いた。肉体と脳がその名前を覚えている。
「ゲイトか……」
レアナの方へ視線を向け、ゲイトが鋭く問う。
「彼女はローゼ・バーデンか?」
記憶をなぞるようにジェイスの口から言葉が流れ出た。
「彼女はレアナ、俺の腹違いの弟の妻だ」
「ジェイス!表門だ!急げ!」
突然誰かが割り込んできた。
「ローゼが見つかった。とにかく急げ。彼女を捕まえて話を聞かなければ、何がどうなっているのかさっぱりわからない」
見覚えのある男の顔に、ジェイスはその名前を記憶の中に探す。
「ローゼは魔力持ちだ。魔の森に逃げるかもしれない。魔力抵抗を持つ者が前に出ろ!」
全てが以前聞いたことがある言葉であり、見たことのある光景だ。
馬を走らせながら、ジェイスは急速に記憶を取り戻していく。
そうだ、イーガンだ。第二騎士団の指揮官だ。
ようやく思い出した。
道の先に誰かを取り囲んでいる騎士達の姿が見えてきた。
ローゼとロベリオがその向こうで顔を合わせている。
ジェイスはすぐに隊列を離れ、道の脇で馬を滑り降りた。
「ジェイス!待って!私も行くわ!」
馬上に残されたレアナが叫びながら、慌てて馬を下りようとするが、ジェイスは待たなかった。
剣を引き抜き、騎士達が足を止めているその脇をすり抜け、明かりが届かない暗闇を走った。
街灯の明かりの下では、孤独なローゼが立ち尽くしている。
正面にロベリオが見える。
いますぐ駆け寄り、助けにいきたい気持ちを抑え込み、ジェイスは闇の中で標的を探す。
背後は魔力の暴走する魔の森だ。
その中に飛び込み、ジェイスは迷いなく、ただ一点を狙って剣を薙ぎ払った。
確かな手ごたえと共に、肉が潰れ内臓が押し出されるような恐ろしい音が鳴った。
跳ねあがった何かが、意外にも軽い音を立てて街灯の下に落ちた。
それはごろりごろりと二回転し、動きを止める。
その瞬間、空気は凍り付き、ロベリオは反射的に剣を引きぬいた。
街灯に照らし出されたそれは、人の生首であり、皺深い顔は地面に擦られ泥と血に汚れている。
「ジェイス!何をしている!」
ロベリオとローゼを囲む騎士達の背後から割れるような声があがった。
それはイーガンだった。
第一騎士団に取り囲まれているローゼとロベリオを馬上から見ていたイーガンは、ジェイスが闇に包まれた魔の森に飛び込む瞬間を目撃した。
何をしているのかと目を凝らした途端、ジェイスの消えた方角から血しぶきがあがり、生首が飛んできたのだ。
上官達の命令も無しに、誰かの首をはねるような真似をしたらそれは処罰ものだ。
イーガンは馬を飛び下りた。
ジェイスは構わず、血濡れの剣を握りしめ、ウェンの首を確かめに走った。
ローゼは騎士達に取り囲まれ、怒りと憎しみに燃える男に詰め寄られ、母親を殺したのはお前だと聞かされたばかりだった。
孤独と絶望で真っ白になり、魂さえ手放そうとしたローゼは、飛んできたものに反射的に視線を向けた。
「う、ウェン?……」
皺深い顔に、首と一緒にもぎ取られたこげ茶色のフード、編み込まれた長い白髪、母親のいる家を出てから何度も相談に乗ってくれていた占い師の顔だ。
市場の端で死にかけていたローゼを救い、唯一話を聞いてくれる存在だった。
頼りにしていた占い師まで奪われ、深い孤独と喪失感にローゼはふらりとよろめいた。
その体を大きな力が抱き留めた。
ふわりと足が持ち上がり、ローゼは慌ててその腕にしがみつき、一体誰なのかと視線をあげた。
「ジェイス?」
驚きの声をあげたローゼは、慌ててジェイスから手を離した。
ローゼは二番目の女で、ジェイスはレアナのものだ。
目を伏せようとするローゼをジェイスの強い腕が固く抱きした。
「ああ……ローゼ。君を抱きしめたかった。本当にずっと抱きしめたかった。俺には君だけだ」
ジェイスはローゼの頬を抱いて自分の方へ顔を向けさせた。
金色の瞳に魔力の輝きがある。
「ローゼ、ウェンは君の心を操っていた魔法使いだ。君に嘘を吹き込み、君が誰にも愛されていないのだと信じこませようとした。だがそれは間違いだ」
ジェイスを呆然と見上げるローゼに、ジェイスはさらに力強く訴えた。
「ローゼ、君が大切だ。誰よりも愛している。俺を信じてくれ」
ジェイスはもう一度両腕でローゼを抱きしめ、頬をすり寄せ耳元で囁いた。
「何度もやり直した。だけど生まれ変わると俺には記憶がついてこない。だから、魂を売ってここに戻ってきた」
ローゼの体には塔の材料になるために集められた大量の魔力が溢れている。
もう完全に仕上げの段階だ。
時間軸を戻ってきたジェイスにはそれが手に取るようにわかった。
普通の人間だったころにはわからなかった感覚だ。
ジェイスはローゼを抱き上げ、魔の森に走った。
「ジェイス!」
イーガンの声に振り返りもせず、ジェイスは闇に沈む森に飛び込む。
よく鍛えられた肉体はまだ若く、思った通りに動く。
「ローゼ、君を核に塔を建てる」
足を止めず、ジェイスは腰の松明を掲げ、魔法使いのように一瞬で炎を燃え上がらせた。
その不思議な手妻にローゼは驚いてジェイスの顔を見上げる。
「ローゼ、俺は君を手に入れるために取引をした。俺に君の命と魂をくれないか?」
「ジェイス?」
ローゼの体が金色に光りはじめる。
生身の体に入りきらないほどの魔力が宿り、今にも肉体が滅びてしまいそうだ。
「君を水晶の中に閉じ込めたくはない。俺が君の核になる。言葉には魔力が宿る。どうか俺にすべてを捧げてくれ」
ローゼには何が起こっているのか、ジェイスが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、ジェイスに渡せないものなどなかった。
「私の命も魂もジェイスにあげる」
その瞬間、ローゼの中で膨れ上がっていた肉体を滅ぼすほどの魔力が、ジェイスの体に流れ込んだ。
残念ながら、この時間軸にあるジェイスの肉体は魔力使いになるための特別な訓練は受けていない。
逆にジェイスの体が滅びそうになる。
その強い魔力の流れに耐え、ジェイスはローゼを抱いてその場に座り込み、意識を集中させた。
森の中に広場をイメージし、その想像の中で、塔を建てる。
それは結界であり、魔力の貯蔵庫だ。
全ては一粒の粒子であり、無から生まれ、全てが異なるものでありながら同じものである。
漆黒の髪の謎めいた魔法使いから学んだ言葉の数々が、頭に描く物を強固な現実に変えていく。
地面が揺れ、森の木々がざわめいた。
色づいてもいない木々の葉が地面に降り積もり、魔力の波動を感じとった魔獣の唸り声がいたるところから聞こえてくる。
揺れる地面に耐えきれず、ローゼはジェイスにしがみつく。
森の轟が、ぴたりと止まった。
ローゼは逞しいジェイスの胸から顔を離し、太い首の先にある鋭い頬の線を見上げた。
「ジェイス?」
熱を持った大きな腕がローゼを抱いている。
ジェイスはローゼを見おろし、優しく問いかけた。
「体は大丈夫か?」
少し考えてローゼが頷く。
ジェイスは安堵したように微笑み、周囲に目を向ける。
二人がいるのは森の中に忽然と現れた空き地で、その中央には塔が建っている。
塔の裏手からは水が沸く音が聞こえ、周辺にはぼんやりと光る花が咲き始めている。
ジェイスは数秒沈黙し、これ以上何も起こらないことを確かめ、ほっと肩の力を抜いた。
「間に合って良かった」
ローゼは水晶に閉じ込められてはいない。
生身の体を保ち、ジェイスの腕に抱かれている。
空き地には、ウェンが建てるはずだったものよりずっと大きく、美しい塔が建っている。
磨き上げられた白い滑らかな壁には石の継ぎ目がない。
「ジェイス?どうしたの?」
不安そうなローゼをそっと地面に下ろして立たせると、ジェイスはその頬を抱いて熱い口づけをした。
「ローゼ、不安にさせて悪かった。君はいつも俺を先に見つける。俺は……なぜかいつも君に気づくのが遅れる。鈍感で、間違ったことに後から気づく。
なんとか修正できないか努力してみたが、九度転生しても難しかった。
それで……取引をした。一度割れた魂は別々の波にさらわれ、砂の上で削られて形がかわってしまう。
そうなれば合わさってもぴったりくっつくことは難しくなる。
それで……とある魔法使いに直してもらうことにした。
それが取引だ。もう俺達の魂は離れることはない。永遠に一緒だ」
ローゼは黙って聞いていたが、神妙な顔で問いかけた。
「二人で?それとも……三人で?」
ジェイスは少し不愉快な表情になった。
ローゼはレアナと三人なのかと聞いたつもりだったが、ジェイスはレアナのことなどとうに忘れていた。
しかしローゼの質問は的外れなものでもなかった。
ジェイスとローゼは離れないが、そこには必ずやっかいな漆黒の髪の魔法使いが絡んでくる。
ローゼを取り戻すため、ローゼの前世、セレナのように今度はジェイスが魔法使いになったのだ。
その対価に魂を支払った。
「当たらずも遠からずといったところかな……いや。君は気にしなくていい。俺達二人だけだ」
森の外からジェイスを呼ぶ声が聞こえてきた。
ジェイスを追いかけてきた第二騎士団の仲間達だった。
「ジェイス!どこだ!」
ジェイスはローゼをしっかり抱き寄せ、声を張り上げた。
「ここだ!」
それからまた少し声を押さえ、ローゼに語り掛ける。
「森の様子が落ち着くまで、少し訪問客が続くと思うが、俺達は二人でこの塔に住もう。
俺達はこの森の核となり、魔の森の魔力を押さえ、最果てから溢れた魔力の調整も行わないといけない」
「それは……魔法使いの仕事じゃないの?」
ただの刺繍売りと一介の騎士の仕事ではないのではないかと首を傾けるローゼに、ジェイスは苦笑した。
「そうだな、ローゼ。君は覚えていないかもしれないが、君は昔、優秀な魔法使いだった。今度は俺の番だ」
全ての呪いが解け、ローゼの魂は普通の状態に戻った。
もう生まれ変わるたびに記憶を残すこともない。
わけがわからないとローゼはまた首を傾けたが、不安な表情はしなかった。
ジェイスの力強い腕が、ローゼをしっかりと抱き寄せ、二人の間にはわずかな隙間さえなかったのだ。
ジェイスはレアナと馬に乗っている。
突然怒涛のように頭に流れ込んできた肉体に宿る記憶に、ジェイスは頭に激しい痛みを覚えながら、腕に抱いている女を確かめた。
「ジェイス?」
レアナが馬の前に座り、ジェイスを振り返る。
この女は誰か、なぜここにいるのか、即座に記憶の中を探る。
ジェイスは頭の痛みに耐えながら、周囲を見回す。武装した騎士達が通りに押し寄せている。
「ジェイス!」
突然名前を呼ばれ、ジェイスは振り返る。
「ジェイス!通信具を置いていったのか?常につけておけ!ローゼ・バーデンに殺人容疑がかかった。第一騎士団ロベリオ・バーデン様からの連絡だ。
お前のところにも隊から二人行ったはずだ。会わなかったか?彼女は?」
目の前にいる男の名前が咄嗟に思い出せず、ジェイスは口を開いた。肉体と脳がその名前を覚えている。
「ゲイトか……」
レアナの方へ視線を向け、ゲイトが鋭く問う。
「彼女はローゼ・バーデンか?」
記憶をなぞるようにジェイスの口から言葉が流れ出た。
「彼女はレアナ、俺の腹違いの弟の妻だ」
「ジェイス!表門だ!急げ!」
突然誰かが割り込んできた。
「ローゼが見つかった。とにかく急げ。彼女を捕まえて話を聞かなければ、何がどうなっているのかさっぱりわからない」
見覚えのある男の顔に、ジェイスはその名前を記憶の中に探す。
「ローゼは魔力持ちだ。魔の森に逃げるかもしれない。魔力抵抗を持つ者が前に出ろ!」
全てが以前聞いたことがある言葉であり、見たことのある光景だ。
馬を走らせながら、ジェイスは急速に記憶を取り戻していく。
そうだ、イーガンだ。第二騎士団の指揮官だ。
ようやく思い出した。
道の先に誰かを取り囲んでいる騎士達の姿が見えてきた。
ローゼとロベリオがその向こうで顔を合わせている。
ジェイスはすぐに隊列を離れ、道の脇で馬を滑り降りた。
「ジェイス!待って!私も行くわ!」
馬上に残されたレアナが叫びながら、慌てて馬を下りようとするが、ジェイスは待たなかった。
剣を引き抜き、騎士達が足を止めているその脇をすり抜け、明かりが届かない暗闇を走った。
街灯の明かりの下では、孤独なローゼが立ち尽くしている。
正面にロベリオが見える。
いますぐ駆け寄り、助けにいきたい気持ちを抑え込み、ジェイスは闇の中で標的を探す。
背後は魔力の暴走する魔の森だ。
その中に飛び込み、ジェイスは迷いなく、ただ一点を狙って剣を薙ぎ払った。
確かな手ごたえと共に、肉が潰れ内臓が押し出されるような恐ろしい音が鳴った。
跳ねあがった何かが、意外にも軽い音を立てて街灯の下に落ちた。
それはごろりごろりと二回転し、動きを止める。
その瞬間、空気は凍り付き、ロベリオは反射的に剣を引きぬいた。
街灯に照らし出されたそれは、人の生首であり、皺深い顔は地面に擦られ泥と血に汚れている。
「ジェイス!何をしている!」
ロベリオとローゼを囲む騎士達の背後から割れるような声があがった。
それはイーガンだった。
第一騎士団に取り囲まれているローゼとロベリオを馬上から見ていたイーガンは、ジェイスが闇に包まれた魔の森に飛び込む瞬間を目撃した。
何をしているのかと目を凝らした途端、ジェイスの消えた方角から血しぶきがあがり、生首が飛んできたのだ。
上官達の命令も無しに、誰かの首をはねるような真似をしたらそれは処罰ものだ。
イーガンは馬を飛び下りた。
ジェイスは構わず、血濡れの剣を握りしめ、ウェンの首を確かめに走った。
ローゼは騎士達に取り囲まれ、怒りと憎しみに燃える男に詰め寄られ、母親を殺したのはお前だと聞かされたばかりだった。
孤独と絶望で真っ白になり、魂さえ手放そうとしたローゼは、飛んできたものに反射的に視線を向けた。
「う、ウェン?……」
皺深い顔に、首と一緒にもぎ取られたこげ茶色のフード、編み込まれた長い白髪、母親のいる家を出てから何度も相談に乗ってくれていた占い師の顔だ。
市場の端で死にかけていたローゼを救い、唯一話を聞いてくれる存在だった。
頼りにしていた占い師まで奪われ、深い孤独と喪失感にローゼはふらりとよろめいた。
その体を大きな力が抱き留めた。
ふわりと足が持ち上がり、ローゼは慌ててその腕にしがみつき、一体誰なのかと視線をあげた。
「ジェイス?」
驚きの声をあげたローゼは、慌ててジェイスから手を離した。
ローゼは二番目の女で、ジェイスはレアナのものだ。
目を伏せようとするローゼをジェイスの強い腕が固く抱きした。
「ああ……ローゼ。君を抱きしめたかった。本当にずっと抱きしめたかった。俺には君だけだ」
ジェイスはローゼの頬を抱いて自分の方へ顔を向けさせた。
金色の瞳に魔力の輝きがある。
「ローゼ、ウェンは君の心を操っていた魔法使いだ。君に嘘を吹き込み、君が誰にも愛されていないのだと信じこませようとした。だがそれは間違いだ」
ジェイスを呆然と見上げるローゼに、ジェイスはさらに力強く訴えた。
「ローゼ、君が大切だ。誰よりも愛している。俺を信じてくれ」
ジェイスはもう一度両腕でローゼを抱きしめ、頬をすり寄せ耳元で囁いた。
「何度もやり直した。だけど生まれ変わると俺には記憶がついてこない。だから、魂を売ってここに戻ってきた」
ローゼの体には塔の材料になるために集められた大量の魔力が溢れている。
もう完全に仕上げの段階だ。
時間軸を戻ってきたジェイスにはそれが手に取るようにわかった。
普通の人間だったころにはわからなかった感覚だ。
ジェイスはローゼを抱き上げ、魔の森に走った。
「ジェイス!」
イーガンの声に振り返りもせず、ジェイスは闇に沈む森に飛び込む。
よく鍛えられた肉体はまだ若く、思った通りに動く。
「ローゼ、君を核に塔を建てる」
足を止めず、ジェイスは腰の松明を掲げ、魔法使いのように一瞬で炎を燃え上がらせた。
その不思議な手妻にローゼは驚いてジェイスの顔を見上げる。
「ローゼ、俺は君を手に入れるために取引をした。俺に君の命と魂をくれないか?」
「ジェイス?」
ローゼの体が金色に光りはじめる。
生身の体に入りきらないほどの魔力が宿り、今にも肉体が滅びてしまいそうだ。
「君を水晶の中に閉じ込めたくはない。俺が君の核になる。言葉には魔力が宿る。どうか俺にすべてを捧げてくれ」
ローゼには何が起こっているのか、ジェイスが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、ジェイスに渡せないものなどなかった。
「私の命も魂もジェイスにあげる」
その瞬間、ローゼの中で膨れ上がっていた肉体を滅ぼすほどの魔力が、ジェイスの体に流れ込んだ。
残念ながら、この時間軸にあるジェイスの肉体は魔力使いになるための特別な訓練は受けていない。
逆にジェイスの体が滅びそうになる。
その強い魔力の流れに耐え、ジェイスはローゼを抱いてその場に座り込み、意識を集中させた。
森の中に広場をイメージし、その想像の中で、塔を建てる。
それは結界であり、魔力の貯蔵庫だ。
全ては一粒の粒子であり、無から生まれ、全てが異なるものでありながら同じものである。
漆黒の髪の謎めいた魔法使いから学んだ言葉の数々が、頭に描く物を強固な現実に変えていく。
地面が揺れ、森の木々がざわめいた。
色づいてもいない木々の葉が地面に降り積もり、魔力の波動を感じとった魔獣の唸り声がいたるところから聞こえてくる。
揺れる地面に耐えきれず、ローゼはジェイスにしがみつく。
森の轟が、ぴたりと止まった。
ローゼは逞しいジェイスの胸から顔を離し、太い首の先にある鋭い頬の線を見上げた。
「ジェイス?」
熱を持った大きな腕がローゼを抱いている。
ジェイスはローゼを見おろし、優しく問いかけた。
「体は大丈夫か?」
少し考えてローゼが頷く。
ジェイスは安堵したように微笑み、周囲に目を向ける。
二人がいるのは森の中に忽然と現れた空き地で、その中央には塔が建っている。
塔の裏手からは水が沸く音が聞こえ、周辺にはぼんやりと光る花が咲き始めている。
ジェイスは数秒沈黙し、これ以上何も起こらないことを確かめ、ほっと肩の力を抜いた。
「間に合って良かった」
ローゼは水晶に閉じ込められてはいない。
生身の体を保ち、ジェイスの腕に抱かれている。
空き地には、ウェンが建てるはずだったものよりずっと大きく、美しい塔が建っている。
磨き上げられた白い滑らかな壁には石の継ぎ目がない。
「ジェイス?どうしたの?」
不安そうなローゼをそっと地面に下ろして立たせると、ジェイスはその頬を抱いて熱い口づけをした。
「ローゼ、不安にさせて悪かった。君はいつも俺を先に見つける。俺は……なぜかいつも君に気づくのが遅れる。鈍感で、間違ったことに後から気づく。
なんとか修正できないか努力してみたが、九度転生しても難しかった。
それで……取引をした。一度割れた魂は別々の波にさらわれ、砂の上で削られて形がかわってしまう。
そうなれば合わさってもぴったりくっつくことは難しくなる。
それで……とある魔法使いに直してもらうことにした。
それが取引だ。もう俺達の魂は離れることはない。永遠に一緒だ」
ローゼは黙って聞いていたが、神妙な顔で問いかけた。
「二人で?それとも……三人で?」
ジェイスは少し不愉快な表情になった。
ローゼはレアナと三人なのかと聞いたつもりだったが、ジェイスはレアナのことなどとうに忘れていた。
しかしローゼの質問は的外れなものでもなかった。
ジェイスとローゼは離れないが、そこには必ずやっかいな漆黒の髪の魔法使いが絡んでくる。
ローゼを取り戻すため、ローゼの前世、セレナのように今度はジェイスが魔法使いになったのだ。
その対価に魂を支払った。
「当たらずも遠からずといったところかな……いや。君は気にしなくていい。俺達二人だけだ」
森の外からジェイスを呼ぶ声が聞こえてきた。
ジェイスを追いかけてきた第二騎士団の仲間達だった。
「ジェイス!どこだ!」
ジェイスはローゼをしっかり抱き寄せ、声を張り上げた。
「ここだ!」
それからまた少し声を押さえ、ローゼに語り掛ける。
「森の様子が落ち着くまで、少し訪問客が続くと思うが、俺達は二人でこの塔に住もう。
俺達はこの森の核となり、魔の森の魔力を押さえ、最果てから溢れた魔力の調整も行わないといけない」
「それは……魔法使いの仕事じゃないの?」
ただの刺繍売りと一介の騎士の仕事ではないのではないかと首を傾けるローゼに、ジェイスは苦笑した。
「そうだな、ローゼ。君は覚えていないかもしれないが、君は昔、優秀な魔法使いだった。今度は俺の番だ」
全ての呪いが解け、ローゼの魂は普通の状態に戻った。
もう生まれ変わるたびに記憶を残すこともない。
わけがわからないとローゼはまた首を傾けたが、不安な表情はしなかった。
ジェイスの力強い腕が、ローゼをしっかりと抱き寄せ、二人の間にはわずかな隙間さえなかったのだ。
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