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61.突然の再会
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地面に分厚く積もった落ち葉が、歩くたびにさくさく音を立てる。
秋を迎えた精霊の森からは多くの音が消え、鳥の声ばかりが遠くに聞こえている。
と、ゼインの右足が、深く地面に沈みこんだ。
ブーツを引き上げて見れば、地面に大きな穴が空いている。
上に被さっていた枯れ葉は、穴の底に溜まった水に落ちている。
穴を慎重にまたぎ、再び歩きだす。
その足元を、いくつもの小さな影が、ちょろちょろと逃げるように走り去る。
冬を前にした森には、冬支度に忙しい小さな命たちが溢れている。
斜面を登ったところで、ふっくらとした穴ウサギが、落ち葉の陰から飛び出した。
そこは見慣れた空き地であり、裏側には契約師の為の洞がある。
ゼインは中央まで進み、横倒しになった丸太と、虫に食べられ少しずつ小さくなっている切り株を見比べると、丸太の方に腰かけた。
白い息が虚空にたちのぼり、空の色に混ざり込む。
アルノがアーダン国に旅立ち一年近くが経つ。
その間、ゼインは仕事の合間にこの森に通い、洞にある道具の手入れを続けていた。
契約師候補は何人もこの森に送り込まれてきているが、まだマカの実を見つけられた者はいなかった。
それどころか、アルノが姿を消してから、巨大な雪狼の目撃情報もなくなってしまった。
このまま誰もマカの実を見つけられなければ、この森が精霊の森である証も消えてしまう。
それは、契約師が育つ森が一つ消滅することを意味している。
精霊を守る立場のゼインにとっては、存在意義さえ失いかねない事態だった。
そこに、ざくざくと力強い足音が聞こえてきた。
顔をあげると、斜面の下から熊のような大男の姿が見えてきた。
「ゼイン様!」
大人らしからぬ無邪気な笑顔で、ゼインに向かって走ってくる。
「ニルド……こんなところで会うとは思わなかった。何をしにきた?」
契約師がノーラ山からいなくなったことで、ニルドは他の騎士団の仲間達と共に以前配属されていた要塞に戻ったが、やはり長めの休暇をとっては城に遊びにやってくる。
そして、クレンとカーラに剣の稽古をつけて帰って行くのだ。
聖職者にはならないと決めたクレンだが、ここが精霊の森である以上、危険がないわけではない。
新たな契約師が来れば、刺客が入ってくることもあり得る。
そのため、頼まれたわけではないが、ゼインも城に立ち寄るたびに、クレンの剣の腕を確かめていた。
しかしニルドと顔を合わせることは滅多にない。
「雪が降る前に、ちょっと森の中を見ておきたかったんです。ここはアルノと冬の間、滑り台を作って遊んだ場所だし、この上の方に行くと斜面にそって伸びた大木があって、見晴らしのよいところに、大きな枝が張り出しているんです。斜面沿いに枝が伸びているので、木登りをしなくても座れます。子供の頃、夕暮れから夜になるまでそこにアルノと二人で並んで座っていました。もう年月も経っているので、腐ってきていないかそこも確認しようと思っていました」
「そんなものを見に来たのか?」
「確かに馬車道を使うより遠回りですが、森を歩くと子供の頃の気持ちを思い出して、少しわくわくします。ゼイン様はどうしてここに?」
「道具の手入れだ。次の契約師が決まるまで、宣誓液を作る場所をいつでも使えるように管理しておかなければならない」
「まだ、次の契約師は決まっていないんですよね?」
ニルドは朽ちてきた切り株に腰を下ろした。
その途端に、ばりばりとものすごい音がして、切り株が二つに割れ、ニルドは地面に尻もちをついた。
さきほど、今座っている丸太とどちらに座ろうかと見比べていたゼインは、密かにほくそ笑む。
それに気づかず、ニルドは尻をさすりながら立ち上がる。
「いてて……ついに腐ったか……」
と、さくさくと、また落ち葉を踏む音が聞こえてきた。
ニルドが素早く腰を屈め、剣の柄に手をあてる。
ゼインも立ち上がり、鋭く音の聞こえてくる方を見据えた。
まだ新しい契約師は来ていないし、夕暮れ間近に森に入ってくる地元の人間にも心当たりがない。
斜面の下から、大きな雪狼が現れた。
少しずつこちらに近づいてくる。
「あれは……襲ってこない方の雪狼か?」
ゼインが小声でニルドに問いかける。アルノが飼いならしていた雪狼か、それとも別の個体なのか、ゼインには見分けがつかない。
「襲って来なければ……たぶん」
ニルドの答えも曖昧だ。
警戒しながらも剣は抜かず、二人は相手の出方を待つ。
雪狼が平らな地面に入る一歩手前で足を止めた。
「ニルド?それにゼインも。二人とも何をしているの?」
雪狼がゆっくりとお尻を下げた。
背中から誰かがするりと下りてきて、雪狼の隣に立った。
二人の男はあっけにとられ、剣から手を放した。
「あ、アルノ?まさか、どうしてここに?アーダン国の王妃になるんだろう?こんなところにいていいのか?」
思ったことをすぐに口に出すニルドは、心に浮かんだ疑問をぽんぽんと吐き出した。
ゼインは途端に暗い表情で黙り込む。
斜面を登り切り、空き地に入ったアルノは、そんな対照的な二人を見上げ、珍しく機嫌の良さそうな顔をした。
「ちょうど良かった。二人とも一緒にお城に来てよ。皆はまだ働いているのでしょう?忙しいと思う?」
「い、いや、冬が近いから、今は冬支度で客を取っていない。冬支度を終えたら、道の点検をして客の受け入れを始めるんだ」
躊躇いもなくすらすらと話すニルドに、アルノは満足そうにうなずく。
「じゃあ、お城に連れて行って。二人にも、それから皆にも話があるの」
「クシールを呼んでくる」
ゼインが短く告げ、ロタ村の方に向かって走り出す。
遠ざかる背中を見送り、アルノはニルドに向かって手を出した。
「引っ張って。ここからお城まで上り坂なんだから」
腑に落ちない様子でありながらも、ニルドは素直にアルノに手を貸した。
「ニルドは誰かと付き合っている?」
「まさか。もうそういうのはいいかな。騎士である限り、そうそう家にも戻れないし、誰かを寂しがらせてしまうだけだ」
「ゼインは?再婚している?」
「いや……。聞いたことはないが、まだだと思うぞ。というか、聖職者の結婚は特殊な場合を除き認められていないのでは?」
「そうね。お城の皆はどう?」
「お前がいなくなって、まだ一年だ。出て行った時とそう変わっていないぞ。まぁ、客は増えたし、酒の売れ行きもまぁまぁだ」
アルノは感心したようにニルドを見上げた。
「ニルドって、何でも話してくれるし、すごく感じが良いのね」
強姦魔だったことはもうすっかり忘れた様子で、アルノは機嫌よく言った。
いつも不機嫌な顔ばかりしていたアルノの変わりように、ニルドはさすがに怪訝な顔付きになった。
「お前、本当にアルノだろうな?」
後ろで手をつなぎ、引っ張っているアルノを振り返ったニルドは、その勝ち気な眼差しに、はっとして目を瞬かせる。
子供の頃の面影が、くっきりとそこに見えたのだ。
『ニルド!あそこに行こうよ』
指さして、走っていく少女の明るい笑顔を思い出し、ニルドを胸を熱くさせた。
「確かに……アルノだな。昔の……」
語尾は小さくなり、消えてしまう。
「何?何か言った?」
問いかけるアルノに、ニルドは「何でもない」と満面の笑みで答え、また前を向く。
雪狼は、いつの間にかどこかに消えていた。
城に到着すると、二人は裏門に回り厨房の入り口を目指した。
二人が裏庭を横切っているところで、扉が開いた。
顔を出したハンナが、驚いたように近づいてくるアルノとニルドを見比べる。
何か話したそうに口を開いたが、すぐに口を閉ざし、後ろに下がる。
厨房横の従業員用の食堂に、クシールにゼイン、それからお城で雇われているロタ村の住人たちが集まっていた。
ニルドはアルノから離れ、テーブルを迂回し集まっていた人々の方に移動した。
「一体……どういうこと?」
ニルドについてテーブルの反対側に回りながら、ハンナが小声で問いかけた。
ビリーの隣に立ったニルドは、「わからない」と無言で首を横に振る。
椅子に座ることなく、アルノは、大きなテーブル越しに懐かしい顔ぶれをぐるりと見渡した。左にニルド、ビリー、ハンナ、ロタ村の住人たちが中央まで並び、右に少し離れてゼインとクシールが立っている。
「クレンとカーラは進学したから町の寄宿舎よ」
ハンナがアルノの視線を受けて答えた。
クシールは相変わらず何を考えているのかわからない澄ました表情で、話があるならさっさと済ませてくださいと言わんばかりにアルノを見返している。
ゼインは完全に心を閉ざした様子で黙り込んでいる。
全員揃っていることを確かめ、アルノは正面を向いた。
「皆に、助けてもらいたいことがあるの」
幻聴だろうかと疑うように、何人かが首を横に傾けた。
アルノが自分から誰かに助けを求めたことは一度もない。
助けを求めるぐらいなら、一人で死んだ方がましだといった態度で、人を拒絶し続けてきた。
別人ではないかと疑うように目を見開き、もっとよく見ようと首を前に突き出した人もいたが、アルノはさっさと続けた。
「私もゼインも、普通の子供時代を知らないの。クレンとカーラもそうだと思うけど、普通はわからない。だけど、私は子供が欲しい。だから、私が産んだ子供を、皆で育ててほしいの」
「は?!!!」
全員が同じ反応をした。
クシールまでもが、目玉が飛び出しそうな顔をして、口をあんぐり開けている。
誰を見ていいのかわからず、互いに顔を見合わせ、それからアルノに視線を戻す。
アルノは落ち着き払った態度で、ニルドを見た。
「ニルド、責任者はあなたにするから。あとは全員でお願いね」
「ま、まて、誰の子だ?」
やはり最初の質問はニルドからだった。
「私、まだ離縁するとは言っていないのだけど?」
顔を少し右に向け、アルノは強張るゼインの顔を真っすぐに見た。
「それから、ここに戻ることになったから」
唖然としている皆をざっと見渡し、アルノはくるりと踵を返した。
もう話は終わったとばかりに、力強い足取りで裏口に引き返す。
「ま、待て!どこに行く!」
ニルドが慌てて追いかける。
アルノは鋭く振り返り、開いた右手を突き出した。
「仕事に行くの。ついてこないで」
これ以上誰とも話したくないのだと言わんばかりに睨みつけ、さっさと裏口を出て行く。
ぴしゃりと扉が閉まると、唖然としていた元ロタ村の住人達は、誰からともなく顔を合わせ、互いの表情を確かめた。
そこには不思議と喜びの感情が溢れていた。
「アルノの子供なんて……想像も出来ないけど」
言いながら、ハンナは泣きながら笑っていた。
子供時代のアルノはもう助けられない。
意地悪だった子供時代の自分を消すことも出来ない。
だけど、これからのアルノの助けになることは出来る。
他のロタ村の住人達の表情も穏やかだった。
仕事を世話してもらい、故郷に帰ることが出来た。
その恩を返すことも出来ず、子供時代の虐待を見てみぬふりをしてきた罪悪感だけを抱えて生きて行くのだと思っていたが、恩返しの機会がやってきたのだ。
しかもアルノから助けを求めてきた。
これは互いにとって、新しい関係を築くための大きな一歩になる。
クシールもちょっとうれしそうだった。
「とにかく、アルノさんは説明が足りませんね。一体、何がおきたのか確認をとりましょう。アーダン国との関係に問題がないのであれば、こちらとしては大歓迎です。仕事が出来る契約師は、貴重ですから。
子育てもする気がないようですから、仕事も中断されることはないでしょう」
誰にともなくそう言って、さっさと一人で厨房を出て行く。
アルノに拒絶され、足を止めたニルドは、やはりじっとしていられず裏口に駆け寄った。
扉を開け、出て行こうとしたところで、振り返る。
「ゼイン様、アルノに話を聞いて来てくださいませんか?」
ゼインは険しい表情のまま、そこに立っていた。
ニルドはそんなゼインの目を真っすぐに見て、扉をさらに大きく開けた。
外はもう夕暮れが近く、夜闇が迫っている。
意外にも大きく響いたニルドの声に、人々もゼインに注目し、息をひそめる。
静かになった厨房の中に、ゼインの足音だけが響きだす。
食堂を横切り、ニルドが支えている扉を潜り抜けた。
ゼインが出て行くと、ニルドはすぐに扉を閉め、足音を聞こうと扉に耳を押し付けた。
ロタ村の住人たちも、心配そうな面持ちで、窓辺に駆け寄った。
外は薄暗く、ゼインの姿は見えない。
しばらくして、全員が不安そうな面持ちでテーブルの周りに集まった。
もしゼインがアルノを拒めば、アルノの子供は生まれてこない。
黙り込んでいる仲間達の目を見て、ハンナが口を開いた。
「絶対にうまくやらないといけないわ。今度こそ、やり直すのよ」
その声は、囁くようでありながら、強い力が込められていた。
秋を迎えた精霊の森からは多くの音が消え、鳥の声ばかりが遠くに聞こえている。
と、ゼインの右足が、深く地面に沈みこんだ。
ブーツを引き上げて見れば、地面に大きな穴が空いている。
上に被さっていた枯れ葉は、穴の底に溜まった水に落ちている。
穴を慎重にまたぎ、再び歩きだす。
その足元を、いくつもの小さな影が、ちょろちょろと逃げるように走り去る。
冬を前にした森には、冬支度に忙しい小さな命たちが溢れている。
斜面を登ったところで、ふっくらとした穴ウサギが、落ち葉の陰から飛び出した。
そこは見慣れた空き地であり、裏側には契約師の為の洞がある。
ゼインは中央まで進み、横倒しになった丸太と、虫に食べられ少しずつ小さくなっている切り株を見比べると、丸太の方に腰かけた。
白い息が虚空にたちのぼり、空の色に混ざり込む。
アルノがアーダン国に旅立ち一年近くが経つ。
その間、ゼインは仕事の合間にこの森に通い、洞にある道具の手入れを続けていた。
契約師候補は何人もこの森に送り込まれてきているが、まだマカの実を見つけられた者はいなかった。
それどころか、アルノが姿を消してから、巨大な雪狼の目撃情報もなくなってしまった。
このまま誰もマカの実を見つけられなければ、この森が精霊の森である証も消えてしまう。
それは、契約師が育つ森が一つ消滅することを意味している。
精霊を守る立場のゼインにとっては、存在意義さえ失いかねない事態だった。
そこに、ざくざくと力強い足音が聞こえてきた。
顔をあげると、斜面の下から熊のような大男の姿が見えてきた。
「ゼイン様!」
大人らしからぬ無邪気な笑顔で、ゼインに向かって走ってくる。
「ニルド……こんなところで会うとは思わなかった。何をしにきた?」
契約師がノーラ山からいなくなったことで、ニルドは他の騎士団の仲間達と共に以前配属されていた要塞に戻ったが、やはり長めの休暇をとっては城に遊びにやってくる。
そして、クレンとカーラに剣の稽古をつけて帰って行くのだ。
聖職者にはならないと決めたクレンだが、ここが精霊の森である以上、危険がないわけではない。
新たな契約師が来れば、刺客が入ってくることもあり得る。
そのため、頼まれたわけではないが、ゼインも城に立ち寄るたびに、クレンの剣の腕を確かめていた。
しかしニルドと顔を合わせることは滅多にない。
「雪が降る前に、ちょっと森の中を見ておきたかったんです。ここはアルノと冬の間、滑り台を作って遊んだ場所だし、この上の方に行くと斜面にそって伸びた大木があって、見晴らしのよいところに、大きな枝が張り出しているんです。斜面沿いに枝が伸びているので、木登りをしなくても座れます。子供の頃、夕暮れから夜になるまでそこにアルノと二人で並んで座っていました。もう年月も経っているので、腐ってきていないかそこも確認しようと思っていました」
「そんなものを見に来たのか?」
「確かに馬車道を使うより遠回りですが、森を歩くと子供の頃の気持ちを思い出して、少しわくわくします。ゼイン様はどうしてここに?」
「道具の手入れだ。次の契約師が決まるまで、宣誓液を作る場所をいつでも使えるように管理しておかなければならない」
「まだ、次の契約師は決まっていないんですよね?」
ニルドは朽ちてきた切り株に腰を下ろした。
その途端に、ばりばりとものすごい音がして、切り株が二つに割れ、ニルドは地面に尻もちをついた。
さきほど、今座っている丸太とどちらに座ろうかと見比べていたゼインは、密かにほくそ笑む。
それに気づかず、ニルドは尻をさすりながら立ち上がる。
「いてて……ついに腐ったか……」
と、さくさくと、また落ち葉を踏む音が聞こえてきた。
ニルドが素早く腰を屈め、剣の柄に手をあてる。
ゼインも立ち上がり、鋭く音の聞こえてくる方を見据えた。
まだ新しい契約師は来ていないし、夕暮れ間近に森に入ってくる地元の人間にも心当たりがない。
斜面の下から、大きな雪狼が現れた。
少しずつこちらに近づいてくる。
「あれは……襲ってこない方の雪狼か?」
ゼインが小声でニルドに問いかける。アルノが飼いならしていた雪狼か、それとも別の個体なのか、ゼインには見分けがつかない。
「襲って来なければ……たぶん」
ニルドの答えも曖昧だ。
警戒しながらも剣は抜かず、二人は相手の出方を待つ。
雪狼が平らな地面に入る一歩手前で足を止めた。
「ニルド?それにゼインも。二人とも何をしているの?」
雪狼がゆっくりとお尻を下げた。
背中から誰かがするりと下りてきて、雪狼の隣に立った。
二人の男はあっけにとられ、剣から手を放した。
「あ、アルノ?まさか、どうしてここに?アーダン国の王妃になるんだろう?こんなところにいていいのか?」
思ったことをすぐに口に出すニルドは、心に浮かんだ疑問をぽんぽんと吐き出した。
ゼインは途端に暗い表情で黙り込む。
斜面を登り切り、空き地に入ったアルノは、そんな対照的な二人を見上げ、珍しく機嫌の良さそうな顔をした。
「ちょうど良かった。二人とも一緒にお城に来てよ。皆はまだ働いているのでしょう?忙しいと思う?」
「い、いや、冬が近いから、今は冬支度で客を取っていない。冬支度を終えたら、道の点検をして客の受け入れを始めるんだ」
躊躇いもなくすらすらと話すニルドに、アルノは満足そうにうなずく。
「じゃあ、お城に連れて行って。二人にも、それから皆にも話があるの」
「クシールを呼んでくる」
ゼインが短く告げ、ロタ村の方に向かって走り出す。
遠ざかる背中を見送り、アルノはニルドに向かって手を出した。
「引っ張って。ここからお城まで上り坂なんだから」
腑に落ちない様子でありながらも、ニルドは素直にアルノに手を貸した。
「ニルドは誰かと付き合っている?」
「まさか。もうそういうのはいいかな。騎士である限り、そうそう家にも戻れないし、誰かを寂しがらせてしまうだけだ」
「ゼインは?再婚している?」
「いや……。聞いたことはないが、まだだと思うぞ。というか、聖職者の結婚は特殊な場合を除き認められていないのでは?」
「そうね。お城の皆はどう?」
「お前がいなくなって、まだ一年だ。出て行った時とそう変わっていないぞ。まぁ、客は増えたし、酒の売れ行きもまぁまぁだ」
アルノは感心したようにニルドを見上げた。
「ニルドって、何でも話してくれるし、すごく感じが良いのね」
強姦魔だったことはもうすっかり忘れた様子で、アルノは機嫌よく言った。
いつも不機嫌な顔ばかりしていたアルノの変わりように、ニルドはさすがに怪訝な顔付きになった。
「お前、本当にアルノだろうな?」
後ろで手をつなぎ、引っ張っているアルノを振り返ったニルドは、その勝ち気な眼差しに、はっとして目を瞬かせる。
子供の頃の面影が、くっきりとそこに見えたのだ。
『ニルド!あそこに行こうよ』
指さして、走っていく少女の明るい笑顔を思い出し、ニルドを胸を熱くさせた。
「確かに……アルノだな。昔の……」
語尾は小さくなり、消えてしまう。
「何?何か言った?」
問いかけるアルノに、ニルドは「何でもない」と満面の笑みで答え、また前を向く。
雪狼は、いつの間にかどこかに消えていた。
城に到着すると、二人は裏門に回り厨房の入り口を目指した。
二人が裏庭を横切っているところで、扉が開いた。
顔を出したハンナが、驚いたように近づいてくるアルノとニルドを見比べる。
何か話したそうに口を開いたが、すぐに口を閉ざし、後ろに下がる。
厨房横の従業員用の食堂に、クシールにゼイン、それからお城で雇われているロタ村の住人たちが集まっていた。
ニルドはアルノから離れ、テーブルを迂回し集まっていた人々の方に移動した。
「一体……どういうこと?」
ニルドについてテーブルの反対側に回りながら、ハンナが小声で問いかけた。
ビリーの隣に立ったニルドは、「わからない」と無言で首を横に振る。
椅子に座ることなく、アルノは、大きなテーブル越しに懐かしい顔ぶれをぐるりと見渡した。左にニルド、ビリー、ハンナ、ロタ村の住人たちが中央まで並び、右に少し離れてゼインとクシールが立っている。
「クレンとカーラは進学したから町の寄宿舎よ」
ハンナがアルノの視線を受けて答えた。
クシールは相変わらず何を考えているのかわからない澄ました表情で、話があるならさっさと済ませてくださいと言わんばかりにアルノを見返している。
ゼインは完全に心を閉ざした様子で黙り込んでいる。
全員揃っていることを確かめ、アルノは正面を向いた。
「皆に、助けてもらいたいことがあるの」
幻聴だろうかと疑うように、何人かが首を横に傾けた。
アルノが自分から誰かに助けを求めたことは一度もない。
助けを求めるぐらいなら、一人で死んだ方がましだといった態度で、人を拒絶し続けてきた。
別人ではないかと疑うように目を見開き、もっとよく見ようと首を前に突き出した人もいたが、アルノはさっさと続けた。
「私もゼインも、普通の子供時代を知らないの。クレンとカーラもそうだと思うけど、普通はわからない。だけど、私は子供が欲しい。だから、私が産んだ子供を、皆で育ててほしいの」
「は?!!!」
全員が同じ反応をした。
クシールまでもが、目玉が飛び出しそうな顔をして、口をあんぐり開けている。
誰を見ていいのかわからず、互いに顔を見合わせ、それからアルノに視線を戻す。
アルノは落ち着き払った態度で、ニルドを見た。
「ニルド、責任者はあなたにするから。あとは全員でお願いね」
「ま、まて、誰の子だ?」
やはり最初の質問はニルドからだった。
「私、まだ離縁するとは言っていないのだけど?」
顔を少し右に向け、アルノは強張るゼインの顔を真っすぐに見た。
「それから、ここに戻ることになったから」
唖然としている皆をざっと見渡し、アルノはくるりと踵を返した。
もう話は終わったとばかりに、力強い足取りで裏口に引き返す。
「ま、待て!どこに行く!」
ニルドが慌てて追いかける。
アルノは鋭く振り返り、開いた右手を突き出した。
「仕事に行くの。ついてこないで」
これ以上誰とも話したくないのだと言わんばかりに睨みつけ、さっさと裏口を出て行く。
ぴしゃりと扉が閉まると、唖然としていた元ロタ村の住人達は、誰からともなく顔を合わせ、互いの表情を確かめた。
そこには不思議と喜びの感情が溢れていた。
「アルノの子供なんて……想像も出来ないけど」
言いながら、ハンナは泣きながら笑っていた。
子供時代のアルノはもう助けられない。
意地悪だった子供時代の自分を消すことも出来ない。
だけど、これからのアルノの助けになることは出来る。
他のロタ村の住人達の表情も穏やかだった。
仕事を世話してもらい、故郷に帰ることが出来た。
その恩を返すことも出来ず、子供時代の虐待を見てみぬふりをしてきた罪悪感だけを抱えて生きて行くのだと思っていたが、恩返しの機会がやってきたのだ。
しかもアルノから助けを求めてきた。
これは互いにとって、新しい関係を築くための大きな一歩になる。
クシールもちょっとうれしそうだった。
「とにかく、アルノさんは説明が足りませんね。一体、何がおきたのか確認をとりましょう。アーダン国との関係に問題がないのであれば、こちらとしては大歓迎です。仕事が出来る契約師は、貴重ですから。
子育てもする気がないようですから、仕事も中断されることはないでしょう」
誰にともなくそう言って、さっさと一人で厨房を出て行く。
アルノに拒絶され、足を止めたニルドは、やはりじっとしていられず裏口に駆け寄った。
扉を開け、出て行こうとしたところで、振り返る。
「ゼイン様、アルノに話を聞いて来てくださいませんか?」
ゼインは険しい表情のまま、そこに立っていた。
ニルドはそんなゼインの目を真っすぐに見て、扉をさらに大きく開けた。
外はもう夕暮れが近く、夜闇が迫っている。
意外にも大きく響いたニルドの声に、人々もゼインに注目し、息をひそめる。
静かになった厨房の中に、ゼインの足音だけが響きだす。
食堂を横切り、ニルドが支えている扉を潜り抜けた。
ゼインが出て行くと、ニルドはすぐに扉を閉め、足音を聞こうと扉に耳を押し付けた。
ロタ村の住人たちも、心配そうな面持ちで、窓辺に駆け寄った。
外は薄暗く、ゼインの姿は見えない。
しばらくして、全員が不安そうな面持ちでテーブルの周りに集まった。
もしゼインがアルノを拒めば、アルノの子供は生まれてこない。
黙り込んでいる仲間達の目を見て、ハンナが口を開いた。
「絶対にうまくやらないといけないわ。今度こそ、やり直すのよ」
その声は、囁くようでありながら、強い力が込められていた。
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※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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月山 歩
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