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55.浮気は浮気
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結局行き場もなく、アルノは村を見下ろす斜面に張り出した枝の上、ニルドと並んで座っていた。
吹雪は一旦収まり、葉を落とした枝には器用に降り積もった雪が分厚く乗っている。
二人が座っている枝に積もっていた雪だけが、振動を受け地上に落ち、足元には小さな雪山が出来ていた。
籠城が始まる直前、ニルドから衝撃的な告白を聞いた場所だったが、今はクシールとゼインが浮気しているという現実に起きている問題を解決する方が先だった。
ニルドのしたことにも、もやもやしているが、それはもう過去のことだ。
しかし夫のゼインとの関係はまだ終わっていない。
クシールとゼインの関係を認めてしまえば、アルノはどうなってしまうのか。
ゼインと離婚したら、金欠に拍車がかかり、またカーラが体を売ると言い出すことになる。
「私の契約紙は金貨50枚の価値があるのに、どうしてこんなにお金がないのかしら……」
家に帰りたがらないアルノに付き合い、能天気に隣に座ったニルドは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまない。俺が頼んだ城のせいだよな。一生かかっても払えないかもしれないと言っていたものな。一応、俺が支払える分の金はクシール様に渡しているぞ。その方が早いからと言われた。明細もみたが、月々ぎりぎりだな」
なんでニルドの方がアルノの経済状況に詳しいのかと、アルノは不愉快な顔をしたが、それを口に出したら、また問題を一つ増やすことになる。
大きくため息をつくと、凍り付いた息が白く立ち昇る。
「冬だなぁ」
のんきに星を見上げるニルドをアルノは横目でにらんだ。
そういえばと、ニルドがアルノの方に顔を向ける。
「ゼイン様のところには戻らないのか?まさか夜中から森に入ったりしないだろう?」
「……浮気しているの」
「え?!アルノ、今度は誰だ?」
イアンとあんなことがあったというのに、まだ凝りていないのかと、ニルドの目つきが変わる。
冗談じゃないとアルノも目を吊り上げた。
強姦魔に浮気を疑われるなんて心外だし、例え、浮気をしていたとしても、強姦魔に偉そうに説教されたくはない。
「私じゃなくて、ゼインよ!」
きょとんとしたニルドは、あっさり相手を当てた。
「クシール様か?」
「知っていたの?」
怒りの声を上げたアルノを見て、ニルドもあわあわと驚きの表情で手を横に振る。
「い、いや、だって聞こえるし……」
そういえば、ハンナが寝室の声が外に漏れていると言っていた気もする。
つまり、クシールとゼインがやっている声も、見回りの騎士達の耳に入っていたのだ。
「はぁああああ?なんで、私に言わないのよ!」
「知っていると思った」
それだけ、騎士団の中では当たり前の話だったのだ。
一体アルノとゼイン、それからクシールの関係を周りの人たちは、どう思っていたのかと考え、アルノは頭が痛くなった。
大きく息を吐き出し、アルノはニルドが二人の関係を知っているのならば話は早いと、開き直って話し出した。
「私は……最近知ったのよ。結婚前なら許せても、今の状態では、相手がクシールだって浮気よ。でも、浮気を責めて、ゼインと離縁したら今やっている事業が回らなくなる。お城に来ている人たちのお給料も払わないといけないし、お酒も売れていない。国がお城をきれいにしてくれているところだけれども、今後の計画はまだ立っていないし、クレンとカーラは進学するし……」
話しているうちに、ゼインと結婚している意味がお金しかないような気がしてきて、アルノは続けられなくなった。
結婚の動機はお金ではなかったはずだ。
考え込んでいるアルノを見て、ニルドは簡単に答えを思いついた。
「クシール様に相談して予算を組んでもらったら良い。クシール様はその道の専門家だぞ」
なぜ浮気相手に頭を下げて頼まなければならないのかと、アルノは上辺の問題しか見ていないニルドに向かって怖い顔をした。
「お金の問題だけじゃないのよ。それじゃあ、浮気の問題は解決しないじゃない」
「浮気は……問題あるのか?アルノの居ない時だけだし、相手は男だ。子供も出来ないし、良いんじゃないか?」
「浮気の意味がわかっている?私がいない時に、誰かと裸で体を重ねているのよ?それが女だったら浮気でしょう?相手が男でも同じ浮気じゃないの?それとも、夫婦は会っていない間は、誰と寝てもいいわけ?じゃあ、浮気ってどういう状態のことを言うのよ!」
「うーん。確かに、女だったら違うかなぁ。でも、浮気かなぁ?そうなのかな……」
よくわからないと曖昧に首を振り、ニルドは足を地面から離し、無理やり前後に揺らし始めた。
太い枝が大きく揺れ始める。
「揺らさないで!」
ぴしゃりというと、ニルドは素直にまた両足を地面についた。
その横顔をちらりと見上げ、アルノは悪くないと考えた。
美形ではないかもしれないが、野性味があって爽やかだし、昔の面影もある。
しかも今は騎士であり、ゼインほどではなくてもちゃんとした収入もある。
「ねぇ……もしもね、もしも私がゼインと離縁したら、私と結婚してくれる?」
「え?!」
ずるりとニルドが枝から後ろに滑り落ちた。
衝撃ですぐ傍の枝に積もっていた雪がどさりと落ち、銀色の雪が粉のように舞い上がる。
お尻をしたたかに打ち付けたニルドは、枝の上にいるアルノを驚愕の目で見上げている。
アルノは地面に飛び降り、尻もちをついてるニルドの前に立った。
「私のことが好きで強姦までしたくせに、結婚したくないの?」
「え?!いや、だって、あれは子供の時のことで、あれから何年も経っているのに、それに、君は結婚しているじゃないか。急に言われても困るよ!」
怒りと屈辱に顔を赤くし、アルノは鼻の穴を大きく広げた。
「じゃあ、どうしてあんなこと私に言ったのよ!私の初めてを全部奪っておきながら、好きでもないなんて、どういうこと!」
「いや、だから、それは子供の頃の話だし、本当に申し訳なかったと思っていたから……いつか、君が幸せになったのを見届けたら話して謝ろうと思っていたんだ。今は、親友だと思っているよ!」
結局、自分の心を軽くするためだけの謝罪だったのだ。
幸せな状態で聞かされていたら、その幸せが壊れる可能性だってあったはずだ。
「なんて自分勝手なの!」
アルノは顔をあげ、遠くの町の灯を振り返った。
降って来た雪が町の灯りと同化してきらきらとオレンジ色に輝いて見える。
虚空にのぼっていく白い息を見上げ、アルノは目元を拭った。
「結局、私は自分の都合の良い夢を見ていただけだったのね。夢と現実っていつまで経っても、かみ合わないものなのね」
「アルノ?どっちに帰る?」
何ごともなかったような顔で、ニルドが立ち上がり、お尻についた雪を払っている。
もう言い争う気力もなく、アルノは無言で踵を返し、雪の中を力強く歩き出した。
ロタ村の家に到着すると、アルノは裏庭に回り、勢いに任せ寝室の窓に直行した。
案の定、そこには予想通りの光景があった。
窓辺に置かれた寝台で、まさに体を重ねていた男二人は、異様な気配に気づいたように窓に視線を向け、絵に描いたような驚愕の表情で、寝台から転がり落ちた。
なんて間抜けな光景なのだろうとアルノは毒づきながら、無言で裏口に向かった。
台所から入り、寝室の扉の前に立つ。
中からは、二人の男がばたばたと着替えをする音が聞こえていた。
そんな暇を与えてなるものかと、アルノは寝室の扉を乱暴に開けた。
寝台の傍らで、かろうじてズボンを履いたクシールとゼインが、顔をあげる。
ゼインはシャツに袖を通すところで、クシールはズボンの紐を閉めていた。
そんな夫とクシールを前に、アルノは腰に手を当て戸口に立ちはだかった。
「何をしていたの?」
「ただの訓練ですよ。その、吹雪きでしたからお城に泊まると思っていました」
クシールがさらりと言った。
ゼインはその通りだと、肩をすくめてみせる。
悪びれた様子もない二人に、アルノは心底がっかりしたが、表情を引き締めた。
「これって、浮気だと思うの」
「ベッドを使ったことは申し訳なかったと思います」
クシールは謝罪の言葉を口にしたが、ゼインは無言だった。
「夫婦で話をしたいの。クシールは出ていってくれる?」
不愉快そうに顔をしかめたゼインだったが、表情を消してベッドに腰をかけた。
クシールは躊躇うようにゼインとアルノを見比べた。
「クシールは出て行って」
もう一度鋭く言葉を投げ、アルノが扉を指さす。
クシールが出て行くと、アルノはぴしゃりと寝室の扉を閉めた。
灯りは月明かりのみだったが、先ほど降った新雪が光を跳ね返し、ゼインの表情は薄明りの中にくっきり見えていた。
「私達、もう結婚しているのだから、これは浮気よ。離縁したいの?」
ゼインは髪をかきあげ、ベッドに仰向けに寝転んだ。
「君は山にこもるのが仕事だ。最低二日、長ければ五日、一カ月もこもっていたこともある。その間、俺はずっと一人寝をしなければならないのか?」
その返答に、アルノは衝撃を受けて固まった。
ゼインがこの夫婦生活に不満を持っているとは、考えたこともなかったのだ。
ニルドに愛されていると勘違いしていた自分に腹を立てたように、今度は夫に不満がないと信じ込んでいた自分に腹が立った。
ゼインが、アルノをただの契約師としか思っていないのではないかと心配していたというのに、心のどこかで専属世話人なのだから、ゼインはアルノを満足させて当然だと思い込んでいた。
なぜ、ゼインがこの結婚に満足しているのか、考えようとしなかったのだろう。
その事を、反省しかけたアルノだったが、それを浮気の原因として片付けてしまうのはやはり間違っていると思い直した。
ゼインの役目はアルノに仕事をさせることだ。それなのに、アルノが仕事で不在だったせいで浮気したなんて、そんな理由が通用していいわけがない。
「ゼインに不満があったなんて思わなかった。でも、私が……仕事をした方が、うれしいのではないの?」
「俺を喜ばせるために、君はいつまでも森から帰ってこないのか?結婚してからも変わらず?
あれだけ、仕事を辞めたがっていたくせに、仕事の日を減らすことだって考えていないじゃないか。
つまり、君は仕事を全てにおいて優先している。だとしたら、俺も仕事を優先して構わないはずだ。
彼とは仕事で寝ている。ただそれだけだ。
クシールは君をこの仕事に縛り付けるために苦心している。君が我儘で、世間知らずだから、世俗に触れさせずにどうやってやる気にさせるか頭を悩まさないといけない。俺達は、それぞれの仕事をしているだけだ」
「なんでクシールの話が出てくるのよ!だいたい、クシールと寝る仕事ってなに?技術はもう磨かなくていいでしょう?私達はもう夫婦なのに!欲求不満をクシールで解消していただけじゃない!」
気まずい沈黙が流れる。
かつてないほど不機嫌な顔になったゼインが、口を開いた。
「君は俺に専属世話人でいてほしいのか?それとも本物の夫か?」
「もちろん夫よ。でも……」
夫と専属世話人の境界線はどこにあるのだろうか。
専属世話人は契約師の性欲を満たし、仕事に打ち込めるよう日常の世話をする。
夫は妻と対等の立場にあり、一方的に奉仕する存在ではない。
だとしたら、ゼインが欲求不満にならないよう努めることも、妻の役目といえるかもしれない。
だけどそこには矛盾が生じる。
アルノが契約師である以上、ゼインを夫にするのは無理だったのではないだろうか。
それに最初から夫婦だったのかどうかもよくわからない。
ゼインの認識では、アルノはただの契約師だったのかもしれない。
夫婦生活はベッドの中だけであり、ニルドと一緒にいる時みたいに、個人的なことを相談し合ったり、森で遊んだりすることもなかった。
マカの実が見つけられなくなった時も相談出来なかったし、二人の間に愛があるのかすら聞けていない。
「私は、普通の夫婦を知らないから……」
「俺だって知らない」
ゼインが容赦なく、アルノの言葉を遮った。
二人とも孤児であり、ゼインの方が特殊な環境で育った。
アルノは師匠にもらわれたため、村の生活を見る機会もあり、なんとなく普通の夫婦というものをわかっている。
ゼインは普通の生活を目にする機会すらなかった。
「でも、夫のふりが出来るなら、夫婦のふりだってわかっているはずでしょう?もし、専属世話人の仕事であれば浮気をする?」
「契約によりますし、互いに気にしなければいいのでは?」
「いまさらその、丁寧な話し方はやめてよ!」
完全にアルノを拒絶しようとしているゼインに、アルノの怒りが復活する。
「俺にどうしろと?」
開き直っているゼインを睨み、アルノは口を開いた。
「じゃあ聞くけど、私が浮気をしても良いの?他の男の子供をみごもったら?」
子供という言葉に反応し、ゼインは冷え切った微笑を浮かべた。
「俺は夫になったが、父親になった覚えはない。君が浮気をするなら、相手は知っておくべきだろうな。まさか、望みのないニルドか?」
かっとして頬が熱くなる。アルノは怒りを抑え込むように拳を固く握りしめた。
「どうして……私と結婚したの?契約師でなくても求婚してくれた?」
「まさか。君が契約師でなければ、出会う機会もなかっただろう」
聖職者であるゼインが、一般の女性と出会う機会はないし、結婚を許可されている聖職者はごく一部だ。
「でも、クシールと寝たら、私が……嫌がるとは思わなかったの?」
「君も、俺が君だけで満足していると思っていたのか?」
冷たい表情と口調でアルノの言葉を跳ね返してくるゼインを前に、アルノはすっかり解決の糸口を失った。
心を合わせる気がないなら、話し合いを続けても意味がない。
アルノは寝室を飛び出した。
裏口と表玄関、どちらに行くべきか左右を見ると、居間のテーブルにクシールがいた。
アルノと目が合うと、クシールはすぐに立ち上がった。
「アルノさん、私は性的な奉仕を学ぶ授業が一番苦手でした。彼が、いつも私の分まで授業を代わりに受けてくれたのです。彼には借りがあります」
いつもの淡々と口調でありながら、それがクシールの本心なのだと、アルノにはわかった。
ゼインとクシールは子供のころから一緒にいるのだ。
その付き合いの長さは、当然アルノとゼインの結婚生活より長い。
邪魔者は、やはりアルノの方だ。
「あのベッドは使えない」
一言ずつ、区切るように言葉を叩きつける。
「わかっています。お城の方へ?」
アルノは黙って裏口から外に飛び出した。
そこに、またもや邪魔なニルドが待っていた。
困惑の表情でアルノと目を合わせる。
話す気にもなれず、アルノはニルドの横をすり抜け、一人闇の中を歩きだした。
吹雪は一旦収まり、葉を落とした枝には器用に降り積もった雪が分厚く乗っている。
二人が座っている枝に積もっていた雪だけが、振動を受け地上に落ち、足元には小さな雪山が出来ていた。
籠城が始まる直前、ニルドから衝撃的な告白を聞いた場所だったが、今はクシールとゼインが浮気しているという現実に起きている問題を解決する方が先だった。
ニルドのしたことにも、もやもやしているが、それはもう過去のことだ。
しかし夫のゼインとの関係はまだ終わっていない。
クシールとゼインの関係を認めてしまえば、アルノはどうなってしまうのか。
ゼインと離婚したら、金欠に拍車がかかり、またカーラが体を売ると言い出すことになる。
「私の契約紙は金貨50枚の価値があるのに、どうしてこんなにお金がないのかしら……」
家に帰りたがらないアルノに付き合い、能天気に隣に座ったニルドは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまない。俺が頼んだ城のせいだよな。一生かかっても払えないかもしれないと言っていたものな。一応、俺が支払える分の金はクシール様に渡しているぞ。その方が早いからと言われた。明細もみたが、月々ぎりぎりだな」
なんでニルドの方がアルノの経済状況に詳しいのかと、アルノは不愉快な顔をしたが、それを口に出したら、また問題を一つ増やすことになる。
大きくため息をつくと、凍り付いた息が白く立ち昇る。
「冬だなぁ」
のんきに星を見上げるニルドをアルノは横目でにらんだ。
そういえばと、ニルドがアルノの方に顔を向ける。
「ゼイン様のところには戻らないのか?まさか夜中から森に入ったりしないだろう?」
「……浮気しているの」
「え?!アルノ、今度は誰だ?」
イアンとあんなことがあったというのに、まだ凝りていないのかと、ニルドの目つきが変わる。
冗談じゃないとアルノも目を吊り上げた。
強姦魔に浮気を疑われるなんて心外だし、例え、浮気をしていたとしても、強姦魔に偉そうに説教されたくはない。
「私じゃなくて、ゼインよ!」
きょとんとしたニルドは、あっさり相手を当てた。
「クシール様か?」
「知っていたの?」
怒りの声を上げたアルノを見て、ニルドもあわあわと驚きの表情で手を横に振る。
「い、いや、だって聞こえるし……」
そういえば、ハンナが寝室の声が外に漏れていると言っていた気もする。
つまり、クシールとゼインがやっている声も、見回りの騎士達の耳に入っていたのだ。
「はぁああああ?なんで、私に言わないのよ!」
「知っていると思った」
それだけ、騎士団の中では当たり前の話だったのだ。
一体アルノとゼイン、それからクシールの関係を周りの人たちは、どう思っていたのかと考え、アルノは頭が痛くなった。
大きく息を吐き出し、アルノはニルドが二人の関係を知っているのならば話は早いと、開き直って話し出した。
「私は……最近知ったのよ。結婚前なら許せても、今の状態では、相手がクシールだって浮気よ。でも、浮気を責めて、ゼインと離縁したら今やっている事業が回らなくなる。お城に来ている人たちのお給料も払わないといけないし、お酒も売れていない。国がお城をきれいにしてくれているところだけれども、今後の計画はまだ立っていないし、クレンとカーラは進学するし……」
話しているうちに、ゼインと結婚している意味がお金しかないような気がしてきて、アルノは続けられなくなった。
結婚の動機はお金ではなかったはずだ。
考え込んでいるアルノを見て、ニルドは簡単に答えを思いついた。
「クシール様に相談して予算を組んでもらったら良い。クシール様はその道の専門家だぞ」
なぜ浮気相手に頭を下げて頼まなければならないのかと、アルノは上辺の問題しか見ていないニルドに向かって怖い顔をした。
「お金の問題だけじゃないのよ。それじゃあ、浮気の問題は解決しないじゃない」
「浮気は……問題あるのか?アルノの居ない時だけだし、相手は男だ。子供も出来ないし、良いんじゃないか?」
「浮気の意味がわかっている?私がいない時に、誰かと裸で体を重ねているのよ?それが女だったら浮気でしょう?相手が男でも同じ浮気じゃないの?それとも、夫婦は会っていない間は、誰と寝てもいいわけ?じゃあ、浮気ってどういう状態のことを言うのよ!」
「うーん。確かに、女だったら違うかなぁ。でも、浮気かなぁ?そうなのかな……」
よくわからないと曖昧に首を振り、ニルドは足を地面から離し、無理やり前後に揺らし始めた。
太い枝が大きく揺れ始める。
「揺らさないで!」
ぴしゃりというと、ニルドは素直にまた両足を地面についた。
その横顔をちらりと見上げ、アルノは悪くないと考えた。
美形ではないかもしれないが、野性味があって爽やかだし、昔の面影もある。
しかも今は騎士であり、ゼインほどではなくてもちゃんとした収入もある。
「ねぇ……もしもね、もしも私がゼインと離縁したら、私と結婚してくれる?」
「え?!」
ずるりとニルドが枝から後ろに滑り落ちた。
衝撃ですぐ傍の枝に積もっていた雪がどさりと落ち、銀色の雪が粉のように舞い上がる。
お尻をしたたかに打ち付けたニルドは、枝の上にいるアルノを驚愕の目で見上げている。
アルノは地面に飛び降り、尻もちをついてるニルドの前に立った。
「私のことが好きで強姦までしたくせに、結婚したくないの?」
「え?!いや、だって、あれは子供の時のことで、あれから何年も経っているのに、それに、君は結婚しているじゃないか。急に言われても困るよ!」
怒りと屈辱に顔を赤くし、アルノは鼻の穴を大きく広げた。
「じゃあ、どうしてあんなこと私に言ったのよ!私の初めてを全部奪っておきながら、好きでもないなんて、どういうこと!」
「いや、だから、それは子供の頃の話だし、本当に申し訳なかったと思っていたから……いつか、君が幸せになったのを見届けたら話して謝ろうと思っていたんだ。今は、親友だと思っているよ!」
結局、自分の心を軽くするためだけの謝罪だったのだ。
幸せな状態で聞かされていたら、その幸せが壊れる可能性だってあったはずだ。
「なんて自分勝手なの!」
アルノは顔をあげ、遠くの町の灯を振り返った。
降って来た雪が町の灯りと同化してきらきらとオレンジ色に輝いて見える。
虚空にのぼっていく白い息を見上げ、アルノは目元を拭った。
「結局、私は自分の都合の良い夢を見ていただけだったのね。夢と現実っていつまで経っても、かみ合わないものなのね」
「アルノ?どっちに帰る?」
何ごともなかったような顔で、ニルドが立ち上がり、お尻についた雪を払っている。
もう言い争う気力もなく、アルノは無言で踵を返し、雪の中を力強く歩き出した。
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案の定、そこには予想通りの光景があった。
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台所から入り、寝室の扉の前に立つ。
中からは、二人の男がばたばたと着替えをする音が聞こえていた。
そんな暇を与えてなるものかと、アルノは寝室の扉を乱暴に開けた。
寝台の傍らで、かろうじてズボンを履いたクシールとゼインが、顔をあげる。
ゼインはシャツに袖を通すところで、クシールはズボンの紐を閉めていた。
そんな夫とクシールを前に、アルノは腰に手を当て戸口に立ちはだかった。
「何をしていたの?」
「ただの訓練ですよ。その、吹雪きでしたからお城に泊まると思っていました」
クシールがさらりと言った。
ゼインはその通りだと、肩をすくめてみせる。
悪びれた様子もない二人に、アルノは心底がっかりしたが、表情を引き締めた。
「これって、浮気だと思うの」
「ベッドを使ったことは申し訳なかったと思います」
クシールは謝罪の言葉を口にしたが、ゼインは無言だった。
「夫婦で話をしたいの。クシールは出ていってくれる?」
不愉快そうに顔をしかめたゼインだったが、表情を消してベッドに腰をかけた。
クシールは躊躇うようにゼインとアルノを見比べた。
「クシールは出て行って」
もう一度鋭く言葉を投げ、アルノが扉を指さす。
クシールが出て行くと、アルノはぴしゃりと寝室の扉を閉めた。
灯りは月明かりのみだったが、先ほど降った新雪が光を跳ね返し、ゼインの表情は薄明りの中にくっきり見えていた。
「私達、もう結婚しているのだから、これは浮気よ。離縁したいの?」
ゼインは髪をかきあげ、ベッドに仰向けに寝転んだ。
「君は山にこもるのが仕事だ。最低二日、長ければ五日、一カ月もこもっていたこともある。その間、俺はずっと一人寝をしなければならないのか?」
その返答に、アルノは衝撃を受けて固まった。
ゼインがこの夫婦生活に不満を持っているとは、考えたこともなかったのだ。
ニルドに愛されていると勘違いしていた自分に腹を立てたように、今度は夫に不満がないと信じ込んでいた自分に腹が立った。
ゼインが、アルノをただの契約師としか思っていないのではないかと心配していたというのに、心のどこかで専属世話人なのだから、ゼインはアルノを満足させて当然だと思い込んでいた。
なぜ、ゼインがこの結婚に満足しているのか、考えようとしなかったのだろう。
その事を、反省しかけたアルノだったが、それを浮気の原因として片付けてしまうのはやはり間違っていると思い直した。
ゼインの役目はアルノに仕事をさせることだ。それなのに、アルノが仕事で不在だったせいで浮気したなんて、そんな理由が通用していいわけがない。
「ゼインに不満があったなんて思わなかった。でも、私が……仕事をした方が、うれしいのではないの?」
「俺を喜ばせるために、君はいつまでも森から帰ってこないのか?結婚してからも変わらず?
あれだけ、仕事を辞めたがっていたくせに、仕事の日を減らすことだって考えていないじゃないか。
つまり、君は仕事を全てにおいて優先している。だとしたら、俺も仕事を優先して構わないはずだ。
彼とは仕事で寝ている。ただそれだけだ。
クシールは君をこの仕事に縛り付けるために苦心している。君が我儘で、世間知らずだから、世俗に触れさせずにどうやってやる気にさせるか頭を悩まさないといけない。俺達は、それぞれの仕事をしているだけだ」
「なんでクシールの話が出てくるのよ!だいたい、クシールと寝る仕事ってなに?技術はもう磨かなくていいでしょう?私達はもう夫婦なのに!欲求不満をクシールで解消していただけじゃない!」
気まずい沈黙が流れる。
かつてないほど不機嫌な顔になったゼインが、口を開いた。
「君は俺に専属世話人でいてほしいのか?それとも本物の夫か?」
「もちろん夫よ。でも……」
夫と専属世話人の境界線はどこにあるのだろうか。
専属世話人は契約師の性欲を満たし、仕事に打ち込めるよう日常の世話をする。
夫は妻と対等の立場にあり、一方的に奉仕する存在ではない。
だとしたら、ゼインが欲求不満にならないよう努めることも、妻の役目といえるかもしれない。
だけどそこには矛盾が生じる。
アルノが契約師である以上、ゼインを夫にするのは無理だったのではないだろうか。
それに最初から夫婦だったのかどうかもよくわからない。
ゼインの認識では、アルノはただの契約師だったのかもしれない。
夫婦生活はベッドの中だけであり、ニルドと一緒にいる時みたいに、個人的なことを相談し合ったり、森で遊んだりすることもなかった。
マカの実が見つけられなくなった時も相談出来なかったし、二人の間に愛があるのかすら聞けていない。
「私は、普通の夫婦を知らないから……」
「俺だって知らない」
ゼインが容赦なく、アルノの言葉を遮った。
二人とも孤児であり、ゼインの方が特殊な環境で育った。
アルノは師匠にもらわれたため、村の生活を見る機会もあり、なんとなく普通の夫婦というものをわかっている。
ゼインは普通の生活を目にする機会すらなかった。
「でも、夫のふりが出来るなら、夫婦のふりだってわかっているはずでしょう?もし、専属世話人の仕事であれば浮気をする?」
「契約によりますし、互いに気にしなければいいのでは?」
「いまさらその、丁寧な話し方はやめてよ!」
完全にアルノを拒絶しようとしているゼインに、アルノの怒りが復活する。
「俺にどうしろと?」
開き直っているゼインを睨み、アルノは口を開いた。
「じゃあ聞くけど、私が浮気をしても良いの?他の男の子供をみごもったら?」
子供という言葉に反応し、ゼインは冷え切った微笑を浮かべた。
「俺は夫になったが、父親になった覚えはない。君が浮気をするなら、相手は知っておくべきだろうな。まさか、望みのないニルドか?」
かっとして頬が熱くなる。アルノは怒りを抑え込むように拳を固く握りしめた。
「どうして……私と結婚したの?契約師でなくても求婚してくれた?」
「まさか。君が契約師でなければ、出会う機会もなかっただろう」
聖職者であるゼインが、一般の女性と出会う機会はないし、結婚を許可されている聖職者はごく一部だ。
「でも、クシールと寝たら、私が……嫌がるとは思わなかったの?」
「君も、俺が君だけで満足していると思っていたのか?」
冷たい表情と口調でアルノの言葉を跳ね返してくるゼインを前に、アルノはすっかり解決の糸口を失った。
心を合わせる気がないなら、話し合いを続けても意味がない。
アルノは寝室を飛び出した。
裏口と表玄関、どちらに行くべきか左右を見ると、居間のテーブルにクシールがいた。
アルノと目が合うと、クシールはすぐに立ち上がった。
「アルノさん、私は性的な奉仕を学ぶ授業が一番苦手でした。彼が、いつも私の分まで授業を代わりに受けてくれたのです。彼には借りがあります」
いつもの淡々と口調でありながら、それがクシールの本心なのだと、アルノにはわかった。
ゼインとクシールは子供のころから一緒にいるのだ。
その付き合いの長さは、当然アルノとゼインの結婚生活より長い。
邪魔者は、やはりアルノの方だ。
「あのベッドは使えない」
一言ずつ、区切るように言葉を叩きつける。
「わかっています。お城の方へ?」
アルノは黙って裏口から外に飛び出した。
そこに、またもや邪魔なニルドが待っていた。
困惑の表情でアルノと目を合わせる。
話す気にもなれず、アルノはニルドの横をすり抜け、一人闇の中を歩きだした。
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「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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