精霊の森に魅入られて

丸井竹

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47.初めて見た精霊の力

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冬の初め、ようやく城の宿泊者のための内装が完成し、招待客選びが始まった。
教会もあることから、結婚式場として利用してはどうかという案が出て、ハンナとビリーが最初の一組として試験的に式をあげることになった。

それは宣伝の意味合いがあり、ノーラ山のふもとにある三つの町の公共掲示板に、独身の男女を無料招待すると告知を出した。
それに合わせ、普通の宿としての宣伝も始め、宿泊代と教会の利用料を決め、料金表も作った。

冬のノーラ山で一泊することは、容易ではないが、城の中であれば安心して過ごせる。
普段は見られない、厳しい雪山の景色を安心して眺めることが出来るのだ。

送迎のための道は既に整備を終えていたため、馬車を使うことにも問題はなかった。

全てがうまくいけば、元ロタ村の住人達に宿泊施設の運営を託すつもりでいたから、アルノはあえて何もしなかった。

審査会に出すための契約紙がまだ決まっていないアルノは、今度こそ報酬額をあげてもらうため、雪がちらつく日、完璧な宣誓液を作るために森に入った。
静まり返った森の中で、アルノは落ち葉や小枝を踏みしめる自分の足音と、呼吸の音に耳を澄ませた。

息は既に白く、鳥の鳴き声さえしなくなった森の中にいると、計り知れない孤独と、森に同化したかのような一人なのに一人ではないような不思議な安心感を覚える。

足元にマカの実を見つけたアルノは、それを収穫し、かごに入れた。
濡れた落ち葉の上を踏む、軽い足音が聞こえ、目の前に白い塊が飛び出した。

それはまだ子供の雪狼だったが、もうそれほど小さくもなかった。

「あなたは……この間の子?」

尻尾を振りながら近づいてきたその雪狼は、アルノに近づき、差し出された手の上に何かを落とした。
小さな牙の間から落とされたそれを、アルノは手を持ち上げて確認した。

「クスリの実ね。すごく助かる」

指で挟んで持ち上げて見れば、落ち葉や木の色に見えるが、実は透明で背景が透けている。
氷のように透き通っているため、見つけにくいものだが、飢えてくれば自然と見つかる不思議で貴重な食料だった。

雪狼が挨拶をするようにくるりと一回転し、来た方向に戻っていく。
その木立の先に、大きな雪狼の姿があった。
こちらには近づいてくる様子もなく、ただ子供の雪狼が戻ってくるのを待っている。

そちらに向かって、アルノは軽く手を振った。
二頭はただ並んで森の奥に去っていく。

それを見送り、アルノはなんとなく自分のお腹に手をあてた。
ゼインと結婚して一年経つが、子供はまだ出来ていない。
一年の大半をアルノは森にいるし、ゼインと体を合わせるのは五日に一度、長ければ十日に一度だ。
それが夫婦生活として多いのか少ないのか、アルノにはわからない。

平和で穏やかな村の生活に憧れ、愛し合う夫婦の姿も観察してきたが、結婚した今も、普通の生活がどんなものなのかわからない。
夫婦になれば自然に子供が出てくるものだと思っていたが、そうでもないようだし、穏やかで満ち足りた幸福というものにも浮き沈みがあるようで、瞬間的な幸せは感じるが、漠然とした不安に常につきまとわれている。

借金のせいなのか、それとも流されるように結婚したせいなのか、突き詰めて考えることに意味があるのかどうかもわからない。

ふと、胸騒ぎのようなものを感じ、アルノは息を潜め辺りを見渡した。

物騒な事件のせいで、騎士達の警備体制も日々強固になり、その気配は森にいてさえなんとなくわかるようになっていた。

静かな森の中で、自分の足音に耳を澄ませる。
落ち葉を踏む、さくさくとした音、踏まれてしなる小枝の音、さらに濡れた地面が足の重みで沈む土の音、森が立てる音の全てが耳慣れたものであり、アルノの心を落ち着かせてくれる。

と、そこに自分のものではない音が混ざり込んだ。
ざわざわと茂みの葉が鳴り、小石や木切れの上を走り抜ける音がした。

突然薄暗い木立の奥から、人影が飛び出してきた。
身を固くしたアルノは、出てきた人物の服装を見て、ほっと力を抜いた。

「アルノ様ですか?」

トレイア国の騎士の隊服に身を包んだ男が、アルノの前に立っていた。

「ギライです。ニルドと同じ部隊に所属しています。彼は今日、休暇で町に下りています」

髪についた小枝や葉っぱを払いのけながら笑顔で近づいてくるギライにつられ、アルノも微笑んだ。

「そうなのね。確かに、いつ休んでいるのかと不思議だったの。ちゃんと交代で休んでいたのね」

「さすがに休暇ぐらいはあります」

山の上から、かすかに鐘の音が聞こえてきた。
二人は同時に、音のする方に顔を向けた。

「今日は、結婚式があるそうですね。お城で行われると聞き、警備のために騎士団からも選ばれて数人が城に入っています」

「そうなのね。報告は受けていたけれど、日付までは確認していなかった。うまくいくと良いけど」

「アルノ様の結婚式は素晴らしかったですね。ニルドがこの山出身ということで、我らの部隊も招待され、参列させて頂きました。立派なお城で驚きました。あれを建てたクシール様は数字の天才だそうですね」

「そうみたい。私はよくわからないけど……。ギライさんは……ニルドとは仲が良いの?」

なんとなく歩き出し、アルノはさりげなく問いかけた。

「同じ部隊ですからね。休みのたびにパリートの歓楽街に遊びに行きました。陽気な男で、とにかく女の子にもてる男です。村でも、もてましたか?」

アルノの後ろをついて歩きながら、ギライは周囲に警戒の目を向けた。

「そうね……。ニルドを好きな女の子はいたみたい。でも、何がそんなにもてるのかしら」

「顔ですかね。そりゃゼイン様やクシール様にはかないませんが、男にも女にも、もてていましたよ」

「男にも?」

顔をしかめ、アルノは足を止めた。
その瞬間、何かが木立の中から飛び出してきた。
即座に、ギライが姿勢を低くして剣をひらりと抜いた。

激しい金属音が森に響き渡る。

アルノを背後に庇い、ギライが突如現れた黒マント姿の男の剣を、見事に正面で受け止めていた。
硬直状態は一瞬で終わり、即座に二人は後ろに飛び、すぐに剣の打ち合いが始まった。

火花が散り、金属がぶつかり合う音が続く。
目の前で始まった戦闘に、アルノはどうしていいかわからず、恐怖に押され後ろに少し下がった。

明らかに黒マントの男の狙いはアルノだった。
賊はギライの攻撃を交わし、アルノを殺そうと剣を繰り出してくる。

そうはさせまいと、ギライが前に踏み込み、攻撃を跳ね返す。

「逃げてください!」

ギライの決死の声に、ようやくアルノは後ろを向いて走り出す。

「誰か!誰か来て!ゼイン!ゼイン!」

またもや見張りの目をかいくぐり、刺客が森に入り込んだのだ。

「誰か!」

精霊の導きなのか、すぐにギライと同じ隊服を身に着けた男達が木立の向こうに現れた。
騎士達の方もアルノに気が付いた。

「アルノ様!」

駆け付けてくる彼らに向かい、アルノは声を張り上げた。

「ギライ様を助けに行ってください!襲われています!」

すぐにアルノの横を二人が駆け抜け森に入っていく。
一人が崩れ落ちるアルノを抱き上げた。

そこはもうロタ村にある家のすぐ傍で、木立の向こうから珍しく息を切らしクシールが走ってきた。
到着したばかりなのか、大きな荷物を抱えていたが、それを後ろに放り出す。

「アルノさん!無事ですか!」

アルノを抱いていた騎士が、地面にアルノを下ろす。
駆け寄ってきたクシールが、アルノの両手をとった。

「怪我はありませんね?」

その視線はアルノの指の数をかぞえている。

両手さえ無事なら仕事が続けられるということだろうかと、少し顔をひきつらせたアルノは、無言で頷いた。
クシールは安堵の表情で、アルノの手を取り立ち上がらせる。

その時、背後から騎士達の悲痛な声がした。

「怪我人だ!治癒師を呼べ!」

「止血が間に合わない!」

切羽詰まったその声に、思わず走り出そうとするアルノの手首を掴み、クシールが早口で告げた。

「アルノさん、引き出しに契約紙は入っていますか?」

頷いたアルノに、さらにクシールが続ける。

「すぐに持って来てください。治療に使えます」

アルノはすぐに家に向かって走り出した。




森の中から二人の騎士に上半身と下半身を抱えられ、運ばれてきたのはギライだった。
胸には血の染みが広がり、腕にまで伝い、指先からぽたぽたと血の雫が地面に滴り落ちていた。

「もうこれ以上は運べない」

動かすだけ出血がひどくなる。
騎士達が地面にギライを横たえる。
クシールはその傍らに座り、傷の具合を確かめた。

そこに契約紙を三枚持ってアルノが引き返してきた。

「クシール!持って来た!」

騎士達がすぐにアルノのために場所を空ける。

「通常の治療では間に合いません。アルノ、契約紙を」

アルノが一枚差し出すと、クシールはギライの血がついた指で契約紙に何かを書き始めた。
それは高度な精霊言語であり、他に読める者はいなかった。

金色の宣誓液で描かれた文様の上に書かれたその文字が白く輝きだす。
契約紙がまるで炎にくべられたかのように、光の中に溶けだした。

完全に契約紙が消え、ギライの胸の傷に光が吸い込まれていく。
傷口がふさがり、まるで何事もなかったかのように無事な肌が戻ってきた。

「まさか……」

初めてその効果を目にした騎士達が感嘆の声をあげる。
アルノも、自分が作った契約紙が使われる現場を間近に見て、驚きの表情になる。
その脳裏に、一瞬、私の五日間が数秒で消えてしまうの?!という嘆きにも似た心の声が過ったが、失われかけた命の前ではあまりにも不謹慎であったため、アルノは舌先寸前でその声を飲み込んだ。

契約紙に封じられていた精霊の力は、精霊言語によって意味を得て、その指示通りの効果をもたらしたのだ。

「審査会で五位以内に入れるほどの契約紙であれば、命を落とすような傷も治せます。つまり、これだけの契約紙を作れる者は国内に五人しかおらず、アルノさんはその一人ということになります」

命の危機は去ったとみて、クシールが落ち着いた声音で告げた。
騎士達は無言で、アルノに尊敬の眼差しを向ける。

アルノはまだ手に残っている二枚の契約紙に目を落とした。

「この紙が……本当に命を救うの?」

「以前にもお話したはずです。実際に目にしたのは初めてだと思いますが、これが契約紙の質をなんとしても上げたい理由です。精霊言語は聖霊と神聖なる契約を結んだ者にしか使えません。それ故、聖職者と契約師は常に、厳しい生活に身を置き、体と心を清め続ける必要があるのです」

そのために俗世を捨て、自然と共に質素に暮らすのだ。
クシールもまた、高い地位に立ったというのに装いも以前のままであり、馬もいるのに修行でもしているかのように山道を自分の足で登ってくる。

いつか誰かを救うために、常に身を清め、贅沢を遠ざけているのだ。
まさに自己犠牲を伴う立派な行為だと思うが、アルノは素直に感動出来なかった。
なぜ自分を助けてくれたこともない人のために、一生何かを我慢して暮らさなければならないのか。

「私が足を折った時には使ってくれなかったじゃない」

まさか文句が返ってくるとは思ってもいなかった様子で、クシールは片方の眉を上げた。

「一般に使われている契約紙であれば、あなたが休んでいる間に使いましたよ。教会で大量生産されているものです。足を折ったというのに、すぐに歩けるようになりましたよね?契約紙のおかげですよ。ちなみに、アルノさんが作っている契約紙は、一枚で金貨五十枚の価値があります」

「え?!」

声を上げたのは、アルノだけではなかった。
死にかけていたギライまでも飛び起きて、悲鳴を上げた。
騎士達は顔を見合わせ、騎士団全員で割れば返せないこともないだろうかと考えた。
それにしても大金だ。

「城の最低価格が金貨五百枚でしょう?あれだとその三倍ぐらい?年間五十枚ぐらいは作っているから……私、借金返し終えているのではない?」

「維持管理費や、人件費もありますし、さらに山を一つ国から借りていますので、その使用料も発生します。借金が消えることはあっても、経費は掛かりますから、稼ぎ続けなければ、すぐに赤字になりますよ」

「そ、そんな!山を買った覚えはないのに?!」

「お城が宙に浮いているとでも思いました?あそこも国の領土の一部です。税金も発生します」

口をあんぐり開け、アルノは深いため息をついた。
同情的な視線がちらりとアルノにむけられたが、騎士達も今使われた契約紙の代金を請求される話に移っては困ると、いそいそと立ち去る準備を始める。

「刺客の身元を調べなければならないので、これで失礼します」

そそくさと立ち去っていく騎士達を見送り、アルノは地面に放りだされていたかごを拾い上げる。
マカの実が残っているため、宣誓液に加工する作業に入らなければならない。

「自分で作っているのに、自分のためには使えないのね」

まだ文句がある様子のアルノに穏やかに微笑みかけ、クシールは立ち上がってローブの膝の土を払った。

「仕事とはそういうものです。頑張ってくださいね」

顔を引きつらせたアルノは、それ以上の文句を諦め、森に引き返す。
その足がぴたりと止まり、クシールを振り返った。

「というか、命を狙われたばかりなのに、私が森に入ることが心配じゃないの?」

「そうですね。心配ではありますが、致し方ありません。ご存じないかもしれませんが、西国境では隣国バルトバ国と戦争になっております。多くの騎士達が、こうしている間にも生死の境をさまよっているのです。契約紙はいくらあっても足りません」

アルノが怠けて契約紙の完成が遅れたら、その分、人が死ぬことになる。
暗にそう言われたのだと気づき、アルノは鼻に皺を寄せた。

今度こそ反論はなかった。
善人である自覚は全くないが、自身もまた騎士に命を救われた身だ。

「行ってきます……」

「お気をつけて、良い物を作ってくださいね」

クシールは恭しく頭を下げてアルノを見送った。

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