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43.失恋の穴
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雪が降る前に、クシールがやってきた。
ゼインから岩ベリーの酒を託されて、三か月が経過していた。
久しぶりに見るクシールを懐かしそうに見上げ、アルノはその端正な顔立ちに感心すると共に、やはり信用できない男だと考えた。
クシールはいつもの穏やかな微笑を浮かべ、優雅な仕草で食卓の椅子にかける。
それからアルノの作成した契約紙を確認し、専用のファイルに丁寧にしまいこんだ。
「文句なく素晴らしい品質ですが、もう少し良いものが出来るよう頑張ってください。これでは五位止まりです」
「でも上位に入って何か良いことがあるの?」
向かいに座り、お茶を入れてくれたゼインに微笑みを向けると、すぐにクシールを見て不満な顔をする。
「借金が減りますよ」
「自分の報酬がいくらなのかもわからないのに、それってちゃんと減っているの?」
「明細はありますが、見ますか?」
鞄を開けようとするクシールに、アルノは背もたれの方に体を寄せ、手を左右に振った。
「別に見なくて良い。気が遠くなりそう。それに、その点だけは信用しているから」
他の点では全く信用していない口ぶりに、気を悪くした様子もなく、クシールは鞄を足元に戻した。
「それよりも、本日はあなたの商売のことを話に来ました」
「岩ベリー酒の販売許可は出る?」
「契約師の禁止事項に該当するので、できませんが、ロタ村を復活させるための特産品とすることは可能です。責任者はクレンですよね?この間、国王と面会する機会があり、あのお酒を持参しました」
「え?!王様が飲んだの?どうだった?」
椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がり、アルノは両手をテーブルについて身を乗り出した。
もし販売許可が出たら、ロタ村の元住人たちが、山で稼ぐことが出来るようになる。
「それから、あれを一カ月飲み続けた人物が、契約師になれるか実験してみました」
「一本しか渡していなかったのに一か月分になったの?それで?どうなったの?というか、王様の感想は?」
「その一本をとある僧侶に毎日少しずつ飲ませ、契約師が住む森に連れて行きました」
「結果は?だから、王様は美味しいって?」
「僧侶に効果はなく、陛下からは、ただ美味しいと感想をもらいました」
がっかりして、アルノは椅子に戻る。
もし何かすごい効果があると認められたら、教会関係者が購入してくれることも考えられた。
町で売るより、教会相手の方が絶対儲かるが、それは難しくなったのだ。
「お酒としては?」
「精霊の加護を宿したお酒であることは確かでしょうが、やはりあれだけでは検証しきれません。なので、精霊の加護があるとも言えません」
「宣誓液を使っているのに?」
岩ベリーは岩にこびりついている苔から取れる実であり、一つ一つは小指の先ほどの大きさだ。
大量に収穫出来るわけではないため、付加価値を付けて、一本を高く売らないと割に合わない。
「ノーラ山限定のお酒とするしかないでしょうね。精霊の森からの収穫物で作っていることも確かですから、情報に偽りはありません」
「精霊の力は認められないということね」
「効果がわからなかったということです」
ため息をつき、アルノは深く椅子に座り込む。
台所にいたゼインがやってきて、三人の前に美味しハーツ鳥の煮込み料理を置いた。
「美味しければ高く売れる。まずは、クシールが手土産に会議の場に持ち込んではどうだ?」
「私が管理している契約師の数は膨大だ。一人をひいきするようなことは出来ない」
「そうなの?!」
クシールが担当している契約師は、自分だけだと思っていたアルノは、裏切られた思いで声を上げた。
それから、少し関係性が変わった様子の二人を見比べる。
「丁寧な言葉遣いはやめたの?」
いつの間にか他人行儀な話し方を辞めている。
「アルノさん、ゼインはあなたの夫ですが、私の部下です」
教会権力の頂点に立ったクシールは、もう友人の存在を隠す必要がなくなったのだ。
ゼインがクシールの駒であるとばれないように、長年その関係は隠されてきた。
しかし水面下では繋がり続け、アルノの担当僧侶となった時に、クシールは今まで敵対していると見せかけてきたゼインを採用したのだ。
ゼインもまた、クシールに選ばれて当然と言われるほどに世話人としての成績をあげていた。
それぞれが計画通りに出世し、その機会を待ち続けた。
会えない期間が長くあったとしても、積み重ねてきた信頼と絆がある。
クシールは、アルノに対し、優越感をひけらかすように、ふっと笑ってみせた。
なんとなくむっとして、アルノはスプーンをとった。
目の前の煮物を口に入れ、ぱっと顔を輝かせる。
「ゼイン!美味しい」
ゼインの優しい眼差しに自信を取り戻し、今度はアルノの方が、自分の方がゼインと仲が良いのだと自慢するようにクシールを見た。
ところが、ゼインはもうクシールと目を合わせ、次の話を始めていた。
「中央の移転についてだが、やはりパラスが最有力候補だ」
「中央を残すことは出来ないのか?」
「権力を分散させる必要があるし、聖騎士団の再編成にも影響を及ぼす」
途端に、アルノはふてくされた顔になり、手元に視線を落とした。
二人の会話が始まると、どうしても孤独を感じてしまう。
もちろん大切な仕事の話であることもわかるため、邪魔をしようとは思わないが、居心地が悪い気分からは免れることは出来ない。
ちらりと窓に目をやると、ちょうどそこにランタンの灯りが横切った。
そのほの暗いオレンジの灯りの中に、ニルドの姿が影のように浮かびあがる。
刺客がノーラ山に入ったことで、騎士団の見回りも強化され、ニルド以外の騎士達の姿もよく見かけるようになった。
ゼインがいる時でも、騎士達は森の周辺や城までの道までも見回っている。
アルノはさっさと食べ終え、食器を下げるふりをして台所に向かうと、そのまま裏口から外に出た。
ちょうど裏庭に入ってきたニルドが、台所から出てきたアルノに気づき、駆け寄ってくる。
「ゼイン様に外に出てくると、ちゃんと話してきたんだろうな?こっそり抜けだすようなことをしたら怒るぞ」
もう既に怒っているニルドを見上げ、アルノは仕方がないじゃないかと言い訳するように肩をすくめた。
「クシールと難しい話をしているの。私が聞いてはいけないような話みたいだから、気をきかせて出てきたのよ」
「外は真っ暗だ。君だって夜の森では何も見えないだろう?もう中に戻った方が良い」
「窓灯りが届くところなら良いでしょう?」
アルノは軒先に置かれている丸椅子を引っ張り出して、腰を下ろした。
ニルドは渋い顔でそんなアルノの前に立ち、周囲を警戒するように後ろを見た。
「他の騎士の人たちは村の宿泊施設にいるの?」
「交代で見張ることになっている」
「本当に……契約師が殺されているの?」
クレンが襲われた日から、一気に周辺は物々しい雰囲気に包まれ、お城に続く道に新しい検問所が作られたと聞いている。
危険だと言われても、アルノには実感のない話だったが、実際にクレンとカーラが襲われたのだから、さすがに心配は消えない。
クレンとカーラはもう城に滞在するようにしたし、夜に飲みに行きたければ町に泊まるように従業員たちにも伝えている。
どの程度危険なのか、絶対にここにいれば安全なのか、いろいろ心配になるが刺客がいつやってくるかなんて、誰にもわからない。
「精霊の力がこの国を守っている。その精霊の力を分けてもらえる契約師を失えば、この国の守りが全て剥がれてしまうことになる。敵がこの国の弱体化を狙っているのであれば、まず契約師を殲滅させることを考える」
契約師は簡単に増やせる存在ではない。
聖職者でさえマカの実を見つけられるわけではないし、例え森でマカの実を見つけることが出来たとしても、適性がなければ契約紙は作れない。
それ故、マカの実だけを集める人もいるぐらいなのだ。
そうしたマカの実は教会で大量生産される契約紙に使われる。
もしマカの実を見つけ、分厚い本を丸暗記できたとしても、宣誓液が作れないということもある。
精霊がどうやって力を託す人間を選んでいるのかわからないため、国は常に契約師になれそうな人材を探している。
「一つの森や山に、複数の契約師が存在すると聞くけど、ここには師匠と私だけだった。でも師匠が死んだのだから、もう一人来てもいいのではない?」
「既に何人か候補者は送りこまれている。君は森で誰かに会ったことがあるか?」
「……ないかな……」
「連れてこられた候補者たちは、誰もマカの実を見つけられなかった。君が候補者に遭遇したことがないことも、彼らがこの森の精霊たちに選ばれていない証拠だ」
立派な騎士の装いに身を包んだニルドをちらりと見上げたアルノは、なんとなく心がざわめく予感がして、急いで下を向いた。
それが未練なのか、それとも恋の残り香のようなものなのか、その正体については考えたくはなかった。
ただ騎士の姿のニルドを見上げ、素敵だなと思うたびに、子供時代に抱いた感情が蘇ってしまう。
同時に、今よりずっと親しい関係だった時に見た、懐かしい光景まで頭に浮かんでくる。
秘密基地にある大きな枝から眺めた集落の屋根、煙突から立ちのぼる煙、それから夜の色に染まっていく空と輝く星々。
アルノは隣のニルドばかりをちらちら見ていた。
一人ぼっちのアルノにとって、ニルドは唯一の友達だった。
ずっと一緒にいられると思っていたのに、ある日突然、アルノを置いて村を出ていってしまったのだ。
その時に初恋を止めておけばよかったのに、アルノは未練がましく十年も妄想の中で恋を育て続けた。
虚しい時間だったのかもしれないが、現実の辛さを妄想の世界は忘れさせてくれた。
どんなに辛くても、惨めで悔しくても、妄想の中のニルドはアルノに寄り添い、慰め続けてくれたのだ。
その間にニルドは現実の世界でちゃんと恋をして、本物の愛を手に入れていた。
アルノの手元には何も残らなかった。
今はアルノにも夫がいるが、子供時代にニルドとの間に感じたような親密さがあるのかと考えると、その答は曖昧だ。
ゼインと恋をして愛を育んだわけではないし、愛を確信して結婚したわけでもない。
「イライザ姫とはそれっきり?」
「ああ。再婚したらしいな。なぜかハンナから話を聞いたよ。文通していると聞いて驚いた。なぜそんなことに?」
「私もよくわからないのだけど……」
アルノがその経緯を語ると、ニルドは納得できない様子で首をひねった。
「何を書いているんだろう。彼女とは……今思えば、何を話したのかも思い出せない。もっと現実的な……実りのある話をすればよかった。後悔ばかりだ」
「ニルドは頑張っていたと思うけど?そろそろ……」
新しい恋を見つけたらどうかと言いかけ、アルノは口を閉ざした。
残念なことに、ニルドと新しい恋人が並んでいる姿は見たくない。
もちろん、幸せになってほしいとは思っている。
なんとも複雑な心境だが、ニルドの方にはアルノと不倫関係に発達しそうな気配もないし、ゼインに嫉妬している様子も全くない。
アルノにとっては不可解な関係だが、ニルドにとってはアルノはただの友達なのだ。
「冬が近いのね」
無理矢理話題を変え、アルノは闇夜にのぼっていく白い息を見上げた。
秋はあっという間に終わってしまう。
「そうだな。防寒具を新しくした方がいいな。今度町で仕入れておくよ。いや……ゼイン様が用意してくださるだろうから、一応聞いてみろよ」
「なんだか、ニルドって騎士っぽくなかったけど、そうしているとちゃんとしているのね。他の騎士の人達と一緒に居る時も、ちょっとかっこよかった」
「え?!」
赤面したニルドに舌を出して笑ってみせると、アルノは立ち上がった。
裏口を開け、後ろを振り返る。
ニルドはちょうど窓灯りの届かないところにいて、真っ黒な影になっている。
子供の頃とは違う、大人の大きな体だ。
「からかうな」
どんな顔をしているのだろうかとアルノは想像し、それから微笑んだ。
「おやすみなさい」
台所に入って扉を閉めると、心のざわめきはいつの間にか鎮まっていた。
もう妄想の世界を必要とはしていないが、鍋にこびりついた焦げのように、子供の頃の思い出がはりついている。
それはもう過去の箱におさまり、いつかリボンをかけて心の片隅にしまわれてしまう。
そして、ニルドに会った時だけ、そっと箱を取り出し、中の思い出を懐かしみ覗くのだ。
もう完全に過去の話になったのだと自分に言い聞かせるように。
「はぁ……」
奥に向かおうとして、アルノは足を止めた。
クシールとゼインの話し声はまだ続いている。
アルノは手前の寝室に入り、音を立てないように扉を閉めた。
それからベッドにもぐりこみ、仰向けになって天井を見る。
外からニルドの足音が聞こえてくる。
その音は遠ざかり、それからまた近づいてくる。
それはニルドかもしれないし、交代で見張りに来た他の騎士のものかもしれない。
守ってくれる人の存在を感じながら、アルノは静かに目を閉じ、睡魔を待った。
ゼインから岩ベリーの酒を託されて、三か月が経過していた。
久しぶりに見るクシールを懐かしそうに見上げ、アルノはその端正な顔立ちに感心すると共に、やはり信用できない男だと考えた。
クシールはいつもの穏やかな微笑を浮かべ、優雅な仕草で食卓の椅子にかける。
それからアルノの作成した契約紙を確認し、専用のファイルに丁寧にしまいこんだ。
「文句なく素晴らしい品質ですが、もう少し良いものが出来るよう頑張ってください。これでは五位止まりです」
「でも上位に入って何か良いことがあるの?」
向かいに座り、お茶を入れてくれたゼインに微笑みを向けると、すぐにクシールを見て不満な顔をする。
「借金が減りますよ」
「自分の報酬がいくらなのかもわからないのに、それってちゃんと減っているの?」
「明細はありますが、見ますか?」
鞄を開けようとするクシールに、アルノは背もたれの方に体を寄せ、手を左右に振った。
「別に見なくて良い。気が遠くなりそう。それに、その点だけは信用しているから」
他の点では全く信用していない口ぶりに、気を悪くした様子もなく、クシールは鞄を足元に戻した。
「それよりも、本日はあなたの商売のことを話に来ました」
「岩ベリー酒の販売許可は出る?」
「契約師の禁止事項に該当するので、できませんが、ロタ村を復活させるための特産品とすることは可能です。責任者はクレンですよね?この間、国王と面会する機会があり、あのお酒を持参しました」
「え?!王様が飲んだの?どうだった?」
椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がり、アルノは両手をテーブルについて身を乗り出した。
もし販売許可が出たら、ロタ村の元住人たちが、山で稼ぐことが出来るようになる。
「それから、あれを一カ月飲み続けた人物が、契約師になれるか実験してみました」
「一本しか渡していなかったのに一か月分になったの?それで?どうなったの?というか、王様の感想は?」
「その一本をとある僧侶に毎日少しずつ飲ませ、契約師が住む森に連れて行きました」
「結果は?だから、王様は美味しいって?」
「僧侶に効果はなく、陛下からは、ただ美味しいと感想をもらいました」
がっかりして、アルノは椅子に戻る。
もし何かすごい効果があると認められたら、教会関係者が購入してくれることも考えられた。
町で売るより、教会相手の方が絶対儲かるが、それは難しくなったのだ。
「お酒としては?」
「精霊の加護を宿したお酒であることは確かでしょうが、やはりあれだけでは検証しきれません。なので、精霊の加護があるとも言えません」
「宣誓液を使っているのに?」
岩ベリーは岩にこびりついている苔から取れる実であり、一つ一つは小指の先ほどの大きさだ。
大量に収穫出来るわけではないため、付加価値を付けて、一本を高く売らないと割に合わない。
「ノーラ山限定のお酒とするしかないでしょうね。精霊の森からの収穫物で作っていることも確かですから、情報に偽りはありません」
「精霊の力は認められないということね」
「効果がわからなかったということです」
ため息をつき、アルノは深く椅子に座り込む。
台所にいたゼインがやってきて、三人の前に美味しハーツ鳥の煮込み料理を置いた。
「美味しければ高く売れる。まずは、クシールが手土産に会議の場に持ち込んではどうだ?」
「私が管理している契約師の数は膨大だ。一人をひいきするようなことは出来ない」
「そうなの?!」
クシールが担当している契約師は、自分だけだと思っていたアルノは、裏切られた思いで声を上げた。
それから、少し関係性が変わった様子の二人を見比べる。
「丁寧な言葉遣いはやめたの?」
いつの間にか他人行儀な話し方を辞めている。
「アルノさん、ゼインはあなたの夫ですが、私の部下です」
教会権力の頂点に立ったクシールは、もう友人の存在を隠す必要がなくなったのだ。
ゼインがクシールの駒であるとばれないように、長年その関係は隠されてきた。
しかし水面下では繋がり続け、アルノの担当僧侶となった時に、クシールは今まで敵対していると見せかけてきたゼインを採用したのだ。
ゼインもまた、クシールに選ばれて当然と言われるほどに世話人としての成績をあげていた。
それぞれが計画通りに出世し、その機会を待ち続けた。
会えない期間が長くあったとしても、積み重ねてきた信頼と絆がある。
クシールは、アルノに対し、優越感をひけらかすように、ふっと笑ってみせた。
なんとなくむっとして、アルノはスプーンをとった。
目の前の煮物を口に入れ、ぱっと顔を輝かせる。
「ゼイン!美味しい」
ゼインの優しい眼差しに自信を取り戻し、今度はアルノの方が、自分の方がゼインと仲が良いのだと自慢するようにクシールを見た。
ところが、ゼインはもうクシールと目を合わせ、次の話を始めていた。
「中央の移転についてだが、やはりパラスが最有力候補だ」
「中央を残すことは出来ないのか?」
「権力を分散させる必要があるし、聖騎士団の再編成にも影響を及ぼす」
途端に、アルノはふてくされた顔になり、手元に視線を落とした。
二人の会話が始まると、どうしても孤独を感じてしまう。
もちろん大切な仕事の話であることもわかるため、邪魔をしようとは思わないが、居心地が悪い気分からは免れることは出来ない。
ちらりと窓に目をやると、ちょうどそこにランタンの灯りが横切った。
そのほの暗いオレンジの灯りの中に、ニルドの姿が影のように浮かびあがる。
刺客がノーラ山に入ったことで、騎士団の見回りも強化され、ニルド以外の騎士達の姿もよく見かけるようになった。
ゼインがいる時でも、騎士達は森の周辺や城までの道までも見回っている。
アルノはさっさと食べ終え、食器を下げるふりをして台所に向かうと、そのまま裏口から外に出た。
ちょうど裏庭に入ってきたニルドが、台所から出てきたアルノに気づき、駆け寄ってくる。
「ゼイン様に外に出てくると、ちゃんと話してきたんだろうな?こっそり抜けだすようなことをしたら怒るぞ」
もう既に怒っているニルドを見上げ、アルノは仕方がないじゃないかと言い訳するように肩をすくめた。
「クシールと難しい話をしているの。私が聞いてはいけないような話みたいだから、気をきかせて出てきたのよ」
「外は真っ暗だ。君だって夜の森では何も見えないだろう?もう中に戻った方が良い」
「窓灯りが届くところなら良いでしょう?」
アルノは軒先に置かれている丸椅子を引っ張り出して、腰を下ろした。
ニルドは渋い顔でそんなアルノの前に立ち、周囲を警戒するように後ろを見た。
「他の騎士の人たちは村の宿泊施設にいるの?」
「交代で見張ることになっている」
「本当に……契約師が殺されているの?」
クレンが襲われた日から、一気に周辺は物々しい雰囲気に包まれ、お城に続く道に新しい検問所が作られたと聞いている。
危険だと言われても、アルノには実感のない話だったが、実際にクレンとカーラが襲われたのだから、さすがに心配は消えない。
クレンとカーラはもう城に滞在するようにしたし、夜に飲みに行きたければ町に泊まるように従業員たちにも伝えている。
どの程度危険なのか、絶対にここにいれば安全なのか、いろいろ心配になるが刺客がいつやってくるかなんて、誰にもわからない。
「精霊の力がこの国を守っている。その精霊の力を分けてもらえる契約師を失えば、この国の守りが全て剥がれてしまうことになる。敵がこの国の弱体化を狙っているのであれば、まず契約師を殲滅させることを考える」
契約師は簡単に増やせる存在ではない。
聖職者でさえマカの実を見つけられるわけではないし、例え森でマカの実を見つけることが出来たとしても、適性がなければ契約紙は作れない。
それ故、マカの実だけを集める人もいるぐらいなのだ。
そうしたマカの実は教会で大量生産される契約紙に使われる。
もしマカの実を見つけ、分厚い本を丸暗記できたとしても、宣誓液が作れないということもある。
精霊がどうやって力を託す人間を選んでいるのかわからないため、国は常に契約師になれそうな人材を探している。
「一つの森や山に、複数の契約師が存在すると聞くけど、ここには師匠と私だけだった。でも師匠が死んだのだから、もう一人来てもいいのではない?」
「既に何人か候補者は送りこまれている。君は森で誰かに会ったことがあるか?」
「……ないかな……」
「連れてこられた候補者たちは、誰もマカの実を見つけられなかった。君が候補者に遭遇したことがないことも、彼らがこの森の精霊たちに選ばれていない証拠だ」
立派な騎士の装いに身を包んだニルドをちらりと見上げたアルノは、なんとなく心がざわめく予感がして、急いで下を向いた。
それが未練なのか、それとも恋の残り香のようなものなのか、その正体については考えたくはなかった。
ただ騎士の姿のニルドを見上げ、素敵だなと思うたびに、子供時代に抱いた感情が蘇ってしまう。
同時に、今よりずっと親しい関係だった時に見た、懐かしい光景まで頭に浮かんでくる。
秘密基地にある大きな枝から眺めた集落の屋根、煙突から立ちのぼる煙、それから夜の色に染まっていく空と輝く星々。
アルノは隣のニルドばかりをちらちら見ていた。
一人ぼっちのアルノにとって、ニルドは唯一の友達だった。
ずっと一緒にいられると思っていたのに、ある日突然、アルノを置いて村を出ていってしまったのだ。
その時に初恋を止めておけばよかったのに、アルノは未練がましく十年も妄想の中で恋を育て続けた。
虚しい時間だったのかもしれないが、現実の辛さを妄想の世界は忘れさせてくれた。
どんなに辛くても、惨めで悔しくても、妄想の中のニルドはアルノに寄り添い、慰め続けてくれたのだ。
その間にニルドは現実の世界でちゃんと恋をして、本物の愛を手に入れていた。
アルノの手元には何も残らなかった。
今はアルノにも夫がいるが、子供時代にニルドとの間に感じたような親密さがあるのかと考えると、その答は曖昧だ。
ゼインと恋をして愛を育んだわけではないし、愛を確信して結婚したわけでもない。
「イライザ姫とはそれっきり?」
「ああ。再婚したらしいな。なぜかハンナから話を聞いたよ。文通していると聞いて驚いた。なぜそんなことに?」
「私もよくわからないのだけど……」
アルノがその経緯を語ると、ニルドは納得できない様子で首をひねった。
「何を書いているんだろう。彼女とは……今思えば、何を話したのかも思い出せない。もっと現実的な……実りのある話をすればよかった。後悔ばかりだ」
「ニルドは頑張っていたと思うけど?そろそろ……」
新しい恋を見つけたらどうかと言いかけ、アルノは口を閉ざした。
残念なことに、ニルドと新しい恋人が並んでいる姿は見たくない。
もちろん、幸せになってほしいとは思っている。
なんとも複雑な心境だが、ニルドの方にはアルノと不倫関係に発達しそうな気配もないし、ゼインに嫉妬している様子も全くない。
アルノにとっては不可解な関係だが、ニルドにとってはアルノはただの友達なのだ。
「冬が近いのね」
無理矢理話題を変え、アルノは闇夜にのぼっていく白い息を見上げた。
秋はあっという間に終わってしまう。
「そうだな。防寒具を新しくした方がいいな。今度町で仕入れておくよ。いや……ゼイン様が用意してくださるだろうから、一応聞いてみろよ」
「なんだか、ニルドって騎士っぽくなかったけど、そうしているとちゃんとしているのね。他の騎士の人達と一緒に居る時も、ちょっとかっこよかった」
「え?!」
赤面したニルドに舌を出して笑ってみせると、アルノは立ち上がった。
裏口を開け、後ろを振り返る。
ニルドはちょうど窓灯りの届かないところにいて、真っ黒な影になっている。
子供の頃とは違う、大人の大きな体だ。
「からかうな」
どんな顔をしているのだろうかとアルノは想像し、それから微笑んだ。
「おやすみなさい」
台所に入って扉を閉めると、心のざわめきはいつの間にか鎮まっていた。
もう妄想の世界を必要とはしていないが、鍋にこびりついた焦げのように、子供の頃の思い出がはりついている。
それはもう過去の箱におさまり、いつかリボンをかけて心の片隅にしまわれてしまう。
そして、ニルドに会った時だけ、そっと箱を取り出し、中の思い出を懐かしみ覗くのだ。
もう完全に過去の話になったのだと自分に言い聞かせるように。
「はぁ……」
奥に向かおうとして、アルノは足を止めた。
クシールとゼインの話し声はまだ続いている。
アルノは手前の寝室に入り、音を立てないように扉を閉めた。
それからベッドにもぐりこみ、仰向けになって天井を見る。
外からニルドの足音が聞こえてくる。
その音は遠ざかり、それからまた近づいてくる。
それはニルドかもしれないし、交代で見張りに来た他の騎士のものかもしれない。
守ってくれる人の存在を感じながら、アルノは静かに目を閉じ、睡魔を待った。
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