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42.完成したもの
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ロタ村の家に向かう途中で、アルノはようやく森の異変に気が付いた。
いつもは湿った空気を吸い込むと、植物の香りと小さな獣たちの息吹を感じ取ることが出来る。
しかし夜風を含むひんやりとした風に、物騒な人の気配が混ざり込んでいた。
危険が迫っているような感じはないが、とにかく胸騒ぎがする。
その正体はすぐに判明した。
森の出口付近に、何かを取り囲むように立ち並んだ騎士達の姿が見えたのだ。
足を止めたアルノは、その中心にニルドの姿を見つけ、胸をなでおろした。
森の様子を窺うようにニルドが振り返り、アルノを見つけて走り寄ってくる。
「アルノ!大丈夫だったか?」
「何?何があったの?」
騎士達が取り囲んでいる物を見ようとするアルノの前に、ニルドが立ち塞がった。
その向こうにいる騎士達も、アルノから何かを隠すように立ち位置を変える。
「何?」
むきになって飛び出していこうとするアルノの肩を押さえ、ニルドが腰を屈めて目を合わせた。
「落ち着け。アルノ、この森に契約師を暗殺する目的で何者かが侵入した。クレンが契約師に間違えられ狙われたが、彼は返り討ちにし、傍にいた俺がすぐに駆け付けた。
他にも侵入した者がいるかもしれないと思い、応援を要請し、ふもとで山の出入り口を見回っていた騎士達が駆け付けた。二人殺し、別の部隊がまだ森を調査している」
「暗殺者ですって?クレンは大丈夫なの?襲われたの?返り討ちって……」
蒼白になるアルノを落ち着かせようと、ニルドは口調をやわらげた。
「少し擦りむいた程度だし、カーラも無事だ。それより、クレンがうっかり殺してしまったため、今、刺客の身元を調べている。俺も剣を教えているし、クレンもカーラも、そう簡単にはやられない。戦えないのはアルノだけだ。家に送っていくから外には出るな」
ニルドが他の騎士達を振り返る。
「ギライ!彼女を家に送って行く」
「わかった!気を付けろよ」
「すぐそこだ」
他の騎士と親しそうに声を交わすニルドの姿にちょっと意外な顔をしたアルノは、騎士達を振り返る。
「お友達なの?」
こっそり指を差して囁いたアルノに、ニルドは軽く笑った。
「俺の所属するラドン騎士団の仲間達だ。契約師の心を平穏に保つため、君の前にはあまり姿を出さないようにしているが、俺達は交代でノーラ山の警備をしている。最近はもう一部隊追加された。契約師が狙われる事件が続いているからな」
ニルドはアルノの右に来て、歩こうと促した。
大人しく従うふりをして、アルノは素早くニルドの背中越しに騎士達の方を向いた。
地面に横たわる誰かの足がちらりと見えた。
侵入者の死体かもしれないとアルノは考え、すぐに目を逸らすとニルドの大きな体に身を寄せて歩き出す。
「クレンは?ショックを受けていない?」
「彼の身の上を何も聞いていないのか?短剣の扱いに慣れているようだったから少し話を聞いたが、自分の身を守るために、危ないこともしてきたようだ。少し腕を見て、実際の危険には太刀打ちでるようなものではなかったため、俺も稽古をつけていた。しかしそれも、空いた時間に少し教える程度だ。
その程度の訓練でありながら、彼は今回躊躇うことなく一撃で相手を倒した。見事な腕だ。
そろそろ本格的に正規の訓練に切り替えてもいいかもしれない。教会に所属するなら聖騎士だな」
「そうなのね……。カーラも?」
「カーラは……あの子は少しずつ話せるようになってきたな。クレンを守ろうと、短剣片手に飛び出していくところだった。あの反射神経もなかなかのものだ」
奴隷商につかまり、誘拐されたカーラは辛い経験が重なり、ここに来た当初は何も話せない状態だった。
クレンと一緒にいれば、笑ったり、小さな声で話すこともあるが、他の人を前にすると、唇が震えてしまい、うまく声が出せない。
そんな傷を抱えたカーラですら、身を守るための戦い方を知っているのだ。
「とにかく、君が無事で良かった。今、ゼイン様のところにも知らせを出した。今夜か、明日には到着すると思うぞ」
「そう……」
「それで、今夜は家の前で俺が野宿をする。さすがに君を一人で寝かせてはおけない」
「そうね……」
家に入ってもらっても良いかもしれないと考えたが、やはりそれは言い出せない。
ただの契約結婚であれば、それも許されたかもしれないが、ゼインとは本当に結婚したのだ。
本物にこだわるのであれば、やはり普通の夫婦のように誤解のない関係でなければならない。
「今日は疲れたから、帰ったらすぐに休もうと思っていたの」
「食事はどうする?城の厨房で一応毎日君が帰ってくるかもしれないと思って用意してくれている。運んでも良いか?」
「寝ているかもしれないから……居間の机に置いておいてくれる?寝室には近づかないで、すぐ出て行ってね」
念を押し、アルノはさっさと家に入った。
扉を閉めた途端、立っていられず床に崩れ落ちる。
クレンとカーラが無事だったことは幸いだが、身近な人に危険が及ぶところだったのだ。
体の震えを止めようと、アルノは大きく深呼吸をした。
しかし心配ごとが消えることはない。
ゼインとニルドも命を矢面に晒すような仕事だ。
ある日突然、消えてしまうこともあり得るのだ。
わかっていたはずなのに、実際に恐ろしい事件が起きてみると、彼らの仕事を本当の意味では全く理解出来ていなかったことに気づく。
なんとか立ち上がり、寝室まで行くと、かごをベッドの下に入れ、マントを脱いだ。
着替えをする余力もなく、そのままベッドに横たわる。
まだ暖炉のいらない季節であり、外套を着たままであれば凍えることもない。
眠気に任せ、アルノは静かに目を閉じた。
目を覚ましたのは夜半過ぎだった。
扉を叩く音が聞こえ、アルノは薄眼を開けた。
窓から差し込む月明かりが、室内をほのかに照らしているが、薄暗くほとんど何も見えない。
「アルノ?大丈夫?」
それはハンナの声だった。
「寝ていたのよ」
すぐ近くで聞こえた声に、不機嫌に答えると、寝室の扉が開き、廊下からまばゆい光が飛び込んできた。
目を閉ざし、腕をかざす。
「何?」
「夕食を運んできたの。それから、試してもらいたいものがあって」
「今日戻ったばかりなのよ……。そうだ!クレンとカーラを見た?」
「あの子達ならお城にいるわ。騎士達も泊っているし、今日は大丈夫よ」
ほっとした途端、お腹が鳴り、アルノは仕方なく起き上がった。
冷たい床に両足を下ろし、両腕を頭上にあげて背中を伸ばす。
「今、行くから」
「じゃあ、夕食の準備をしておくね」
ハンナが出ていくと、アルノはようやくマントを脱いだ。
衣装棚を開け、扉のフックにひっかけると、軽い部屋着に着替える。
廊下を照らす光に導かれるように外に出て見れば、食欲をそそる香りが漂ってきた。
お腹がまた切ない音を立て、アルノは体が欲するままにテーブルに向かい、夕食が用意されている席に座った。
ハンナがアルノの前にグラスを置いた。
中身はまだ空だった。
そこに、ハンナは手にしていた瓶から、琥珀色の液体をグラスに注ぎこんだ。
「まずは一口、どうぞ」
それが何か、あえて何も聞かず、アルノはグラスを手に取った。
一口舌先に流し込み、目を閉じる。
すっきりとした森の香りが鼻腔を抜け、清涼でありながら甘味を感じる深い味わいが口内に広がった。
まるで森の精気を浴び、清められていくような感覚を覚え、アルノは目を開けた。
「岩ベリーのお酒?完成したの?熟成には数か月かかるって言っていなかった?」
「そうなのだけど、味見してみたらすごく美味しかったの。だから、この状態でも売れるのではないかって、みんなで話していたの。どう?」
ハンナがまた少しグラスに酒を注いだ。
今度はごくごく飲み、アルノはグラスに残った液体の色を確かめた。
「すごく飲みやすいのね……。確かに売れそう。じゃあ……次はどうやって売るかね?」
先ほどまで、刺客の心配をして足まで震えていたのに、欲深いことにもう金儲けのことを考えている。
心配していても、借金は減らないのだ。
グラスを傾け、灯りにかざしてみると、琥珀色の液体がゆらりと揺れた。
宣誓液の色とは違うが、神秘的な色にも思える。
顔をあげると、じっとアルノの反応を見ていたハンナと目が合った。
その二人の顔に、自然と欲深い微笑みが湧いてくる。
アルノはぺろりと舌を出し、唇についたお酒を舐めとった。
――
ノーラ山に刺客が入った三日後、ゼインが帰ってきた。
アルノはちょうど四枚目の契約紙をしあげ、一息ついたところだった。
乱暴に扉を開けて飛び込んできたゼインに抱きすくめられ、アルノはそのまま寝室に運ばれた。
声を出す間もなく、熱く抱かれたその後に、アルノはやっとゼインに話を切り出した。
「ゼイン、お願いがあるの」
「嫌な予感しかしないな……」
命を直接狙われたアルノの心を落ち着かせるために飛んで戻ってきたゼインは、アルノがもう気持ちを切り替えていることに安堵したが、その言葉には警戒した。
意外にも逞しいアルノだが、世間知らずの甘えた子供であることは変わらない。
クシールも同じ認識だし、結婚したからといって、劇的に成長するわけでもない。
仰向けに寝ていたゼインは横向きになり、肘を立てて頭を乗せる。
「ロタ村の人たちが町に下りた経緯は知っているでしょう?収入を得るものがなくて、借金がかさんで、国に何年もお願いをしてやっと国の政策が始まり、土地や家を用意してもらって町に下りたの」
「農地を耕す者が減ってきたせいでもある。山には資源と呼べるものがほとんどないからな。兵士不足を補うためでもあった。さらにノーラ山には契約師のいる精霊の森がある。人が荒らしてしまえば精霊が消えてしまう。他には岩ばかりだ。
様々なことを考慮した結果だった。しかし効果はあっただろう?冬に死者が出ることはなくなったのだから」
山では収入が途絶えれば餓死者がでるし、燃料代がなければ凍死者も出る。
町に下りれば、貧しくとも日々は食いつなげるし、山ほど寒くはならないため凍死もない。
「もし、税を問題なく納めることが出来たら、村に戻ることに問題はないのよね?実は、お城の管理をお願いしている人たちに、ある仕事をお願いしたの」
仕方がないと、ゼインは話しを聞くために裸のまま起き上がり、胡坐をかいた。
アルノは薄い寝着を肩にはおり、台所に走っていくとグラスを一つ抱えて戻ってきた。
「飲んでみて」
怪訝な顔でグラスを受け取り、ゼインは中に入っていた琥珀色の液体を一口飲んだ。
「ほお……。これは、よく清められている。芳醇な香りできれもある。酒だな?」
「飲みやすいでしょう?宣誓液と岩ベリーを使ったお酒なの」
「宣誓液だと?飲めるのか?」
ゼインの認識では宣誓液は紙に文様を描くためのインクだ。
インクを飲むという発想の無かったゼインは驚いてグラスの中の色を確かめる。
宣誓液は金色に光っているが、これは蜂蜜のような琥珀色で輝いているわけではない。
「水を汲みに行くのが面倒で、私は宣誓液を作っている間に、少し飲むことがあったの。別にそれで何か体に異変が起きたことはないし」
「待て」
急に怖い顔になり、ゼインは片手をあげてアルノを黙らせた。
「飲んでいたのか?宣誓液を?」
「時々ね。たくさんというわけじゃないけど、味は美味しいお水よ」
「君の契約紙の質が向上している理由は、それではないのか?直接精霊の力を取り込み、宣誓液で契約紙を作るのであれば、精霊の力を内からも外からも利用することになる」
「知らないけど……」
「もしそうなら、これは大きな発見だ。検証する必要があるな……」
「それより、ロタ村の人たちの収入源として、このお酒を売りたいの。彼らのお給料分ぐらいは稼げると思わない?」
ゼインは考え込んだ。
契約師が商売をするなど前代未聞だ。
欲深ければ契約紙の質が落ちると言われている。
「お城を建てても、私の契約紙の質は落ちなかったでしょう?稼いでも、自分のために使うわけでなければ、大丈夫じゃない?」
「俺の一存では許可できない。クシールのところに話を持っていくしかないだろうな」
アルノはまた寝室を飛び出し、岩ベリーのお酒が入った瓶を持って戻ってきた。
「これが最初の一本。許可が出るなら、五十本は販売可能よ。熟成も出来るから、販売許可が出るまで眠らせておくこともできる」
「酒の扱いか……。これがもし、契約師の力を強める効果があるなら、薬として用いることも考えられる。わかった。これを預かろう」
瓶の口がしっかりしまっているか確かめ、ゼインは頑丈な鞄を開け、その片隅に瓶を縦に入れた。
しっかり壁際に鞄を片付けると、ゼインは寝台に座り込んでいるアルノのもとに戻った。
その勢いのまま、口づけしながら押し倒す。
ゼインの性欲は一度や二度ではおさまらない。
それを知っているアルノは、目を輝かせ、歓迎するようにゼインの首を抱きしめた。
いつもは湿った空気を吸い込むと、植物の香りと小さな獣たちの息吹を感じ取ることが出来る。
しかし夜風を含むひんやりとした風に、物騒な人の気配が混ざり込んでいた。
危険が迫っているような感じはないが、とにかく胸騒ぎがする。
その正体はすぐに判明した。
森の出口付近に、何かを取り囲むように立ち並んだ騎士達の姿が見えたのだ。
足を止めたアルノは、その中心にニルドの姿を見つけ、胸をなでおろした。
森の様子を窺うようにニルドが振り返り、アルノを見つけて走り寄ってくる。
「アルノ!大丈夫だったか?」
「何?何があったの?」
騎士達が取り囲んでいる物を見ようとするアルノの前に、ニルドが立ち塞がった。
その向こうにいる騎士達も、アルノから何かを隠すように立ち位置を変える。
「何?」
むきになって飛び出していこうとするアルノの肩を押さえ、ニルドが腰を屈めて目を合わせた。
「落ち着け。アルノ、この森に契約師を暗殺する目的で何者かが侵入した。クレンが契約師に間違えられ狙われたが、彼は返り討ちにし、傍にいた俺がすぐに駆け付けた。
他にも侵入した者がいるかもしれないと思い、応援を要請し、ふもとで山の出入り口を見回っていた騎士達が駆け付けた。二人殺し、別の部隊がまだ森を調査している」
「暗殺者ですって?クレンは大丈夫なの?襲われたの?返り討ちって……」
蒼白になるアルノを落ち着かせようと、ニルドは口調をやわらげた。
「少し擦りむいた程度だし、カーラも無事だ。それより、クレンがうっかり殺してしまったため、今、刺客の身元を調べている。俺も剣を教えているし、クレンもカーラも、そう簡単にはやられない。戦えないのはアルノだけだ。家に送っていくから外には出るな」
ニルドが他の騎士達を振り返る。
「ギライ!彼女を家に送って行く」
「わかった!気を付けろよ」
「すぐそこだ」
他の騎士と親しそうに声を交わすニルドの姿にちょっと意外な顔をしたアルノは、騎士達を振り返る。
「お友達なの?」
こっそり指を差して囁いたアルノに、ニルドは軽く笑った。
「俺の所属するラドン騎士団の仲間達だ。契約師の心を平穏に保つため、君の前にはあまり姿を出さないようにしているが、俺達は交代でノーラ山の警備をしている。最近はもう一部隊追加された。契約師が狙われる事件が続いているからな」
ニルドはアルノの右に来て、歩こうと促した。
大人しく従うふりをして、アルノは素早くニルドの背中越しに騎士達の方を向いた。
地面に横たわる誰かの足がちらりと見えた。
侵入者の死体かもしれないとアルノは考え、すぐに目を逸らすとニルドの大きな体に身を寄せて歩き出す。
「クレンは?ショックを受けていない?」
「彼の身の上を何も聞いていないのか?短剣の扱いに慣れているようだったから少し話を聞いたが、自分の身を守るために、危ないこともしてきたようだ。少し腕を見て、実際の危険には太刀打ちでるようなものではなかったため、俺も稽古をつけていた。しかしそれも、空いた時間に少し教える程度だ。
その程度の訓練でありながら、彼は今回躊躇うことなく一撃で相手を倒した。見事な腕だ。
そろそろ本格的に正規の訓練に切り替えてもいいかもしれない。教会に所属するなら聖騎士だな」
「そうなのね……。カーラも?」
「カーラは……あの子は少しずつ話せるようになってきたな。クレンを守ろうと、短剣片手に飛び出していくところだった。あの反射神経もなかなかのものだ」
奴隷商につかまり、誘拐されたカーラは辛い経験が重なり、ここに来た当初は何も話せない状態だった。
クレンと一緒にいれば、笑ったり、小さな声で話すこともあるが、他の人を前にすると、唇が震えてしまい、うまく声が出せない。
そんな傷を抱えたカーラですら、身を守るための戦い方を知っているのだ。
「とにかく、君が無事で良かった。今、ゼイン様のところにも知らせを出した。今夜か、明日には到着すると思うぞ」
「そう……」
「それで、今夜は家の前で俺が野宿をする。さすがに君を一人で寝かせてはおけない」
「そうね……」
家に入ってもらっても良いかもしれないと考えたが、やはりそれは言い出せない。
ただの契約結婚であれば、それも許されたかもしれないが、ゼインとは本当に結婚したのだ。
本物にこだわるのであれば、やはり普通の夫婦のように誤解のない関係でなければならない。
「今日は疲れたから、帰ったらすぐに休もうと思っていたの」
「食事はどうする?城の厨房で一応毎日君が帰ってくるかもしれないと思って用意してくれている。運んでも良いか?」
「寝ているかもしれないから……居間の机に置いておいてくれる?寝室には近づかないで、すぐ出て行ってね」
念を押し、アルノはさっさと家に入った。
扉を閉めた途端、立っていられず床に崩れ落ちる。
クレンとカーラが無事だったことは幸いだが、身近な人に危険が及ぶところだったのだ。
体の震えを止めようと、アルノは大きく深呼吸をした。
しかし心配ごとが消えることはない。
ゼインとニルドも命を矢面に晒すような仕事だ。
ある日突然、消えてしまうこともあり得るのだ。
わかっていたはずなのに、実際に恐ろしい事件が起きてみると、彼らの仕事を本当の意味では全く理解出来ていなかったことに気づく。
なんとか立ち上がり、寝室まで行くと、かごをベッドの下に入れ、マントを脱いだ。
着替えをする余力もなく、そのままベッドに横たわる。
まだ暖炉のいらない季節であり、外套を着たままであれば凍えることもない。
眠気に任せ、アルノは静かに目を閉じた。
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扉を叩く音が聞こえ、アルノは薄眼を開けた。
窓から差し込む月明かりが、室内をほのかに照らしているが、薄暗くほとんど何も見えない。
「アルノ?大丈夫?」
それはハンナの声だった。
「寝ていたのよ」
すぐ近くで聞こえた声に、不機嫌に答えると、寝室の扉が開き、廊下からまばゆい光が飛び込んできた。
目を閉ざし、腕をかざす。
「何?」
「夕食を運んできたの。それから、試してもらいたいものがあって」
「今日戻ったばかりなのよ……。そうだ!クレンとカーラを見た?」
「あの子達ならお城にいるわ。騎士達も泊っているし、今日は大丈夫よ」
ほっとした途端、お腹が鳴り、アルノは仕方なく起き上がった。
冷たい床に両足を下ろし、両腕を頭上にあげて背中を伸ばす。
「今、行くから」
「じゃあ、夕食の準備をしておくね」
ハンナが出ていくと、アルノはようやくマントを脱いだ。
衣装棚を開け、扉のフックにひっかけると、軽い部屋着に着替える。
廊下を照らす光に導かれるように外に出て見れば、食欲をそそる香りが漂ってきた。
お腹がまた切ない音を立て、アルノは体が欲するままにテーブルに向かい、夕食が用意されている席に座った。
ハンナがアルノの前にグラスを置いた。
中身はまだ空だった。
そこに、ハンナは手にしていた瓶から、琥珀色の液体をグラスに注ぎこんだ。
「まずは一口、どうぞ」
それが何か、あえて何も聞かず、アルノはグラスを手に取った。
一口舌先に流し込み、目を閉じる。
すっきりとした森の香りが鼻腔を抜け、清涼でありながら甘味を感じる深い味わいが口内に広がった。
まるで森の精気を浴び、清められていくような感覚を覚え、アルノは目を開けた。
「岩ベリーのお酒?完成したの?熟成には数か月かかるって言っていなかった?」
「そうなのだけど、味見してみたらすごく美味しかったの。だから、この状態でも売れるのではないかって、みんなで話していたの。どう?」
ハンナがまた少しグラスに酒を注いだ。
今度はごくごく飲み、アルノはグラスに残った液体の色を確かめた。
「すごく飲みやすいのね……。確かに売れそう。じゃあ……次はどうやって売るかね?」
先ほどまで、刺客の心配をして足まで震えていたのに、欲深いことにもう金儲けのことを考えている。
心配していても、借金は減らないのだ。
グラスを傾け、灯りにかざしてみると、琥珀色の液体がゆらりと揺れた。
宣誓液の色とは違うが、神秘的な色にも思える。
顔をあげると、じっとアルノの反応を見ていたハンナと目が合った。
その二人の顔に、自然と欲深い微笑みが湧いてくる。
アルノはぺろりと舌を出し、唇についたお酒を舐めとった。
――
ノーラ山に刺客が入った三日後、ゼインが帰ってきた。
アルノはちょうど四枚目の契約紙をしあげ、一息ついたところだった。
乱暴に扉を開けて飛び込んできたゼインに抱きすくめられ、アルノはそのまま寝室に運ばれた。
声を出す間もなく、熱く抱かれたその後に、アルノはやっとゼインに話を切り出した。
「ゼイン、お願いがあるの」
「嫌な予感しかしないな……」
命を直接狙われたアルノの心を落ち着かせるために飛んで戻ってきたゼインは、アルノがもう気持ちを切り替えていることに安堵したが、その言葉には警戒した。
意外にも逞しいアルノだが、世間知らずの甘えた子供であることは変わらない。
クシールも同じ認識だし、結婚したからといって、劇的に成長するわけでもない。
仰向けに寝ていたゼインは横向きになり、肘を立てて頭を乗せる。
「ロタ村の人たちが町に下りた経緯は知っているでしょう?収入を得るものがなくて、借金がかさんで、国に何年もお願いをしてやっと国の政策が始まり、土地や家を用意してもらって町に下りたの」
「農地を耕す者が減ってきたせいでもある。山には資源と呼べるものがほとんどないからな。兵士不足を補うためでもあった。さらにノーラ山には契約師のいる精霊の森がある。人が荒らしてしまえば精霊が消えてしまう。他には岩ばかりだ。
様々なことを考慮した結果だった。しかし効果はあっただろう?冬に死者が出ることはなくなったのだから」
山では収入が途絶えれば餓死者がでるし、燃料代がなければ凍死者も出る。
町に下りれば、貧しくとも日々は食いつなげるし、山ほど寒くはならないため凍死もない。
「もし、税を問題なく納めることが出来たら、村に戻ることに問題はないのよね?実は、お城の管理をお願いしている人たちに、ある仕事をお願いしたの」
仕方がないと、ゼインは話しを聞くために裸のまま起き上がり、胡坐をかいた。
アルノは薄い寝着を肩にはおり、台所に走っていくとグラスを一つ抱えて戻ってきた。
「飲んでみて」
怪訝な顔でグラスを受け取り、ゼインは中に入っていた琥珀色の液体を一口飲んだ。
「ほお……。これは、よく清められている。芳醇な香りできれもある。酒だな?」
「飲みやすいでしょう?宣誓液と岩ベリーを使ったお酒なの」
「宣誓液だと?飲めるのか?」
ゼインの認識では宣誓液は紙に文様を描くためのインクだ。
インクを飲むという発想の無かったゼインは驚いてグラスの中の色を確かめる。
宣誓液は金色に光っているが、これは蜂蜜のような琥珀色で輝いているわけではない。
「水を汲みに行くのが面倒で、私は宣誓液を作っている間に、少し飲むことがあったの。別にそれで何か体に異変が起きたことはないし」
「待て」
急に怖い顔になり、ゼインは片手をあげてアルノを黙らせた。
「飲んでいたのか?宣誓液を?」
「時々ね。たくさんというわけじゃないけど、味は美味しいお水よ」
「君の契約紙の質が向上している理由は、それではないのか?直接精霊の力を取り込み、宣誓液で契約紙を作るのであれば、精霊の力を内からも外からも利用することになる」
「知らないけど……」
「もしそうなら、これは大きな発見だ。検証する必要があるな……」
「それより、ロタ村の人たちの収入源として、このお酒を売りたいの。彼らのお給料分ぐらいは稼げると思わない?」
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「お城を建てても、私の契約紙の質は落ちなかったでしょう?稼いでも、自分のために使うわけでなければ、大丈夫じゃない?」
「俺の一存では許可できない。クシールのところに話を持っていくしかないだろうな」
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「これが最初の一本。許可が出るなら、五十本は販売可能よ。熟成も出来るから、販売許可が出るまで眠らせておくこともできる」
「酒の扱いか……。これがもし、契約師の力を強める効果があるなら、薬として用いることも考えられる。わかった。これを預かろう」
瓶の口がしっかりしまっているか確かめ、ゼインは頑丈な鞄を開け、その片隅に瓶を縦に入れた。
しっかり壁際に鞄を片付けると、ゼインは寝台に座り込んでいるアルノのもとに戻った。
その勢いのまま、口づけしながら押し倒す。
ゼインの性欲は一度や二度ではおさまらない。
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