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39.子供たちの世界
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窓から流れ込んでくる夜風を気持ちよく浴び、アルノは体の火照りを冷ましていた。
嘘のような話だが、まだなんとか新婚生活は順調で、夢にまで見た平凡な生活が続いている。
お姫様が実家に戻ったり、余った従業員のために新しい仕事を探したり、ニルドが戻ってきたりと、予期していなかったようなことも起きてはいるが、結婚後に始まったアルノの日常は変わらない。
森に入り宣誓液を作り、家に戻って契約紙を作る。
終われば、ご褒美のように夫との時間が待っている。
今のところ、この生活に不満はないが、漠然とした不安が頭に過る。
深刻な問題にならないように目を逸らしているだけかもしれないが、だとしても、今までの不幸は取り戻すべきだとアルノは考えた。
ちらりと寝台の横に目を向けると、薄明りの下にゼインが全裸で横たわり、やはり汗ばんだ体を冷ましている。
その目はぎらつき、全身にもまだ野獣の気配が残っている。
十日ぶりの再会で、性欲を満たしあい、とりあえずの飢えはおさまったが、二人にとってはこれからが本番だった。
ゼインがもう呼吸を整え、枕元から布を取り出した。
「次は、目隠しをしても良いか?」
「もちろん!」
ゼインから提案される淫らな遊びをアルノは断ったことがない。
むしろ、さらにこうしてみてはどうかと、新しい遊びを思いつくことさえある。
淫らな妄想歴十年のアルノは、常識では考えられないことまで柔軟に受け入れた。
そんなアルノの艶めかしいお尻の下から手を入れ、ゼインは濡れた入り口に優しく触れる。
「じらさないで……」
目隠しまでされ、アルノは高まる欲求にこらえきれず、誘うように体をくねらせた。
すぐに飢えた部分を満たすように、熱く膨らんだものが押し込まれる。
「ああ……んっ……」
自由を奪われたアルノは、残された感覚を研ぎ澄まし、ゼインに与えられる快感を貪欲に貪る。
ゼインもまた、仕事であれば絶対にしない乱暴な腰つきで、アルノの中を蹂躙する。
「アルノ……」
背後からアルノを抱きしめたゼインは、その耳をぺろりと舐めた。
そのまましばらく遊んでいたゼインはやっと種を吐き出し、ぐったりしたアルノを腕に抱いて仰向けになった。
月明りを遮る木立の陰が、天井に映っている。
「俺がいない時は、もう一つある寝室をニルドに貸してもいいぞ」
王都の中央教会でクシールの右腕を務めるゼインは多忙で、なかなか戻ってこられない。
久しぶりの夫婦の再会に気をきかせ、クレンとカーラは城に泊まり、ニルドもゼインがいるなら安心だからと家から離れている。
「……だめよ。そういうところはきちんとしたいの。夫の不在時に、男を引き入れているみたいで嫌じゃない。誤解されても嫌だし」
家族のいないアルノにも、それぐらいの常識はある。
村の人たちの逢瀬を覗き、普通の家族や夫婦の形を研究してきた。
だからこそ、妄想の中でのニルドとの関係も夫婦になるまでに進展していたのだ。
とはいえ、もうそんな妄想に心を惑わされることもない。
「俺は……別に構わないが……」
言葉を濁し、ゼインは再びアルノの上に覆いかぶさった。
細い足を持ち上げ、腰を押し付ける。
もう復活したのかと、アルノは驚きながらも、しっかりゼインにしがみついた。
激しくゼインが動き出し、アルノはゼインが欲望を発散するまでその遊びに付き合った。
余韻を堪能しながら、ゼインはアルノの乳房に噛みついた。
しゃぶりつき、先端をつまむと、今度は優しくもみはじめる。
それは少し休憩するという合図だった。
アルノはうっとりとゼインの端正な顔を見上げ、気持ちよくしてくれたお礼に、その頬に口づけをした。
「これがあるから、仕事を頑張ろうと思えるのね。しかもそれが契約上の夫じゃなくて、本物の夫なのだから、最高よ。私達……子供が出来るかな」
仲の良さそうな夫婦の傍には、当然のように子供の姿があった。
両親に挟まれた子供の姿に自分を重ね、どうしたら自分もあんな風になれるのだろうかと考えた。
もう子供には戻れないが、夫が手に入ったのだから、憧れてきた世界を自分で作ることも可能ではないだろうか。
「このままいけば、出来るだろうな」
先ほどまでの熱が一瞬で冷めたかのように、ゼインは嫌そうな顔をした。
アルノはそんなゼインの変化に気づきもせず、思い出に浸り目を閉じた。
「ねぇ、今度ふもとの町に行っていい?トラスの方ね」
「構わないが贅沢は禁止だ。買いたいものがあるなら、事前に言ってくれ」
「別に……欲しいものがあるわけじゃないけど……契約師の人達は皆、契約の地を離れないの?」
「町から通っている契約師もいるが、一日以上の距離には行かないな。堕落が始まると契約地から離れ始める」
嫌な表現だと、アルノは顔をしかめた。
「少しぐらいの贅沢は良いじゃない。そういえば、審査会で入賞しても報酬は上がらないの?」
「上がっているはずだ。クレンとカーラの学費も払えている。それに、俺がこの石の寝室を建てた。裏庭の厩舎と洗い場も改築したし、不自由はさせていないつもりだ」
欲を排除するため、契約師は必要経費しか渡してもらえない。
「生活に必要なものばかりじゃない。もっとこう……」
町での苦い記憶をゼインに明かしたくないアルノは言葉を探す。
ニルドに連れられて酒場に入った時、初めて村の人たちと同じテーブルについたのに、アルノは一人ぼっちだった。
物理的に距離は近くても、目に見えない壁がアルノと村人たちの間にそそり立っているかのようだった。
あの賑やかで平和な町の光景に、今度こそ、自分も入り込むことが出来るだろうかとアルノは考えた。
「お酒を飲みに行ってみたい!」
ゼインと一緒ならば、最悪な酒場体験を、上書きできるかもしれない。
「まさに堕落の象徴だ。大丈夫だろうな?」
「ニルドに連れて行ってもらう?」
「いや。明日の夜なら俺が連れていける。行くか?」
顔を輝かせ、アルノはゼインに抱き着いた。
翌日、朝から家に様子を見にきたニルドに、アルノは今夜も来なくて良いと得意げに告げた。
自分にも愛し合う相手がいるのだと堂々と口に出して言える喜びを噛みしめる。
「ゼイン様がいる間は楽が出来るな」
ニルドはちっとも羨ましそうなそぶりもなく、羽を伸ばす気満々の笑顔になった。
肩透かしをくらった感じになり、アルノはちょっぴり残念そうな顔をする。
と、背後からゼインの声がした。
「ニルド、ここの仕事はどうだ?」
ニルドは騎士らしくすぐに姿勢を正した。
「ゼイン様!夢のようです。故郷でこんな風に仕事が出来るとは思いもしませんでした。クシール様にも、私が感謝しているとお伝えください」
ニルドの顔が突然、耳まで赤くなった。
どうしたのかと、アルノは首を傾ける。
ゼインの落ち着いた声が続く。
「アルノの前であまり堅苦しくする必要はない。幼馴染だろう?良ければ朝食を一緒にどうだ?」
顔を赤くしたニルドは、逃げるように慌てて後ろに下がった。
「いえ、もう上の方で済ませました。見回りに行ってきます」
大きく頭を下げ、急に用事を思い出したかのように、ばたばたと走っていくニルドの背中を見送ったアルノは、くるりとゼインを振り向き、唖然とした。
それから正気を疑うように眉間に皺をよせる。
全裸のゼインが、優雅が物腰で食卓テーブルに片手をついて立っている。
その全身には、昨夜の情事の跡が色濃く残っており、まさに新婚の蜜月そのものを見せびらかすような姿だった。
「そんな姿で外に出て来るなんて、信じられない」
憤慨するアルノを面白そうに見下ろし、ゼインは冷笑した。
「アルノ、これは牽制だよ。君を裸にして出すよりましだろう?」
残忍な本性をちらつかせたゼインを、アルノは怒りの表情で睨んだが、もう今更取り繕うことも出来ない。
ニルドはとっくに立ち去ってしまったのだ。
「食事を終えたらもう一戦だ。付き合えるか?」
「子供たちの前ではやめてよ?クレンとカーラにここに近づかないように言って来ないといけないのではない?」
「ニルドが教えるさ」
本当だろうかとアルノは思ったが、二人でいられる時間は限られている。
アルノはゼインに従い、扉の鍵を急いで閉めた。
家を離れたニルドは、ちょうど学校に行く前にアルノの家に立ち寄ろうとしていたクレンとカーラに遭遇した。
二人は学校鞄を背負い、手を繋いで城からロタ村に続く細道を下ってきているところだった。
そうしていると子供にしか見えないが、二人とも既に仕事をしている身だ。
「クレン、カーラ、今日はアルノの家に寄る必要はないぞ。ええと……」
これ幸いと二人を引き止めたニルドは、家に近づいてはいけない理由をどう説明しようかと迷った。
その様子を見て、クレンはすぐに察した。
「ああ、わかりました。そうではないかとは思っていました。ゼイン様は絶倫でいらっしゃるから」
「え?!」
子供の口から出てきた言葉とは思えず、ニルドは唖然とする。
その反応に、クレンも首を傾ける。
「聞いていませんか?ここに来るずっと前、教会に所属するより前のことです。私は路上で体を売っていたのです。ここにも、そうした仕事で来たのですが、アルノ様はしなくて良いと仰ったので、今はただの専属世話人の他の仕事を手伝っています。でも、稼ぎが良いので、いつかそちらの仕事を学びたいと思っています」
隣で聞いているカーラも、当然そんなことは知っているような顔で、黙って立っている。
教会内部の制度について学んだことが無いニルドには、寝耳に水だった。
「専属世話人とは……契約師のお世話をする人だろう?」
「契約師は贅沢が許されていないので、大変な仕事のわりに良い思いも出来ないし、やめてしまう人も多いのです。だから世話人は担当契約師と体の関係を持ち、性欲を満足させることで契約師が仕事から離れてしまうのを防ぎます。全ては専属世話人制度の上で成り立つ関係で、契約書も交わします。
契約師がそれで良い仕事をすれば、それだけ世話人の給料もあがります」
ニルドは豪華な結婚式で見た、アルノの幸せそうな顔を思い出した。
「契約というだけではないのだろう?その過程で真実の愛が見つかり結婚に至ることもある。そうだろう?」
「専属世話人は特別な絆が認められると、契約師と結婚が可能になります。最近、決まりが変わったのですが、以前は腕の良い契約師の世話人しか結婚は認められていなかったそうです。世話人も聖職者ですから、基本的に結婚はできません。教会の許可があれば可能ですが、それも厳格な決まりに則って判断されます」
将来専属世話人を目指しているクレンは、得意げに語る。
カーラもよく勉強しているクレンを誇らしげに見ている。
ニルドはただ困惑した。
多少家族に放置されていたとはいえ、村の中で普通に育ったニルドは、体は愛する人と重ねるものだと考えてしまう。それ以外で体を重ねるとしたら、娼館のようなところだが、働いている人たちは大人であり、自分の選択で仕事を選んでいる。
しかしクレンとカーラはまだ子供だ。
学校も通えているし、道も選べる立場にある。
今からそんな道を目指すのは違うのではないかと思ってしまう。
「アルノとゼイン様は、愛があって結婚したのだろう?」
逆にクレンとカーラには、そこにこだわる理由がわからなかった。
「わかりません。でも、アルノ様は特別です。決まりが変わる前でも、担当の世話人であるゼイン様は、結婚が許される立場だったと思います。アルノ様の契約紙は王城で使用されていると聞いていますから」
クレンの答えでは、アルノとゼインの間に愛があるのか、ニルドにはよくわからなかった。
しかし、アルノが二人を引き取り、学校に通わせている理由はなんとなくわかった。
「そうか……。だが、アルノは君たちにその仕事はさせたくないようだ。君たちだって、好きな人と一緒になりたいだろう?」
「仕事上の結婚なら平気です。結婚で稼げば、好きな人と一緒にいられますから」
それは貴族の考え方に少し似ているとニルドは思った。
結婚と恋人は別という言葉は、イライザと付き合うようになり、よく聞いたからだ。
しかしそこにもやはり、愛はある。
生きるために、待った無しで体を売るでもなんでもして稼がなければならなかったクレンとカーラの生きてきた世界は、ニルドが生きてきた世界とは大きく異なる。
「俺の勉強不足だったようだ。ありがとう、教えてくれて。俺は騎士団から来たから、教会で行われていることはよくわからない。これからも良ければその、契約師のこととか、世話人の仕事を教えてくれ。彼女を守るために、俺も色々学びたい」
「わかりました」
二人は子供らしい邪気のない笑顔で、素直に答えた。
「ならば、ニルドさんも教えてください。僕たち、アルノさんから岩ベリーを見つけたら摘んでおくように言われているのですが、まだ見たことがなくて、どこにあるか知っていますか?」
それは実に子供らしい、良い質問だった。
ニルドはほっとして、胸を張った。
「ああ、良いぞ。だが、君たちはこれから学校だろう?帰ってきたら一緒に取りに行こう。声をかけてくれ」
二人はうれしそうに頷き、城の方に引き返し、手を取り合って走り出した。
それを見送ったニルドも、記憶にある岩ベリーの場所を確かめるため、森に向かって歩き出した。
嘘のような話だが、まだなんとか新婚生活は順調で、夢にまで見た平凡な生活が続いている。
お姫様が実家に戻ったり、余った従業員のために新しい仕事を探したり、ニルドが戻ってきたりと、予期していなかったようなことも起きてはいるが、結婚後に始まったアルノの日常は変わらない。
森に入り宣誓液を作り、家に戻って契約紙を作る。
終われば、ご褒美のように夫との時間が待っている。
今のところ、この生活に不満はないが、漠然とした不安が頭に過る。
深刻な問題にならないように目を逸らしているだけかもしれないが、だとしても、今までの不幸は取り戻すべきだとアルノは考えた。
ちらりと寝台の横に目を向けると、薄明りの下にゼインが全裸で横たわり、やはり汗ばんだ体を冷ましている。
その目はぎらつき、全身にもまだ野獣の気配が残っている。
十日ぶりの再会で、性欲を満たしあい、とりあえずの飢えはおさまったが、二人にとってはこれからが本番だった。
ゼインがもう呼吸を整え、枕元から布を取り出した。
「次は、目隠しをしても良いか?」
「もちろん!」
ゼインから提案される淫らな遊びをアルノは断ったことがない。
むしろ、さらにこうしてみてはどうかと、新しい遊びを思いつくことさえある。
淫らな妄想歴十年のアルノは、常識では考えられないことまで柔軟に受け入れた。
そんなアルノの艶めかしいお尻の下から手を入れ、ゼインは濡れた入り口に優しく触れる。
「じらさないで……」
目隠しまでされ、アルノは高まる欲求にこらえきれず、誘うように体をくねらせた。
すぐに飢えた部分を満たすように、熱く膨らんだものが押し込まれる。
「ああ……んっ……」
自由を奪われたアルノは、残された感覚を研ぎ澄まし、ゼインに与えられる快感を貪欲に貪る。
ゼインもまた、仕事であれば絶対にしない乱暴な腰つきで、アルノの中を蹂躙する。
「アルノ……」
背後からアルノを抱きしめたゼインは、その耳をぺろりと舐めた。
そのまましばらく遊んでいたゼインはやっと種を吐き出し、ぐったりしたアルノを腕に抱いて仰向けになった。
月明りを遮る木立の陰が、天井に映っている。
「俺がいない時は、もう一つある寝室をニルドに貸してもいいぞ」
王都の中央教会でクシールの右腕を務めるゼインは多忙で、なかなか戻ってこられない。
久しぶりの夫婦の再会に気をきかせ、クレンとカーラは城に泊まり、ニルドもゼインがいるなら安心だからと家から離れている。
「……だめよ。そういうところはきちんとしたいの。夫の不在時に、男を引き入れているみたいで嫌じゃない。誤解されても嫌だし」
家族のいないアルノにも、それぐらいの常識はある。
村の人たちの逢瀬を覗き、普通の家族や夫婦の形を研究してきた。
だからこそ、妄想の中でのニルドとの関係も夫婦になるまでに進展していたのだ。
とはいえ、もうそんな妄想に心を惑わされることもない。
「俺は……別に構わないが……」
言葉を濁し、ゼインは再びアルノの上に覆いかぶさった。
細い足を持ち上げ、腰を押し付ける。
もう復活したのかと、アルノは驚きながらも、しっかりゼインにしがみついた。
激しくゼインが動き出し、アルノはゼインが欲望を発散するまでその遊びに付き合った。
余韻を堪能しながら、ゼインはアルノの乳房に噛みついた。
しゃぶりつき、先端をつまむと、今度は優しくもみはじめる。
それは少し休憩するという合図だった。
アルノはうっとりとゼインの端正な顔を見上げ、気持ちよくしてくれたお礼に、その頬に口づけをした。
「これがあるから、仕事を頑張ろうと思えるのね。しかもそれが契約上の夫じゃなくて、本物の夫なのだから、最高よ。私達……子供が出来るかな」
仲の良さそうな夫婦の傍には、当然のように子供の姿があった。
両親に挟まれた子供の姿に自分を重ね、どうしたら自分もあんな風になれるのだろうかと考えた。
もう子供には戻れないが、夫が手に入ったのだから、憧れてきた世界を自分で作ることも可能ではないだろうか。
「このままいけば、出来るだろうな」
先ほどまでの熱が一瞬で冷めたかのように、ゼインは嫌そうな顔をした。
アルノはそんなゼインの変化に気づきもせず、思い出に浸り目を閉じた。
「ねぇ、今度ふもとの町に行っていい?トラスの方ね」
「構わないが贅沢は禁止だ。買いたいものがあるなら、事前に言ってくれ」
「別に……欲しいものがあるわけじゃないけど……契約師の人達は皆、契約の地を離れないの?」
「町から通っている契約師もいるが、一日以上の距離には行かないな。堕落が始まると契約地から離れ始める」
嫌な表現だと、アルノは顔をしかめた。
「少しぐらいの贅沢は良いじゃない。そういえば、審査会で入賞しても報酬は上がらないの?」
「上がっているはずだ。クレンとカーラの学費も払えている。それに、俺がこの石の寝室を建てた。裏庭の厩舎と洗い場も改築したし、不自由はさせていないつもりだ」
欲を排除するため、契約師は必要経費しか渡してもらえない。
「生活に必要なものばかりじゃない。もっとこう……」
町での苦い記憶をゼインに明かしたくないアルノは言葉を探す。
ニルドに連れられて酒場に入った時、初めて村の人たちと同じテーブルについたのに、アルノは一人ぼっちだった。
物理的に距離は近くても、目に見えない壁がアルノと村人たちの間にそそり立っているかのようだった。
あの賑やかで平和な町の光景に、今度こそ、自分も入り込むことが出来るだろうかとアルノは考えた。
「お酒を飲みに行ってみたい!」
ゼインと一緒ならば、最悪な酒場体験を、上書きできるかもしれない。
「まさに堕落の象徴だ。大丈夫だろうな?」
「ニルドに連れて行ってもらう?」
「いや。明日の夜なら俺が連れていける。行くか?」
顔を輝かせ、アルノはゼインに抱き着いた。
翌日、朝から家に様子を見にきたニルドに、アルノは今夜も来なくて良いと得意げに告げた。
自分にも愛し合う相手がいるのだと堂々と口に出して言える喜びを噛みしめる。
「ゼイン様がいる間は楽が出来るな」
ニルドはちっとも羨ましそうなそぶりもなく、羽を伸ばす気満々の笑顔になった。
肩透かしをくらった感じになり、アルノはちょっぴり残念そうな顔をする。
と、背後からゼインの声がした。
「ニルド、ここの仕事はどうだ?」
ニルドは騎士らしくすぐに姿勢を正した。
「ゼイン様!夢のようです。故郷でこんな風に仕事が出来るとは思いもしませんでした。クシール様にも、私が感謝しているとお伝えください」
ニルドの顔が突然、耳まで赤くなった。
どうしたのかと、アルノは首を傾ける。
ゼインの落ち着いた声が続く。
「アルノの前であまり堅苦しくする必要はない。幼馴染だろう?良ければ朝食を一緒にどうだ?」
顔を赤くしたニルドは、逃げるように慌てて後ろに下がった。
「いえ、もう上の方で済ませました。見回りに行ってきます」
大きく頭を下げ、急に用事を思い出したかのように、ばたばたと走っていくニルドの背中を見送ったアルノは、くるりとゼインを振り向き、唖然とした。
それから正気を疑うように眉間に皺をよせる。
全裸のゼインが、優雅が物腰で食卓テーブルに片手をついて立っている。
その全身には、昨夜の情事の跡が色濃く残っており、まさに新婚の蜜月そのものを見せびらかすような姿だった。
「そんな姿で外に出て来るなんて、信じられない」
憤慨するアルノを面白そうに見下ろし、ゼインは冷笑した。
「アルノ、これは牽制だよ。君を裸にして出すよりましだろう?」
残忍な本性をちらつかせたゼインを、アルノは怒りの表情で睨んだが、もう今更取り繕うことも出来ない。
ニルドはとっくに立ち去ってしまったのだ。
「食事を終えたらもう一戦だ。付き合えるか?」
「子供たちの前ではやめてよ?クレンとカーラにここに近づかないように言って来ないといけないのではない?」
「ニルドが教えるさ」
本当だろうかとアルノは思ったが、二人でいられる時間は限られている。
アルノはゼインに従い、扉の鍵を急いで閉めた。
家を離れたニルドは、ちょうど学校に行く前にアルノの家に立ち寄ろうとしていたクレンとカーラに遭遇した。
二人は学校鞄を背負い、手を繋いで城からロタ村に続く細道を下ってきているところだった。
そうしていると子供にしか見えないが、二人とも既に仕事をしている身だ。
「クレン、カーラ、今日はアルノの家に寄る必要はないぞ。ええと……」
これ幸いと二人を引き止めたニルドは、家に近づいてはいけない理由をどう説明しようかと迷った。
その様子を見て、クレンはすぐに察した。
「ああ、わかりました。そうではないかとは思っていました。ゼイン様は絶倫でいらっしゃるから」
「え?!」
子供の口から出てきた言葉とは思えず、ニルドは唖然とする。
その反応に、クレンも首を傾ける。
「聞いていませんか?ここに来るずっと前、教会に所属するより前のことです。私は路上で体を売っていたのです。ここにも、そうした仕事で来たのですが、アルノ様はしなくて良いと仰ったので、今はただの専属世話人の他の仕事を手伝っています。でも、稼ぎが良いので、いつかそちらの仕事を学びたいと思っています」
隣で聞いているカーラも、当然そんなことは知っているような顔で、黙って立っている。
教会内部の制度について学んだことが無いニルドには、寝耳に水だった。
「専属世話人とは……契約師のお世話をする人だろう?」
「契約師は贅沢が許されていないので、大変な仕事のわりに良い思いも出来ないし、やめてしまう人も多いのです。だから世話人は担当契約師と体の関係を持ち、性欲を満足させることで契約師が仕事から離れてしまうのを防ぎます。全ては専属世話人制度の上で成り立つ関係で、契約書も交わします。
契約師がそれで良い仕事をすれば、それだけ世話人の給料もあがります」
ニルドは豪華な結婚式で見た、アルノの幸せそうな顔を思い出した。
「契約というだけではないのだろう?その過程で真実の愛が見つかり結婚に至ることもある。そうだろう?」
「専属世話人は特別な絆が認められると、契約師と結婚が可能になります。最近、決まりが変わったのですが、以前は腕の良い契約師の世話人しか結婚は認められていなかったそうです。世話人も聖職者ですから、基本的に結婚はできません。教会の許可があれば可能ですが、それも厳格な決まりに則って判断されます」
将来専属世話人を目指しているクレンは、得意げに語る。
カーラもよく勉強しているクレンを誇らしげに見ている。
ニルドはただ困惑した。
多少家族に放置されていたとはいえ、村の中で普通に育ったニルドは、体は愛する人と重ねるものだと考えてしまう。それ以外で体を重ねるとしたら、娼館のようなところだが、働いている人たちは大人であり、自分の選択で仕事を選んでいる。
しかしクレンとカーラはまだ子供だ。
学校も通えているし、道も選べる立場にある。
今からそんな道を目指すのは違うのではないかと思ってしまう。
「アルノとゼイン様は、愛があって結婚したのだろう?」
逆にクレンとカーラには、そこにこだわる理由がわからなかった。
「わかりません。でも、アルノ様は特別です。決まりが変わる前でも、担当の世話人であるゼイン様は、結婚が許される立場だったと思います。アルノ様の契約紙は王城で使用されていると聞いていますから」
クレンの答えでは、アルノとゼインの間に愛があるのか、ニルドにはよくわからなかった。
しかし、アルノが二人を引き取り、学校に通わせている理由はなんとなくわかった。
「そうか……。だが、アルノは君たちにその仕事はさせたくないようだ。君たちだって、好きな人と一緒になりたいだろう?」
「仕事上の結婚なら平気です。結婚で稼げば、好きな人と一緒にいられますから」
それは貴族の考え方に少し似ているとニルドは思った。
結婚と恋人は別という言葉は、イライザと付き合うようになり、よく聞いたからだ。
しかしそこにもやはり、愛はある。
生きるために、待った無しで体を売るでもなんでもして稼がなければならなかったクレンとカーラの生きてきた世界は、ニルドが生きてきた世界とは大きく異なる。
「俺の勉強不足だったようだ。ありがとう、教えてくれて。俺は騎士団から来たから、教会で行われていることはよくわからない。これからも良ければその、契約師のこととか、世話人の仕事を教えてくれ。彼女を守るために、俺も色々学びたい」
「わかりました」
二人は子供らしい邪気のない笑顔で、素直に答えた。
「ならば、ニルドさんも教えてください。僕たち、アルノさんから岩ベリーを見つけたら摘んでおくように言われているのですが、まだ見たことがなくて、どこにあるか知っていますか?」
それは実に子供らしい、良い質問だった。
ニルドはほっとして、胸を張った。
「ああ、良いぞ。だが、君たちはこれから学校だろう?帰ってきたら一緒に取りに行こう。声をかけてくれ」
二人はうれしそうに頷き、城の方に引き返し、手を取り合って走り出した。
それを見送ったニルドも、記憶にある岩ベリーの場所を確かめるため、森に向かって歩き出した。
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書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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