精霊の森に魅入られて

丸井竹

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38.新しい護衛

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大きく息を吐き出し、ニルドはしばらく黙っていた。
それから、何度か深呼吸を繰り返し、やっと口を開いた。

「彼女の実家に助けを求めた。デラーチェ領から迎えの馬車が来て、さっき乗っていったよ……」

「ニルドは行かなかったの?」

「途中までは……そのつもりだった。頭を下げてでも、頼み込んで一緒に住まわせて欲しいと頼むつもりで荷物をまとめていたんだ。それなのに……薬が出てきた……」

大きな背中を丸め、ニルドは声を殺して泣き出した。
大粒の涙がぽたりぽたりと太い腿の上に落ちる。

「お、俺の……子供を産むのが嫌だったと言ったんだ……。ゼイン様のようなきれいな顔の夫の子供が良いと……。子供が出来れば、彼女も覚悟を決めてくれると思っていたのに……俺の子供は欲しくないと……」

ついに号泣しはじめたニルドの背中を、アルノは優しく撫でおろした。

「今更だけど、貴族のお姫様だということ以外に、どこが良かったの?」

鼻をすすり、ニルドは袖で涙を拭った。

「小さな子供に見えた。強がって、威張っているけど、本当は寂しがりで……愛されたがりだった。俺が助けてあげられると思ったんだ。俺も親に構われなかったから、その気持ちがわかった気がした……」

確かに小さな子供だと思えば、腹も立たなかったかもしれない。

「言われてみれば、そうだったのかもね。ちょっとだけごめんなさい。話し相手にはなってあげられなかったの」

「そこまで……面倒はかけられないさ。でも、子供が出来たら互いの家族で仲良く暮らせるかもしれないとは考えた……」

妄想の世界は現実の辛さをやわらげてはくれるが、現状の問題解決にはつながらない。
脳内の世界に逃げ続けてきたアルノは、ニルドもきっとうまくいく未来を夢見ていたのだと考えた。
しかし実際問題、イライザ姫とうまくやるのは大変だ。

「イライザ姫がすごく心を入れ替えてくれたら可能だったかもね」

「嫌がっていた家に返すことになった……俺が不甲斐ないせいで……」

「欲しいものが違っただけでしょう?だって、お城まで用意したのよ?そんなことまでしてくれる人が何人いると思うのよ」

「俺の過ちは……彼女を甘やかしたことだ。もっと……ちゃんと話をするべきだった。身分の違いを意識しすぎて、言えなかったんだ……」

「過ちだなんて……」

ニルドのやることなすことに、驚いたり傷ついたり、怒ったりしてきたが、アルノにはその全てが過ちだとは思えなかった。ニルドは自分の心に真っすぐで、なぜか応援せずにはいられない気持ちになる。
それはただの友人の立場になっても変わらない。

イライザ姫だってきっといつまでも子供ではない。
時間が経てば変わるかもしれない。

「いつか……イライザ姫も気づくと思う。たぶん、何かきっかけが必要だったのよ。力になれなくてごめん」

ニルドは小さく首を横に振った。

その姿を横目に見て、アルノは罪悪感でいっぱいになった。こんな気持ちになるなら、嫌でも少しぐらい話し相手になってやれば良かったかもしれないとさえ考えたが、今更のことだった。
顔をあげ、正面の景色を見る。

開けた斜面から見える空は、薄紅色に染まり、夜の色が混ざり込み始めている。
小さな星が瞬き出し、遥か下方には町の灯が見える。
子供の頃は、自分の目に見える世界しかないと思っていたが、今は誰もが同じ世界を見ているわけではないと感じている。

「俺達のせいで、皆にも迷惑をかけた。ハンナやビリー達にも謝ったよ……。彼らは、その……仕事を失うのではないかと心配していた」

「あー!忘れていた。そうなの。それよ。私も借金で首が回らないの。子供を二人養うことになったから、さすがに何か他の仕事を考えることにしたの」

「え?!契約師なのに?他の仕事をするのか?」

「給料分を稼げる仕事はないかと考えたの。それで、岩ベリーを使って、お酒を作れないかと思って」

突拍子もない話に、ニルドは涙も吹き飛び、目を丸くする。

「岩にへばりついている苔の実だろう?子供の頃にアルノと食べたよな?」

「師匠に食事をもらえなかったから、私はいつも食べられるものを探していたのよ。
岩ベリーは日持ちするから貴重な食料で、集めて壺に入れておいたのだけど、ある時、余った宣誓液を入れた瓶に入れてしまったの。そうしたら、すごく美味しくなったのよ!
酒場で飲んだお酒の味に似ていたの。
契約師が森で見つけた岩ベリーで作ったお酒って売れそうな気がしない?」

「契約師が欲深い商人になってもいいのか?」

「だから、今働いてもらっている人たちに任せるの。それなら良いでしょう?」

「クシール様やゼイン様には話したのか?」

「まさか。反対されたら困るもの」

「で、でもゼイン様にはいうべきだろう?」

絶対に嫌だとアルノは頬を膨らませた。

「うまくいかなかったら、恥ずかしいじゃない。まずはやってみてからよ」

ゼインに話したことはクシールにも筒抜けになる。
ただでさえもクシールには子ども扱いされ、呆れられてばかりだ。

あっけに取られているニルドを見返し、アルノは思い出したように、手を叩いた。

「それで、イライザ姫とは今後どうするの?」

一瞬、そのことを忘れていたニルドは、腕組みをした。

「離縁状を送ると言われたよ……。まぁその時は覚悟を決めるよ。彼女の欲しがっていたものを俺はあげられなかった」

「そうかしら?十分だと思うけど、豪華な家具や服まであったのに」

「き、君のお金だよ……本当に、情けない。迷惑ばかりかけてすまなかった……」

すっかり縮こまり、悲し気な溜息をついたニルドの背中をさすりながら、アルノは枝から飛び下りた。

「そろそろ帰る?」

「ああ……そうだな。話を聞いてくれてありがとう。少し落ち着いたよ」

ニルドも枝から滑り降り、二人は仲良く斜面を下り始めた。


それから二か月ほど経った頃、ゼインが物騒な知らせを持って戻ってきた。
季節は夏の盛りであり、森には命の音が溢れていた。

しかし高所であり、暑さはそれほど強くない。
精霊の宿るノーラ山には、夏であっても夜になれば冷たい風が吹く。

ゼインは寝室の窓を閉め、淫らな余韻に浸っているアルノの傍らに滑り込んだ。

「今月に入り、三人も誘拐された。一人は殺されている。国力を削ぐことが目的だ」

久しぶりに性欲を満たし、心地良い余韻を楽しんでいたアルノは、雰囲気を台無しにする話を聞かされ、眉間に皺を寄せた。

「王様のお風呂を沸かす力を削ぐの?」

山に引きこもっているアルノには実感の沸かない話でもある。

「城も建てられるほどの力になる。火力でもあるし、自然界の力を自由に操ることが出来るともいえる。実際はそれほど自由自在に使える力ではないが、国の守りになっていることは確かだ。
そういえば、君の契約紙は審査会で三位に入った」

「一位じゃないの?」

「クシールはまだ伸びると考えている。もっと腕を磨け」

「良い契約師の条件がはっきりわかっていないのに、闇雲に頑張れと言われても、どうしていいかわからない」

「欲深いのではないか?」

「色欲は良いのでしょう?」

否定はしなかったが、ゼインはそれよりも大事な話があると切り出した。

「そこで、君に護衛をつける」

「私の護衛はゼインじゃないの?」

「俺は忙しい」

「中央でクシールの手伝いをしているからよね。でも、ゼインじゃない護衛はお断り」

家の管理やアルノの世話は、クレンとカーラが世話人見習いという名目でしてくれている。
しかし実際のところは、子供らしい時間を過ごしてもらうため学校や勉強を優先させている。
アルノの傍にいれば世話人の仕事がいつまでも続いてしまうため、城の従業員部屋に二人の部屋まで作った。

そうなると、アルノは護衛無しでほぼ一人暮らしをしていることになる。
危険と言われたらその通りだが、とはいえ、子供のクレンやカーラを護衛とするわけにもいかない。
これ以上胡散臭い人間を受け入れたくないアルノは渋い顔になる。

そんなアルノを前に、ゼインは指を一本立て、左右に振ってみせた。

「騎士団に応援を要請した。ニルドを君の護衛として雇うことになった。彼なら騎士の資格もあり、この山にも詳しい。君とも顔見知りで、幸い彼には妻がいなくなった。気楽な独り身だ」

ニルドが正式に離縁をしたという話を、まだ聞いていなかったアルノは驚いた。

「イライザ姫と離縁を?」

「他に誰がいる?」

独身に戻ったニルドに、何か感じるものがあるかと思ったが、アルノの心はもう前ほど浮かれたりはしなかった。
意外なことに、少しだけ残念な感情が沸き上がった。

もう夫はいるし、ニルドは大切な友達なのだ。

しかし、ゼインは長年妻が片思いをしてきた男を護衛にすることを、なんとも思っていないのだろうかと、アルノはゼインに怪しむように見た。

ゼインはニルドとアルノがどうこうなる心配など微塵もしていない様子で、まるで自分の思い付きを誇るかのようにアルノを見返している。
なんとなく心の中がもやもやとしたが、反対する理由もなかった。
アルノはニルドならばと護衛を受け入れた。



それから三日後、さっそくニルドがノーラ山に戻ってきた。
宣誓液を作り終え、家に向かっていたアルノは、聞こえてきたニルドの声に足を止めた。

「アルノ!アルノ!」

心地良く聞いていた森の音が、かき消されるほどの大声に、アルノは仕方なく声を上げた。

「ここよ!」

茂みから飛び出したニルドは、離婚したてとは思えないほどの笑顔だった。
仏頂面のアルノを見ても全く動じず、強引に手を突き出した。

「荷物を運ぶのを手伝うよ」

かごを取り上げようとするニルドの手を払いのけ、アルノは反対側の腕にかごをぶら下げた。

「それはあなたの仕事じゃないでしょう。護衛だというなら、黙って周りを見張っていたら?」

「怒っているのか?」

「怒っているのではなくて……。私はここで仕事をしているだけ。それなのに、私の意思はお構いなく周りが色々変わるから、少しだけうんざりしているの」

「クレンとカーラに会ったよ。ゼイン様が話していてくれたみたいで、これからよろしくお願いしますと頭を下げられた。良い子供達だな。正式な養子にしたのか?」

「違う!」

足を止め、ニルドを振り返る。

「世話人の見習い。でも、学校を出たら仕事を探して出て行くと思う。教会に所属したら二人は結婚出来ないしね」

「まだ子供だろう?幼馴染だ。結婚するとは限らないさ」

それは、ニルドとアルノのことだろうかと考え、アルノはその考えを急いでかき消した。

「世話人の仕事は続けてほしくないのよ」

恋人のふりから夫のふり、さらにベッドの中で契約師を楽しませることまで仕事の内なのだ。クレンやカーラにそんなことはさせられない。

「縁があって、ここに来たのだから、最後まで責任をもって送り出す。そう決めたのよ」

前を向いて歩きだしたアルノの後ろを、ニルドが大股でゆっくりついてくる。

「変わったな、アルノ。すごく……頼もしくなった」

「そう?少しは成長したかな?クシールに子供だと言われ続けてきたから、少しでも成長したというならうれしいけど」

森を出るとそこはロタ村の端で、木立の向こうにアルノの家が見えていた。
クレンとカーラの楽しそうな笑い声が聞こえてくると、アルノは足を止めて、ニルドを振り返った。

「夕食の用意をしてくれているの。世話人の仕事の一つよ。私は仕事をするだけ。ニルドは本当にここに来るの?どこに泊まるつもり?」

「そのことなんだが、俺は子供じゃないし、夫の居る女性の家に泊まるわけにはいかないから、寝る時はロタ村の宿泊用の家か城を使うことにするよ。あそこの管理も頼まれている」

「一人で住むの?」

「変なやつが入り込まないように毎日見回る必要がある」

「城を建てる時にクシールが用意した労働者のための宿泊用の家ね。厩舎にはクシールが連れてきた馬がいるし、馬車もある。信じられる?私の許可なく、今度は私のお金で村の整備まで始めたのよ」

「すごいことだな。クシール様はものすごくお忙しいはずだ。教会内だけではなく、騎士団と聖騎士団の連携についても新たな決まりを作ってくださっている。それにこの村のことまで考えているとなれば、寝ている暇もないのではないのか?」

「最近滅多に戻ってこないけれど、いろいろ仕事を頼まれている人はいるみたい。知らないのは私だけよ」

「さっき、城にも顔を出したよ。アルノに仕事をもらえて幸運だったとポールが言っていたぞ。良かったな」

何が良かったのかと、アルノは不機嫌な表情になった。
酒場で笑いものにされ、これでもかというほど村の人たちを憎んだ記憶はまだ健在だ。

「じゃあ私は帰るから。ニルドはお城の方でも、この村の宿泊用の家でも良いから、好きに使ってね」

「え?家まで送るよ」

「もう見えているし、夫もいないのにニルドを家には入れられない。私は人妻なのよ」

言ってから、ニルドが離縁したてであることを思い出し、アルノはしまったといった顔になった。
しかしニルドは全く気にした様子もなく、屈託なく笑っていた。

「そうか、幸せそうだな。良かったよ。じゃあ、俺は村の見回りに行ってくるよ。実はラドン騎士団の仲間達も来ていて、交代で警戒にあたってくれている。さすがに俺が一日中起きているわけにはいかないからな。俺じゃないやつも見回りにくるが、同じ隊服を着ているから安心してくれ。じゃあ、ゆっくり休めよ」

結局よそ者が入り込んでくるのだ。
ゼインにしてやられたような気分になったが、アルノはもう何も言わなかった。
純粋にアルノの幸せを喜んでいる様子のニルドを見上げ、やはりちょっぴり未練を感じながら、くるりと背を向け、家に戻っていった。


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