精霊の森に魅入られて

丸井竹

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35.稼ぎたい少年

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五日間も森で仕事をしてきたというのに、仮眠途中で眠りから覚まされたアルノは、極悪人になった気分で椅子に座っていた。
目の前のテーブルには、ゼインが作ったスープが置かれており、食欲をそそる香りが漂ってくるが、なんとなくスプーンをとる気になれない。

全裸で他の男と抱き合っている姿を夫に見られた直後であり、もてなしてもらえる立場でもない。

その向かいには、やっかいな居候のクレンが座っている。
子犬のようなしおらしい表情でうつむいているが、さっきまでは血に飢えた狼のようだった。

子供に見えても男であることには違いない。

ゼインは二人の前にスープとスプーンを並べ終えると、彼らを正面に横に座った。

「まずは食べたほうが良い。空腹だと冷静になれない」

落ち着き払った声に、アルノはなんとも言えない気持ちになりながら、スプーンを手に取り、おずおずと温かなスープをすくい、口に運んだ。
それを確かめ、クレンも同じようにスープをすする。

「美味しい……」

今度こそほっと一息つき、アルノはテーブルの木目を見た。
とてもじゃないが、目を上げて話をする勇気はない。
下を向いたまま、ぼそぼそと言い訳を始めた。

「本当に疲れていたから、着替えるのが面倒で脱いで、そのまま寝てしまったのよ。引き出しにある瓶を見た?あれを二晩で完成させてふらふらだったのよ。あなたに……会いたくて休む間も惜しんで働いて帰ってきたの」

ゼインと淫らな夜を過ごすことだけを楽しみに帰って来たのに、まだ初夜を終えた段階で浮気を疑われ、離縁になってしまったら不名誉どころの話ではない。
結婚式には国王さえ参列したというのに、そんなことになったら、それこそ次の夫だって見つけられないに違いない。

ゼインは、わかりやすく落ち込んでいるアルノを見て、それからクレンに視線を向けた。

「クレン、君は契約師になりたいのか?それとも専属世話人か?」

「……俺は、教会で稼げると聞いて、中央教会に行きました。だけど、そこはただの孤児院で、退屈な授業ばかりで、金を稼がせてはくれなかった。俺は今すぐ金を稼ぎたくて、それで……クシール様の寝所に忍び込みました」

ぽちゃんとアルノの手にしていたスプーンから、スープがこぼれ落ちた。
さすがのゼインも、表情を強張らせ絶句する。

「教会で一番偉い人の部屋に忍び込めたの?」

警備体制はどうなっているのかと、アルノは心底心配になった。
胡散臭いクシールだが、死なれては絶対に困る。

しかも男の子なのに、クシールの寝所に忍び込むなんて理解不能だ。

「簡単です。子供の顔をして近づけば、大抵の大人は通してくれました。だから、まだそうした仕事は残っているのだと確信し、ベッドに忍び込もうとしたのです。でも、クシール様に見つかって、咄嗟に契約師になりたいと言いました。
クシール様は、適性があるかどうかは試してみないとわからないと言って、私に……すぐにお金が欲しいなら、世話人の見習いような仕事を紹介出来ると仰ってくださりました。良い働きをすればお給料も高くなると聞きました。
だけど、所詮見習いです。専属世話人が何をするのか知っています。
路上で体を売っていた時は、飢えることなく客をとれていました。一度僕と寝た人は女でも男でも、もう一度寝たいと言ってきます。
でも、金をもらうまえに逃げられたり、危険なこともあって、安定した収入に繋がりません。だから……給料の保証された世話人になりたかったのです」

ゼインには珍しくもない話だったが、アルノはすっかり食欲を失い、スプーンから手を放した。
この少年にも、他に道がなかったのだ。
しかもアルノよりずっと悲惨だ。

自分ばかりが不幸だと思って来たアルノの甘えた根性を叩き直そうと、精霊たちがこうした境遇の人達を送り込んでくるのだろうかと疑ってしまう。
ゼインとクシール、それに子供まで、アルノより大変な幼少時代だったのに、すごく大人で立派に見える。

目の前の子供に完敗し、アルノは小さくため息をついた。

「クレンは偉いのね。自分で生きる道を探そうとしたのね……」

「だからといって、新婚の妻のベッドに入り込んだ行為を正当化することはできない。俺の妻を寝取るつもりだった男だ。そんな男を褒めるのか?」

本気で怒っているかのようなゼインの不機嫌な声に、アルノは慌てて顔をあげ、首を横にふる。

「ま、まさか!誤解よ!それとこれとは違うでしょう!だって、クレンはまだ子供で、生き方を選べなかった。それなのに、自分で現状を変えようと動いたのだもの。すごいことよ。私には……私が子供の時には出来なかったから、ただ単純にすごいと思ったの」

ふてくされた表情で、クレンはスープを飲んでいる。

「しかしなぜアルノのところだったのだ?彼女は借金持ちだし、養っている召使の数も多い。彼女の給料から雇い賃を支払うのは大変だ」

テーブルにクシールが置いていった報酬の入った袋が残されていた。
ゼインが情け容赦なく、中身をテーブルに並べる。
その少なさに、アルノは悲しいため息をつき、クレンは顔を赤くして怒りの形相になった。

「これだけ?!」

「見習いなんだから、仕方がないでしょう?」

心底情け無さそうにアルノはまた「はぁ…」と力ないため息をついた。

「働けど働けど、貧しい生活が続くのが契約師の仕事よ。契約師は稼いでも自分ではお金が使えないの。だから、性欲ぐらい満たしてくれないとわりにあわないのね」

あからさまな表現に、ゼインは片方の眉をあげたが、何も言わなかった。
クレンも他人の性欲にたかって生きてきた子供であり、平気な顔だった。

「とにかく、こんな危険な子供をここに置いておくわけにはいかない」

ゼインが結論を出す。
クレンは怒りに拳を震わせる。仲裁しようとアルノが身を乗り出した。

「明日、この子を森に連れて行ってみる。もしマカの実を見つけることができれば、契約師にはなれる。自分で稼ぐことが可能よ」

「金はいつ稼げるんだよ!」

怒りの声を上げ、クレンがアルノを睨む。

「稼いで何をしたい?」

冷淡なゼインの言葉に、クレンは唇を震わせ、拳が白くなるまで握りしめる。
やがて、食いしばった歯の隙間から、小さな声が漏れた。

「妹が……売られた……。買い戻したい……」

鼻で笑ったゼインに、クレンが椅子から飛びあがって拳を振り上げる。
それをゼインは片腕で簡単に薙ぎ払った。

クレンは背中から壁に激突して床に倒れた。

「ゼイン、やめてよ!」

吹き飛んだ子供の姿に、アルノも椅子から飛び出した。

「アルノ、簡単に信じないことだ。子供は嘘をつく」

また飛びかかろうとするクレンを、アルノが必死に抱きしめる。
簡単に振りほどかれてしまうかと思ったが、クレンはぐっと堪え、下を向いて背中を震わせている。

「ゼイン、女の子の話し相手が欲しかったの。この子にお金を貸してあげてよ。私にはもう夫がいるし、あなたも仕事で忙しいでしょう?この子たちが家のことをしてくれたら、私は森にこもっていられるし、仕事もはかどる」

「どうせ嘘だ」

「なら、この子と一緒に行って、自分の目で確かめて買い戻してきてよ」

「他人の子供を助ける義理はない。しかも妻のベッドに入り込んだ男だ」

「妻のベッドに入り込んだ子供よ!私は、子供時代がほとんどなかった。ゼインもそうでしょう?でもこの子はまだ子供よ。今からだって、子供時代が送れる」

「君が失った子供時代は、彼を助けても戻ってこない」

「でも、クシールもあなたも、教会のやり方を壊した。もう二度と、教会の孤児院では、あなた達が子供の頃にされてきたような教育を受ける子供はいなくなったのでしょう?」

「俺達がしたかったのは、人助けじゃない。復讐だ」

矢継ぎ早に繰り出される言い合いがぴたりと止まる。
クレンが態度を一変させ、床に這いつくばっていた。

「お願いします。なんでもします。俺が……妹の代わりに売り飛ばされてもかまいません。彼女を……妹を助けてください!」

あまりにも潔い捨て身の土下座だった。
衝撃を受けたようにアルノは黙り込み、ゼインは渋い顔で子供の後頭部を見下ろした。

それから、アルノの表情を見て、嫌な顔をした。

「なるほど。クシールがこいつを寄越したわけだ……」

その呟きはあまりにも小さく、アルノとクレンの耳には届かなかった。

アルノは完全にクレンを子供と見ていたが、ゼインはクレンを一人前の男とみていた。
ゼインがクレンの歳の時には、既に一人前になり人を殺すようなことも平気でしていたからだ。

それ故、ゼインはクレンを子ども扱いする気は微塵もなかった。
外に放り出せば、一人で生きて行くことになる。理不尽な運命に踏みつけられながら、それでもなんとか生き残る道を見つけるか、それとも力尽きるか、それはクレン自身の問題だと考えた。

ふらりと立ち上がり、アルノはテーブルに置かれていた小銭を全部握りしめ、ゼインに突き出した。

「お願い、ゼイン。私はここを出られない。一緒に行ってあげて。クシールからあなたがここを近々離れると聞いているし、忙しいのはわかっているけど……。でも何か用事の途中でもいいから、連れていってあげてよ。
クレンの言葉が嘘じゃなければ、私が雇うからその女の子も連れてきて」

全くやっかいなことだとゼインは渋い顔だったが、アルノから金を受け取り、ふところに入れた。

「子供一人ぐらい買い戻すぐらいどうということもないが、これ以上の厄介ごとはごめんだ」

吐き捨てるようにそういうと、ゼインはクレンに向き直った。

「立て。もしお前の嘘が一つでも判明すれば、その時は捨てていく」

はっとしたように顔をあげ、クレンはすぐに立ち上がった。
少女のように愛らしい表情を引き締め、二人に向かった頭を下げた。

「お、お願いします」

その全身からは、計り知れないほどの不安と恐怖が見て取れる。
クレンもまた、他人を信じることなく生きてきたはずだ。
それなのにクレンは誰かのために、赤の他人である二人に運命を託し、その不安に耐えているのだ。

そんなクレンを前にして、アルノは自分自身に対する深い失望感に包まれていた。

自分にはどうやっても出来そうにない。
ニルドを人質にとられてさえ、助けてくれるという人の言葉を信じられるかわからない。

ゼインがクレンを連れて山を下りて行くと、アルノは家に戻り、窓際のテーブルに置かれた引き出しから紙を取り出した。
インク瓶とペンを並べ、宣誓液を取り出す。

結局、アルノに出来ることはこれだけなのだ。
お金が必要なら、これを作り続けるしかない。

椅子に座り、大きく深呼吸をしてペンをとる。

祈りを込めて、その頭に浮かぶ文様を紙の上に丁寧に写し始める。
ペンを持っているのはアルノだが、何を描くのか決めているのは宣誓液だ。

その文様の全てが自然界の力を意味している。
手が動き出したら、もう視力は必要としなかった。

紙の上でペンを走らせながら、アルノは静かに目を閉じた。


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