精霊の森に魅入られて

丸井竹

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33.お客様はご乱心

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「なっ!姫……ここで何を?!」

真っ白な掛け布を思わず胸まで引き上げたゼインは、顔を引きつらせた。
イライザ姫は室内に入ってくると、ごく自然に扉を閉めた。

「ゼイン様、私は貴族の娘です」

「し、知っております……」

掛け布の下は全裸であり、とても貴族の姫君の前に立てる姿ではない。しかもゼインは結婚初日で、イライザ姫も婚約者のある身だ。

「あの、まず外に出て頂けませんか?着替えますので」

その言葉を無視し、イライザ姫が少しずつ前に進む。

「お式を見て……ゼイン様の美しさを間近に見て、私、確信しましたの。
私に相応しい方は、ゼイン様しかいないと」

「は?」

またこのパターンなのかと、ゼインは少し落ち着きを取り戻した。
こうしたやりとりは、たぐいまれな美貌を持つゼインにとって珍しいものではなく、飽きるほど繰り返してきたことだった。
相手は男でも女でも関係なく、ゼインの容姿だけを見て何を根拠に自分に相応しいと決めつけて来るのかわからないが、自分の物になるようにと迫ってくるのだ。

もう結婚もしたのだし、そうした煩わしさからは解放されると思っていたというのに、この姫は同じ城に住んでいる気安さのせいか、感情に任せ勢いでここまで来てしまったのだ。

「冷静になってください。あなたには婚約者がいる。それに、私は昨日結婚した身です」

「でも、お相手はゼイン様に全く相応しくありません。私の方が、つり合いがとれております」

確かに正式な装いで公の場に立てばそう見えるかもしれないが、内面を考えたら、全く合わない。
恵まれた生まれで、贅沢に育ったイライザ姫が、地獄を見てきたゼインと釣り合うわけがない。

「聖騎士様は貴族の身分ですよね。お城を持っているし、国王さえもあなたのために足を運んでこられた。私は小さい頃から、どんな身分の方にもつりあうように妻としての振舞い方を学んでおります。美しく装うことも出来ますし、ダンスも出来ます。
お客様をもてなす術も心得ておりますし、外国語も出来ます。
夫に仕えるための教育を受けてきたのです。ゼイン様、私達は最初に選ぶ相手を間違えたのです。でも、今こうして出会えた。どうか、お傍においてください」

「何か誤解があるようだ」

ゼインは床に落ちているズボンを上掛けの下から拾い上げ、素早くベッドの中で身に着けた。
そこにイライザ姫が突進してくる。

ゼインはひらりと反対側の床に足を下ろし、シャツを拾い上げる。

窓辺に浮かび上がるその美しい裸身に、ベッドまで迫ったイライザ姫は、ほうっと感嘆のため息をもらした。

「許せません。身分もない下賤な村娘が、このような高貴な夫を得るなど」

「身分もない下賤な?その彼女のおかげであなたは、この城に住めている。彼女がいなければ、快適な生活もできませんよ?あなたは?私のために何をしてくださるので?」

「風呂を沸かすのも、家を快適に整えるのも召使の仕事です。私は夫を支えます」

「具体的には?」

顔を赤くしたイライザ姫を見て、ゼインはうんざりとしながらシャツのボタンを留めた。

「残念ですが、私はあなたに魅力を感じません。あなたは、あなたを好きだと言ってくれる人をもっと大切にするべきです。そうでなければ、全てを失いますよ?」

怒りと屈辱に顔を赤くし、イライザ姫はゼインに掴みかかろうとした。
それをひらりと交わし、ゼインは寝室を横切り扉に向かう。

「きゃああああああああ」

イライザ姫の絶叫が室内に響き渡った。

その甲高い悲鳴に、部屋を出る直前だったゼインも、仕方なく振り返る。
イライザがドレスの前を引き裂き、ベッドの上からゼインを睨みつけていた。

「どうかされましたか!」

廊下にまで響き渡った異様な声に、召使たちも駆けつけた。

ロタ村の元住人達である彼らは、城に必要な仕事の全てを任されている。
ほとんどの貴族は自分の召使を連れているため、直接お世話をするといったことはないが、イライザ姫に関しては、ニルドの婚約者であり、貴族でもあるため、クシールが特別に専用の世話係を任命していた。

それ故、イライザ姫が何か事を起こせば、それは世話係を任命されている彼らの責任にもなる。

「お、襲われたのよ!彼に襲われたの!責任を取ってもらう必要があるわ!」

泣きながら訴えるイライザに、ハンナは幾分、冷やかな視線を向けた。

「襲われたと言っても、ここは新婚夫婦の寝室ですけど?ご自分でここまで来たのに、襲われたとはどういうことです?」

ハンナの背後にいた召使たちもくすくすと笑う。
日頃からイライザ姫の世話をしている彼らは、この状況を瞬時に理解していた。

その反応を見て、イライザはこの場に味方がいないことに、初めて気が付いた。

この城がアルノのものだとニルドから説明されてはいたが、城に相応しい身分であるのは自分だけであり、召使もいたため、自分のものと変わらないと簡単に考えていたのだ。
身分が低い者が、身分の高い者の世話をすることも当然であり、城の召使は貴族の言葉に従うと単純に考えていた。

しかし、ここは実家であるデラーチェ領のお屋敷ではない。
召使たちは町での暮らしに見切りをつけ、アルノを頼って住み込みで働きに来ており、世話をするよう命じられてはいるが、無条件に味方するようにとは言われていない。

もしお金を払ってくれる主人であるならば、白を黒と言う必要もあるのかもしれないが、イライザ姫に味方しても給料があがるわけではないのだ。

恥をかかされたと気づいたイライザ姫は、奇声を発し、枕を叩きつけると、ゼインの横を駆け抜け、ハンナを突き飛ばして廊下に逃げ出した。

イライザ姫を追いかけて慰めようとする人はいなかった。

ハンナを始めとする召使たちは、肩をすくめ、さっさと自分たちの仕事に戻っていった。
ゼインも疲れたように肩を落とし、寝室の扉を閉めた。



それからすぐに、アルノと森で別れたニルドが城に戻ってきた。
ニルドは、ハンナ達からイライザ姫の奇行について聞き、すぐにゼインに謝りに行った。
それから城で働いてくれている元ロタ村の住人たちにも頭を下げた。

「すまない。彼女は裕福な暮らしを捨てて俺についてきてくれたんだ。だから、この生活に慣れるまで時間がかかると思う。申し訳ないが、彼女の我儘に少しだけ付き合ってあげて欲しい。俺が必ず、ちゃんと言い聞かせて教えていくから」

ニルドが頭を下げなくても、城で雇ってもらっている立場の人々は、仕事を放棄する気はなかった。

「それぐらい心得ているわ。お金をもらっているのだから任された仕事はちゃんとする。でも、アルノが主人であることは変わらないから、あの姫とアルノが衝突した時は、私達はアルノにつくわ。それだけは忘れないでね」

お世話係を代表し、ハンナがニルドに告げると、ニルドは感謝の言葉と共に、改めて皆に頭を下げた。
それからようやくイライザ姫のところに駆けつけた。


婚約者のニルドがいながら、アルノの夫に迫ったイライザ姫は、自分の行いを反省することもなく、ただ恥をかかされたと言って寝室にたてこもり、毛布の中で泣きじゃくっていた。

ニルドはそんなイライザに寄り添い、毛布の上からイライザを抱きしめた。

「俺が……甲斐性がないばかりに、肩身の狭い思いをさせてしまい申し訳ない。ゼイン様は見た目も良いし、騎士階級も高い。俺が君にふさわしくない身分であることは、わかっている。だけど、君はそんな俺を選んだはずだ。
もう少し俺を見てくれ。大丈夫だ。きっとここでも幸せになれる」

「じゃあ、召使を全部入れ替えてよ!あいつらは私を馬鹿にして嘲り笑っているのよ!うちにいたら全員追放処分よ!首にして仕事を取り上げてもらうところよ!」

「彼らは……アルノに雇われてここで働いてくれている。君の世話も、アルノが俺達夫婦をこの城の正式な客人と決めたから、城での仕事の一つとしてしてくれている。俺には君に召使を雇ってあげられるほどの稼ぎはないし、君が欲しがっている家具だって、まだ揃えられてもいない」

「何もないのね……」

「お城はあるし、寝床も、食べるものもある。自分を愛してくれる人が欲しいと言っていたじゃないか。俺がいれば何もいらないとさえ言ってくれたのに」

誰にも見向きもされなかったイライザは、自分をお姫様扱いして構ってくれる人が欲しかっただけだった。
自分を見下してきた召使や家族たちをあっと言わせるような結婚をして、幸せになって見せつけてやりたかった。

それなのに、自分をお姫様扱いしてくれたのは、この貴族でもないやぼったい成り上がりの騎士だけだったのだ。

「こんなはずじゃなかった……」

「イライザ……そろそろ休暇が終わるから、俺は隊に戻らないといけない」

「どうして……私には何もないの?召使は?」

少し躊躇い、ニルドはアルノから返してもらったお金の袋を取り出した。

「ここに、いくらかあるから……これで家具を買うか、召使を雇える。でも……これは、この城を建ててくれたアルノに渡すつもりだった。俺達はただの居候だから」

「どうして、私達のお城じゃないのよ!だったら、これで買い取って」

「イライザ、俺は第三階級の騎士で……領土もないし、王都の屋敷が精一杯だった。それを売った金がこれだ。ここは昔の友人だったアルノに頼み込んで作ってもらった。
さすがにそれ以上のことは求められない。覚悟を決めて、ここで俺と生きてくれ。
ここで働いてくれているのは、俺と同郷の人達だ。君が心を開けば、話し相手になってくれるはずだ……」

くるりと背を向け、ニルドは出て行き、広々とした部屋にイライザは一人残された。
唇を噛みしめ、イライザはシーツに濡れた顔を押し付けた。
それから、どうして誰も慰めにこないのかと苛立ちと怒りに任せ、また泣き始めた。

――

いつもの洞の中で、アルノは眉間に皺をよせ、煌々と輝く宣誓液が入った瓶を光にかざしていた。

二日間、精霊に感謝の祈りを捧げ、丁寧な仕事で作られることになっているその宣誓液だが、アルノはこれを作り続けている間、ゼインと体験した、淫らな行為のことばかり考えていた。

必死に祈りの言葉を唱え、意識を集中し、質の良い宣誓液を作ろうと頑張ってみたが、どうしても一人で作業をしていると淫らな欲望が込み上げてきて、最後にはゼインとの夜のことばかり考えてしまっていたのだ。

にもかかわらず、今回も最高の宣誓液が出来てしまった。
この事態をどう捉えていいのか、どうしてもわからない。

欲を捨て、森の一部となり、清らかな気持ちで精霊に心を寄せ、祈りの言葉を唱える。
そしてマカの実の力に感謝し、丁寧に皮をむき、わずかな欠片も残さず種を取り除き、上流で見つけた石を手で削って作った石うすでゆっくり引き、出てきた液体を不純物がなくなる状態まで清めていく。

その工程は手間がかかり、蒸留もするため、時間もかかる。

もしかすると、宣誓液を上手に仕上げるためには、その工程だけが重要であり、精神的な清らかさとか普段の生活態度なんてものは関係ないのではないかと考えてしまう。

「私が贅沢出来ない理由って何かしら?」

金色の輝きを閉じ込めた瓶をかごに並べ、アルノは一仕事終えた達成感に、一息つくと腰を屈めて外に出た。
湿った土には緑がちらつき、清涼な空気には青臭さが満ちている。

気持よく深呼吸し、アルノは城ではなく、やはりロタ村のあばら家に向かって歩き出した。


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