精霊の森に魅入られて

丸井竹

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20.消えない恋心

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一日かけて、ゼインはアルノが宣誓液を作っている場所に辿り着いた。
上部が折れた大木の根元に大きな穴が開いている。

その手前には空き地があり、雪の滑り台がまだ溶けずに残っていた。

以前、案内された通りの場所だが、そこまでの道のりは驚くほど遠かった。

ゼインはようやくたどり着いたその洞の前で四つん這いになった。
中を覗き込もうとした瞬間、ゼインは反射的に後ろに飛んで尻もちをついた。

真っ暗な洞の中に、巨大な雪狼が丸くなって座っており、じっとこちらを見ている。

「アルノ!」

ゼインは、洞の外から呼びかけた。
ふわふわの雪狼の背中が少し凹み、そこにアルノの顔が覗く。

「ゼイン?どうしたの?」

ほっとして、ゼインは洞の方に手を差し出した。

「君を迎えに来た。今日で戻る約束だ」

露骨に嫌そうな顔をされ、ゼインは表情を引き締める。
アルノは完全に心を閉ざしている。
こうなれば、契約師を監視する役に徹しなければならない。

「あなたと、友達になったことを後悔しているの」

雪狼の背中を乗り越え、手前側に移動すると、アルノは雪狼の首にだきついた。

「温めてくれて、ありがとう」

それから出口の方を向き、荷物を抱えて外に出てくる。

「信じると言っていたのに、どうして迎えに来るのよ」

「知らないのか?契約は切れるが、友達は簡単に切ることができない。君も他の契約師達と同じように、契約で繋がる関係の方が楽で良いものだと気づくかもしれない」

「そうなの?」

「わずらわしい友人を持ったことがないのだな。幸せなことだ」

相変らずの美形を見上げ、アルノはどういう表情を作ろうか迷うように眉をしかめた。
穏やかなゼインの眼差しは、どこか面白がっているようにアルノに向けられている。

クシールのように、手のひらで転がされているような気分になり、アルノはやはり不機嫌な顔をすることに決め、唇を尖らせた。

「クシールみたいに嫌な感じ」

つま先にかかる雪を蹴り上げながらゼインに近づく

「彼は優秀な僧侶だ。精霊言語師の資格も持っている」

ゼインはアルノの腕を掴んで、引き寄せた。

「初めて聞いた……」

「君が丸暗記した精霊書の三倍の量の書物を暗唱できなければ就けない仕事だ」

さりげなく、アルノのかついでいた鞄を下ろさせ、ゼインは自分の肩にかけた。
逃すまいと、空いた腕にアルノを抱え、短い口笛を吹く。

短足の馬が、そりを引っ張りながら木立の間から現れた。
アルノをそこに乗せ、荷物を馬の背中にくくりつける。
御者席に乗り込み、毛布をアルノに投げた。

アルノはそれを広げ、体をくるむ。
それを見届け、ゼインが馬に合図を出す。

そりが滑り出してすぐに、木立の向こうにアルノの家が見えてきた。

「信じられないな。こんなに近いはずがない。一日中探していたのに」

「私の仕事が終わるまで精霊たちが時間を稼いでくれたのかもしれない」

「なるほど」

あり得る話だとゼインは納得し、家の裏に回って馬を止めた。
荷物を馬の背から下ろし、そりを下りようとしているアルノに急いで手を差し伸べる。

「温まらなければ。君の手は氷のようだ」

ゼインに手を取られ、立ち上がったアルノは、裏庭を見渡した。
邪魔な雪はきれいに取り除かれ、歩きやすいように地面もしっかり踏み固められている。

軒先には一本の氷柱もない。
毎日ゼインが家の手入れをしてくれているおかげだ。

「ゼイン、私の世話は大変でしょう?その、他の契約師の世話よりもずっと……」

ゼインに連れられ、表玄関に向かいながらアルノは鼻をすする。

「他の契約師のことは知りません」

絶対嘘だとアルノは思ったが、口を閉ざした。
毛布でアルノをしっかりと包み込み、ゼインは家の扉を開けた。

外よりもずっと明るい室内の光に、二人は目を瞬かせる。
直後、能天気な明るい声が飛んできた。

「アルノ!」

アルノは一瞬で、その声の持ち主を悟り、嫌な顔をした。

ゼインはすぐに地面に視線を走らせ、ここにいるはずのない第三者の足跡を確かめた。
すぐに正体が判明し、全く面倒なことになったと眉をひそめる。

「おかえり、アルノ!」

室内の灯りに目が慣れてきて、二人は家に入った。

「ニルド?!何をしているの?」

ニルドが食卓の向こうから、アルノに手を振っている。

「町に立ち寄った時に、ロタ村の仲間達から聞いたんだ。城を建ててくれるんだろう?冗談じゃないかと思って、確かめにきたんだ」

アルノは脱力し、向かいの椅子を引っ張り出して腰を落とした。

「なんで突然来るのよ」

苦労して建てた城に、ニルドとその花嫁が来るなんて、本当は心底嫌なのだ。
どうしても不機嫌な顔になってしまう。

「ハンナに聞いたんだが、俺が城を建てる話になっていて驚いた。だから、お前が建ててくれるのだと訂正しおいたぞ」

「ど、どうして?!だって、あのなんとか姫にあなたが建てたって言った方が良くない?私が建てた城だって婚約者に言っても大丈夫なの?」

ニルドは何の話をしているのかと屈託なく笑った。

「当然だ。俺達はお前が建てた家の居候だ。それぐらいはわきまえている。まさかと思ったが、じゃあ、やっぱり城を建ててくれるという話は本当だったのか。クシール様から今、話を聞いたばかりで、君の友情に心から感動していたんだ。持つべきものは友達だな」

友達という言葉が、ぐさぐさとアルノの心に刺さったが、否定することも出来ない。
私は恋人だと思っていると言ったところで、脳内で関係を深めてきた痛い女であることが、知られてしまうだけのことだ。あまりにも惨めで、悲しすぎる。

「いやぁ。困っていたんだ。早く結婚して家を出たいと訴えられていて、彼女の気持ちもわかるが、俺の屋敷は空っぽで何も無いんだ。それに、彼女の別荘より小さい。どうやって現実をわかってもらおうかと困り果てていた」

「この間も同じようなことを言っていたじゃない。何も進展していないのね」

ニルドが椅子を立ち、ぐるりとテーブルを回ってアルノの横にきた。

「アルノ、本当にありがとう」

深々とニルドが頭を下げる。

「俺の……ために無理をさせただろう?」

「そ、そんなの……」

耳まで熱くなり、アルノはその顔を見られまいと横を向く。
そこに、ゼインが割り込んだ。
アルノを抱き寄せ、ニルドから離れた椅子に移動させる。

ニルドが大袈裟な動作で、床に両膝をついた。

「ゼイン様にもお礼申し上げます!その、ゼイン様の婚約者であるアルノに、友達だからと、気軽に城なんてものを頼んでしまって、図々しいことをしたと後悔していました。ゼイン様のお力添えがあってのことだと思います。心から感謝いたします」

ずいぶん仰々しいお礼の仕方だとアルノは驚いたが、ゼインは騎士階級でいえば、ニルドのはるか上におり、ニルドもどうお礼を言っていいのかわからなかったのだ。

「私達も住むのだから構いません。さあ、立ってください」

澄ました顔でゼインは言ったが、アルノは嫌な顔になった。

アルノに借金を負わせることに成功したクシールとゼインは、当然城を注文したニルドに感謝しているはずだ。

借金を払わず、アルノが逃げようとすれば、ニルドに代金を請求すると脅しに使えるし、城を豪華にすれば借金も増え、アルノは家出をしている暇もなく働かなければならなくなる。

「一緒に住めるなんて、最高です!なぁ、アルノ、一つ屋根の下で、家族ぐるみの付き合いが出来るぞ!」

アルノはこれ以上ないぐらい嫌な顔をした。
それだけは絶対に阻止したいが、部屋が離れていても、ニルドのことだから、ずかずか遊びに来るに違いない。

「残念ですが、そう頻繁には会えないかもしれません。私達は贅沢を禁じられているので、部屋は少し離れています」

ゼインがさりげなく助け舟を出す。
もう契約は破棄すると啖呵を切ったはずのアルノだったが、仕方なくゼインにすがった。

「そうね!残念だけど、貴族のお嬢様とは会う機会はあまりないかも。それより、お風呂に入ってくる。
もうへとへとなの。仕事帰りだから」

すかさずゼインがアルノの手を取って立ち上がらせる。

「用意はしておきましたよ」

クシールが着替えとタオルを一式腕に抱え、準備万端の構えで裏口の前に立った。
流れるように、ゼインがアルノの腰を抱いて歩き出す。
ニルドの横を得意げな顔で通り抜けると、アルノは少しだけつま先立ちになった。

「ニルドの前だけよ。あんまりにも惨めだから……」

「わかっている」

聞こえないぐらいのアルノの小さな声に、ゼインも同じぐらいの声量で答えた。



翌朝、アルノは朝から仕事を始め、ニルドは少しでもお礼がしたいと森に狩りに出た。
ゼインは周辺の見回りと訓練に出かけ、クシールはテーブルに向かい、城を建てるための書類を作っていた。

クシールは、時折出窓の方に視線を向け、朝から変わらぬ集中力でペンを走らせているアルノの様子を観察した。

少し寝不足であるクシールは、集中力を切らさないアルノの姿勢に感心し、ついにペンを置いた。

昨夜のことを思い出す。

皆が寝静まった真夜中、壁に何かが激突するような音がして、クシールとゼインは飛び起きたのだ。
寝室から飛び出してきたゼインは、台所でクシールと顔を合わせ、原因がわかっている様子で小さなため息をついた。

灯りを持って暖炉前に行くと、ニルドがイノシシでも追いかけているかのように転がっており、また壁に激突し、家を震わせるほどの音が響いた。

クシールは本当にニルドが寝ているのか確かめようとしたが、その肩をゼインが掴み、首を横に振った。

「以前、ニルドがここに泊った時も、こんな感じでした。アルノは大丈夫です。絶対に起きません」

「まさか……」

二人はニルドがぶつかりそうな場所に音が立たないように、藁布団を移動させ、アルノの寝ている寝室に向かった。
そこには、死体のように動かず、ひたすら眠りの世界に埋没しているようなアルノの姿があったのだ。

アルノの契約師としての腕の良さは、この集中力にあるのではないかとクシールは密かに考えた。

死ぬほど嫌っている仕事なのに、アルノが仕事で手を抜いている姿は見たことがない。

ふと、ニルドとアルノの関係についてもクシールは考えた。
不思議なことに、ニルドはアルノの恋心に全く気が付いている様子がない。

城を建てるとアルノが決意した時、たいした専属世話人ではないかとニルドのことを皮肉交じりに考えた。
アルノの好意に付け込み、ニルドがねだったのだと思ったからだ。

しかし、そんな悪意は昨夜のニルドからは、微塵も感じられなかった。
単純明快で、まさに田舎育ちの純朴な青年だ。

アルノがわざわざ、ニルドが見栄を張れるように、自分が城を建てることを隠しておいたというのに、ニルドはアルノが建てるのだと、さっさと仲間に明かしてしまった。

アルノの幸せを願っていないわけでもないようで、二人の結婚式にはぜひ呼んでくれと熱心にアルノに頼んでいた。もちろん、アルノは心底嫌そうな顔で、青ざめていた。

友達以上だが、恋人にはならない微妙な位置にいるニルドの考えは予測不能だ。
あるいは、本当に裏がないのかもしれない。
その純粋さにアルノが惹かれているのだとしたら、それは少し危険かもしれないとクシールは考えた。

ゼインはニルドと真逆の人間であり、本心を常に隠している。ゼインとアルノが距離を縮めるためには、ニルドは邪魔な存在だ。
さあどうしたものかと、クシールは顎に指を沿え、静かに考え始めた。



その日、一番先に帰ってきたのはゼインで、すぐに家の仕事にとりかかった。
それから、夕暮れ前にニルドが宣言通り、巨大な羽鹿を取ってきた。
ゼインが手伝い、裏庭で肉の処理が始まると、クシールは夕食用の肉をもらうため、鍋を持って裏庭に出た。

男三人で風呂や夕食の準備を終えた頃、外はすっかり暗くなっていた。

その間、黙々と契約紙を作っていたアルノは、ようやく暇になった男達が見守る前で、慎重にペンを手放した。
クシールが机に近づき、完成した契約紙の具合を確かめた。

「良い仕上がりですね……」

クシールが感嘆の声をもらす。

「仕えるかいがありますね。これほどの良い仕事を見せてもらえると」

ゼインも後ろからその完成度を確かめた。
ニルドは初めてアルノの仕事を間近に見て、感動したように目を潤ませた。

「アルノ!すごくきれいだよ!こんなことをしていたのか。もっと早く見せてくれたら良かったのに!」

どこまでも騒がしい男に、ゼインとクシールは片頬を引きつらせたが、アルノは気の毒なぐらい顔を赤くした。

ニルドの発言した「きれい」という言葉に反応したのだとゼインとクシールは気が付いたが、ニルドは全く気付いている様子もなく、赤くなっているアルノに背後から抱き着いた。

「君の努力の結晶だな。子供の頃から、君は本当に頑張っていたから」

ニルドに褒められ、アルノは喜んでいないふりをしようとして、見事に失敗していた。
込み上げる笑みを残したまま、不機嫌な顔をしようとしたのだ。

「アルノ!どうした?面白い顔になっているぞ!」

アルノの顔を覗き込んだニルドが爆笑し、アルノは逃げるように椅子を立って、寝室に走り去った。

仕方なくゼインが追いかけた。
寝室に入り、ベッドに突っ伏しているアルノの背中にそっと手を添える。

「アルノ、彼は少し無神経なところがあるな。君の顔はおかしくない」

「わざわざ、言わなくて良い!」

アルノは叫ぶと、またベッドに突っ伏した。

「こうしていたら、ばれない?」

ニルドに好意があることを気づかれたくないのだと思うが、周囲にその恋心はばればれであり、これから元ロタ村の住人たちがやってくるとなると、その恋心はさらに公の場に晒されることになる。
さすがに心配になり、ゼインは優しくアルノの背中を撫でた。

「本当に私に恋をしてみては?」

はっとしたようにアルノが顔をあげた。

唐突にアルノはイアンのことを思い出した。
大本命のニルドの登場により、本物の愛が生まれるかもしれないとまで考えていたイアンの存在が脳内から消し飛んでいたのだ。
しかしニルドには婚約者がいるし、脈無しだ。

こうなったら、イアンをなんとしてでも手に入れなければならない。

「それは無理よ。でも、明日町に行く。ハンナが村を離れた人たちに声をかけてくれているはずなの。仕事が欲しい人がどのぐらい集まったのか確認してくる」

「じゃあ、一緒に行こう」

「駄目よ!ニルドも明日帰ると言っていたから、ニルドに町に送ってもらう」

ニルドと二人きりになりたいのだとゼインは考えた。
偽の恋人としては阻止したいところだったが、あのニルドであれば、恋に発展することは、確実にないだろうと考えた。今は、アルノに嫌われないことの方が大切だ。

「わかった。ならば、帰りは迎えに行くよ」

ほっとした様子のアルノを抱きしめたゼインは、壁に激突していたニルドのことを思い出し、今夜もニルドがこの家に泊るのかと、憂鬱な気持ちで考えた。


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