精霊の森に魅入られて

丸井竹

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18.声をかけられた女

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切り裂くような冷たい風を全身で受けながら、アルノはクシールとゼインが話している姿を思い出していた。
二人が会話を始めると、アルノはまるで空気になったような気分になる。

自分は二人の仲間じゃないと改めて突きつけられているようで、面白くないし、そんな幼稚な自分の気持ちにも気づいてしまうため、意地を張ってそうではないと見せなければならなくなる。

クシールとゼインには幼少時代から培ってきた、誰にも入り込めない強い絆がある。
そこに加わろうなんて、無理に決まっているし、その気にもならない。

だけど、少しだけ、やはりもやもやするのだ。

アルノにとって、一番付き合いの長いクシールは、胡散臭いし、信用できないし、アルノを山に縛り付ける為、言うことが二転三転することがある。
ロタ村の住人が町に移住する時は、冬の間だけでも町に住んではどうかと言われたが、今ではアルノは山にいるのが当然だといった顔で話を進めている。

クシールは、アルノを仕事から逃げられない状態にしておくことが目的であり、そのための手段をいつも探しているのだ。
城をことさらに豪華に建てようとしているのも、借金を増やし、アルノを仕事に縛り付けるためだ。
それはゼインも同じであり、友達と言いながらも、アルノを馬車馬のように働かせたがっている。
二人は共通の目的をもって仕事をしているのであるから、その絆はいっそう強まっているに違いない。

都合よく使われているようで、腹が立つが、もし契約師として腕が落ちれば、あっさり捨てられてしまうかもしれないと考えると、それも不安になる。

信頼できるとは言えないが、ゼインもクシールも、アルノが良い契約師であれば守ってくれるし、ゼインも上辺ばかりだったとしても、友達でいてくれる。

「何も知らないお人形のふりが一番楽よね。どうせ私が出来る事と言えば、子供のころから叩き込まれてきた契約紙を作ることだけ。結局、クシールに踊らされる生き方しか出来ないんだから」

その全てを捨てようと思ったのは、ニルドが迎えにきた時だけだ。
実際、荷づくりまでして家を出た。

今度こそクシールにも捕まえられないだろうと思ったのに、町に到着した途端、夢も希望も儚く消え、契約師という仕事で繋がる人間関係しか、自分には残らなかった。

「はぁぁ……」

考え事をしていても、アルノを乗せたそりは絶対に転ばない。

精霊に愛されているからだと言われるが、見たことも話したこともない存在を信じることは難しい。
それに、清らかな心を持っていなくても、良質な契約紙を作ることが出来る。

何もかもが不確で、曖昧なことばかりだ。
この世界に、信じられるものなど、存在するのだろうかとアルノは考えた。

契約師ではない、ただのアルノを好きだと言ってくれるのはニルドぐらいだが、ニルドだってアルノに何も言わずに、ある日、突然村から去ってしまった。
ずっと傍にいてくれると思っていたのに、裏切られたのだ。

虚しいため息をついていると、そりは少しずつ減速し、雪が少なくなってきたところで丁度よく停止した。
そこは町に続く道の上で、乾いた地面や砂利が覗き、苔のように緑の植物まで生えてきていた。

幾分寒さも和らぎ、アルノは外套の前を開けて、風を気持ちよく感じながら歩きだした。

トラスの門の前では、相変わらず暇そうな門番たちが、詰め所の脇に張られたテントの中で、火にあたりながらおしゃべりをしている。

その前を、通行人がさっさと横切っていく。
何のための門番なのだろうかと思いながら、アルノはそこを通過し、門をくぐった。

雪解けの始まった路面は荒れており、馬車が通るたびに、泥水が跳ね上がる。

水たまりに気を付けて、アルノは道の端を歩く。
道幅が広くなり、露店は消えて商店街に入った。

「いらっしゃい!いらっしゃい!ハーツ鳥の煮物が絶品だよ!お昼がまだの人はぜひ寄っていって!」

聞き覚えのある声に視線を向けると、そこに呼び込みをしているハンナの姿があった。
食堂の前で、前よりも自信にあふれた様子で、声を張り上げ働いている。

作り物の笑顔をふりまき、客寄せをしているハンナはアルノの存在に気づいた様子もなく、客の一人を捕まえ、感じ良く店に誘った。

新しい服を身に着け、編んだ髪をリボンで飾り、化粧までして、すっかり町に馴染んでいる。
うっかり、アルノは自分の姿を見下ろした。

櫛一つ通していない髪はかろうじて後ろでしばっていたが、後はもう救いようがない。

今更どうしようもなく、顔をあげると、客を案内し終えたハンナとぱっと目があった。
一瞬、驚いたような顔をしたハンナは、渋々といった様子で近づいてくる。

「アルノじゃない。何?何か物入り?」

声は尖っているが、前ほど嫌な感じではない。
アルノはポケットからクシールに渡された紙を取り出し、ハンナに突き出した。

「何?人数に……仕事?これは何て読むの?」

紙を覗き込んだハンナの言葉に、アルノは突き出した紙を見る。
アルノは契約師になるため、分厚い書物を丸暗記しなければならなかったため、大抵の文字は読める。
なんだったら、簡単な精霊言語さえも書ける。

しかし、ハンナは村の教会で教わった字しか読めない。
仕方なく、アルノが説明する。

「お城を建てるの。それで、工事が始まるから、誰か手伝いに来られないかと思って。
無理に来なくてもいいのだけど、お給金はここに書いてある。一日これぐらいね。
工期がここ、ええと半年……」

書かれている文章を読んでいたアルノが、突然大きな声を上げた。

「半年なの?!」

ハンナが周りをうかがいながら、ちょっと他人のふりをしようと後ずさる。
周囲の視線が、一瞬二人の方に向いたが、すぐにまたいつもの喧騒が戻ってくる。

「知らなかったの?じゃあ、誰が書いたのよ、この紙」

「私のわけがないじゃない。私はただ……」

支払いをするだけの立場だとも言えず、口ごもる。

「ニルドが……婚約者を連れてくると言うから……」

さらに驚いてハンナが目を丸くする。

「じゃあ、ニルドがお城を建てるの?婚約者のために?すごいじゃない!」

「え……いや、そうじゃなくて……」

否定しかけたアルノはまた口ごもる。
アルノが建ててあげた城に、ニルドと花嫁が居候にくるなんて、あまり自慢の出来る話ではない。

ニルドの顔を立てて、ニルドが建てたことにしてあげた方がいいのか、それとも後でばれたほうが恥をかいてしまうのか。
その前に、アルノが建てた城にニルドと花嫁がくる理由をどう説明したらいいのかもわからない。

ニルドの奇想天外な思い付きをゼインが増長させ、これ幸いとクシールが便乗し、いろいろとややこしい事態に発展している。
考えるのも面倒になり黙ったアルノの横で、ハンナは勘違いしたまま話を続ける。

「すごい出世ね。アルノ、もうきっぱりニルドのことは諦めることね。もうニルドは別世界の人なのよ。貴族令嬢とだって結婚できると言ったでしょう?
やっぱりね。あーあー。私だって夢を見たかったけど、もう無理ね。願わくば、その婚約者の侍女とか、お城とかで雇ってくれないかなぁ。実は、もらった農地が全然よくなくて、もう放牧に切り替えようかと話しが出ているのよ。でも、本当はそれもうまくいかないことがわかっていて……ねぇ、アルノ!ニルドに話してみてくれない?」

この上、従業員が増えることになれば、アルノの借金は膨れ上がることになる。
しかしお城の管理をする人も確かに必要だ。
設計図によれば、アルノの部屋は城の中ではなく外に面した厨房のすぐ隣だ。

となれば、ニルドと婚約者が引っ越してきて城に住み始めたら、城で働く誰もが城の主人はニルド達だと思うだろう。支払いは誰だとか、話しておく必要があるだろうか。

「私の口からは詳しいことは言えない。お城に来てニルドに直接頼んでみたら?だってニルドは貴族じゃないんだから、気軽に話せるでしょう?」

もう説明はニルドに丸投げしようとアルノは決めた。
ハンナは、身震いして首を傾ける。

「貴族でしょう?奥さんが貴族なのだから!貴族に平民が質問する時ってどうやればいいの?」

「ニルドはニルドよ。別に話しがあると言えば会うぐらいできるでしょう?とにかく、ロタ村を離れた人達に、この仕事を引き受ける気があるかどうか聞いてみてよ。誰もいなければ他に探さないといけないのだから」

「受けるに決まっている!待っていて、皆に伝えてくる」

「待たない。もう帰るから……」

後ろを向いて、引き返そうとするアルノの手首をハンナが咄嗟に掴んだ。

「今から戻ったら夜中になる。夜道は危険じゃない?」

「平気よ。真夜中に帰ったことだってあるんだから」

それも、ニルドについてほいほい町に出てきた、その日の夜のことだ。

「アルノ、仕事はいつから?いつ行けばいいの!」

「いつでも良い。泊まる家もあるし、春前なら大丈夫。実際の指示はクシールからあると思うから、村に到着したらうちに来て」

「クシール様?あの素敵な僧侶様?!なるほどね、そのつてでニルドはあんたに城を建ててほしいと頼んだのね。もしかして、あの方って、教会のすごい偉い人なの?僧侶様じゃなければ結婚出来るのに!」

顔さえ良ければ結婚相手は誰でもいいのかと、アルノは呆れたが、ハンナの手を振りほどいて歩き出した。

「ねぇ、アルノ!一緒に人を集めにいかない?」

ハンナの声が追ってきたが、アルノは完全に無視した。
仕事は頼んだが、ロタ村の人たちに好意は抱けない。

彼らの目を見ると、辛かった幼少時代を思い出すし、助けてくれなかった恨みもある。
さらに家と仕事を簡単に捨てて、町に逃げた彼らを、羨ましく思わなかったわけじゃない。

仕事を捨てられないアルノは、森に縛り付けられている。

ハンナの声を振り切るように、アルノは一目散に商店街を抜け、市場を通り門まで戻ってきた。
さっさと、ノーラ山の登り口が見える門を潜り抜ける。

「あんた」

見知らぬ声に驚いて振り返ると、詰め所の隣に張られたテントから、門番が一人出てくるところだった。

「あの……何か?」

他の門番たちは相変わらず焚火を囲み、おしゃべりしている。
なぜこの男だけ近づいてくるのかわからず、アルノは警戒して後ろに下がった。

「ついさっき、山から下りてきただろう?恋人に会いにきたのか?」

「まさか!ノーラ山を下りた村の人にちょっと用があって来ただけよ……」

男がほっとしたように笑った。
その人懐っこい笑顔に、アルノの警戒心がふっと緩んだ。

「この間も見かけて、声をかけたいと思っていた。その、良ければ食事でもどうかな?」

きょとんとしたアルノは、急いで自分の右腕を左手でつねった。
驚き過ぎて痛みもない。

「わ、私と?」

男は片手で栗色の髪をかきあげ、照れたように視線を逸らした。

「その、可愛いなと思って」

急にアルノは手櫛で自分の髪を撫でつけた。

「俺はイアン、君は?」

差し出された手を、アルノは震えながら握った。

「アルノ……。あ、あの……」

「これからどう?その……食事に行かない?アルノ」

その手をアルノは両手で握った。
必死の形相で見上げ、イアンを逃すまいと身を乗り出す。

「ねぇ、五日後、五日後で良い?必ずここにまた来るから。その時、出かけましょう?仕事があって、どうしても山に戻らないといけないから」

「五日後?わかった。でも雪山に登るのか?もう暗くなるぞ、危険な時間帯だ」

「乗り物があるから大丈夫」

アルノは伸びあがって、イアンの顔をじっくりと見た。
明るい茶色い目の下に、そばかすが散っている。
どこにでもいる純朴そうな青年で、胡散臭いクシールや料金が発生する偽りの恋人のゼイン、裏切り者のニルドと違って、とても好感が持てる。

ぱっと体を離し、匂っただろうかと、心配するようにアルノは自分の袖の匂いを嗅いだ。
それからさらに距離を取る。

「イアン、声をかけてくれてありがとう。五日後ね!」

五日後に本当に来るのだろうかと疑うような眼差しで、イアンはアルノを見返し、仕方ないというように軽く微笑むと、手を振った。

「またな。待っているから!」

大きく息を吸い込み、アルノはイアンに背を向け、満面の笑みで、なだらかな斜面を駆けだした。



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