精霊の森に魅入られて

丸井竹

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16.本当の体

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ずぶぬれで戻ってきたゼインを、クシールはからかってやろうかと口を開きかけ、表情を戻した。
思ったよりも深刻な様子で、濡れた服を脱いで、全裸のまま暖炉の前の椅子に座る。
クシールは黙って台所に行き、水差しの水をグラスに注ぎ入れ運んできた。

「苦戦していますね」

「そうですね……。近づくたびに跳ねのけられる。私にもその原因があります」

「あなたに?」

「ええ……。きっと彼女には私の姿は魚を釣り上げる餌程度にしか見えていない」

「美しさが通用しませんか?あなたは武器のようにそれを磨いてきたはず」

そうだろうかと、ゼインは自嘲し、渡された水を飲み干すと、暖炉の炎に目を向ける。
いくら美しい顔でも、子供の前では意味がない。
アルノは一人前の女になりきれていない。しかも完全な子供でもない。

「クシール様、あなたの要望に応えられなければ、私は自分に失望するだろう」

ここで実績を上げられなければ、契約師を選択する権利を失ってしまう。

身分の無い孤児から出世した聖騎士は、階級で言えば一番下になる。
上層部の貴族たちに体を売り、なんとか階級を上げてもらったとしても、いつまで経っても、体を売るばかりの階級に留まることになる。歳をとれば坂道を転がり落ちるだけだ。

優れた契約師を育てた専属世話人には、それにふさわしい階級が与えられる。
中央教会の最深部に潜入するのであれば、王の後ろ盾も必要だ。

大神官の護衛騎士に選ばれなければ、王のもとには近づけない。
腐りきった教会内部を破壊し尽くすには王国の力が必要だ。

結婚を許される階級にあがれば、王室とのつながりも作れる。
今、そこに一番近づいているのはクシールだ。

アルノが成長すれば、そこにクシールを連れて行ける。
そんな友を助けに来たのに、ゼインはまだ何も成し遂げていない。

「ゼイン様、今回の契約紙は見事な出来でした。あなたを呼ばなければ、完成しなかったかもしれない」

「しかし、私は何もしていない」

「私は楽をさせてもらっています。離れている間、また家出をしていないかと心配しなくても済んでいます。警戒心の強い獣には、時間をかけて近づく必要があります」

心を落ち着かせ、ゼインは今まで見てきたアルノの姿を思い出した。
クシールは淡々と語る。

「ゼイン様、私は焦っていました。彼女は、ずっと私を警戒しています。契約師を止めた途端に離れていくような人に、心を開く必要はないと思っています。
確かにその通りなので、うまく扱えれば良いと考えてきましたが、彼女はそうした関係を割り切れるほど大人ではない。
純粋な子供の部分を捨てきれず、もがいている。残念なことに、相反するように彼女には成熟した特別な才能がある。
森に入れば、彼女は精霊の加護のおかげでいつまでも生きていける。ここに戻りたくないと思えば、彼女は消えてしまえるのです」

アルノは警戒心の強い、手負いの獣と同じだ。
周りを全て敵だと決めつけている。
なぜここに留まっているのか、アルノ自身にもわからないのだ。

ゼインは立ち上がり、空になったグラスをクシールに押し付けた。
それから壁にかかっている上掛けを掴むと再び裏口から外に出た。
まっすぐに浴室に向かい、湯気の中をかきわけ、お湯の中に座り込んでいるアルノを抱き上げる。

「え?!ゼイン?」

驚くアルノを上掛けで包み、ゼインはアルノを灯りのこぼれる窓の下まで連れていった。
そこに下ろし、ゼインは全裸のまま正面に立った。

アルノは分厚い上掛けを胸元に引き寄せ、窓灯りに照らし出されたゼインの裸身を不審な目で見た。
ゼインが何かを唱えた。

ぼっと何かが燃える音がして、ゼインの体に無数の傷が浮かび上がる。

「仕事柄、傷は隠しています。私もクシール様も教会に捨てられ、容姿で選別された子供でした。アルノさん、私達は契約を結ぶ間柄ですが、それ以前に、友人になりませんか?
あなたの怒りや悲しみが、私にはよくわかります。でも、私はあなたとは違う。
戦い、復讐したいと望んでいます。力を貸してもらいたい」

アルノは、美しい裸身に突然現れた、恐ろしい形状の傷の数々をじっと見つめた。
それは壮絶なゼインの過去を映す、嘘偽りのない、本物のゼインの姿だった。

「本物?……」

初めて傷を受けた時は、怖かったはずだ。

「ええ。もうあなたに隠したりはしません。私にはこの道を進む理由がある。これが私の嘘偽りのない姿です」

「契約が終わっても……友達でいてくれる?」

ゼインは全裸のまま濡れた地面に膝をつき、胸の前で組み合わされているアルノの片手を強引に引き出した。

「約束しよう」

「友達は、初めてなの」

ニルドのことが頭に過ったが、友達だったのは子供の時だけだ。
今はもうどんな関係かわからない。

となれば、ゼインは大人になってから出来た、初めての友達だ。
はにかんだように微笑んだアルノの手を取り、ゼインは立ち上がった。

「契約では恋人だけど、俺たちは友人だ」

「クシールとも友達でしょう?仕事の時だけ、あんなに他人行儀な話し方をするの?」

「それには深い理由がある」

ゼインの傷だらけの体を見上げ、アルノは自然にゼインの手を握っていた。


その夜、アルノは背後からゼインに抱きしめられて眠った。
温かく心地良いと感じるのに、心に他人が入り込んでくるようで怖いとも感じていた。

ニルドとはそんな風に思ったことはなかった。

子供の頃は友達だったが、今はそうは思えないし、妄想の中では間違いなく、恋人であり、夫にまでなったが、現実では意味のない話だ。

そういえばと、町でハンナに家に泊めてもらったことを思い出した。
村の人は友達とは言えないが、顔見知り程度の関係とはいえる。

クシールとゼインはきっとすごく仲が良い。
仕事仲間である前に友人だからだ。

「ゼイン」

「どうした?」

すぐに応えがあり、アルノは驚いた。

「寝ていなかったの?」

「気配で目が覚める。訓練のたまものだ。何か心配事か?」

その声は刃物のように鋭く、どこか暗い影を帯びている。
偽っている時は穏やかで明るい声音に聞こえていたが、今は真逆の印象だ。

とてもアルノに媚びて誘惑しようとしている男の声ではない。しかしその方がアルノは安心した。

「明日、一緒に森に行かない?本当の姿を教えてくれたから、私も、私の秘密の場所を教えてあげる」

「良いのか?契約師が森で見つけた場所は、その契約師だけのものだと教わった」

「そうよ。だから私が案内してあげる」

「精霊の怒りを買うようなことがないか、クシールに相談しておく。君の腕が落ちたら、俺のせいになる」

「大丈夫よ。腕の良い契約師になるための条件のほとんどは迷信だと思う。だって、一つも私にあてはまらない気がするもの」

「俺も……神なんて信じたことはない」

聖職者らしからぬ言葉だったが、その深く沈んだ声は、直接心に響いてくるようで、アルノはやはり安心した。

「良かった。同じね……」

眠そうなその声に、ゼインは答えを返さなかった。




心地良く目覚めたアルノをクシールが待っていた。
契約紙を回収したのに、まだ帰らないつもりらしく、大きな紙を食卓いっぱいに広げていた。
そこに、巨大な城が描かれている。

「何、それ?」

嫌な予感に顔をひきつらせたアルノの腰を、さりげなくゼインが抱き寄せ、テーブルに近づく。

「アルノさんのお城です。徹夜で描き上げました」

城はこのノーラ山の中腹から山頂にかけて描かれており、荘厳な雰囲気をもちながらも、敵を威嚇する要塞のような外観だった。

「なんだか……すごく強そうなお城に見えるけど?ここで戦うわけじゃないよね?」

「もちろんです。ですが、どうせ作るなら頑強でアルノさんの実力に見合った立派なものでないと」

嫌な予感がして、アルノは想像以上に豪華なその城の絵をじっと見た。

「お城を建てるための費用は最低金貨五百枚と言っていたけど、これって五百枚で済むの?」

あまりにも大きすぎないだろうかと、不安になる。

「五百枚では外観も出来ないでしょうね。部屋は二百以上ありますし、中庭には町のような建物を配置しています。厩舎や庭園、農園まであります。険しい山の中腹なので、温室や土壌改良した土地を確保するのに、特別な作業が必要ですし、内装を質素にしたとしても倍以上は……」

「ちょ、ちょっと!そんなの買えるわけがないじゃない!一生働いても返せない!」

「ですが、国境からもよく見えますよ。光を受けると、この尖塔部分が星のように輝きます。ここにも篝火を置く見張り台を置きます。それから、門は三重にします。自然の景観を壊さないように、山に食い込むような形にしますから、洞窟を掘る必要があります。
森に影が出来るのもよくありません。精霊たちの住まいを壊さないように考えましたが、もし考えに反するところがあれば、建設中に変化があるはずです」

「そ、そんな!だいたい、勝手にこんな大きなお城を建ててしまって良いの?国の偉い人だって怒るんじゃない?」

「もちろん、届は出しますが、ここは既にアルノさんの契約地です。国の燃料補給基地と言っても過言ではありません」

「ざ、材料は?ここまで運ぶとお金が……」

「だから山の地形を利用します。山の形に沿って、城を被せるような形になります。中身はくり抜き、出てきた岩盤を材料にして外観を仕上げます」

「そ、それにしたって、そんな大掛かりなこと……。一番小さくて、安いお城で良いのに!」

「大丈夫です。審査会で優勝すれば、きっと報酬もあがります」

「上がってから考えてよ!」

仲が良さそうな二人のやりとりを聞いていたゼインは、アルノを後ろから抱きしめ、その髪に鼻を埋めた。

「クシール様に任せよう。報酬の管理も彼がしっかりやってくれるはずだし、何かあれば全て彼の責任だ」

「そうなの?でも私の借金でしょう?」

「大丈夫。今まで通り仕事をこなせば、いつか終わりますし、お金を返せなければ、私が首をくくります」

クシールの言葉に、ぎょっとしてアルノは憎たらしそうに睨みつけた。
それは単なる脅しだ。

「そんな言い方、卑怯よ!だいたい、こんな大きなお城、贅沢よ。欲はいけないのでしょう?」

「もちろん、いけません。ですから、部屋は質素に作ります。それからアルノさんは、森に一番近い外側の厨房脇の部屋になります。もちろん、仕事がしやすければ、こちらを利用しても構いませんよ」

「それって……私が借金までして建てた家に、私は住めないと聞こえるのだけど」

「そんなことはありません。ですが、アルノさんは一年の半分以上は森にこもっているはずですから」

もう全てが決まっているかのように淡々と計画を話し始めたクシールに反論する気もなくなり、アルノはくるりと背を向ける。
壁から分厚い防寒具を取り上げ、袖を通す。

「ニルドとお嫁さんが住むだけのお城ということね。もう知らない。でも、もし人手がいるならロタ村の人たちを雇ってあげて。町の生活は大変みたいなの。どうせ私が稼いでも使い道もないしね」

家を出ていこうとするアルノのために、ゼインが扉を開けた。
ゼインも既に装備を整え、毛皮を裏打ちしたマントの上から、立派な大剣を背負っている。

「少し出てくるから」

「お気をつけて」

不機嫌な顔でゼインと一緒に出て行くアルノを、クシールはにこやかに手を振って見送った。





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