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11.野心を持つ二人
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昨夜ぐちぐち不満を並べていたニルドは、一転して爽やかな表情で、大きな荷物を背負い込んで戸口に立っていた。
「世話になったアルノ。俺のために苦労させてしまって申し訳ないが、ぜひ大きめの城で頼む」
「は?!」
「ああああ、すまない。無理はしないでいいぞ。ええと、出来たらで良いから。少しなら俺も送金出来るぞ。そうだ。町で家を借りなくてもいいなら、その分の金を送るよ」
「いらない!私一人で十分だから!」
ニルドの頭の中では、もうアルノが城を建ててイライザ姫を招待することになっているのだ。
「城は無理でも、なるべく大きな屋敷で頼む」
「だから、なんであんたのために!」
「楽しいと思わないか?家族ぐるみで付き合える」
あろうことか、ニルドの脳内では、もう家族ぐるみの生活まで始まっている。
なんておめでたい男なのかとアルノは呆れ果て、頬をひきつらせるが、自分も脳内でこの男と結婚、子育て、さらには熟年夫婦になるまで淫らなことをやりまくってきたのだと思うと、なんとも複雑な心境に陥る。
奥の寝室から、少し寝不足気味のゼインが出てきた。
小さく欠伸をしながらアルノの後ろに近づく。
すぐにニルドは背筋を伸ばし、直角にお辞儀をした。
「ゼイン様、大変お世話になりました。アルノをよろしくお願いします。気は強いし頑固だし、少々ひねくれていますが、優しい友人です。その、初対面でありながら親切にして頂き、ありがとうございました。イライザ姫にここに来てみないかと誘ってみます」
ゼインはよく寝た様子のニルドをまじまじと見て、ほっと肩の力を抜くと、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。
「良い返事が得られることを願っています」
「ありがとうございます!」
アルノは内心で冗談じゃないと、また毒づいた。
婚約者がいると知っただけでもショックだったのに、その相手が貴族令嬢で、さらに婚約して結婚までしてしまったら、もう今度こそ立ち直れない。
まだ未練があるのか、それとも脳内の妄想に縛られているだけなのか、アルノにはわからない。
ちらりとアルノはニルドの逞しい肩や腕、それから腰回りに視線を向けた。
一緒に木登りをした時には、既にその逞しさの片鱗があり、大きな腕でアルノを枝の上でしっかり抱いていてくれた。
川に飛び込んだ時も、凍えそうに寒かったのに、ニルドに掴まれた手は温かく、とても頼もしく感じたのだ。
会えなくなってもアルノは妄想の中でニルドと愛し合ってきたが、妄想の中で何百回体を重ねても、本物の婚約者には永遠に勝てないと思い知らされる結果となった。
「はぁ……」
「アルノ、ゼイン様に愛想をつかされないように、しっかりやれよ!」
恨めしそうにニルドを睨み、アルノはふんっと鼻を鳴らした。
遠ざかっていくニルドの背中を未練たらしく見送りながら、アルノはまたしても深いため息をついた。
「アルノさん?」
優しいゼインの声に振り返り、アルノはその完璧な美貌を虚しく見上げる。
「ゼイン……」
「はい?」
「なんで余計なことを言うのよ。イライザ姫が本当にここに来たら、恨んでやるから!」
「え?どうしてですか?ニルドさんはご友人ですよね?ご友人の幸せは応援してさしあげなければ」
絶対にアルノの恋心に気づいているはずなのに、全く白々しい台詞だったが、偽物の恋人を前にしては、それ以上の文句も言えない。
「私、もう森に入るから」
「わかりました。いってらっしゃいませ」
空は灰色で地面は深い雪に覆われている。
精霊に愛されていようと、寒いものは寒いし、飢えればひもじい思いをすることになる。
過酷な環境で、なんとか生き延び、マカの実を宣誓液にしなければならない。
「精霊に愛されているのではなくて、遊ばれている気がする」
「滅多なことを言ってはいけません」
嗜められ、アルノはまた大きなため息をつくと、のろのろと森に向かって歩き出した。
その背中が森の木立に消えるまで、ゼインは戸口から見送っていた。
――
雪に埋もれた集落の一角から、一筋の煙が灰色の空に向かって登っていく。
雪道を白い息を吐きながら登ってきたクシールは、足を止め、ほっと息をついた。
ゼインに後を任せてから一カ月が過ぎている。
その間、一度もゼインから知らせがなく、契約紙を届けに来ることもなかった。
さすがに様子を見に行かないわけにはいかないと思い、山を登ってきたのだ。
重いブーツに包まれた足を持ち上げ、杖を突きながら一歩踏み出すと、急に道が歩きやすくなった。
荷物を載せ引っ張ってきたそりも、滑らかに動き出す。
道が平らに踏み固められ、雪避けの精霊言語が使われている。
契約紙の効果だった。
ゼインがここまで毎日見回っている証だ。
雪に埋まった家々の間を抜けていくと、ようやく前方に木造の平屋が見えてきた。
よく手入れされた家周りに安堵して、クシールは声をあげた。
「ゼイン様!」
すぐに扉が開いて、ゼインが顔を出した。
その輝かしい美貌に、男のクシールでさえ見惚れてしまう。
「ああ、大変でしたね」
ゼインは薄手の服のまま外に出てくると、すかさずクシールが背負ってきた荷物を受け取り、家に引き返す。
庭先は平らに整えられ、訓練場のように、無数の靴跡がある。
軒先に、凍り付いた鳥がぶら下がっていた。
「獲物はでますか?」
「ええ、それなりに。昨日は鳥を仕留めました。それに羽鹿も見つけました。豊かな山です」
「村の住人が町に下りたため、精霊の力が増したのかもしれませんね。まぁ、正直に言えば、どれだけの効果があったのかは疑問ですが」
どんな契約師が精霊に愛されるのか、実を言えば正確な答えは見つかっていない。
優れた契約師の大半が、山や森に住みついているというだけで、そうでない優秀な契約師も存在しているし、欲のない生活が本当に良い契約紙を生み出すかどうかもわかっていないのだ。
しかし大金を手にした契約師の大半が仕事をやめてしまう。
それが欲は厳禁とされる主な理由だった。
家に入ったクシールは、やれやれと椅子に座り込み、両足を暖炉の方に投げ出した。
ゼインが荷物を壁際に置き、台所に向かう。
「お茶を入れます」
ゼインのきれいな背中を見送り、クシールは部屋を見渡した。
物がほとんどない部屋には塵一つ落ちていないし、空気も濁っていない。
暖炉には新しい薪が積まれ、窓まで磨き抜かれている。
「家事能力が高すぎやしませんか?」
「体を鍛えることと、それぐらいしか仕事がありません。アルノさんが森に入って一カ月出てこないのです。その間、何度か探しに森に入りましたが、足跡一つ見つけることは出来ませんでした」
「森で命を落とすことはないでしょう。少し安心しました。その」
「私がしくじったせいで、契約紙が作れなくなったのではないかと思いました?」
肉欲に溺れ過ぎれば、働く意欲を失ってしまう。
精神的に幼いアルノであれば、その可能性もあるとクシールは心配していた。
クシールの計画では、専属世話人を用意するのであれば、もう少しアルノが成長してからと考えていたのだ。
目の前に置かれた温かなお茶のカップを手に取り、クシールは困ったように笑った。
「アルノさんは、少々夢見がちなところがあるので、契約であることを忘れ、仕事をしなくなるのではないかと考えていました。友人もいなければ、恋人がいたこともありません。そもそも山育ちで人と関わることに慣れていないのです」
「そうですね。でも、仕事を辞める気はないようです。というより、辞められなくなったというか……。実は、一カ月前に、彼女の友人が訪ねてきたのです」
手際よく、ゼインはテーブルに山のご馳走を並べ、デザートの焼き菓子までも添えた。
「友人ですか……。友人のふりをした他人ではなく?」
二人は食事を始め、その合間に、ゼインが一カ月前の出来事について、詳細な報告を挟んだ。
最後のデザートを食べ終えた時、クシールは難解な顔で腕組みをしていた。
「お城ですか……。お手柄ではないですか。それは……素晴らしい思い付きだ。豪胆で、誰もが注目せずにはいられない作戦ですね。しかし、また欲深いものを」
「ですが、それがイライザ姫とニルドのためであり、一緒に住むとなれば、欲深いとも言えないのでは?」
「清廉な心ではいられなそうな気がしますが……」
ニルドとイライザの新婚生活を妬む気持ちに押しつぶされ、アルノは精霊の反感を買うかもしれない。
「清廉な心……。もともとあまり無いかもしれませんよ」
ゼインが何かを思い出したように笑った。
どうしたのかと、クシールが怪訝な顔をする。
「実を申しますと……。専属世話人の使用期間が終了しています」
「ああ、そういえばそうですね。結果を聞いても?」
使用期間の一カ月とは、契約師を誘惑し、仕事に縛り付けるための期間であり、本物の恋人ではなく、あくまで契約であることを教え込みながら、体の関係から抜けられないようにすることを目的とする。
性欲も欲ではないかと思うが、教会にはそうして育てた契約師を、仕事に繋ぎとめてきた歴史がある。
それ故、専属世話人という仕事が生まれ、教育機関まで充実しているのだ。
中央教会に所属する孤児院では、子供のうちに容姿別に部屋を分け、性欲を満たすための技術を学ぶ。
誰もが自分の担当契約師を、長く働かせようと苦労しているため、成績優秀な専属世話人は争奪戦になる。
契約師の腕が上がれば、それは担当僧侶の手柄にもなる。
ゼインはまさに成績優秀者で、家出癖のあるアルノに、いつか確保したいとは思っていた。
ところが、ゼインは申し訳ないと表情を曇らせた。
「まだ手しか握っていません」
「え?!」
ゼインが苦戦するとはどういうことなのかと、クシールは表情を引き締めた。
「理由をうかがっても?」
「まず、一カ月森にこもっていますし、それに、その前もなかなか誘ってもらえませんでした。もちろん、こちらから誘うような行為もしましたが、とにかく頑なで。嫌われるわけにもいきませんし、これからどうしようかと考えています」
十年も前に村から消えた初恋の相手に、ゼインが負けるとは考えられないとクシールは首を横に振る。
どれだけ執念深く、片思いを続けているのかと、クシールは疲れたため息をついた。
「彼女は子供でどこに飛んでいってしまうかわかりません。私一人では手が足りません」
しかしクシールの口調は落ち着いている。
ゼインとは死闘を生き延びた戦友でもあり、必ず道を切り開くと信じている。
「アルノさんの腕はもっとあがります。彼女を逃がすわけにはいきません。ゼイン様、本気ではなかったのでは?」
「そういうわけではありませんが……。少し自信を失っています。以前は三日に一度は相手を探し、技術を高めてきましたが、もう一カ月以上も一人寝です。こんなことは子供時代にもありませんでした」
それは少し心配になる発言だった。
「困りましたね……。もし私でもよろしければお相手しますが……女性の方が良いでしょうか?」
「……クシール様が?苦手なのでは?」
「相手がゼイン様なら別です。選り好みをしてしまう時点で、私には向いていませんでした……」
情け無さそうに弱々しく微笑んだクシールに近づき、ゼインはその顎に指を添えて上を向かせた。
「良いのですか?」
「お付き合いしますよ」
教会内では男女が同じ建物で暮らすことは禁じられている。
二人は同じクラスだったが、ゼインの成績はそこでも飛びぬけていた。
ゼインに手を取られ、クシールは椅子から立ち上がった。
共に寝室に入ると、クシールは悪魔のように微笑むゼインの前で上着を脱ぎ始めた。
「世話になったアルノ。俺のために苦労させてしまって申し訳ないが、ぜひ大きめの城で頼む」
「は?!」
「ああああ、すまない。無理はしないでいいぞ。ええと、出来たらで良いから。少しなら俺も送金出来るぞ。そうだ。町で家を借りなくてもいいなら、その分の金を送るよ」
「いらない!私一人で十分だから!」
ニルドの頭の中では、もうアルノが城を建ててイライザ姫を招待することになっているのだ。
「城は無理でも、なるべく大きな屋敷で頼む」
「だから、なんであんたのために!」
「楽しいと思わないか?家族ぐるみで付き合える」
あろうことか、ニルドの脳内では、もう家族ぐるみの生活まで始まっている。
なんておめでたい男なのかとアルノは呆れ果て、頬をひきつらせるが、自分も脳内でこの男と結婚、子育て、さらには熟年夫婦になるまで淫らなことをやりまくってきたのだと思うと、なんとも複雑な心境に陥る。
奥の寝室から、少し寝不足気味のゼインが出てきた。
小さく欠伸をしながらアルノの後ろに近づく。
すぐにニルドは背筋を伸ばし、直角にお辞儀をした。
「ゼイン様、大変お世話になりました。アルノをよろしくお願いします。気は強いし頑固だし、少々ひねくれていますが、優しい友人です。その、初対面でありながら親切にして頂き、ありがとうございました。イライザ姫にここに来てみないかと誘ってみます」
ゼインはよく寝た様子のニルドをまじまじと見て、ほっと肩の力を抜くと、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。
「良い返事が得られることを願っています」
「ありがとうございます!」
アルノは内心で冗談じゃないと、また毒づいた。
婚約者がいると知っただけでもショックだったのに、その相手が貴族令嬢で、さらに婚約して結婚までしてしまったら、もう今度こそ立ち直れない。
まだ未練があるのか、それとも脳内の妄想に縛られているだけなのか、アルノにはわからない。
ちらりとアルノはニルドの逞しい肩や腕、それから腰回りに視線を向けた。
一緒に木登りをした時には、既にその逞しさの片鱗があり、大きな腕でアルノを枝の上でしっかり抱いていてくれた。
川に飛び込んだ時も、凍えそうに寒かったのに、ニルドに掴まれた手は温かく、とても頼もしく感じたのだ。
会えなくなってもアルノは妄想の中でニルドと愛し合ってきたが、妄想の中で何百回体を重ねても、本物の婚約者には永遠に勝てないと思い知らされる結果となった。
「はぁ……」
「アルノ、ゼイン様に愛想をつかされないように、しっかりやれよ!」
恨めしそうにニルドを睨み、アルノはふんっと鼻を鳴らした。
遠ざかっていくニルドの背中を未練たらしく見送りながら、アルノはまたしても深いため息をついた。
「アルノさん?」
優しいゼインの声に振り返り、アルノはその完璧な美貌を虚しく見上げる。
「ゼイン……」
「はい?」
「なんで余計なことを言うのよ。イライザ姫が本当にここに来たら、恨んでやるから!」
「え?どうしてですか?ニルドさんはご友人ですよね?ご友人の幸せは応援してさしあげなければ」
絶対にアルノの恋心に気づいているはずなのに、全く白々しい台詞だったが、偽物の恋人を前にしては、それ以上の文句も言えない。
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「わかりました。いってらっしゃいませ」
空は灰色で地面は深い雪に覆われている。
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過酷な環境で、なんとか生き延び、マカの実を宣誓液にしなければならない。
「精霊に愛されているのではなくて、遊ばれている気がする」
「滅多なことを言ってはいけません」
嗜められ、アルノはまた大きなため息をつくと、のろのろと森に向かって歩き出した。
その背中が森の木立に消えるまで、ゼインは戸口から見送っていた。
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雪道を白い息を吐きながら登ってきたクシールは、足を止め、ほっと息をついた。
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その間、一度もゼインから知らせがなく、契約紙を届けに来ることもなかった。
さすがに様子を見に行かないわけにはいかないと思い、山を登ってきたのだ。
重いブーツに包まれた足を持ち上げ、杖を突きながら一歩踏み出すと、急に道が歩きやすくなった。
荷物を載せ引っ張ってきたそりも、滑らかに動き出す。
道が平らに踏み固められ、雪避けの精霊言語が使われている。
契約紙の効果だった。
ゼインがここまで毎日見回っている証だ。
雪に埋まった家々の間を抜けていくと、ようやく前方に木造の平屋が見えてきた。
よく手入れされた家周りに安堵して、クシールは声をあげた。
「ゼイン様!」
すぐに扉が開いて、ゼインが顔を出した。
その輝かしい美貌に、男のクシールでさえ見惚れてしまう。
「ああ、大変でしたね」
ゼインは薄手の服のまま外に出てくると、すかさずクシールが背負ってきた荷物を受け取り、家に引き返す。
庭先は平らに整えられ、訓練場のように、無数の靴跡がある。
軒先に、凍り付いた鳥がぶら下がっていた。
「獲物はでますか?」
「ええ、それなりに。昨日は鳥を仕留めました。それに羽鹿も見つけました。豊かな山です」
「村の住人が町に下りたため、精霊の力が増したのかもしれませんね。まぁ、正直に言えば、どれだけの効果があったのかは疑問ですが」
どんな契約師が精霊に愛されるのか、実を言えば正確な答えは見つかっていない。
優れた契約師の大半が、山や森に住みついているというだけで、そうでない優秀な契約師も存在しているし、欲のない生活が本当に良い契約紙を生み出すかどうかもわかっていないのだ。
しかし大金を手にした契約師の大半が仕事をやめてしまう。
それが欲は厳禁とされる主な理由だった。
家に入ったクシールは、やれやれと椅子に座り込み、両足を暖炉の方に投げ出した。
ゼインが荷物を壁際に置き、台所に向かう。
「お茶を入れます」
ゼインのきれいな背中を見送り、クシールは部屋を見渡した。
物がほとんどない部屋には塵一つ落ちていないし、空気も濁っていない。
暖炉には新しい薪が積まれ、窓まで磨き抜かれている。
「家事能力が高すぎやしませんか?」
「体を鍛えることと、それぐらいしか仕事がありません。アルノさんが森に入って一カ月出てこないのです。その間、何度か探しに森に入りましたが、足跡一つ見つけることは出来ませんでした」
「森で命を落とすことはないでしょう。少し安心しました。その」
「私がしくじったせいで、契約紙が作れなくなったのではないかと思いました?」
肉欲に溺れ過ぎれば、働く意欲を失ってしまう。
精神的に幼いアルノであれば、その可能性もあるとクシールは心配していた。
クシールの計画では、専属世話人を用意するのであれば、もう少しアルノが成長してからと考えていたのだ。
目の前に置かれた温かなお茶のカップを手に取り、クシールは困ったように笑った。
「アルノさんは、少々夢見がちなところがあるので、契約であることを忘れ、仕事をしなくなるのではないかと考えていました。友人もいなければ、恋人がいたこともありません。そもそも山育ちで人と関わることに慣れていないのです」
「そうですね。でも、仕事を辞める気はないようです。というより、辞められなくなったというか……。実は、一カ月前に、彼女の友人が訪ねてきたのです」
手際よく、ゼインはテーブルに山のご馳走を並べ、デザートの焼き菓子までも添えた。
「友人ですか……。友人のふりをした他人ではなく?」
二人は食事を始め、その合間に、ゼインが一カ月前の出来事について、詳細な報告を挟んだ。
最後のデザートを食べ終えた時、クシールは難解な顔で腕組みをしていた。
「お城ですか……。お手柄ではないですか。それは……素晴らしい思い付きだ。豪胆で、誰もが注目せずにはいられない作戦ですね。しかし、また欲深いものを」
「ですが、それがイライザ姫とニルドのためであり、一緒に住むとなれば、欲深いとも言えないのでは?」
「清廉な心ではいられなそうな気がしますが……」
ニルドとイライザの新婚生活を妬む気持ちに押しつぶされ、アルノは精霊の反感を買うかもしれない。
「清廉な心……。もともとあまり無いかもしれませんよ」
ゼインが何かを思い出したように笑った。
どうしたのかと、クシールが怪訝な顔をする。
「実を申しますと……。専属世話人の使用期間が終了しています」
「ああ、そういえばそうですね。結果を聞いても?」
使用期間の一カ月とは、契約師を誘惑し、仕事に縛り付けるための期間であり、本物の恋人ではなく、あくまで契約であることを教え込みながら、体の関係から抜けられないようにすることを目的とする。
性欲も欲ではないかと思うが、教会にはそうして育てた契約師を、仕事に繋ぎとめてきた歴史がある。
それ故、専属世話人という仕事が生まれ、教育機関まで充実しているのだ。
中央教会に所属する孤児院では、子供のうちに容姿別に部屋を分け、性欲を満たすための技術を学ぶ。
誰もが自分の担当契約師を、長く働かせようと苦労しているため、成績優秀な専属世話人は争奪戦になる。
契約師の腕が上がれば、それは担当僧侶の手柄にもなる。
ゼインはまさに成績優秀者で、家出癖のあるアルノに、いつか確保したいとは思っていた。
ところが、ゼインは申し訳ないと表情を曇らせた。
「まだ手しか握っていません」
「え?!」
ゼインが苦戦するとはどういうことなのかと、クシールは表情を引き締めた。
「理由をうかがっても?」
「まず、一カ月森にこもっていますし、それに、その前もなかなか誘ってもらえませんでした。もちろん、こちらから誘うような行為もしましたが、とにかく頑なで。嫌われるわけにもいきませんし、これからどうしようかと考えています」
十年も前に村から消えた初恋の相手に、ゼインが負けるとは考えられないとクシールは首を横に振る。
どれだけ執念深く、片思いを続けているのかと、クシールは疲れたため息をついた。
「彼女は子供でどこに飛んでいってしまうかわかりません。私一人では手が足りません」
しかしクシールの口調は落ち着いている。
ゼインとは死闘を生き延びた戦友でもあり、必ず道を切り開くと信じている。
「アルノさんの腕はもっとあがります。彼女を逃がすわけにはいきません。ゼイン様、本気ではなかったのでは?」
「そういうわけではありませんが……。少し自信を失っています。以前は三日に一度は相手を探し、技術を高めてきましたが、もう一カ月以上も一人寝です。こんなことは子供時代にもありませんでした」
それは少し心配になる発言だった。
「困りましたね……。もし私でもよろしければお相手しますが……女性の方が良いでしょうか?」
「……クシール様が?苦手なのでは?」
「相手がゼイン様なら別です。選り好みをしてしまう時点で、私には向いていませんでした……」
情け無さそうに弱々しく微笑んだクシールに近づき、ゼインはその顎に指を添えて上を向かせた。
「良いのですか?」
「お付き合いしますよ」
教会内では男女が同じ建物で暮らすことは禁じられている。
二人は同じクラスだったが、ゼインの成績はそこでも飛びぬけていた。
ゼインに手を取られ、クシールは椅子から立ち上がった。
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