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9.妄想の恋人
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食卓のテーブルには、渋い表情で手元のカップを睨みつけるアルノと、お茶とお茶菓子を手際よく運んできたゼイン、それから心なしか一回り縮んだようなニルドが座っていた。
ゼインとアルノは隣り合って座り、その向かいにニルドがいる。
アルノが初めての口づけを経験する直前にやってきたニルドは、怒りの形相で扉を開けたアルノを完全に無視し、さっさと家にあがりこんだ。
「町で借り上げてやった部屋に一度も戻っていないらしいな。ここに荷物を運んだ村の人から話を聞いたよ。ロタ村の人たちが、また仕事を頼んでほしそうにしていたぞ。それにハンナも食堂に食べにきてもらいたいみたいだ。
町に住むといろいろ金がかかるからな。アルノも仕事があるとはいえ、一人でこんなところに住むのは大変じゃないか?」
ここで、ゼインがさりげなく席を外し、寝室に行って上着を羽織って戻ってきた。
寝室でそれを脱いだことを意味するその行動に、ニルドは驚愕し、それからすぐに部屋の片隅に置かれたゼインの装備や、手にしている剣に視線を走らせた。
慌てて立ち上がり、頭を下げると、階級と名前を名乗る。
突然の変わり身に、アルノは何が起きたのかとあっけにとられたが、ゼインは上位騎士であり、ニルドの階級からしたら、それが当然の振る舞いだった。
すぐにゼインが穏やかに笑い、そんな礼儀はここではいらないと告げると、アルノの腰を抱き寄せた。
ニルドは目を丸くし、アルノは少しだけ良い気分になった。
婚約者がいる男に連れられ、ほいほい町に下りてしまったあの日の雪辱を、多少晴らした気分にはなったのだ。
ところがニルドは、二人の関係を心から祝福する気いっぱいの笑顔になった。
「そうか!良かった!アルノにそんな方がいたとは。じゃあ、町の家には戻らないな。解約しておくよ。余計なことをした。
それに、丁度良かったよ!実は俺もここに婚約者を連れて引っ越してこようかと考えているんだ」
とんでもないニルドの発言に、卒倒しそうになったアルノを支え、ゼインがまずは座って話をしようと提案した。
気まずい空気の中、アルノは魂が抜けたような顔で座り込む。
初めての口づけを邪魔されただけではなく、数々の淫らな妄想に登場してきたニルドが、実際にそんなことを他の女としている場面を見せつけられることになったら、それこそ発狂してしまいそうだ。
ゼインの方が顔も良いし、階級も高いし、ニルドよりずっと素敵な男性であることは間違いないが、こちらは偽物で、金が尽きれば消えてしまう存在だ。
だけどニルドの連れてくる婚約者は、お金がなくても消えたりしない。
愛という圧倒的な武力を持って、せっせと作ったアルノの虚勢の盾を粉々に砕いてしまうのだ。
あまりにも惨めすぎる。
「私は反対よ。婚約者様って、だって身分のある方なのでしょう?」
「そうなんだ。領主様の三番目の姫君で、新居は城だと信じている」
ニルドの婚約者が、本当に貴族令嬢なのだと知り、アルノの魂はひゅうひゅう抜けて行く。
「この村に城を建てるの?」
もう好きにしてくれと、投げやりに問いかけながら、アルノはそっぽを向く。
「いや、それは難しいかもしれないが、出来る限り立派な家を建てようかと考えた。君が住んでいるなら、話し相手もいることになるし」
「わ、私が姫君の話し相手?しかもニルドの婚約者、じゃなくて、奥さんの?!」
勝手に脳内で話を進めているニルドに呆れ果ててしまう。
ゼインがさりげなくアルノの手を握り、テーブルに置いた。
はっとして顔をあげれば、見事な微笑みを向けてくれている。
「ゼインさま……」
「さまはいらないと言っただろう?」
さすが人気の契約師専属世話人だと、アルノはテーブルの下で、拳をぐっと握る。
右手はゼインの手に包まれている。
「お二人は、その……ご結婚は?」
どちらに話しかけて良いかわからない様子で、ニルドがおずおずとゼインをうかがう。
「私は考えているが、アルノはどうかな?彼女は今、仕事が忙しいらしくてね」
さすが心得てくださっていると、またもやテーブルの下で拳をぐっと握ったアルノだったが、心には虚しさが漂う。
結婚したいのはアルノで、仕事をさせたいのはゼインだ。
愛なんて贅沢品は、アルノのところにはやってこない。
「もしかすると、ニルドのお相手はイライザ姫かな?」
「え!」
ぴたりと当てられ、ニルドは口をぱくぱくさせてゼインを見返す。
「ここから遠くもなく、ここのように雪が積もるような山に城を持ち、三人の姫がいる。となれば、東モーレリアのデラーチェ様の領ではないかと思っただけだ」
ニルドの婚約者の名前まで知ってしまったアルノは、どんよりした顔になり、もうこれ以上は聞きたくないとばかりに下を向いてしまう。
ゼインはそんなアルノの肩を抱き、洗い立ての柔らかな髪の上から口づけをした。
その仕草を、ちょっとだけニルドが羨ましそうに見ていたが、残念ながらそんなニルドの反応をアルノは見ていなかった。
「彼女は普段、離れの城で暮らしていて、寒さには慣れていると思います。あまり友人もいないようですし、護衛の兵士すらあまりいません。とにかく家から離れたがっていて、俺と結婚出来ればもっと自由になれると信じている節があります。
でもその将来の住まいや暮らしについては、全部俺がなんとかしてくれると思っているようで、当然のように城にはこんなものを置きたいとか、召使にこれをやらせようとか、冬には狩りのご馳走が楽しみだとか、猟師は何人欲しいとか、俺に要望ばかり言うのです。
そりゃ、なんとかしてやりたいと思っていますが、土地はここにしかないし、あとは借り物で、領地をもてる騎士になるにはまだ何階級も出世しないといけないですし、彼女の欲求を満たせるほどの稼ぎもありません。
でもここなら、一人暮らしに慣れているアルノがいるし、彼女も一人でもなんとか頑張れるのだと思えるようになるかもしれないし、アルノは子供時代から料理も出来たし、あんな偏屈なばあさんの相手も出来るようなら、貴族の姫君の相手なんて楽勝だろうし」
「はあああああああ?」
脳内でぷちんと何かが切れた音がして、アルノはテーブルに両手をつき立ち上がった。
「それだけ不平、不満があって、よく結婚なんて考えられるものね。しかもあなたが私にさせようとしていることは、話し相手どころじゃないじゃない!私を召使扱いするの?」
「ち、ちがう!君にも友達が出来るから、丁度良いと思ったんだ!」
「友達って?料理を作ってあげたり、退屈しのぎの話に付き合ったり、家の掃除までしてくれるわけ?」
「いや、でも、君の暮らしぶりをみていたから、その、多少のお給料は渡せるし」
「町に家を借りてくれたと思ったら、今度はご親切にも婚約者の召使の職を世話してくれるというわけ?これでも仕事を持っているし、忙しいのよ!」
人格が変わったように、荒々しい口調になったアルノをぽかんと見上げていたゼインが、突然くつくつと笑い出した。
「これは……なかなか愉快な……ふふふ」
耳まで赤くして、アルノはしおらしく椅子に戻った。
「だ、だって……あんまりだと思ったから……」
「全くです。ニルド、彼女は私の婚約者です。彼女は仕事上、贅沢が禁じられているため、このような住まいに住んでいますが、十分な稼ぎはありますし、私も彼女の生活を支えていくつもりです。
聖なるものに仕える者は、自身の欲を犠牲に、精霊の力を賜るのです。持とうと思えば、彼女は城の一つぐらいもてますよ」
「え?!そうなのですか!」
アルノとニルドが異口同音に叫んだ。
専属世話人を雇える金もまだまだ足りないと思っていたアルノは驚き、雨漏りをしている天井の染みを見上げる。
廃墟のようなぼろ屋に住んでいるアルノを、気の毒に思ってきたニルドも同様に驚いた。
そして、ニルドは見事な変わり身を果たしたのだ。
「アルノ!俺のために城を一つ買ってくれ!」
「はああああ?!」
またもやどすのきいた声を発し、アルノが立ち上がる。
「幼馴染だからって、どうして城を買ってもらえると思うわけ?」
「どうしてって……。俺は君に良くしてきただろう?」
一気に恥をかかされたあの夜のことを思い出し、アルノは強く床を踏み鳴らした。
どんっと音が鳴り、ニルドもびくりと椅子ごと後ずさる。
「確かに、子供時代に私を構ってくれたのは、あなただけ。あなたと遊んだ記憶以外は全部、最低最悪な記憶ばかり。でも、それだけよ。私のような人間には分不相応な想い出よ。
あんたと知り合わなければ、あんたが私を遊びに誘わなければ、私は誰も妬まずにすんだし、周りを見て、自分がどれだけ惨めな存在か知らずに済んだかもしれないのに!」
「分不相応ってなんだよ。皆と同じように楽しく遊んだだろう?」
「全然同じじゃない!ニルドって昔からそうだけど、本当に何も見えていないのね。それとも見ようとしていないだけ?」
「だいたい、お前だってお高くとまって、誰とも口をきこうとしなかったじゃないか。心を閉ざしていたのはお前の方だ。仲良くしたければいつだってそうできた」
「論点がずれてきましたね……」
昔のことを持ち出し、互いを罵りだした二人を冷静に見ていたゼインが、茶をすすりながら静かに言葉を挟んだ。
アルノは黙り込み、椅子に深く腰掛けうつむいた。
ニルドも仏頂面で腕組みし、また椅子を少し後ろに下げた。
「ここに城を建てるという考えは、現実的ではないでしょうね。不可能ではないですが、階級的に考えても、ニルドさんはもう少し頑張らないと難しいでしょう。
イライザ姫は、あまりご家庭でかまわれていない立場にあるので、まぁ騎士階級であればお嫁にいくことは可能でしょうが、生まれながらに享受してきた贅沢な環境を捨てる覚悟を持って頂かないと、結婚生活が幸福なものになるとは思えません。
愛さえあれば、贅沢は望まないと言えるほどの覚悟が出来てから、家を離れることを推奨したいところです。
まぁ、今日は遅いですから、こちらにお泊り下さい」
暖炉の横にはゼインが使用していた藁布団が巻かれて置いてある。
隣には毛布まで畳まれている。
「私達は寝室を使いますから」
一緒に寝るのが、今夜初めてとは思えないほど、自然な口調でさらりと告げ、ゼインがアルノを椅子から立たせた。
「アルノ、彼に軽く食事を出しておくよ。先に眠っていてくれ」
見事な恋人のふりに、アルノは感謝して頷く。
心はくたくたに疲れ、ニルドとのきらきらした思い出も泥だらけに汚されてしまったようだった。
それでも、ちらりとニルドを振り返って見てしまう。
他人を羨んでしまう醜く、孤独な心を、何度ニルドとの淫らな妄想によって慰めてきただろう。
夢なんて見なければよかった。
ついにニルドの婚約者の名前まで知ってしまったのだ。
しかもそれはやはり貴族令嬢で、家族に領地や城まで持っている。
何もかもがアルノと大きく違う。
アルノは寝台に戻り、毛布の中にもぐりこんだ。
ゼインとアルノは隣り合って座り、その向かいにニルドがいる。
アルノが初めての口づけを経験する直前にやってきたニルドは、怒りの形相で扉を開けたアルノを完全に無視し、さっさと家にあがりこんだ。
「町で借り上げてやった部屋に一度も戻っていないらしいな。ここに荷物を運んだ村の人から話を聞いたよ。ロタ村の人たちが、また仕事を頼んでほしそうにしていたぞ。それにハンナも食堂に食べにきてもらいたいみたいだ。
町に住むといろいろ金がかかるからな。アルノも仕事があるとはいえ、一人でこんなところに住むのは大変じゃないか?」
ここで、ゼインがさりげなく席を外し、寝室に行って上着を羽織って戻ってきた。
寝室でそれを脱いだことを意味するその行動に、ニルドは驚愕し、それからすぐに部屋の片隅に置かれたゼインの装備や、手にしている剣に視線を走らせた。
慌てて立ち上がり、頭を下げると、階級と名前を名乗る。
突然の変わり身に、アルノは何が起きたのかとあっけにとられたが、ゼインは上位騎士であり、ニルドの階級からしたら、それが当然の振る舞いだった。
すぐにゼインが穏やかに笑い、そんな礼儀はここではいらないと告げると、アルノの腰を抱き寄せた。
ニルドは目を丸くし、アルノは少しだけ良い気分になった。
婚約者がいる男に連れられ、ほいほい町に下りてしまったあの日の雪辱を、多少晴らした気分にはなったのだ。
ところがニルドは、二人の関係を心から祝福する気いっぱいの笑顔になった。
「そうか!良かった!アルノにそんな方がいたとは。じゃあ、町の家には戻らないな。解約しておくよ。余計なことをした。
それに、丁度良かったよ!実は俺もここに婚約者を連れて引っ越してこようかと考えているんだ」
とんでもないニルドの発言に、卒倒しそうになったアルノを支え、ゼインがまずは座って話をしようと提案した。
気まずい空気の中、アルノは魂が抜けたような顔で座り込む。
初めての口づけを邪魔されただけではなく、数々の淫らな妄想に登場してきたニルドが、実際にそんなことを他の女としている場面を見せつけられることになったら、それこそ発狂してしまいそうだ。
ゼインの方が顔も良いし、階級も高いし、ニルドよりずっと素敵な男性であることは間違いないが、こちらは偽物で、金が尽きれば消えてしまう存在だ。
だけどニルドの連れてくる婚約者は、お金がなくても消えたりしない。
愛という圧倒的な武力を持って、せっせと作ったアルノの虚勢の盾を粉々に砕いてしまうのだ。
あまりにも惨めすぎる。
「私は反対よ。婚約者様って、だって身分のある方なのでしょう?」
「そうなんだ。領主様の三番目の姫君で、新居は城だと信じている」
ニルドの婚約者が、本当に貴族令嬢なのだと知り、アルノの魂はひゅうひゅう抜けて行く。
「この村に城を建てるの?」
もう好きにしてくれと、投げやりに問いかけながら、アルノはそっぽを向く。
「いや、それは難しいかもしれないが、出来る限り立派な家を建てようかと考えた。君が住んでいるなら、話し相手もいることになるし」
「わ、私が姫君の話し相手?しかもニルドの婚約者、じゃなくて、奥さんの?!」
勝手に脳内で話を進めているニルドに呆れ果ててしまう。
ゼインがさりげなくアルノの手を握り、テーブルに置いた。
はっとして顔をあげれば、見事な微笑みを向けてくれている。
「ゼインさま……」
「さまはいらないと言っただろう?」
さすが人気の契約師専属世話人だと、アルノはテーブルの下で、拳をぐっと握る。
右手はゼインの手に包まれている。
「お二人は、その……ご結婚は?」
どちらに話しかけて良いかわからない様子で、ニルドがおずおずとゼインをうかがう。
「私は考えているが、アルノはどうかな?彼女は今、仕事が忙しいらしくてね」
さすが心得てくださっていると、またもやテーブルの下で拳をぐっと握ったアルノだったが、心には虚しさが漂う。
結婚したいのはアルノで、仕事をさせたいのはゼインだ。
愛なんて贅沢品は、アルノのところにはやってこない。
「もしかすると、ニルドのお相手はイライザ姫かな?」
「え!」
ぴたりと当てられ、ニルドは口をぱくぱくさせてゼインを見返す。
「ここから遠くもなく、ここのように雪が積もるような山に城を持ち、三人の姫がいる。となれば、東モーレリアのデラーチェ様の領ではないかと思っただけだ」
ニルドの婚約者の名前まで知ってしまったアルノは、どんよりした顔になり、もうこれ以上は聞きたくないとばかりに下を向いてしまう。
ゼインはそんなアルノの肩を抱き、洗い立ての柔らかな髪の上から口づけをした。
その仕草を、ちょっとだけニルドが羨ましそうに見ていたが、残念ながらそんなニルドの反応をアルノは見ていなかった。
「彼女は普段、離れの城で暮らしていて、寒さには慣れていると思います。あまり友人もいないようですし、護衛の兵士すらあまりいません。とにかく家から離れたがっていて、俺と結婚出来ればもっと自由になれると信じている節があります。
でもその将来の住まいや暮らしについては、全部俺がなんとかしてくれると思っているようで、当然のように城にはこんなものを置きたいとか、召使にこれをやらせようとか、冬には狩りのご馳走が楽しみだとか、猟師は何人欲しいとか、俺に要望ばかり言うのです。
そりゃ、なんとかしてやりたいと思っていますが、土地はここにしかないし、あとは借り物で、領地をもてる騎士になるにはまだ何階級も出世しないといけないですし、彼女の欲求を満たせるほどの稼ぎもありません。
でもここなら、一人暮らしに慣れているアルノがいるし、彼女も一人でもなんとか頑張れるのだと思えるようになるかもしれないし、アルノは子供時代から料理も出来たし、あんな偏屈なばあさんの相手も出来るようなら、貴族の姫君の相手なんて楽勝だろうし」
「はあああああああ?」
脳内でぷちんと何かが切れた音がして、アルノはテーブルに両手をつき立ち上がった。
「それだけ不平、不満があって、よく結婚なんて考えられるものね。しかもあなたが私にさせようとしていることは、話し相手どころじゃないじゃない!私を召使扱いするの?」
「ち、ちがう!君にも友達が出来るから、丁度良いと思ったんだ!」
「友達って?料理を作ってあげたり、退屈しのぎの話に付き合ったり、家の掃除までしてくれるわけ?」
「いや、でも、君の暮らしぶりをみていたから、その、多少のお給料は渡せるし」
「町に家を借りてくれたと思ったら、今度はご親切にも婚約者の召使の職を世話してくれるというわけ?これでも仕事を持っているし、忙しいのよ!」
人格が変わったように、荒々しい口調になったアルノをぽかんと見上げていたゼインが、突然くつくつと笑い出した。
「これは……なかなか愉快な……ふふふ」
耳まで赤くして、アルノはしおらしく椅子に戻った。
「だ、だって……あんまりだと思ったから……」
「全くです。ニルド、彼女は私の婚約者です。彼女は仕事上、贅沢が禁じられているため、このような住まいに住んでいますが、十分な稼ぎはありますし、私も彼女の生活を支えていくつもりです。
聖なるものに仕える者は、自身の欲を犠牲に、精霊の力を賜るのです。持とうと思えば、彼女は城の一つぐらいもてますよ」
「え?!そうなのですか!」
アルノとニルドが異口同音に叫んだ。
専属世話人を雇える金もまだまだ足りないと思っていたアルノは驚き、雨漏りをしている天井の染みを見上げる。
廃墟のようなぼろ屋に住んでいるアルノを、気の毒に思ってきたニルドも同様に驚いた。
そして、ニルドは見事な変わり身を果たしたのだ。
「アルノ!俺のために城を一つ買ってくれ!」
「はああああ?!」
またもやどすのきいた声を発し、アルノが立ち上がる。
「幼馴染だからって、どうして城を買ってもらえると思うわけ?」
「どうしてって……。俺は君に良くしてきただろう?」
一気に恥をかかされたあの夜のことを思い出し、アルノは強く床を踏み鳴らした。
どんっと音が鳴り、ニルドもびくりと椅子ごと後ずさる。
「確かに、子供時代に私を構ってくれたのは、あなただけ。あなたと遊んだ記憶以外は全部、最低最悪な記憶ばかり。でも、それだけよ。私のような人間には分不相応な想い出よ。
あんたと知り合わなければ、あんたが私を遊びに誘わなければ、私は誰も妬まずにすんだし、周りを見て、自分がどれだけ惨めな存在か知らずに済んだかもしれないのに!」
「分不相応ってなんだよ。皆と同じように楽しく遊んだだろう?」
「全然同じじゃない!ニルドって昔からそうだけど、本当に何も見えていないのね。それとも見ようとしていないだけ?」
「だいたい、お前だってお高くとまって、誰とも口をきこうとしなかったじゃないか。心を閉ざしていたのはお前の方だ。仲良くしたければいつだってそうできた」
「論点がずれてきましたね……」
昔のことを持ち出し、互いを罵りだした二人を冷静に見ていたゼインが、茶をすすりながら静かに言葉を挟んだ。
アルノは黙り込み、椅子に深く腰掛けうつむいた。
ニルドも仏頂面で腕組みし、また椅子を少し後ろに下げた。
「ここに城を建てるという考えは、現実的ではないでしょうね。不可能ではないですが、階級的に考えても、ニルドさんはもう少し頑張らないと難しいでしょう。
イライザ姫は、あまりご家庭でかまわれていない立場にあるので、まぁ騎士階級であればお嫁にいくことは可能でしょうが、生まれながらに享受してきた贅沢な環境を捨てる覚悟を持って頂かないと、結婚生活が幸福なものになるとは思えません。
愛さえあれば、贅沢は望まないと言えるほどの覚悟が出来てから、家を離れることを推奨したいところです。
まぁ、今日は遅いですから、こちらにお泊り下さい」
暖炉の横にはゼインが使用していた藁布団が巻かれて置いてある。
隣には毛布まで畳まれている。
「私達は寝室を使いますから」
一緒に寝るのが、今夜初めてとは思えないほど、自然な口調でさらりと告げ、ゼインがアルノを椅子から立たせた。
「アルノ、彼に軽く食事を出しておくよ。先に眠っていてくれ」
見事な恋人のふりに、アルノは感謝して頷く。
心はくたくたに疲れ、ニルドとのきらきらした思い出も泥だらけに汚されてしまったようだった。
それでも、ちらりとニルドを振り返って見てしまう。
他人を羨んでしまう醜く、孤独な心を、何度ニルドとの淫らな妄想によって慰めてきただろう。
夢なんて見なければよかった。
ついにニルドの婚約者の名前まで知ってしまったのだ。
しかもそれはやはり貴族令嬢で、家族に領地や城まで持っている。
何もかもがアルノと大きく違う。
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