精霊の森に魅入られて

丸井竹

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6.ついに来た偽の恋人

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町に下りてきたアルノは、預かり厩舎で馬を借り、人まで雇って買い物をしていた。
日々の生活に使う食器、タオルなどの日用品だけでなく、少し上等な寝具、それにカーテンまで買いそろえた。
それから悩んだあげく、男性物の寝着や部屋着なんてものも手に入れた。
それらはもちろん、これからやってくる偽物の恋人のためだった。

「ずいぶん、派手な買い物をするのね」

店先で寝室に敷く絨毯を見ていたアルノは、嫌な顔で振り返る。
そこには粗末なドレスに身を包んだ元ロタ村の住人であるハンナが立っていた。
背後には食堂があり、客が二組店から出ていくところだった。

その服装はハンナの身なりと比べるとだいぶ違う。

「仕方ないのよ。私、一人暮らしを辞めたから」

男と住むのだと見せびらかすように、アルノは馬に積んだ包みをぽんぽんと叩いて見せる。
ひくりと、ハンナの頬が引きつった。

「町に下りてきたの?ニルドのお情けにすがることにでもしたわけ?でも、ただの幼馴染に甘えすぎないことよ。彼、結婚を控えているらしいから」

最後の一言は、アルノを傷つけようとする意図が丸見えだったが、アルノには効果がなかった。
婚約者がいる話はニルドから聞いているし、今更の話だ。

「そうみたいね。今度また会う機会があったら、お祝いを渡さないといけないと思っていたの。何が良いか考えておかないと」

先ほど買ったばかりの真新しいドレスの裾をわざとらしくつまみ、一回転すると、アルノは得意げにハンナの前を通り過ぎる。
ハンナの身に着けている服は、村では普通だが、町では少しみすぼらしく、流行に合っていない。

「む、村の生活はどう?」

唐突な上ずった声に、立ち去ろうとしていたアルノは仕方なく振り返った。

ハンナは、呼び止めたことを後悔しているかのように、目を逸らし唇をかみしめている。
その表情は暗く、疲労の色も濃い。
ノーラ山で細々と暮らしてきたロタ村の住人達は、長年、町での生活に憧れてきた。

しかし国の支援のもと、町で仕事や住居を得てはみたが、その生活は思い描いていたような豊かなものではなかった。
自分はきれいなのだから、良い結婚相手が選べると期待していたハンナも、現実を突きつけられ、苦しい立場にあった。
国から与えられた最低限のものでは、最低限の生活しかできない。
恋愛をしている余裕すらなかった。

そんな事情など知る由もないアルノは、不機嫌にハンナを見る。

「快適よ。誰もいないから好き放題に生活出来るもの。買出しはちょっと不便ね。でもそれはいつものことでしょう?」

子供のころからやりたくもないことを強要されてきたアルノにも、他人を思いやる余裕はない。

「ハンナ!呼び込みをさぼっているんじゃないよ!」

突然通りに怒声が轟いた。
びくりとハンナは肩を震わせ、顔を赤くした。

食堂から大柄な女性が顔を出し、ハンナを睨んでいる。
それはハンナの雇い主だった。

「す、すみません」

昼食時間を過ぎ、食堂は空いてきている。
アルノを完全に無視して、ハンナが呼び込みを始める。

呼び止めておきながら、どういう態度なのかと、不機嫌な顔でアルノはさっさとそこを立ち去った。
その後ろを、アルノに今日雇われた厩舎の男が、荷物を満載した馬を引っ張りついていく。

厩舎に馬を返す段階になり、アルノは預かり厩舎の人に問いかけた。

「村まで荷物を運んでもらえる?」

「村?ノーラ山ですか?無理ですよ!」

冬の雪山は住人でもなければ入りたがらない。
アルノは仕方なく、ハンナがいた食堂前に戻った。

呼び込みをしていたハンナが、じろりとアルノを睨む。
舌打ちを我慢して、アルノはそこに近づいた。

「村に荷物を運んでくれる人を探しているの。報酬は払うから」

銀貨を取り出し、ハンナに見せる。
ハンナは驚いたように顔色を変え、無言で店に飛び込み、それからまたすぐに出てきた。

猛然と通りに消えていったかと思うと、あっという間に元ロタ村の住人達を集めて戻ってきた。
顔見知り程度の男達が、アルノにごまをするような笑顔を向けてくる。

「仕事をくれるんだって?」

「雪かきが間に合っていないから、馬車は使えない。大変だけど……荷物を村に運ぶのを手伝ってくれない?」

男達は喜んでアルノの荷物をかついだ。
彼らを集めたハンナも、手間賃を受け取り、ばつがわるそうな顔でお礼を言った。

「ありがとう……」

さすがに、ノーラ山に住んでいた元ロタ村の住人たちだった。
山に入ると、雪に閉ざされた道を、迷うことなく進みだす。
先頭にいた男が、雪狼の出現に悲鳴を上げる瞬間はあったが、アルノがその狼に近づき首を叩いてやると、男達はそれを横目に急いでそこを通り過ぎた。

雪を踏む音と、男達の息遣いだけが聞こえる静かな山道に、白い息があがる。

黙々と進み、夕暮れ前に村に到着した。
帰りはそりを使うから、登りより時間はかからない。

「買い物も、次回から声をかけてくれてくれ。その方が効率も良いし、金もかからない」

次回は馬や人を町で借りる必要はないという意味だった。

「そうですね。その時はお願いします」

満面の笑みで給金を受け取った男達は、懐かしそうに雪に覆われた集落を見渡したが、誰も自分たちの家に立ち寄っていこうとはしなかった。
急ぎ足でそりを引っ張り、今登ってきた道を引き返して行った。


アルノがゼインとの生活に備え、いろいろ買い込んだ日からきっかり四日後、クシールとゼインが揃ってアルノの家にやってきた。



ゼインだけが大荷物を担ぎ、クシールはいつもの鞄一つで、完璧な防寒具に全身を包んでいた。

「もう冬は来たくなかったのですけどね。それに、若いアルノさんにはもう少し世話人を頼むかどうか考えてほしいとも思っていました。春まで待てなかったのですか?」

「春まで待てなんて言わなかったじゃない。すぐにでも探してくれそうな話しぶりだったでしょう」

「まぁ……アルノさんが精神的に落ち着かない様子だったので、そう言いましたが……。彼は高いですよ?大丈夫ですか?」

むっとしてアルノは二人の前にお茶のカップを置いた。

「大丈夫よ」

窓辺に向かうアルノより早くクシールが動き、引き出しから契約紙を取り出した。

「今日は……二枚ですね。頑張りましたね。でも、あと一枚欲しいところです」

「簡単に言わないでよ」

「お二人は仲が良いですね」

アルノとクシールは同時に振り返った。
ゼインがお茶のカップを手に取り、優雅に微笑んで二人を見ている。

「その逆かもしれません。私が担当になってすぐに、アルノさんは家出の支度を整え、村を出て行こうとしていましたから」

「一カ月ほど姿を消せば諦めてくれるかと思ったのよ」

「仕事を捨てるつもりだったのですか?」

まさか本気でそんなことを考えているとは思わず、ゼインは額の汗を拭う仕草をした。
子供じみた癇癪のような感覚で辞めると騒いでいるだけではなく、それなりの覚悟もあるのだ。

「誰かのお嫁さんになると騒いでいましたね」

「や、やめてよ!」

金切り声を上げ、アルノがクシールの服を掴んで乱暴に揺さぶった。
そんなことまでする女性なのかと、ゼインが目を丸くする。
クシールは動じた様子もなく、契約紙を机に戻し、ゆさぶられながら両手を大きく開いて降参のポーズを作ってみせた。

「アルノさんのお世話は大変ですよ。ゼイン様、気を付けてくださいね」

二人の関係を怪しむように眉をひそめたゼインに、クシールはあるわけないでしょうと語るように肩をすくめてみせる。

「とんだ子供のお守りをすることになったと思いましたが、なんとかここまで来ました。アルノさんの仕事がもっと評価されることになれば自動的に一枚当たりの値段もあがります。仕事をやめさせなかった私に感謝しますよ?」

アルノはクシールから手を放し、ふんっと鼻を鳴らし、頬を膨らませるとテーブルに戻った。
クシールは鞄から専用のファイルを取り出し、丁寧に契約紙をしまった。

「いろいろあって、お二人は仲が良くなったのですね。おしゃべりも楽しそうだ」

探るようなゼインの言葉に、アルノは心外だと言わんばかりに顔をしかめる。

「そりゃ、怒鳴り合ったし、喧嘩もしたから、取り繕うこともなくなっちゃったのよ」

気軽に話しが出来る相手といえば、確かにクシールだけかもしれないが、仲が良いわけではない。
アルノはクシールを信用していなかった。

「私のことも、ゼインとだけ呼んでくださいませんか?」

「じゃ、じゃあ、私のこともアルノでいい?」

飛びつくようにアルノが身を乗り出す。
親し気に名前を呼び合う相手が出来るなんて思いもしなかったが、お金で買えるなら、少しぐらいそんな気持ちを味わってみたい。

「え……」

ところがゼインは躊躇った。
偽物の恋人を手に入れた途端、堕落してしまう場合もある。
アルノに本物の恋人だと勘違いさせてはいけない。
あくまでアルノは主人であり、ゼインは仕える側なのだ。

「恋人のふりなんだから、良いでしょう?」

「契約に話し方についての条項はなかったと思いますが……」

あれだけ細かい料金表があったのにと、アルノは不満顔になる。

「じゃあ、いくら?」

話を詰めようと前のめりになるアルノを、クシールが諫めた。

「それぐらい良いじゃないですか。それよりも、アルノさん、もし世話人を雇った上で仕事の効率が下がれば、ただちに契約は破棄させて頂きます。それは書いてありましたよね?」

契約師を仕事に縛り付けるための世話人であり、娯楽の少ない契約師の気持ちを安定させておくための制度なのだ。

「もう、クシールは帰ってよ……」

ゼインは今日から専属世話人として働くことになっている。
試用期間に入るのだ。

「帰りますよ。実は護衛を前の野営地に置いて来ています。日が暮れるまでに戻って合流する必要がありますからね」

鞄を閉めると、椅子にもかけずにクシールはカップのお茶を飲みほした。

「アルノさん、お仕事頑張ってくださいね」

さわやかな笑顔が、いっそう嫌味に見えて、アルノは鼻に皺を寄せた。
クシールが出て行くと、アルノは急に緊張した面持ちになった。

大きく深呼吸をして、しっかり戸締りをして席に戻る。
ゼインは落ち着いた物腰でお茶を飲んでいる。

「教育を受けていますから、家の仕事はまかせてください。大抵のことは出来ます。契約師が仕事に集中できるよう、お手伝いすることが私の役目です」

カップを置き、ゼインは魅惚れるほどきれいな顔で微笑んだ。
その顔が全部偽物だと思うとぞっとするが、観賞用だと思えば、料金分の顔だとも思える。

「ゼインも……。一カ月後に契約を打ち切られないように頑張るのね」

「そうですね。一カ月後は別の人が来るかもしれませんが、うまく引き継げるよう頑張ります。仕事ですから」

「そうですよね。仕事ですものね。私も、あなたを雇うために仕事をします」

アルノは立ち上がり、窓辺にある机に置かれた棚の引き出しを開ける。
クシールが新しい用紙を五枚も入れているのを見たばかりだ。

「昔は一枚仕上げるのに五日間もかかったけど、今は二枚。でも師匠はずっと五日で一枚だった。私の方が優秀よ」

ゼインの美しい顔を少しでも長く眺めていられるように、頑張らなければならない。

宣誓液の入った小瓶の蓋を開ける。
ペン差しからペンを取り出し、小瓶に漬ける。
一滴も垂らすことなく、アルノはそのペン先を契約紙の上にさらりと滑らせた。



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