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4.ご近所さんとの遭遇
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テーブルの上に置かれた契約紙を前に、クシールは上機嫌だった。
金色の宣誓液で描かれた文様は、精霊言語が記されている精霊書に記録されている物であり、宣誓液で描かれて初めてその力を得る。
人の手で描かれなければならないその文様は、完璧であればあるだけ強い力が宿ると言われている。
幼い頃から何万回も描かされ、何百種類も死ぬ気で覚えさせられてきたアルノには、見飽きた模様だったが、クシールの目からしたら感動するほど美しいものだった。
「これは見事です。今まで作ってきた中では一番と言っても良いかもしれません。今年の審査会にどれを出すか決めなければなりませんね」
「そんなものがあるの?」
問いかけながらも、アルノはクシールの隣に座っている、輝くばかりの美しい顔立ちの男に目が釘付けだった。
まさかこれがお金を払えば雇える専属世話人なのだろうかと聞いてみたいが、恥ずかしすぎてとても聞けない。
「ありますよ。審査対象は契約紙ですが、作成者の腕の向上が目的です。契約師にも階級があります。教会所属の契約師ですが、審査会で三位以内に入賞すれば、国から国家契約師としての認定状とメダル、それから手当てが付きます」
「お、お金がもらえるの!」
身を乗り出したアルノに、クシールも顔を近づけた。
「欲は契約師の腕を削ぐとも言われています。あなたが良い物を作れば、それを作らせた担当僧侶の出世の道も開かれます。アルノさん、私もあなたに期待しているのです。
そして、もちろん専属世話人もまた、等しくその評価を受けます。
つまり、選べるのはこちらも同じなのです。
出世の見込みがない契約師に仕えたい世話人はおりません」
アルノは口をぽかんと開け、それから顔を赤くして下を向いた。
お金さえあれば選び放題だと思っていたが、世話人もまた、自分を出世させてくれそうな契約師を選ぶ権利があるのだ。
「じゃあ、私の腕が鈍れば、クシールもいなくなるの?」
「残念ながら、私は新米なのです。そうは思いませんか?あなたの師匠であるカトリーナさんが仕事を辞めた途端に、私が来るようになった。
つまり実績のないあなたの担当になりたがる僧侶がいなかったので、地方に派遣されていた私が教会の命令を受けてくることになったのです」
「そ、そうだったの?!」
つまり、クシールが担当契約師を選ぶ権利もない新人であるから、アルノの担当を押し付けられたのだ。
となれば、後輩を持つようになればクシールも、腕のよい契約師に鞍替えしてしまうかもしれない。
村の人達にも無視され、師匠には愛情のかけらもなくこき使われ、淡い初恋は無残にも砕けた。
さらに子供のころから続けている仕事なのに、新米の僧侶を押し付けられ、使える契約師かどうか試されている。
「確かに、師匠の所に来ていた僧侶とずいぶん歳が違うとは思っていたのよ」
「私も一応世話人になるための教育を受けましたが、アルノさんではちょっと、難しいかと思いまして、別の道を選ぶことになりました」
「それって、私と寝られるかどうか考えて、嫌だと思って専属世話人になるのをやめたということ?」
「ご想像にお任せします」
憂鬱な溜息が止まらない。
アルノはどうせこの二人から選ばれることはないのだと思うと、もうすっかり気が楽になった。
投げやりな気持ちで、さらにため息を連発する。
「でも、今回の契約紙は完璧だったのでしょう?もし審査会で良い結果が出たら、待遇がかわる?」
「報酬金が上がりますよ。頑張ってくださいね」
あまり期待していないような口ぶりで言うと、クシールは契約紙を一枚ずつ専用のファイルに包み、鞄に丁寧に片付けた。
「次の用紙をお渡ししておきます。一度に二枚にしていましたが、増やします?」
「ええ。増やしてちょうだい」
アルノの前に、三枚の真っ白な紙が置かれる。
教会で清められた特別なものだ。
それを汚さないように手に取り、アルノはすぐに出窓の傍にある棚の引き出しにしまった。
振り返ると、もうクシールが立ち上がっている。
隣に座っていた顔立ちのとても素晴らしい若い男も一緒に椅子を立ち、帰り支度を始めていた。
この美形の男が専属世話人候補だったとしたら、当然契約の話になるはずだ。
そうはならなかったということは、アルノにも、アルノが作った契約紙にも将来性を感じなかったということだ。
がっかりしているアルノに、クシールが淡々とした笑顔を向けた。
「では、また五日後に」
「二日かけて戻って、一日休んで、また二日かけてくるの?大変じゃない?」
玄関口まで見送りに来たアルノに、クシールは、すがすがしいまでの作り物の笑顔で微笑んだ。
「新人なので、この程度の仕事しかないのです。アルノさん、期待していますね」
アルノの作った契約紙の評価が上がらない限り、クシールの出世もないのだと念を押されているようで、アルノは引きつった笑顔で二人を見送り、肩を落として扉を閉めた。
結局、輝くばかりの美しい顔立ちの男は、名前すら名乗らず帰ったのだ。
彼が専属世話人になってくれる可能性は限りなく低いだろう。
「私って本当に魅力がないのね……」
寝室に行き、アルノは古びた姿見の前で自分の体を正面から眺めた。
太り過ぎてもいないし、痩せすぎてもいない。
髪が赤みがかっているのは仕方ないとしても、顔立ちもそんなに悪くないのではないかと思う。
とはいえ、おしゃれをしたことがない。
そんな余裕はなかったし、師匠のカトリーナはアルノに贅沢を許さなかった。
「学校も行けなかったのに……服なんて選べるわけもないわね」
村人たちの家を周り、頭を下げておさがりの服をもらうか、あるいは孤児院まで行って、衣服を下さいと頼むしかなかったのだ。
それが嫌で、穴の開いたブーツを自分で直して履き続けた。
「仕事しよう……」
どうやっても見かけはこれ以上修正は不可能とみて、アルノは居間兼、食堂兼、仕事部屋に戻り、出窓に面して置かれた机に座ると、引き出しから真っ白な紙を一枚取り出した。
――
山道を下るクシールの前を歩いていた聖騎士のゼインは、アルノの家から十分離れたことを確認し、歩きながら問いかけた。
「クシール様、なぜあなたが世話人を引き受けなかったのですか?」
ゼインはクシールの護衛として今回同行していた。
というのも、アルノの契約紙が高級品として認められ、その運搬に護衛が必要とされたからだった。
しかしアルノの担当僧侶であるクシールは、それをアルノに告げる気はなかった。
「彼女にはまだまだ甘えがあります。様々な方法を考慮し、彼女にはこの方が良いと結論を出しました。世話人を雇わずとも、うまく出来るのではないかとも思っていましたが、なにせ年頃の若い女性ですから、やはりそう簡単にはいきません」
「しかし、なぜ私に声をかけてくださったのか。あの契約紙であれば、審査会でも高評価が得られます。となれば、探さずとも世話人になりたいと申し出て来る者も多いでしょう」
「それはゼイン様、私はあなたに借りがある。彼女に将来性があると踏んだからこそ、声をかけさせてもらいました。ご自身の目で見てどう思われましたか?」
「借りとは思って頂かなくて結構ですよ。私も経験を積みたかったので、丁度よかったのです。彼女に関しては……なかなか厳しそうですね」
「時間をかけてください。焦らなくても大丈夫です。私は最初の道から逃げたのです。この道を決めたからには、もう逃げられません。あなたに恩を返す機会になればと思います」
クシール同様に、ゼインもまだ若く、有力な契約師に仕えるにはその指名を待つしかない立場だ。新人であるうちは、望まない契約師をあてがわれることもある。
うまく難を逃れることが出来なければ、そのまま十年以上も務めねばならず、相手が好まぬ性癖の持ち主であれば、その精神的な苦痛は計り知れない。
男の契約師の世話人になれば報酬は良いが、その勤めは憂鬱なものになる。
「クシール様はよろしいのですか?アルノさんに好意を持たれているのでは?」
「まさか、私はそうした色恋事に関心がありません。それは教育を受けるうえで、向いていないことがわかりました。だからこそ、アルノさんとは長く付き合っていけると思っています。是非ゼイン様のお力で、彼女を鍛えて頂きたい」
「わかりました。力を尽くしてみましょう」
クシールは胸に鞄を大切に抱き、ほっとしたように息をついた。
「あと一歩なのですが、なかなか本気になってもらえず、困っていました。これで一安心です」
「私は責任重大ですね」
二人の男はその日、山道の途中で一泊し、それから大聖堂のあるパラスに戻って行った。
その五日後、同じ道を今度は聖騎士のゼインが一人で登っていた。
白い息を吐きながら、頭上の空を観察し、嵐が来ないか確かめる。
黒雲はまだ山頂にとどまっているが、今夜は微妙なところだった。
クシールから託された鞄を大切に抱え、ゼインは前方を真っすぐに見据える。
厳しい鍛錬を積んできたゼインにとって、ノーラ山程度はどうということもない山ではあるが、冬となればやはり危険は伴う。
道が明るいうちにと急ぎ足で進んでいくと、不意に前方で雪の塊が動いた。
素早く身構えたゼインは、巨大な雪の山に目を凝らす。
黄色い目がぎょろりと動いた。
雪の中から浮き上がるように立ち上がったそれは、巨大な雪狼だった。
その鋭い牙からは、新鮮な血が滴っている。
ちょうど食事をしていたらしい雪狼は、ゼインにそこを去れと威嚇するように低い唸り声を立てる。
緊迫した時間が続き、雪狼が再び雪の中に顔を埋める。
耳を澄ませれば、骨を噛み砕き、筋を引き裂き、肉を食む音が聞こえてくる。
アルノの家がある集落も近くにある。
退治してしまった方がいいかもしれないとゼインは考えた。
足場は悪いが、接近戦であれば戦える。
危険を承知で、ゼインは剣を引き抜いた。
「待って!」
不意にした声に、弾かれるようにゼインが走り出す。
アルノが傍にいるのであれば、待ったなしで殺さなければならない。
剣を走らせるより早く、雪の中からアルノが飛び出した。
「え!」
それはちょうど雪狼とゼインの真ん中だった。
雪まみれで飛び出したアルノを抱いて、ゼインは横に転がり、雪狼の攻撃に備えて剣を振り上げた。
ところが、雪狼は同じ場所にいて、まだ食事を続けている。
「ご近所さんなのよ。簡単に殺したりしないでよ」
腕の中から聞こえた声に、ゼインは驚いて視線を向ける。
顔を赤くしたアルノが、怒ったようにゼインを睨みつけていた。
金色の宣誓液で描かれた文様は、精霊言語が記されている精霊書に記録されている物であり、宣誓液で描かれて初めてその力を得る。
人の手で描かれなければならないその文様は、完璧であればあるだけ強い力が宿ると言われている。
幼い頃から何万回も描かされ、何百種類も死ぬ気で覚えさせられてきたアルノには、見飽きた模様だったが、クシールの目からしたら感動するほど美しいものだった。
「これは見事です。今まで作ってきた中では一番と言っても良いかもしれません。今年の審査会にどれを出すか決めなければなりませんね」
「そんなものがあるの?」
問いかけながらも、アルノはクシールの隣に座っている、輝くばかりの美しい顔立ちの男に目が釘付けだった。
まさかこれがお金を払えば雇える専属世話人なのだろうかと聞いてみたいが、恥ずかしすぎてとても聞けない。
「ありますよ。審査対象は契約紙ですが、作成者の腕の向上が目的です。契約師にも階級があります。教会所属の契約師ですが、審査会で三位以内に入賞すれば、国から国家契約師としての認定状とメダル、それから手当てが付きます」
「お、お金がもらえるの!」
身を乗り出したアルノに、クシールも顔を近づけた。
「欲は契約師の腕を削ぐとも言われています。あなたが良い物を作れば、それを作らせた担当僧侶の出世の道も開かれます。アルノさん、私もあなたに期待しているのです。
そして、もちろん専属世話人もまた、等しくその評価を受けます。
つまり、選べるのはこちらも同じなのです。
出世の見込みがない契約師に仕えたい世話人はおりません」
アルノは口をぽかんと開け、それから顔を赤くして下を向いた。
お金さえあれば選び放題だと思っていたが、世話人もまた、自分を出世させてくれそうな契約師を選ぶ権利があるのだ。
「じゃあ、私の腕が鈍れば、クシールもいなくなるの?」
「残念ながら、私は新米なのです。そうは思いませんか?あなたの師匠であるカトリーナさんが仕事を辞めた途端に、私が来るようになった。
つまり実績のないあなたの担当になりたがる僧侶がいなかったので、地方に派遣されていた私が教会の命令を受けてくることになったのです」
「そ、そうだったの?!」
つまり、クシールが担当契約師を選ぶ権利もない新人であるから、アルノの担当を押し付けられたのだ。
となれば、後輩を持つようになればクシールも、腕のよい契約師に鞍替えしてしまうかもしれない。
村の人達にも無視され、師匠には愛情のかけらもなくこき使われ、淡い初恋は無残にも砕けた。
さらに子供のころから続けている仕事なのに、新米の僧侶を押し付けられ、使える契約師かどうか試されている。
「確かに、師匠の所に来ていた僧侶とずいぶん歳が違うとは思っていたのよ」
「私も一応世話人になるための教育を受けましたが、アルノさんではちょっと、難しいかと思いまして、別の道を選ぶことになりました」
「それって、私と寝られるかどうか考えて、嫌だと思って専属世話人になるのをやめたということ?」
「ご想像にお任せします」
憂鬱な溜息が止まらない。
アルノはどうせこの二人から選ばれることはないのだと思うと、もうすっかり気が楽になった。
投げやりな気持ちで、さらにため息を連発する。
「でも、今回の契約紙は完璧だったのでしょう?もし審査会で良い結果が出たら、待遇がかわる?」
「報酬金が上がりますよ。頑張ってくださいね」
あまり期待していないような口ぶりで言うと、クシールは契約紙を一枚ずつ専用のファイルに包み、鞄に丁寧に片付けた。
「次の用紙をお渡ししておきます。一度に二枚にしていましたが、増やします?」
「ええ。増やしてちょうだい」
アルノの前に、三枚の真っ白な紙が置かれる。
教会で清められた特別なものだ。
それを汚さないように手に取り、アルノはすぐに出窓の傍にある棚の引き出しにしまった。
振り返ると、もうクシールが立ち上がっている。
隣に座っていた顔立ちのとても素晴らしい若い男も一緒に椅子を立ち、帰り支度を始めていた。
この美形の男が専属世話人候補だったとしたら、当然契約の話になるはずだ。
そうはならなかったということは、アルノにも、アルノが作った契約紙にも将来性を感じなかったということだ。
がっかりしているアルノに、クシールが淡々とした笑顔を向けた。
「では、また五日後に」
「二日かけて戻って、一日休んで、また二日かけてくるの?大変じゃない?」
玄関口まで見送りに来たアルノに、クシールは、すがすがしいまでの作り物の笑顔で微笑んだ。
「新人なので、この程度の仕事しかないのです。アルノさん、期待していますね」
アルノの作った契約紙の評価が上がらない限り、クシールの出世もないのだと念を押されているようで、アルノは引きつった笑顔で二人を見送り、肩を落として扉を閉めた。
結局、輝くばかりの美しい顔立ちの男は、名前すら名乗らず帰ったのだ。
彼が専属世話人になってくれる可能性は限りなく低いだろう。
「私って本当に魅力がないのね……」
寝室に行き、アルノは古びた姿見の前で自分の体を正面から眺めた。
太り過ぎてもいないし、痩せすぎてもいない。
髪が赤みがかっているのは仕方ないとしても、顔立ちもそんなに悪くないのではないかと思う。
とはいえ、おしゃれをしたことがない。
そんな余裕はなかったし、師匠のカトリーナはアルノに贅沢を許さなかった。
「学校も行けなかったのに……服なんて選べるわけもないわね」
村人たちの家を周り、頭を下げておさがりの服をもらうか、あるいは孤児院まで行って、衣服を下さいと頼むしかなかったのだ。
それが嫌で、穴の開いたブーツを自分で直して履き続けた。
「仕事しよう……」
どうやっても見かけはこれ以上修正は不可能とみて、アルノは居間兼、食堂兼、仕事部屋に戻り、出窓に面して置かれた机に座ると、引き出しから真っ白な紙を一枚取り出した。
――
山道を下るクシールの前を歩いていた聖騎士のゼインは、アルノの家から十分離れたことを確認し、歩きながら問いかけた。
「クシール様、なぜあなたが世話人を引き受けなかったのですか?」
ゼインはクシールの護衛として今回同行していた。
というのも、アルノの契約紙が高級品として認められ、その運搬に護衛が必要とされたからだった。
しかしアルノの担当僧侶であるクシールは、それをアルノに告げる気はなかった。
「彼女にはまだまだ甘えがあります。様々な方法を考慮し、彼女にはこの方が良いと結論を出しました。世話人を雇わずとも、うまく出来るのではないかとも思っていましたが、なにせ年頃の若い女性ですから、やはりそう簡単にはいきません」
「しかし、なぜ私に声をかけてくださったのか。あの契約紙であれば、審査会でも高評価が得られます。となれば、探さずとも世話人になりたいと申し出て来る者も多いでしょう」
「それはゼイン様、私はあなたに借りがある。彼女に将来性があると踏んだからこそ、声をかけさせてもらいました。ご自身の目で見てどう思われましたか?」
「借りとは思って頂かなくて結構ですよ。私も経験を積みたかったので、丁度よかったのです。彼女に関しては……なかなか厳しそうですね」
「時間をかけてください。焦らなくても大丈夫です。私は最初の道から逃げたのです。この道を決めたからには、もう逃げられません。あなたに恩を返す機会になればと思います」
クシール同様に、ゼインもまだ若く、有力な契約師に仕えるにはその指名を待つしかない立場だ。新人であるうちは、望まない契約師をあてがわれることもある。
うまく難を逃れることが出来なければ、そのまま十年以上も務めねばならず、相手が好まぬ性癖の持ち主であれば、その精神的な苦痛は計り知れない。
男の契約師の世話人になれば報酬は良いが、その勤めは憂鬱なものになる。
「クシール様はよろしいのですか?アルノさんに好意を持たれているのでは?」
「まさか、私はそうした色恋事に関心がありません。それは教育を受けるうえで、向いていないことがわかりました。だからこそ、アルノさんとは長く付き合っていけると思っています。是非ゼイン様のお力で、彼女を鍛えて頂きたい」
「わかりました。力を尽くしてみましょう」
クシールは胸に鞄を大切に抱き、ほっとしたように息をついた。
「あと一歩なのですが、なかなか本気になってもらえず、困っていました。これで一安心です」
「私は責任重大ですね」
二人の男はその日、山道の途中で一泊し、それから大聖堂のあるパラスに戻って行った。
その五日後、同じ道を今度は聖騎士のゼインが一人で登っていた。
白い息を吐きながら、頭上の空を観察し、嵐が来ないか確かめる。
黒雲はまだ山頂にとどまっているが、今夜は微妙なところだった。
クシールから託された鞄を大切に抱え、ゼインは前方を真っすぐに見据える。
厳しい鍛錬を積んできたゼインにとって、ノーラ山程度はどうということもない山ではあるが、冬となればやはり危険は伴う。
道が明るいうちにと急ぎ足で進んでいくと、不意に前方で雪の塊が動いた。
素早く身構えたゼインは、巨大な雪の山に目を凝らす。
黄色い目がぎょろりと動いた。
雪の中から浮き上がるように立ち上がったそれは、巨大な雪狼だった。
その鋭い牙からは、新鮮な血が滴っている。
ちょうど食事をしていたらしい雪狼は、ゼインにそこを去れと威嚇するように低い唸り声を立てる。
緊迫した時間が続き、雪狼が再び雪の中に顔を埋める。
耳を澄ませれば、骨を噛み砕き、筋を引き裂き、肉を食む音が聞こえてくる。
アルノの家がある集落も近くにある。
退治してしまった方がいいかもしれないとゼインは考えた。
足場は悪いが、接近戦であれば戦える。
危険を承知で、ゼインは剣を引き抜いた。
「待って!」
不意にした声に、弾かれるようにゼインが走り出す。
アルノが傍にいるのであれば、待ったなしで殺さなければならない。
剣を走らせるより早く、雪の中からアルノが飛び出した。
「え!」
それはちょうど雪狼とゼインの真ん中だった。
雪まみれで飛び出したアルノを抱いて、ゼインは横に転がり、雪狼の攻撃に備えて剣を振り上げた。
ところが、雪狼は同じ場所にいて、まだ食事を続けている。
「ご近所さんなのよ。簡単に殺したりしないでよ」
腕の中から聞こえた声に、ゼインは驚いて視線を向ける。
顔を赤くしたアルノが、怒ったようにゼインを睨みつけていた。
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