砂の地に囚われて

丸井竹

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16.静かな覚悟

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愛らしい声をあげる息子を抱いて、アスタは憂鬱な表情で外を眺めていた。
乳母がいるはずなのに、彼女たちは夜にしかやってこない。
ハカスがわざとアスタに子育てをさせ、愛情を植え付けようとしていることはわかっていた。

アスタの頬を伝う涙が、息子の頬に落ちる。

それに気づいた様子もなく、元気な息子は手足を動かし、乳房を探している。

「乳母を連れて来てやったぞ」

ハカスが部屋に入ってきた。
アスタの腕の中を見下ろし、ハカスは暗い表情をしているアスタの頬に唇を押し付けた。

「お前にはまるで似ていないな」

陽ざしに強い肌に、黒い瞳、耳の形も口元もハカスによく似ている。
ハカスは隣に座り、息子をアスタの腕から取り上げた。

ほっとしたように視線を逸らしたアスタの胸を強引にドレスから引っ張り出し、再び息子を押し付ける。
すぐにおっぱいを飲み始めた息子をアスタが仕方なく抱き上げる。

その様子を眺め、ハカスは意味深な笑いを浮かべた。

「水女が子供を産むのは砂の地では初めてのことだと思っていたが、案外そうではないのかもしれないな。生き延びるために、水女は交わった相手種族の特徴を備えた子供を産んできたのかもしれない。
砂の地に生まれたのに、泳ぎがうまいものがまれに見つかるのだ。
水路の魚の養殖も、そうした者たちが担当する」

息子を抱いたまま、アスタは怯えたように顔をあげる。

「アスタ、お前を水の宮殿に移す」

ハカスの強い眼差しは、次なる戦いに備え静かに燃えている。
子供を産んだからこそ、今が一番危険な時なのだ。

王位を継いだハカスが、どれだけの敵を作ってきたのか、アスタにはわからなかったが、宮殿内にいる侍女たちまでが武器を持ち歩いている。

「お前の息子ならば、水の中にも適応できるだろう」

「そうでしょうか……私には似ていないのに……」

寂しそうなアスタを子供ごと抱き上げ、ハカスは部屋の奥に向かう。
戸棚を移動させ、現れた隠し通路を下り始める。
水のにおいに反応し、子供が小さく鼻をうごかした。

長い通路を抜け、水面に浮かぶ宮殿内に出てきたハカスは、アスタと息子を寝台にそっとおろした。

「俺も父親になった。不思議なものだ。守らねばならぬものなど煩わしいと思っていたが、お前の産んだ子は悪くない。俺にそっくりだと俺の乳母だった女が驚いていた」

黙っているアスタの頬を抱き、ハカスはその唇を舌先で嬲るように舐め、今度は不安になるほど優しく唇を重ねた。
甘く、優しい口づけはダヤを思い出し、アスタの心に新たな苦痛を生んだ。

「んっ……」

憎い男の口づけと愛する人との口づけが似ていることがあってはならない。
心まで懐柔されそうなそんな恐怖に駆られ、アスタはハカスの腕を逃れようともがいた。
その抵抗をやすやすと押さえ込む。

心まで奪うような濃厚な口づけは、アスタの体から完全に力が抜けるまで続き、ハカスは最後にたっぷりアスタの口内に唾液を流し込んだ。

「うっ……」

アスタの喉が動いたのを手の下で確かめ、ハカスがゆっくり唇を離した。
涙に濡れた瞳がハカスを下から睨んでいる。
すっかり濡れた頬をハカスは舌で舐めた。

「お前を妻にする」

「いや……」

即座にアスタが震える声で拒絶する。
その怯えた表情から目を離すことなく、ハカスは押さえ込んだアスタの体を片手で撫で上げる。

「お前の産んだ息子が俺の跡継ぎだ。奴隷の子と呼ばれた方が良いか?それとも王の子か?」

「お、お願いです。どうか許してください……」

ついにアスタは懇願した。

「お願い。私を解放して。殺された方がましよ。私の夫は一人だけ。愛しているのも一人だけ。この子は……この子は……夫の子じゃないのに」

「ならば殺せば良い。何度でも孕ませてやる」

泣き出したアスタの体をハカスは抱かなかった。
まるで愛しているかのように優しく扱った。

それは、アスタにとってはダヤを思い出させるあまりにも残酷な行為だった。
見悶え、嫌だと訴えるアスタを抱きしめ、ただ体に優しく触れ、胸や首元に唇を這わせた。
それから最後にまた長時間にわたり、甘い口づけをした。

泣きつかれ、ぐったりとしたアスタの耳をしゃぶりながらハカスが囁いた。

「乳母はつけたが、息子の世話はお前がしろ」

ますます逃げられなくなる恐怖にアスタは泣いたが、ハカスの命令に逆らうのであれば道は一つしかない。
死を選ぶか、あるいは命令に従うかだ。
ハカスは出て行き、寝台に置かれた息子は、いつの間にか眠っていた。


明け方近くなって現れたハカスは、勝利の証である血濡れた剣をぶら下げていた。
乳母が息子を引き取り、ハカスは戦の残り火をかきけすようにアスタを抱いた。
泣きじゃくるアスタの声が風に運ばれ、朝靄の中でかきけされた。

泣きつかれたアスタを抱いて、ハカスは雄の印を深くアスタの中に刻みつけた。

「お前を王妃にする用意が整った。俺がこの国の王だ。俺が法律であり、俺が国を作る」

涙で濡れたシーツをアスタは握りしめた。
ダヤの妻という結びつきまで奪われ、ハカスの妻、そして息子の母という枷まで付けられた。
ダヤが迎えに来たとしても、アスタは何重にも縛られ身動きが取れなくなっているかもしれない。

「いつか、私に飽きると仰いました……」

「そうだな」

ハカスはアスタを仰向けにし、再び細い足を引き上げた。
腰を押し付け、その温かな胎内を内臓まで染め上げるように深く体を重ねる。

「んっ……」

泣きながら首を横に振るアスタを押さえ込み、再び甘い口づけを落とす。
ダヤの名を呼びたくなるほどの優しい感触に、アスタは逃れようと両手を突き出すが、ハカスの体は微動だにしない。

やがて唇を離したハカスは、アスタの涙を指でぬぐい、無言で腰を動かし始めた。
こみ上げる愉悦の波に溺れ、漏れる声は甘く、か細く響く。

「アスタ、息子の名前はイハだ。俺の後継者とした」

息も切らさず、ハカスは淡々と告げる。

「イハ……」

初めて産んだ子供が夫の子ではないことが、心の底から悲しく、アスタはすすり泣いた。
しかしもうイハの人生は始まっている。

イハの知る世界には母のアスタと父のハカスしかいないのだ。
兵士も侍女もイハに仕える身分であり、イハは王子として与えられた環境の中で生きていく。

ダヤへの愛も、ハカスへの恨みも、イハには関係のないことだ。

巫女として囚われてきたアスタは、負けた国の代償を生まれながらに支払わされてきた。

イハには自分の人生を生きてもらいたい。
様々な葛藤を経て、アスタは静かにイハの存在を受け入れた。


疲れ切り、眠りに落ちたアスタを抱きしめ、ハカスは自分の計画がうまくいっていることに満足していた。
アスタは愛の深い女であり、子供を産めば憎い男の子供であろうと、良い母になろうとすることはわかっていた。

葛藤はあるだろうが、アスタは自分の人生を切り捨ててでも愛する者を守ろうとする。
となれば、イハはアスタの強力な足枷となりハカスの傍を離れられない。

例え、ダヤが迎えに来たとしても、簡単にはその手を取って出て行くことは出来ないだろうとハカスは考えた。
しかしいつまで優しい夫を演じ続ければ良いのか。

まったくらしくないことを始めたハカスは、その胸にもやもやとした葛藤が渦巻いていることにも気が付いていた。
アスタへの執着心はどうしても消えないのだ。

いつ飽きるのか、自分でもわからない。子供を産めば、体形が変われば、あるいは飽きるまで抱いたら、アスタを捨てる気になるだろうかと思ったが、その執着は深まるばかりだ。
さらに砂の地の外から来た男にも狙われた。

アスタにはやはり力を持つ男を引き付ける何かがあるのだ。

悲しそうな表情のまま眠るアスタを見下ろし、その金色の髪を指先で払う。
その胸に込み上げるらしくない感情に苛立ちながらも、もう乱暴に扱うことも出来ない。

頬を撫で、唇を押し当てる。

「アスタ……お前は俺の物だ。誰にも渡さない」

眠りから覚まさないように、ハカスは慎重に寝台を抜け出し部屋を出た。




――



火の王ガドルは怒り狂っていた。
多くの国を飲み込み、大陸最大の領土を誇っていたというのに、オルトナ国の支配下から脱却しようとする国が絶えない。

その引き金となっているのは、最弱の民族である水の民を率いる王だ。
水の民でもないのに、彼らをまとめあげ、彼らに賛同する者を集めている。

しかしもう無駄なことだと嘲笑ってもいられなかった。
水源を一つ奪われたのだ。
ダヤ王率いる水の民の軍勢と、火の王の軍勢、戦えば負けはないと思っていたが、その補給路を断たれた。

火の民にも水は必要だ。
だからこそ、その水を操る民を支配下に置いてきた。
彼らは聖域を奪えば無力になるはずだったが、王を得て多少の力を取り戻した。
聖域が彼らに与える力ほどではないが、臆病で逃げ惑うばかりの彼らは突然生まれ変わったかのように勇敢になったのだ。

王に盲目的に従う水の民の戦士達は、今や勇猛果敢な戦士集団として知られ始めている。
ダヤは間違いなく戦闘民族であり、なまぬるい大陸の戦いの歴史を簡単に塗り替えた。
地形を読み、作戦を立て、最弱の民族を率いて、火の王の軍勢を打ち破った。

領土を一部失ったが、それ以上にガドル王に対する信頼が大きく損なわれた。
国内からも非難が殺到し、ガドル王は王である資格を問われることになったのだ。

「陛下、大変です。ゴードリオンが軍を離脱しました。反逆者として討伐部隊を編成しましたが、その、擁護する者が現れ」

飛び込んできた兵士が、膝をつくや否や早口で報告を始めたが、すぐに王の顔色を見て下を向く。

オルトナ国にも王位簒奪を狙うものがいる。
一度の負けで、自分こそが王に相応しいと勘違いするものが出てくるのだ。
火の民は野心家で、炎のように激しい生き様を好む。

力でねじ伏せてきた者達が、水の民に負けるような王であれば、勝てるのではないかと考え始めたのだ。
外にも内にも敵がいる。

大陸中の水路を抜けて移動を始めた水の民を追いかけるのにも人手がいる。
大軍を分けてことにあたらせては、数の利を失うことになる。
二度目の敗北があれば、今度こそ内乱は避けられない。

「おのれ、水の王ダヤ。あいつの前でアスターリアを俺の物にしてくれる」

ダヤの目的はわかっているのに、脅しの材料になり得るアスターリアは遠い砂の地にいるのだ。

王座から立ち上がり、ガドルは側近の戦士達を従え、王の間を飛び出した。


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