砂の地に囚われて

丸井竹

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12.選ばれた王

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国を失った水の民の借りの王国は、地下の洞窟にあった。

敵の侵入を防ぐための水路が、迷路のように引かれていたが、とても宮殿と呼べるような場所ではない。
国を追われたのは数百年前だとダヤは説明を受けたが、その数百年を水の民は国を取り戻すためではなく、隠れ家を広げるために費やしたのだ。

おかげで、その迷路のような洞窟には、王のための部屋も神殿さえもあった。
ダヤは数百年誰も使ってこなかった王の執務室にこもり、なんとか手に入れた大陸の地図を広げ、険しい表情で考え込んでいた。

その視線の先には、水の民の聖域を示す印がある。
古いインクで描き込まれたその文字の上に、新しいインクで書き込みがされている。

それがオルトナ国だった。
火の国、オルトナ国は、水の民の国をのっとり、聖域の上に城を建てた。
そこを中心に、大陸のほとんどの国を侵略し、支配下におさめている。

「陛下、お酒と食事をお持ちしました」

許可も得ず入ってきた女が、酒の入ったグラスをダヤの前に置いた。
さらに魚料理が盛られた皿も添える。

女はさらに、自分も食べてほしいといわんばかりの態度でそこに立つ。
ダヤはグラスを手に取り、一気に飲み干すと、皿に盛られている魚料理をつまみ、口に放り込んだ。
さっさと平らげてしまえば、女がこの部屋に留まる理由もなくなる。
すかさず女が口を開いた。

「神官様が、私は良い子を産めると言っておりました」

さりげなく豊かな胸元を両腕で押し出して見せる。

「俺の妻はアスタだけだ。彼女以外に欲しいとは思わぬ」

その姿をちらりとも見ず、ダヤはさらに厳しい顔つきになった。

なぜ彼らは突然現れたダヤを、そこまで信頼しているのかとダヤは不思議に思った。
砂の民は、肌は黒いし、戦闘民族に相応しく体も大きい。
水の民は小柄で、男であっても、ダヤより背が高い者はいない。

これだけ見た目が違うというのに、彼らはアスタの付けた印を見てダヤを王とあっさり認め、あっという間にダヤを中心に国としての形を整えてしまった。

知らせも出していないのに、ぞろぞろ集まってくる民たちにダヤは驚いたが、それが王が出現した時に覚醒する能力の一つだと神官が説明した。

「我らは王が現れて初めて、集結する力を得るのです」

さらに太古の力を蘇らせるには、聖域の泉が必要だと神官は付け加えた。
アスタが、なぜ砂の地で王を見つけることになったのか、その理由を聞いたダヤは、その問題の深刻さにさらに頭を抱える事態となった。

アスタは生まれながらにオルトナ国に捧げられており、敵国の人間を王に任命するように強要されていたのだ。
それを拒み、砂の地に捨てられることになった。
つまり、砂の地に入るための入り口は敵国が管理しており、まずは水の民の力を覚醒させるために、敵国の中心地にある聖なる泉を取り返さなければならない。

神官は、さらに不吉な言葉を付け加えた。

「アスターリア様は予言の巫女であり、その力は純潔を失えば弱まります。
王を任命した今、アスターリア様の持つ聖なる泉の加護も祝福も消えたはず。巫女は、王を守るためその身を犠牲にしたのです。もうその役割は終わりました」

アスタは珍しく生きて砂魚の腹から見つかったのだ。
まれに生きたまま水女が見つかることもあるが、大抵は瀕死の状態であり、餌に使うぐらいしか用途がない。
しかしアスタは話しが出来るほどの体力を残していた。
ということは、予言の巫女としての力がアスタの身を守っていたのだ。
純潔を失った今、同じ目に合えばもう助からないかもしれない。

「アスターリア様は、本来は巫女であり、男と交わることを禁じられている身の上。
王の子を孕める娘は他にもたくさんいます」

他のことでは従順な水の民も、世継ぎの問題だけは譲れないと引かなかった。
しかし今はそれどころではない。

皿の上の料理を片付けながら、ダヤは控えている女を見た。

「聖域にある泉が手に入れば、お前達は力を取り戻すと聞いた。それはどんな力だ?」

女はわざとらしく体をしなやかに動かした。

「王が現れることで、水の民は王の居場所を知り、集まることのできる能力を覚醒させました。
泉に触れることが出来れば、水を自由自在に操ることが可能ではないかと言われております。
さらに王は水を繋ぐ力を得るでしょう。しかし聖域を奪った火の国は強大です。巫女を全て奪われていますし、戦う術もありません」

「俺が乗ってきた砂魚はどうだ?あれは戦いに使えないのか?あるいは砂の地にあれで戻ることは?」

「王が予言の巫女により選ばれた時、水の印が刻まれました。あれは予言の巫女が一度だけしか使えない力で、水から生まれたものを操り、王を民のもとに運ぶことが出来ます。
そのため、王が出現したと知った時にこちらで用意した王魚たちを放ちました。
ちなみに、王魚は乗り物ですが、自在にどこでもいけるというものではありません。教えた場所でなければいけませんし、制御を失えば地中から戻って来られなくなります。
王を拾い上げた王魚は、自分がどうやってそこに辿り着いたのかさえわかっておりませんし、元の場所に戻りません。こちらの方が水が豊富で、砂地に行く必要性がありませんから。王の仰っていた砂魚は、恐らく、オルトナ国によって砂の檻に投げ捨てられ、出てこられなくなったものが、そこで進化した物だと思います」

眉間の皺を深くしたダヤに微笑みかけ、女は付け加えた。

「砂地に行くなら、水を操る力は必要だと思います。でも、力が戻らなくても王が砂の地に行くというならば、我らは全員でついていくことになります。私達は王に従うように生まれた種族ですから」

忠誠心というより、群れの本能のようなものだなとダヤは考えた。

地道に砂の地を目指すのであれば、まずは水の民の戦士達を鍛えなければならない。
さらに、大陸の国々の情報も集め、オルトナ国を倒す作戦を練る必要がある。

なにせ火の国オルトナ国は、大陸最強の国なのだ。
それを国もない最弱の水の民が倒すなど、この時点では荒唐無稽の話と笑われても仕方がない。

「王よ。お情けはいただけないのですか?」

女が、待ちきれずに身を乗り出す。
ダヤは空になった皿を突き出した。

「これを下げてくれ」

女は残念そうにお盆と皿を持つと、お尻を振りながら部屋を出て行った。


――


焼けつくような熱が砂上の王国を覆っているが、水に囲まれた宮殿にいるアスタのところには、涼やかな風が吹き込んでいる。
それはパール国の地下から発見された石板のおかげだった。
正確には、その後ろから発見された水のおかげだ。

アスタの解読により、ハカスは石板が埋め込まれていた壁を破壊した。

その先に巨大な岩が置かれていた。
驚くべきことに、その岩のくぼみに澄んだ水が溜まっていたのだ。

洞窟の中であっても、数百年の時が経っていれば、窪みに注がれた水も干上がり、そこに水が残っているはずがない。
ところが、その水は窪みの縁までたっぷりあり、しかも濁り一つなかった。

流れもないのに、淀んでいないその澄んだ水に触れた途端、アスタは激しい頭痛と共に、先祖の記憶を思い出した。

海で語り合う魔物の言葉さえも頭の中に聞こえてきたのだ。
不思議な力を秘めたその言葉を口に出してみれば、実際に空中にある水分を集め、焼けつくような日差しをやわらげた。

白い布ですっぽり全身を覆っていなければ、火傷を負ってしまうアスタは、少しの間であれば日差しの下をフードも無しに歩けるようになった。

純潔を失った時に消えたと思っていた巫女の力も多少なりとも取り戻し、水の浄化も出来るようになった。

水を操る力となれば、砂の国にも利益があった。
貴重な水を干上がらせる前に、地下に移動させることも可能であったし、汲み上げ式のポンプの稼働に奴隷たちの労力を使う必要もなくなった。

その力の利用と引き換えに、ハカスは石板の後ろから発見されたその水場への出入りをアスタに許可した。
アスタはその水に触れることで一時だけ辛い現実を忘れ、水の中を自由に泳いでいるような気分を味わうことが出来た。
それは先祖の記憶であったが、まるで自分が体験しているかのように感じられたのだ。

太古の種であるその先祖の姿は、今のアスタとは似ても似つかぬ形であり、人の感情さえ持っていなかったが、その記憶の全てがどこか懐かしく、心から癒された。

さらに、記憶の中で先祖たちの会話を聞き、力を持った言葉をいくつも覚えた。
予言の巫女とは、王を任命する力を持つだけでなく、太古の記憶を受け継いで生まれてくる者のことだったのだとアスタは思った。

浮かび上がってくる幾多の記憶の中には、砂地で死んだ水の巫女たちの記憶もあった。
多くの白骨化した巫女たちは、火の国に砂の檻に捨てられ、この地に運ばれてきた巫女たちであり、全員が短命だった。

見知らぬ記憶に想いを馳せていたアスタは、扉が鳴る音で我に返った。
そちらを振り返ったアスタは、さっと青ざめ、体を強張らせた。

「大丈夫だ。我が国の勝利だ」

巨大な剣を腰に吊り下げたハカスが、真っすぐにアスタに向かって近づいてくる。
その剥き出しの胸には、血のにじんだ白い包帯が巻かれている。

腰の剣を鞘ごと抜いて壁に立てると、ハカスは寝台に腰を落とした。

「ドローワ国が攻めてきた。砂魚の腹に入って襲って来たのだ。一か八かの賭けだったのだと思うが、なかなかの強敵だった。彼らもまた命がけだ」

ハカスは無理矢理アスタを引き寄せようとはせず、寝台の隣を軽く叩いた。

その合図に従いアスタはおずおずと隣に座る。
ハカスがその腰を抱き寄せ、もう一方の手を胸元に入れる。
不快な感触に耐え、アスタは目を閉じた。

「残念ながら、女、子供の場所はわからなかった。国を奪えなければ、全員が死ぬ覚悟で男達は砂を越えてきたのだ。あるいは、この国に希望を見出していたのかもしれない。俺の名は他国でも知られている。なぜかわかるか?」

アスタが首を横に振る。

「奴隷であるお前を手厚く保護しているからだ。それに、お前の欲しがっていたあの男を奴隷の身分から解放し、自由民として兵士にした。俺が身分ではなく実力で人を評価できる男だと思われている。
さらに、第二王位継承者でありながら、俺の活躍は目をみはるものがある。お前が産んだ子供を俺の後継者にするために、俺が民衆に媚びているという噂さえある」

「奴隷の子は、奴隷では……」

「今の法律ではそうだ。しかし俺が王になれば変わる。それは砂の地においては危険な思想だ。アスタ、お前の護衛も増やしている。俺の持つ力を警戒する勢力が増えている。彼らがとる選択肢は二つだ。敵になるか味方になるか。奴隷であるお前が世継ぎを生むことを容認する代わりに、味方にしてほしいと言ってくる奴らもいる。
奴隷たちも、俺の目に止まろうと必死に腕を磨いている。
俺は今や砂嵐の目と同じだ。
お前を守るために、その嵐をあえて作り出し、争いの種をまいている。わかるか?」

「私は……そんなこと望んでいません」

うつむくアスタを寝台に押し倒すとハカスはその上に覆いかぶさった。
唇が触れる寸前で動きを止め、アスタの揺れる瞳を見下ろす。

「俺が全力でお前を守っている。俺が死ねば……お前はどうなる?」

「そんな脅し無用です。死の覚悟はとっくに出来ています」

膨らんできた腹を撫で、ハカスはにやりと笑う。

「お前の覚悟はとうに見た。だから俺も変わることにした。お前は俺のものだ。妻にして隣に置く」

「私はもうダヤの妻です」

「他国での話だ。砂の地では通用しない」

流されてきたダヤもアスタも捕らえられた時点でこの国の奴隷だ。

「アスタ、水の神殿に行きたいか?」

石板の後ろから発見された水場をハカスは神殿のように装飾し、豪華な一室に改造していた。

「許可はもう頂いております……」

しかしその許可は、ハカスの気紛れで取り上げられてしまう。

「お前も、俺に逆らえない。そうだろう?」

優しく見せかけても、その本質はかわらない。
ハカスはアスタのドレスの裾をまくりあげ、細い足を持ち上げた。
戦いで高ぶった心を鎮めるかのようにアスタの体を抱き込み、太い腰を股の間に押し込む。

「うっ……」

お腹の子供のために、乱暴にしないでほしいと懇願しそうになり、アスタは唇を噛みしめた。
憎い敵の子なのに、なぜ心配してやらなければならないのか、そんな想いと、それでも愛おしさが募っていく存在に、板挟みになり心が悲鳴をあげている。

「アスタ、お前は俺の物だ。体と心に深く刻めばいい」

体を押し開く大きな異物の感触に、アスタは体をのけぞらせ、か細い悲鳴をあげた。
いっそのこと、心が死んでくれたらいいのにと願いながら、アスタは太古の海に想いを馳せた。

海を泳いでいた先祖たちは原始的な生活をしていたため、その言語も単純なものばかりだ。
数も数えられないし、複雑な言葉の組み合わせも存在しない。

天敵から身を隠し、汚れた水を浄化し、呼吸をしやすくするため空気を集める。
水が減れば水を呼び寄せ、その流れを変えて環境を整える。
先祖の言葉の全ては、水中で生きていくための力であり、空を飛んで砂地を越え、ダヤのもとに行くようなことは出来ない。

ハカスが無理やりアスタの顔を正面に向けさせ、唇を重ねた。
目を固く閉じ、アスタはその不愉快な感触に耐える。

胎内に広がる熱は、アスタの体を完全に支配下に治め、くすぶるような刺激を生んでいる。

最悪な感覚を無視しようと努めながら、アスタは涙がこぼれる前に上を見た。
そこにハカスの顔があった。

「アスタ……褒美に水の神殿に連れていってやろうか?」

アスタの中に種を吐き出し満足したハカスに、アスタは苦痛の表情を浮かべたが、素直に頷いた。

「あれは……私達の聖地にある泉の水に似ています」

「お前の故郷か?」

「故郷はありません……でも、泉にはその片鱗が残されているのです」

ハカスはまたもやダヤを思い出させるような、優しい微笑みを見せた。

「いつか砂の外に出られるかもしれないな」

目を逸らしたアスタを見て、ハカスは体を起こし、脱ぎ捨てた衣服を身につけ始める。

その視線の先に、アスタの膨らんできた腹がある。
ハカスは冷酷な微笑を浮かべ、拾い上げた剣を腰のベルトにさした。





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