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3.再会の夜
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パール王国よりもはるかに小さなバーヤン国から、砂魚によって運ばれてきたダヤは、闘技場の地下にある奴隷用の牢屋に入れられていた。
砂魚狩りに駆り出されたこともあるが、今はもっぱら剣闘士として働かされている。
その日々は、常に命がけであり、毎日の訓練と武器の手入れが欠かせない。
最初与えられた錆びた剣で勝ち残り、その後、敵を負かすたびに、相手の武器を取り上げて勝利を重ね、今では望む武器が手に入るようになってきた。
最悪な状況ではあるが、唯一幸いなことを挙げれるとすれば、それは他の奴隷と仲良くなる必要がないことだった。
勝利を重ねたダヤは大部屋を出され、一人用の牢に入れられている。
体調管理を考えた食事を与えられ、設備の整った訓練場の使用も許可されている。
それだけ金を賭けている支援者も、ダヤの体を買いたい貴婦人も多いのだ。
ダヤもまた、この地で生き延びるために、自分が得られる全てのものを利用していた。
好きでもない女を抱いて気に入られ、派手な立ち回りで勝利し、支援者を喜ばせる。
そのかいあって、アスタの無事を知ることが出来た。
第二王子の寵愛を受ける水女の話はある程度の身分にある者なら誰もが知っており、貴婦人でさえその奴隷の名を記憶していた。
お互いが生きていれば、必ずいつか会うことが出来る。
その想いを胸に、ダヤは完璧に肉体を鍛え、最大限の力が引き出せるよう武器を磨き上げた。
試合開始の銅鑼が闘技場から聞こえてきた。
前回優勝者のダヤが呼ばれるのは後半だ。
卑怯な手段ではあるが、支援者に媚びを売り毒まで手に入れている。
手入れを終えた武器を手に取り、ダヤは静かに出番を待った。
闘技場の王族席には太陽の日差しを遮る、布の屋根が取り付けられていた。
その中には第二王子ハカスと、奴隷のアスタの姿がある。
アスタは、白い布で全身を覆っている。
身にまとう白い布よりも青ざめ、アスタは両手を胸の前で握りしめ、祈るように闘技場を見下ろしていた。
その隣で、ハカスはソファに横たわり、アスタの腰を抱き寄せ布の下からその胸や股間をまさぐっている。
「絹のような肌触りとはこのことだな。砂の民ではこうはいかない。アスタ、こっちを向け」
ダヤの姿を一目でも見たいアスタは、露骨に嫌そうな顔をして振り返る。
ハカスの合図を受け、苦痛の表情でハカスの唇に自身の唇を重ねる。
その心底嫌そうな様子にハカスは満足し、さらに布の下で乳房の先端を強くつまんだ。
「んっ……」
アスタの目に涙が浮かぶと、ハカスはその頭を抱き寄せ、その瞳をべろりと舐めた。
「うう……」
わずかに抵抗をみせるアスタを押さえ込み、首筋にしゃぶりつく。
「そろそろ出て来るぞ」
アスタはいてもたってもいられず、ハカスの腕を振りほどき、身を乗り出した。
その瞬間、下からわくような歓声があがる。
闘技場の真ん中に、ダヤの姿が現れた。
アスタは飛びつくように立ち上がり、天幕の外に出ようとする。
その手首を掴み、強引にソファに押し倒したハカスは、アスタの足の間に腰を押し込んだ。
「い、いやっ!」
ダヤが命がけの戦いを始めようとするときに、他の男と快楽を貪るようなことはしたくない。
アスタは抵抗したが、重い体に押さえ込まれ、起き上がることすらできない。
ハカスはアスタの体を覆う白い布をめくりあげ、その中に頭を入れた。
光が透ける布の中で、二人の視線がぴたりと合う。
その冷酷な顔を見て、アスタは涙をこぼす。
「なぜ、こんな真似を?」
冷酷なハカスが、アスタを悲しませて遊んでいることはわかっている。
しかしハカスほどの権力者が、いつまでも奴隷を使ったこんな子供じみた遊びに退屈しないわけがない。
多少珍しい水女だとしても、奴隷はおもちゃであり、飽きたら簡単に捨ててしまう。
ハカスはそうした男だと侍女たちの噂話で知り、その日が一日でも早く来るように願い続けてきた。
それなのに、ハカスは一向にアスタを手放そうとしない。
「言っただろう?字を読める水女は珍しい。それに……お前は奴隷らしくない。もしあの男が今日の試合で優勝すれば、競りにかけられ、一晩体を売られることになる。
アスタ、お前が俺に協力するのであれば……今宵、一晩だけ、あの男の体をお前に買い与えてやろう。どうだ?」
「ダヤに……会わせてくれるの?一緒にいられる?」
緊張で声を震わせ、アスタはすがるようにハカスを見返す。
冷酷なハカスは甘い餌をぶらさげ、目の前で取り上げることさえ出来る権力者なのだ。
とはいえ、ハカスの提案を拒絶することはできない。
どんなことをしても、何を犠牲にしてでも、ダヤに会わなければならない。
「な、何が望みなの……」
砂の外のことを教えるといえば、本当にダヤに会わせてくれるだろうかとアスタは考えた。
しかし話を聞いた後で、やっぱり会わせないと言われてしまえば、もう取引材料を失ってしまう。
「今、お前から何かを奪おうとは思っていない。お前は何度も俺と夜を過ごしていながら、まだ一度も褒美を受け取っていない。それ故、これまでの褒美として、今夜、あの男を買ってやろう。
奴隷同士であるため、牢内で会ってもらうことになるが、監視の目を気にしないでいられるのであれば、体を重ね、愛し合うことさえ可能だ」
この独占欲の強い男が、まさかそんなことまで許可するとは思わず、何か魂胆があるに違いないとアスタは怯えた。
何かを得れば、そのための対価を支払わなければならない。
「ほ、本当に?」
天幕の外から観客の歓声が聞こえてきた。
勝者が決まったのだ。
「彼が……死んだら、私も死ぬから」
睨んでくるアスタの濡れた瞳を見返し、ハカスは冷酷な微笑を浮かべた。
「一晩、あの男が欲しければ、今すぐ俺を喜ばせろ」
愛するダヤに会うために、アスタは憎い男を睨みながらも唇を重ね、小さな舌をその間から差し込んだ。
勝者とはいえ奴隷であり、その収容先は牢獄だった。
積み重ねた勝利のおかげで、訓練が出来るほどの広さがある。
牢に入ると、没収されていた武器が一つ戻される。
次の戦いに備え、牢内で訓練出来るようにという特別な配慮からだ。
一人用の牢に入った奴隷にだけ与えられた特権であり、外に出る時には、また武器を外に出さなければならない。
今回もなんとか勝利を掴んだダヤは、扉の鍵が閉まると、鉄格子の隙間から差し出されるはずの武器を待って、手を突き出した。
常に自分の腕を磨き続けなければ、いつ命を奪われるかわからない。
ところが、牢番はダヤに武器を渡さず、通路の奥に下がった。
その背後には数段の階段があり、牢が並ぶ地下室には相応しくない豪華な装飾を施した鉄扉がある。
奴隷を見下ろしてくるその冷徹な扉を見上げ、ダヤは険しい表情で寝台まで下がった。
きっともう勝者を寝室に呼ぶ権利をかけた貴婦人たちの競りが終了したのだ。
ダヤは憂鬱な気持ちで、固い寝台に腰を下ろした。
まるで褒美でもあるかのように、勝てば女を抱けるとは言うが、それを拒否する権利もなく、満足させられなければ鞭さえもらうことがある。
奴隷にとっては、寝室に呼ばれることも戦いだった。
自分を買った貴婦人に気に入られることが出来れば、それもまた奴隷にとっては武器になる。
気に入った剣闘士をまた勝たせたいと思った貴婦人が、様々な差し入れをしてくれるからだ。
頑丈な武器や、毒薬を入手できる時もあるし、あるいは弱い対戦相手を選ぶなどの便宜をはかってもらえる。
ダヤはアスタが生きている限り、あらゆる手を使って生き延びるつもりだった。
と、ようやく貴族らが訪れる階段上にある鉄扉が開き始めた。
重々しい金属音が聞こえてくると、ダヤは寝台から立ち上がり、少しでも相手に気に入ってもらうため、扉の正面に移動し、両膝をついて頭を軽く下げた。
こうしておけば、扉を出てきた貴婦人に、この瞬間をどれだけ待ち望み、光栄に想っているか示すことが出来る。
品質の悪い、細い蝋燭しかない通路に、眩しいほどの光が溢れた。
扉から通路に落ちた光は、牢内にまで届き、ダヤの足元までも照らし出す。
その光に目を慣らしながら、ダヤは今日相手をすることになる貴婦人を探した。
視線を少しずつ上げ、ついに階段を見上げたダヤは、思わず息を止めた。
扉から出てきた男が一歩を踏み出す前に、ダヤはなんとか平静さを取り戻し、動揺を悟られまいと下を向いて表情を隠した。
かつかつと床を叩く靴音が牢に近づく。
その足音にダヤはじっと耳を澄ませる。
男の後ろから小さな足音が続く。その軽い靴音に、ダヤの胸は痛いほど震えた。
「今回も無事勝利をおさめたようだな。褒美をさずける」
ハカスはダヤの主人にあたる。
しずかに息を吐き出し、ダヤは感謝を示すために、さらに頭を下げた。
「頭をあげよ」
全ての感情を無理やり胸の内に押し隠し、ダヤはゆっくり顔をあげる。
その目に、ハカスの後ろに隠れるように立つアスタの姿が映る。
怒りと屈辱、それから例えようもない安堵感がダヤの全身を駆け抜ける。
ようやく無事を確認出来たことに、ダヤは喜びをかみしめた。
ダヤは別れた時よりも少しやつれ、悲しそうな表情で目を伏せているアスタをじっと見つめた。
アスタは唇を噛みしめ、手を胸の前で握りしめている。
「アスタ、褒美だ。受け取れ」
その言葉に、放たれた矢のようにアスタは駆けだし、ダヤのいる牢にとびついた。
「ダヤ!」
二人の間には牢の鉄格子が冷たく横たわる。
それでも手を触れ合わせ、唇を重ねるぐらいのことは出来る。
アスタは体を隠すように両腕を胸の前に寄せ、鉄格子を握りしめる。
すがるように見上げてくるアスタを前に、ダヤは躊躇った。
敵の前では感情を秘めておくものだ。
アスタとダヤの反応を見て、ハカスは奴隷を弄ぶ方法を考えてくるはずだ。
ゆっくりと立ち上がり、ダヤは慎重にアスタに近づく。
鉄の棒を握りしめるアスタの白い指に、ダヤはそっと触れた。
「アスタ……無事だったのか、体は大丈夫か?」
濡れた瞳が悲しそうに伏せられる。
その背後から、ハカスが近づき、アスタに被せられていた白い布を引っ張った。
するりと布は頭から滑り落ち、淫らな服を着せられたアスタの全身が露わになる。
「いやっ!」
悲鳴を上げ、アスタは床に崩れ落ち、両手で自分の体を抱きしめた。
胸元と腰をわずかに覆っただけの赤い繻子のドレスは、アスタの白い肌に蛇のようにまきついている。
ほとんど肌を隠さず、むしろ全裸であるより淫らに見える。
布で覆われていない肌には、目を覆いたくなるような凌辱の痕跡があった。
愛する女性のこんな姿を見せられて、平静でいることはどんな男であっても難しい。
拳を握り込み、ダヤはアスタの背後にいるハカスを睨みつけた。
もし二人きりになることが出来れば、武器はなくとも襲い掛かり、生かしてはおかない。
ダヤの目は、雄弁にそう語っている。
「俺に感謝し、膝を付け奴隷。俺を夜毎に喜ばせたアスタへの褒美にお前を一晩買い上げた。今宵だけ、一緒にいることを許してやろう」
罠ではないかと疑いながらも、ダヤはハカスを睨んだまま、床に片足ずつ膝をついた。
「感謝いたします」
突き上げるような怒りを胸に秘め、頭を下げて表情を隠す。
奴隷として間違った行動をとれば、アスタの身にも危険が及ぶ。
主の命令に従い、素直に膝をついたダヤの姿に、ハカスは密かに感心していた。
鍛え抜かれた体も、その立ち振る舞いも、明らかに奴隷であった者ではない。
砂魚の口から見つかった時、この男はアスタを腕に抱え、たった一本の短剣で二人の体を舌先で支えて数日を生き延びたのだ。
水女を守るために選ばれ、任務についていた名のある戦士なのかもしれないが、そうした身分だった者が流れ着けば、奴隷扱いされる屈辱に耐えきれず、反抗を繰り返し長生きは出来ない。
しかしこの男は、生き延びるために過去の栄光をかなぐり捨て、身一つで戦い続けている。
そしてアスタもまた、この男の為であれば憎い男に体を投げ出し、奉仕することに躊躇うこともしない。
強固な愛が粉々に砕けていく様を幾度も見てきたが、この二人の姿にはなぜか別のものを感じ、ハカスは肩を震わせ縮こまっているアスタの後姿と、牢の中から膝をつき顔を隠した男を見比べた。
鉄格子越しに身を寄せ合い、少しでも傍にいたいといった態度だが、引き離されることもまた、覚悟をしているようにも見える。
「アスタ、約束の褒美だ。一晩だけ、ここに滞在することを許そう」
牢番が鉄の棍棒を牢に突き入れ、ダヤに下がれと短く命じた。
ダヤは素直に牢の奥に退き、また両膝をついて服従の姿勢をとる。
牢番が扉を開けた。
アスタは誰の言葉も待ったりしなかった。
すぐさま扉をすり抜け、牢に走り込むと、膝をついているダヤの腰に正面から抱き着いた。
砂魚狩りに駆り出されたこともあるが、今はもっぱら剣闘士として働かされている。
その日々は、常に命がけであり、毎日の訓練と武器の手入れが欠かせない。
最初与えられた錆びた剣で勝ち残り、その後、敵を負かすたびに、相手の武器を取り上げて勝利を重ね、今では望む武器が手に入るようになってきた。
最悪な状況ではあるが、唯一幸いなことを挙げれるとすれば、それは他の奴隷と仲良くなる必要がないことだった。
勝利を重ねたダヤは大部屋を出され、一人用の牢に入れられている。
体調管理を考えた食事を与えられ、設備の整った訓練場の使用も許可されている。
それだけ金を賭けている支援者も、ダヤの体を買いたい貴婦人も多いのだ。
ダヤもまた、この地で生き延びるために、自分が得られる全てのものを利用していた。
好きでもない女を抱いて気に入られ、派手な立ち回りで勝利し、支援者を喜ばせる。
そのかいあって、アスタの無事を知ることが出来た。
第二王子の寵愛を受ける水女の話はある程度の身分にある者なら誰もが知っており、貴婦人でさえその奴隷の名を記憶していた。
お互いが生きていれば、必ずいつか会うことが出来る。
その想いを胸に、ダヤは完璧に肉体を鍛え、最大限の力が引き出せるよう武器を磨き上げた。
試合開始の銅鑼が闘技場から聞こえてきた。
前回優勝者のダヤが呼ばれるのは後半だ。
卑怯な手段ではあるが、支援者に媚びを売り毒まで手に入れている。
手入れを終えた武器を手に取り、ダヤは静かに出番を待った。
闘技場の王族席には太陽の日差しを遮る、布の屋根が取り付けられていた。
その中には第二王子ハカスと、奴隷のアスタの姿がある。
アスタは、白い布で全身を覆っている。
身にまとう白い布よりも青ざめ、アスタは両手を胸の前で握りしめ、祈るように闘技場を見下ろしていた。
その隣で、ハカスはソファに横たわり、アスタの腰を抱き寄せ布の下からその胸や股間をまさぐっている。
「絹のような肌触りとはこのことだな。砂の民ではこうはいかない。アスタ、こっちを向け」
ダヤの姿を一目でも見たいアスタは、露骨に嫌そうな顔をして振り返る。
ハカスの合図を受け、苦痛の表情でハカスの唇に自身の唇を重ねる。
その心底嫌そうな様子にハカスは満足し、さらに布の下で乳房の先端を強くつまんだ。
「んっ……」
アスタの目に涙が浮かぶと、ハカスはその頭を抱き寄せ、その瞳をべろりと舐めた。
「うう……」
わずかに抵抗をみせるアスタを押さえ込み、首筋にしゃぶりつく。
「そろそろ出て来るぞ」
アスタはいてもたってもいられず、ハカスの腕を振りほどき、身を乗り出した。
その瞬間、下からわくような歓声があがる。
闘技場の真ん中に、ダヤの姿が現れた。
アスタは飛びつくように立ち上がり、天幕の外に出ようとする。
その手首を掴み、強引にソファに押し倒したハカスは、アスタの足の間に腰を押し込んだ。
「い、いやっ!」
ダヤが命がけの戦いを始めようとするときに、他の男と快楽を貪るようなことはしたくない。
アスタは抵抗したが、重い体に押さえ込まれ、起き上がることすらできない。
ハカスはアスタの体を覆う白い布をめくりあげ、その中に頭を入れた。
光が透ける布の中で、二人の視線がぴたりと合う。
その冷酷な顔を見て、アスタは涙をこぼす。
「なぜ、こんな真似を?」
冷酷なハカスが、アスタを悲しませて遊んでいることはわかっている。
しかしハカスほどの権力者が、いつまでも奴隷を使ったこんな子供じみた遊びに退屈しないわけがない。
多少珍しい水女だとしても、奴隷はおもちゃであり、飽きたら簡単に捨ててしまう。
ハカスはそうした男だと侍女たちの噂話で知り、その日が一日でも早く来るように願い続けてきた。
それなのに、ハカスは一向にアスタを手放そうとしない。
「言っただろう?字を読める水女は珍しい。それに……お前は奴隷らしくない。もしあの男が今日の試合で優勝すれば、競りにかけられ、一晩体を売られることになる。
アスタ、お前が俺に協力するのであれば……今宵、一晩だけ、あの男の体をお前に買い与えてやろう。どうだ?」
「ダヤに……会わせてくれるの?一緒にいられる?」
緊張で声を震わせ、アスタはすがるようにハカスを見返す。
冷酷なハカスは甘い餌をぶらさげ、目の前で取り上げることさえ出来る権力者なのだ。
とはいえ、ハカスの提案を拒絶することはできない。
どんなことをしても、何を犠牲にしてでも、ダヤに会わなければならない。
「な、何が望みなの……」
砂の外のことを教えるといえば、本当にダヤに会わせてくれるだろうかとアスタは考えた。
しかし話を聞いた後で、やっぱり会わせないと言われてしまえば、もう取引材料を失ってしまう。
「今、お前から何かを奪おうとは思っていない。お前は何度も俺と夜を過ごしていながら、まだ一度も褒美を受け取っていない。それ故、これまでの褒美として、今夜、あの男を買ってやろう。
奴隷同士であるため、牢内で会ってもらうことになるが、監視の目を気にしないでいられるのであれば、体を重ね、愛し合うことさえ可能だ」
この独占欲の強い男が、まさかそんなことまで許可するとは思わず、何か魂胆があるに違いないとアスタは怯えた。
何かを得れば、そのための対価を支払わなければならない。
「ほ、本当に?」
天幕の外から観客の歓声が聞こえてきた。
勝者が決まったのだ。
「彼が……死んだら、私も死ぬから」
睨んでくるアスタの濡れた瞳を見返し、ハカスは冷酷な微笑を浮かべた。
「一晩、あの男が欲しければ、今すぐ俺を喜ばせろ」
愛するダヤに会うために、アスタは憎い男を睨みながらも唇を重ね、小さな舌をその間から差し込んだ。
勝者とはいえ奴隷であり、その収容先は牢獄だった。
積み重ねた勝利のおかげで、訓練が出来るほどの広さがある。
牢に入ると、没収されていた武器が一つ戻される。
次の戦いに備え、牢内で訓練出来るようにという特別な配慮からだ。
一人用の牢に入った奴隷にだけ与えられた特権であり、外に出る時には、また武器を外に出さなければならない。
今回もなんとか勝利を掴んだダヤは、扉の鍵が閉まると、鉄格子の隙間から差し出されるはずの武器を待って、手を突き出した。
常に自分の腕を磨き続けなければ、いつ命を奪われるかわからない。
ところが、牢番はダヤに武器を渡さず、通路の奥に下がった。
その背後には数段の階段があり、牢が並ぶ地下室には相応しくない豪華な装飾を施した鉄扉がある。
奴隷を見下ろしてくるその冷徹な扉を見上げ、ダヤは険しい表情で寝台まで下がった。
きっともう勝者を寝室に呼ぶ権利をかけた貴婦人たちの競りが終了したのだ。
ダヤは憂鬱な気持ちで、固い寝台に腰を下ろした。
まるで褒美でもあるかのように、勝てば女を抱けるとは言うが、それを拒否する権利もなく、満足させられなければ鞭さえもらうことがある。
奴隷にとっては、寝室に呼ばれることも戦いだった。
自分を買った貴婦人に気に入られることが出来れば、それもまた奴隷にとっては武器になる。
気に入った剣闘士をまた勝たせたいと思った貴婦人が、様々な差し入れをしてくれるからだ。
頑丈な武器や、毒薬を入手できる時もあるし、あるいは弱い対戦相手を選ぶなどの便宜をはかってもらえる。
ダヤはアスタが生きている限り、あらゆる手を使って生き延びるつもりだった。
と、ようやく貴族らが訪れる階段上にある鉄扉が開き始めた。
重々しい金属音が聞こえてくると、ダヤは寝台から立ち上がり、少しでも相手に気に入ってもらうため、扉の正面に移動し、両膝をついて頭を軽く下げた。
こうしておけば、扉を出てきた貴婦人に、この瞬間をどれだけ待ち望み、光栄に想っているか示すことが出来る。
品質の悪い、細い蝋燭しかない通路に、眩しいほどの光が溢れた。
扉から通路に落ちた光は、牢内にまで届き、ダヤの足元までも照らし出す。
その光に目を慣らしながら、ダヤは今日相手をすることになる貴婦人を探した。
視線を少しずつ上げ、ついに階段を見上げたダヤは、思わず息を止めた。
扉から出てきた男が一歩を踏み出す前に、ダヤはなんとか平静さを取り戻し、動揺を悟られまいと下を向いて表情を隠した。
かつかつと床を叩く靴音が牢に近づく。
その足音にダヤはじっと耳を澄ませる。
男の後ろから小さな足音が続く。その軽い靴音に、ダヤの胸は痛いほど震えた。
「今回も無事勝利をおさめたようだな。褒美をさずける」
ハカスはダヤの主人にあたる。
しずかに息を吐き出し、ダヤは感謝を示すために、さらに頭を下げた。
「頭をあげよ」
全ての感情を無理やり胸の内に押し隠し、ダヤはゆっくり顔をあげる。
その目に、ハカスの後ろに隠れるように立つアスタの姿が映る。
怒りと屈辱、それから例えようもない安堵感がダヤの全身を駆け抜ける。
ようやく無事を確認出来たことに、ダヤは喜びをかみしめた。
ダヤは別れた時よりも少しやつれ、悲しそうな表情で目を伏せているアスタをじっと見つめた。
アスタは唇を噛みしめ、手を胸の前で握りしめている。
「アスタ、褒美だ。受け取れ」
その言葉に、放たれた矢のようにアスタは駆けだし、ダヤのいる牢にとびついた。
「ダヤ!」
二人の間には牢の鉄格子が冷たく横たわる。
それでも手を触れ合わせ、唇を重ねるぐらいのことは出来る。
アスタは体を隠すように両腕を胸の前に寄せ、鉄格子を握りしめる。
すがるように見上げてくるアスタを前に、ダヤは躊躇った。
敵の前では感情を秘めておくものだ。
アスタとダヤの反応を見て、ハカスは奴隷を弄ぶ方法を考えてくるはずだ。
ゆっくりと立ち上がり、ダヤは慎重にアスタに近づく。
鉄の棒を握りしめるアスタの白い指に、ダヤはそっと触れた。
「アスタ……無事だったのか、体は大丈夫か?」
濡れた瞳が悲しそうに伏せられる。
その背後から、ハカスが近づき、アスタに被せられていた白い布を引っ張った。
するりと布は頭から滑り落ち、淫らな服を着せられたアスタの全身が露わになる。
「いやっ!」
悲鳴を上げ、アスタは床に崩れ落ち、両手で自分の体を抱きしめた。
胸元と腰をわずかに覆っただけの赤い繻子のドレスは、アスタの白い肌に蛇のようにまきついている。
ほとんど肌を隠さず、むしろ全裸であるより淫らに見える。
布で覆われていない肌には、目を覆いたくなるような凌辱の痕跡があった。
愛する女性のこんな姿を見せられて、平静でいることはどんな男であっても難しい。
拳を握り込み、ダヤはアスタの背後にいるハカスを睨みつけた。
もし二人きりになることが出来れば、武器はなくとも襲い掛かり、生かしてはおかない。
ダヤの目は、雄弁にそう語っている。
「俺に感謝し、膝を付け奴隷。俺を夜毎に喜ばせたアスタへの褒美にお前を一晩買い上げた。今宵だけ、一緒にいることを許してやろう」
罠ではないかと疑いながらも、ダヤはハカスを睨んだまま、床に片足ずつ膝をついた。
「感謝いたします」
突き上げるような怒りを胸に秘め、頭を下げて表情を隠す。
奴隷として間違った行動をとれば、アスタの身にも危険が及ぶ。
主の命令に従い、素直に膝をついたダヤの姿に、ハカスは密かに感心していた。
鍛え抜かれた体も、その立ち振る舞いも、明らかに奴隷であった者ではない。
砂魚の口から見つかった時、この男はアスタを腕に抱え、たった一本の短剣で二人の体を舌先で支えて数日を生き延びたのだ。
水女を守るために選ばれ、任務についていた名のある戦士なのかもしれないが、そうした身分だった者が流れ着けば、奴隷扱いされる屈辱に耐えきれず、反抗を繰り返し長生きは出来ない。
しかしこの男は、生き延びるために過去の栄光をかなぐり捨て、身一つで戦い続けている。
そしてアスタもまた、この男の為であれば憎い男に体を投げ出し、奉仕することに躊躇うこともしない。
強固な愛が粉々に砕けていく様を幾度も見てきたが、この二人の姿にはなぜか別のものを感じ、ハカスは肩を震わせ縮こまっているアスタの後姿と、牢の中から膝をつき顔を隠した男を見比べた。
鉄格子越しに身を寄せ合い、少しでも傍にいたいといった態度だが、引き離されることもまた、覚悟をしているようにも見える。
「アスタ、約束の褒美だ。一晩だけ、ここに滞在することを許そう」
牢番が鉄の棍棒を牢に突き入れ、ダヤに下がれと短く命じた。
ダヤは素直に牢の奥に退き、また両膝をついて服従の姿勢をとる。
牢番が扉を開けた。
アスタは誰の言葉も待ったりしなかった。
すぐさま扉をすり抜け、牢に走り込むと、膝をついているダヤの腰に正面から抱き着いた。
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