残酷で幸福な愛の話

丸井竹

文字の大きさ
上 下
24 / 24

24.残酷で幸福な愛の話

しおりを挟む
 まだ分厚い皮の上着を必要とする季節のことだった。
ヤーナはデイヴィスと共に新しく完成した墓地に足を運んだ。

そこには白い石を置いた、立派なオスカーの墓があった。

ヤーナが住んでいた館のあった場所を、ベメ王の犠牲になった人々のための墓地にしたのだ。
工事は数年にも及び、ヤーナはオスカーの墓を立派なものにしたがった。
生前のオスカーにデイヴィスは直接会ったことはなかった。

しかしヤーナが寝ていたのは知っていた。
墓穴を掘っていたヤーナにその死体を見せてもらった。
白いシーツに包まれていたオスカーは恐ろしく醜い男だった。

その傷跡を見ればそれがベメ王の犠牲者であることは明らかだった。
墓穴を掘るのをヤーナと代わり、穴の底にデイヴィスがオスカーの死体を横たえた。

同じ犠牲者同士、心を慰め合ったのだろうかと思うと、デイヴィスは醜い嫉妬を覚え、なかなかその真相を聞くことができなかった。

ヤーナが心を通わせ体を重ねた男が自分の他にもいると知ってしまえば、やはり先を越された気になってしまう。
死んだ男に嫉妬するのもみっともない話だとデイヴィスは自分に言い聞かせた。

しかし、オスカーの死に顔は醜いながら安らかで、どこか幸福そうに見えた。
愛を交わし、満ち足りた死を迎えたのかもしれない。

ヤーナが最も辛い想いをした三年間、デイヴィスは結局助けにいけなかった。
故郷に戻されてからも、王を倒すための勢力を育てるのに忙しく頻繁に顔を見に行くことさえできなかった。

その男がヤーナを慰めたというのなら、嫉妬はするが、それは良かったと思う。
傷をなめ合っただけだというなら、嫉妬する必要はないが、やはりヤーナのためならば少し辛い話だ。
その答がどちらでも、デイヴィスには少し辛い話だった。

立派な白い石を置いたオスカーの墓に、ヤーナはピンクの花束を供えた。
この墓地に葬られた遺体のほとんどが王宮内から発見されたものだった。

「この男は、役人だったのだろう?」

ヤーナの後ろに立ったデイヴィスが静かに問いかけた。
冬が終わりに近づき、墓地に積もっていた雪はほとんど消えていた。
上空を灰色の雲が覆い、日差しは弱々しい。

「そうよ……」

何を話していいかわからず、ヤーナは口を閉ざした。
冷酷な王の犠牲者だ。
それ以上でもそれ以外でもない。

だけど、心に温かいものをくれた。

「私に……ありがとうって……言ってくれたの……。私たちは無力で、王宮でも虐げられ、王宮の外でも嫌われて攻撃を受けた。同士みたいなものだったのかしら」

オスカーに告げた言葉をまだデイヴィスに伝えていないことに、ヤーナはふと気づいた。
真実の愛ではなかったが、それもやはり愛だった。

愛しく思った傷だらけの男のことをヤーナは静かに思い出し、手を合わせて頭を垂れた。

その後姿を前に、デイヴィスは自然に二人の関係を受け入れた。

ヤーナは王宮に連れていかれたあとの三年間について、記憶が曖昧なことを理由に詳しく話そうとしない。
デイヴィスもヤーナを助けようと奮闘した三年間について詳しく話したことはない。

互いに苦しい三年間を乗り越えたのだ。
それだけで十分なのだとデイヴィスは考えた。

白いお墓の前にしゃがみ込むヤーナは華奢で、とても小さく見える。
こんな小さな体で、あんな冷酷な王のもとに三年もいた。
その心を少し温めた男が眠っている。

デイヴィスはその後ろにしゃがみ込んで、同じように手を合わせ、頭を下げた。

二人の傍らを雪解け水で出来た小さな川が、軽やかな音を立てて流れていた。



 苦しい日々は続き、生涯に渡る痛みを抱えながらも人々は前に進んだ。
ヤーナは脳の後遺症に時折苦しみ、過去の出来事に潰されそうになることが多々あった。
デイヴィスはそれに懸命に寄り添った。

辛い時代を乗り越えた王国も、まだまだ苦難続きだった。
ついに隣国に攻め込まれた時は、デイヴィスも再び剣をとって戦場に出た。

簡単な道のりではなかったが、希望はあった。

なんとか数年を乗り越え、気づけば暗黒の時代が終わりを告げ、十年が経っていた。


 
 季節は春を迎えていた。
雪解けを迎えたトナ村の外れにある小屋にも、春の訪れを告げるような軽やかな鳥のさえずりが聞こえてきた。
 
 カーテンから差し込む淡い光に起こされ、ヤーナは静かに目を開けた。
春先の空気はまだ肌寒く、鼻の先がすっかり冷えている。

体を起こそうとした瞬間、ヤーナはわきあがる恐怖に直面した。
洗脳の後遺症で、時々記憶が曖昧になり、まだ悪夢の中にいるような心地になる。
胸を押さえ、急いで隣を見る。

傍らには熱の塊のような男が眠っていた。

逞しく、傷だらけの最愛の夫だ。
ヤーナは心底ほっとして微笑んだ。

目を閉じていることを確認し、ヤーナはその唇に自身の唇を重ねた。
突然大きな腕がヤーナを抱きしめた。

「んっ!」

驚いたヤーナが顔を離す。既に目を覚ましていたデイヴィスが笑っている。

「寝たふりをしていたのね」

ヤーナが指摘すると、デイヴィスは不敵に笑う。
まだ気だるい余韻を残しながら、デイヴィスはヤーナを引き寄せ、腕の中に抱きしめた。

二人は山の上にある領主の館を抜け出し、昨日森の縁に建つこの小屋に到着したばかりだった。
そこは冬の間は雪に閉ざされ入れない場所で、春になりようやく道が開通したのだ。

その別荘に滞在中、二人は新鮮な雪解け水を汲むため川に通う。

さっそく二人は起き出し、買い替えたばかりの水瓶を持って外に出た。

春の木漏れ日が降り注ぐ森の中を少し進むと、苔むした細道が現れた。

十年以上も前からその光景は変わらない。
血生臭い歴史があり、命をかけた戦いがあった。報われない死が無数にあったことが発覚し、国中が悲しみに包まれた。
そんな途方もない道のりが一瞬のようにさえ感じる、変わらない静かな苔の道。

並んで歩けば、指は触れるか触れないかの位置にある。
少し歳をとったデイヴィスの手は分厚く、固くなっている。
ヤーナの手には指が足りない。

大きな手が、ヤーナの指に触れ、あっという間にその手を包み込んだ。
昔を懐かしんで物思いに沈んでいたヤーナは、はっとして顔をあげた。
デイヴィスがヤーナを見つめ微笑んでいる。

知らず、ヤーナの瞳に涙が溢れた。
優しい時間しか知らなかった昔が懐かしい。

当たり前にあった日常と、芽吹き始めた春の緑のような初々しい恋。

取り戻せない大きな傷跡。
デイヴィスが足を止め、涙に濡れるヤーナの頬に唇を押し当てた。

「ヤーナ……」

優しい声が耳に落ちる。
甘く柔らかな感触が唇を覆い、濡れた舌が優しくその形をなぞった。

それは淡雪のようなかすかなものでも、芽吹き始めた新緑のような初々しいものでもなかった。
ちょっとやそっとでは決して揺るがない確かな愛の感触だ。

懐かしくても、もう戻りたくはなかった。

この愛だけは手放せない。

迸る心のままに、ヤーナは伸びあがってデイヴィスの首に抱き着いた。

「デイヴィス、愛している」

心からの信頼を胸にその言葉を伝える。
水瓶を片手で掴んだまま、デイヴィスもヤーナの腰に腕を回し、その細い体を抱きしめる。

「俺もだ」

同じように「愛している」とは言わなかったデイヴィスに、ヤーナは少しだけ不貞腐れたような顔をした。

「それだけ?」

デイヴィスは噴き出すように笑い、その腰をさらに強く引き寄せた。

「愛している」

その甘く低い声には、欲情した男の熱が宿る。
膨れていたヤーナの頬がすぐに赤くなる。
ころころ変わるヤーナの表情に、デイヴィスはまた笑った。

「早く水を汲んで帰ろう。そろそろベッドが恋しいだろう?」

「今起きたばかりよ?!」

驚くヤーナの唇をデイヴィスはもう一度塞いだ。

「今日の予定は埋まっている。ずっと寝室だ」

すっかりその気のデイヴィスに、ヤーナは困った人ねと微笑んだ。

水音に導かれるように二人の姿は新緑の木立の向こうに消え、光に包まれた濃い緑の小道が残された。



 二人は暗黒の時代と呼ばれる、古い歴史をもつ大国ならば一度は経験するような残酷な時代を生きた。
後の人々はその時代から目を背け、詳細を語ろうとはしない。
 
 しかし、そこには命をかけた人々の戦いがあった。
それはただ、大切な人に愛を囁き、手を繋いで隣を歩くための戦いだった。

無力で名もなき人々の屍の上に新しい時代が生まれた。
これは、そんな残酷な時代に生まれた、一つの幸福な愛の物語である。

二人が歩いた苔むした小道は、今もまだ名を変えた王国のその森にあり、春が巡るたび、明るい木漏れ日と芽吹き始めた命の音に包まれ、静かに横たわっている。
しおりを挟む
感想 2

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

季邑 えり
2022.07.04 季邑 えり

 素晴らしいお話でした、ありがとうございます。
 毎朝、新しい話を読むのを楽しみにしていました。残虐な話の中にも、どこか人を惹きつけるものがあり、読むのを止めることができません。

 最後は映画のように鮮やかな景色を思い浮かべました。とても面白かったです。

2022.07.04 丸井竹

感想ありがとうございます^^
頭に見えた景色を誰かと一緒に見たい一心で書いていました。
最後まで一緒に読んで下さりありがとうございました。

解除
Heidi
2022.07.03 Heidi

最初、あまりにも悲惨過ぎてどうしようと思っていましたが、丸井竹さんのお話は全部読ませて頂いてましたので、ちゃんとハッピーエンドになるのは確信していました!
2人の負った深い傷は消えてなくなることはないけれど、お互いをずっとずっと思いやってきたことがとても伝わって感動しました。
素敵なお話をありがとうございました!
次回作も楽しみにしています。

2022.07.03 丸井竹

感想ありがとうございます^^
修正の段階で何度か挫折しかけましたが、一緒にお話しを追って下さっている方がいると思うと、絶対書き上げようと力が出ました。
辛い道のりを最後まで読んで下さりありがとうございました。

解除

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。