取り残された聖女

丸井竹

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第二章 孤独な聖女

33.男三人

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イグルとトリスはかなりの大物から上質な素材と魔包石を回収し、裏口で埃を落とすと屋敷に戻ってきた。
厨房に入ると、鍋に湯気が立ち、お菓子の箱が出ていることに気がついた。
イグルはまたお人好しのルナがとんでもないことを始めたのではないかと心配でならないといった様子で直ちに二階に向かった。

トリスも当然続いたが、イグルに足音を立てるなと忠告するのを忘れなかった。

閉じられていない扉の隙間から、居間の中を覗きこみ、イグルはさらに険しい顔になった。
その憤怒の表情は明らかに醜い男の嫉妬であった。

これでは先が思いやられると、トリスは気づかれぬ程度のため息をついた。

室内のテーブルを挟んで洗練された騎士の装いに身を包んだ男がルナの向かいに座り、輝くばかりの美貌でうっとりと微笑み、頬杖をついてルナの話に相槌を打っていたのだ。

テーブルに置いた片手は今にもルナの手に触れそうであった。

前世で自分を殺した男になぜあんな甘い顔が出来るのかとイグルはルナに腹を立て、扉を大きく開けて室内に足を踏み入れた。

正面にいたルナがすぐに気が付き、顔をぱっと輝かせた。
その陰りのない微笑みにイグルの勢いは完全に打ち消された。
そして、ルナから飛び出した言葉にさらに脱力した。

「イグル!お友達が来ているわよ」

頭をふって、眉間を指で押さえた。

「あまりにもお人好しすぎる。お前を拘束し、死においやった男だぞ?!」

ルナはそこでようやくそれを思いだした。

「そんなこと多すぎて忘れちゃっていたわ」

イグルは胸が痛んだ。気にしていないようにしているが、ルナがどれだけ周りを恐れ、用心深く生きているか知っている。

エイアスはようやく用件を思い出し、椅子を引くと立ち上がり、深々と頭を下げた。

「償いをさせてほしい」

そこでエイアスはやっと自分が計画していることをルナに説明し始めたのだった。
それはダルリア国にルナを転生後も保護する機関を作るという話だった。

「もし今回も呪いが解けなかったとしても、私の呪いのことを知って待っていてくれる人たちがいるってこと?」

エイアスは頷いた。

「旧ソーリア国王城跡地の地下にその機関を作りました」

それで地下に行けなかったのかとルナは納得した。

「あなたのことを全面的に国が支えます。力を悪用されないようその監視機関もありますし、あなたの自由は常に尊重されます。もし自由に市井で暮らしたければそうできますし、その、見守りもします。もちろん、現世であなたの呪いが解けるようどんな手伝いも致します」

エイアスが用意してきた魔法の誓約用紙にルナは指を走らせた。
隠された企みが何もないことを確認したのだ。

「ありがとう。安心ね」

先の見えない戦いに疲れ果てている気持ちを押し隠し、ルナはほほえんだ。
1000年の間に国の名前も形も変わってしまったのだ。
次に生まれ変わっても志が同じ人たちがいるかどうかなどわからない。

「ルナ、ただの保険だ」

イグルが見ていられないというようにルナの手を取った。

「俺が必ず呪いを解く」

膝を付き、イグルは少女の体を見上げた。それは明確な愛の告白だった。

イグルは娼婦であることを理由にルナに惹かれていたことから目を逸らしてしまったことをずっと後悔してきたのだ。

もう二度と後悔するわけにはいかなかった。
トリスは先を越されたと不愉快そうに顔をしかめた。

まさかまだ子供の体のルナにそんなことを言うわけにはいかないと堪えていたのだ。

ルナは不安そうだった。呪いが発動した後もそんな風に思ってくれるのかわからない。
淫乱な衝動に突き動かされ、たくさんの男達と寝たがるようになれば今の気持ちは変わってしまうかもしれない。

それでも、ルナは微笑んだ。

「ありがとう。でも無理しないでね」

「デモイの町に行ってみないか?」

唐突に口を挟んだのはトリスだった。


「普通の子共らしいことをしてみないか?私もしたことがないからわからないが、その、気晴らしになる」

トリスも虐待で体を歪められ、火傷の跡もひどく、外見的な差別を受けてルナに会うまではなかなか表通りを歩けなかったのだ。

「普通の事をしてみよう」

ルナは楽しみだと笑った。

イグルはただ一言、「怪我をさせるなよ」とトリスに忠告した。
エイアスは帰ると言ったが、ここまで来て日帰りは大変だった。

「イグルのお家だけど、泊まっていったらいいわよ。二人が大掃除して全部のお部屋がきれいだわ。ね?イグル、いいでしょう?」

エイアスは少し気まずそうにかつての友に視線を向けた。

「ああ。そうしたらいい」

やはり穏やかな口調でイグルは言った。
かつての友であったエイアスと目を合わせ、イグルはグラスを傾ける仕草をしてみせた。
エイアスは思わず涙ぐみ、頷いた。

そこには懐かしい友の顔があったのだった。


約束通りトリスは時々ルナを町へ連れだした。
女の子らしいデザインの服や、可愛い柄の布、高級店で食事をしたり、欲しい物を市場で選んだり、それは憧れていた普通のおでかけだった。

ある時、テラス席のある食事処でルナは小さな果実をふんだんに散りばめたケーキをつついていた。
向かいのトリスはその様子を少し苦いコールを注いだカップを傾けながら楽しそうに眺めていた。トリスは何度か女の子たちと付き合いを重ね、こうしたことに慣れているようだった。

ルナは足を椅子からぶら下げ、ときおりぱたぱたと動かした。

それから目を上げて熱心に自分を眺めているトリスに何を考えているのかと問うように首を傾けた。
トリスは微笑んだ。

「周りからどう見えるのかと考えたら面白くてね、親子ぐらい歳が離れているからな」

「トリスは私が子供に見える?」

ルナの真摯な眼差しはやはり大人びていて、計り知れない強さを感じた。

「いや、だから困る。手を出せるような体ではないのに、その目は大人の女性そのもので、時々理性を奪われそうになる」

率直な物言いに、ルナの方が赤面した。
穏やかで、甘酸っぱいような気持になるそんな時間だったのだ。

イグルは町におりて獲物や癒し玉を売ったが、ルナを連れて行こうとはしなかった。
それはトリスの役割でいいと思っているようだった。

ある時、エイアスがイグルに黒竜の討伐を頼みに来たことがあった。
イグルはルナに同行を求めた。
ルナは喜んで了承した。
それ以来、少し遠出をしての魔物退治の時、イグルはルナを連れていった。

ルナはイグルの後ろを歩いたが、時折妙な気持になった。
1000年前、英雄たちと戦いの旅をした記憶があるせいかもしれないが、時々、前を歩くイグルの背中がグレインの背中に重なった。
その妙な感覚は旅の間ついてまわった。

時が戻ったようにその光景が目の前に浮かぶようだったのだ。

それは野営地でのことだった。
イグルが焼けたザザの肉を細かく切り分け、枝に差してルナに差し出した。

ルナはにっこりして受け取り頬張ろうとした。

「舌が焼けるぞ」

イグルが指を出してルナの唇に触れた。

「気を付けて食べろ」

その声と指の感触が、一瞬昔の記憶と重なったのだ。

「大丈夫よ。心配性ね、グレインは」

うっかり口に出してしまい、ルナは慌てて取り繕った。

「あ、イグル、ごめんなさい。ぼんやりしていて、昔の事思い出していたみたい」

ふふふとルナは笑い、イグルも仕方がないなというように笑みを浮かべた。

「1000年も昔の記憶があるのか?」

イグルはルナに尋ねた。

「少しずつ無くなっているみたい……でも、旅はいつもこんな感じだったわ。
ウーネという乗り物を使ったけど、戦闘になると真っ先に殺されてしまうからいつの間にか徒歩になった。
グレインがリーダーで、ギオンが調整役、シスはしっかり者のお姉さんで私は一番後ろ。だけど皆が気にかけてくれて……」

時の彼方を見るような目をして、ルナは少しだけ語った。
戦いのことをよく知っているのはそのためなのだなとイグルは静かな声だった。


ある時、北の大国がボルト国を侵略しようとしているらしく、イグルに動いてほしいと国から要請がきた。
イグルは躊躇った。自分に何かあった時にルナを守ってもらえるよう、国に貢献しておいた方がいいかもしれないと考えた。

「私も一緒にいく?」

ルナは言ったが、イグルは断った。相手は魔物ではなく人だったのだ。

長期に屋敷を空けることにかなり心配な様子であったが、イグルは出立を決めた。
だが、その前日、イグルは就寝前のルナの寝室を訪ねてきた。

ルナは大歓迎で、上質な癒し玉を袋に詰めてイグルに渡した。

「明日渡そうと思ったけど、今渡すわ」

寝台に腰掛けて、ルナは向かいに椅子を置いて座っているイグルに袋を押し付けた。

イグルはそれを受け取り、しばらくじっとルナを見つめていた。
柔らかな麦色の髪が無造作に肩を覆い、真っすぐな水色の目が明るく輝いている。
手足はまだ細く、胸もまだやっと膨らみかけた程度だ。

だがその大人びた表情や微笑みは時々ルナがもっと大人の体を持っているのではないかと錯覚させてしまうのだ。

小さくため息をつき、イグルはルナの華奢な手をとった。

「危険はないと思うが……トリスもいるし、エイアスも顔を見せにくるらしい……」

他の男とルナを残して長期間離れるのが不安だとは言えなかった。
娼婦のルナを愛すと決めたのだ。
さらに1000年前、嫉妬に苦しめられる恋人のためにルナが恋人の記憶から消えることを決断し、命まで捨てたことを知っていた。

ルナが、つと立ち上がった。

「お膝にあがっていい?」

子供らしい口調に、イグルは優しく微笑み抱き上げて膝に乗せた。
だが、ルナは立膝になってイグルの首に手をまわした。

その小さな唇がイグルの唇に触れた。
湿った舌の感触が唇をなぞると、イグルは耐えきれず目を閉ざしてルナの体を抱きしめ、
小さな口内を舌で探り、濃厚な口づけをした。
甘い唾液を啜り、ルナがそれに応えるように舌を滑り込ませてくると、さらに深く唇を重ねた。

長いことかけて、互いの感触を確かめ合い、そっと唇を離すとルナは顔をイグルの首筋に埋め、抱き着いたまま囁いた。

「早く帰ってね」

イグルの体の隅々までもルナの聖なる加護の力が満ちていた。
温かな光の力を感じ、イグルはルナの体を抱きしめその背中を撫でた。

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