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31.最初の夜
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王墓の館では、ようやく夫婦の生活が始まろうとしていたが、ソフィは戸惑いの中にいた。
先に寝室に入ったソフィは、どんな顔でルドガーを待っていたらいいかわからず、不安な面持ちで寝台の端に座った。
敵国にたった一人で売られてきたソフィは、故郷の人々や兄のために呪いの川を消滅させようと、敵国の最深部にある王墓の中に侵入し、呪いの根源である三本の萎びた指を浄化することに成功した。
しかし、その技術はかつての敵国に残されていた知識と教育のおかげで身に着けたものであり、ソフィの願いを助けたのは敵国の騎士達だった。
たった一人でやり遂げるのだと気を張ってきたが、実際に出来たことはほんの少しのことだけだ。
さらに王墓の守り人という役目も消え、ソフィは嫌われ者のただのソフィに戻った。
誰にも信じてもらえず、愛されたこともない。
寝室の扉が開き、大きな男が入ってきた。
男ははじけるような明るい笑顔で、なれなれしくソフィの隣に座る。
捉えどころのない不思議な男だが、ソフィの夫だった。
「ソフィ、疲れているか?」
優しい男だと思うが、紳士的ではない。ソフィを気遣うふりをしながら、股間のものはズボンの布地を元気に持ち上げ、淫らな呼吸を必死に押さえている。
最初は疎ましく、大嫌いだったが、今は少し変わってきている。
命の恩人だし、ソフィの言葉を信じ、約束をまもってくれた男だ。
王墓の守り人の役目が消え、何もなくなったただのソフィにはこの夫だけが残った。
「ソフィ……」
掠れた声で呼びかけ、男はソフィの体をそっと抱き寄せる。
いつものように、乱暴に服を脱がせて体を重ねてくれたらいいのにとソフィは考える。
自分から誘うようなことはとても言えない。
熱を持った大きな手がソフィの頬を包む。
「ソフィ、俺達の出会いはひどかったな」
夫の言葉に、ソフィは小さく頷いた。今思えば、本当にひどかった。
王墓の守り人に夫は必要なかった。国が監視をしたいがために夫を送り込んでくるのだと知っていた。
フィリス家は国に仕える立場として、夫を受け入れるための教育を王墓の守り人に与えていたが、やはりその役割ほどには重視していなかった。
ソフィは教わった通りに妻らしくふるまったが、授業で聞いていたこととは違うことばかりが起こった。
「俺は結婚して一年、妻のもとに戻らなかったし、やっと戻ってみたら、君はローレンスと一緒にいた。それからまた一年後に訪ねたら、また君はローレンスと一緒にいた。
正直に言えば、少しほっとした。俺も散々遊んだからな。でも、俺は君のことが忘れられなかった」
ただのソフィを好きになる男なんていない。
ソフィは不思議そうに夫を見上げた。
故郷では向けられたこともない優しい眼差しがそこにあった。
「隊長に説得され、夫婦として始めたいと思って戻ってきた時もローレンスがいた。本当は仲良くするつもりだったのに、気持ちをうまく抑えられず、彼を無理やり追い出した」
「あれは……」
躊躇いがちにソフィは口を開いた。
「私も驚いた。だって、あなたはローレンスの腕を掴んで追い出したから。あなたには彼に触ることは出来ないはずなのに。でも、パールを見てなんとなく意味がわかった。
漂う物は強い思念に引き付けられる。
あなたは死人も生きている人も、こんな力を持った私のことも誰のことも区別しないのね。私のこと……結婚した妻とだけ見てくれた……」
「妻だろう?俺は、一人の女性とちゃんと愛し合いたかった。たしかに押し付けられた花嫁ではあったが、俺は君が妻でよかったと思う」
「最初は、違ったでしょう?」
自分に自信のないソフィは、どうしても確かめずにはいられない。
ルドガーがソフィを妻にしておく理由はもうないのだ。
「それはお互い様だ。ソフィ、君はまだ俺に怒っているか?」
確かに怒っていたが、それは目的達成のために邪魔だと感じたからだ。
ソフィは王墓で一人寂しく死ぬのに、ソフィを好きなふりをしに来た夫は、それを見送った後、好きな女性と結婚して幸せに暮らす。
そんな夫に束の間の愛を求められても、疎ましいだけだった。
王墓に入りたいと言い出した時は、嘘つきで、本当にひどい男だと思ったが、親友のイーゼンがルドガーの言葉を信じていると知り、ルドガーは本当に王墓に入るつもりなのかもしれないと少しだけ信じる気になった。
どうでもいい男だったのに、死んでほしくないと思うぐらいの男になっていた。
ネッドへの伝言を頼み、王墓から遠ざけ、その隙に呪いを進めてさっさと王墓に入った。
その時の恐怖を思い出すと、今でも震えが起きそうになるが、それはルドガーのせいじゃない。
もうどこを探しても、ルドガーに怒る理由が見つからない。
だけど、愛される理由も見つからない。
「あなたは?私、ひどい女だったでしょう?」
不安そうなソフィの眼差しを受けとめ、ルドガーはソフィの体をそっと寝台に横たえた。
輝く紫色の瞳に映り込む自分の姿を確認し優しく笑う。
「君の初めては最高に良かった。俺のものだと確信した瞬間だ」
純潔を奪われた日のことを思い出し、ソフィは一瞬以前の不機嫌な顔を取り戻した。
敵国の人間だとばれるのではないかという不安や、呪術師の指を王墓に探しにいかなければならない恐怖と戦っていた。
そんなときに、体を抱かせろと名前ばかりの夫が能天気に迫ってきたのだ。
腹立たしかったが、なぜかその時の痛みは覚えていた。
生身の男の体は温かく、生命力にあふれていた。
死の世界のことばかり考えてきたソフィには新鮮で、自分がまだ生きているのだと当たり前のことに気が付いた。
「あなたは……温かかった……」
悪い体験ではなかった。
その表情を確かめ、ルドガーはソフィの体に覆いかぶさった。
「ソフィ、愛している。君は俺のたった一人の妻だ」
ルドガーにとって、妻とは特別な存在だった。
母親はルドガーを置いて死んでしまったし、父親は幼いルドガーを家から追い出した。
イーゼンは、ルドガーにとって自分の分身のような存在で、戦友だ。
妻は一緒にいて心から安らげる相手であり、生涯変わらない愛を捧げ合う存在だ。
ソフィは愛を捧げてくれるだろうか。
ルドガーにも不安があった。
困ったことに、ルドガーの容姿はローレンスほどよくないし、顔だけに限っていえば、イーゼンの方が男前だ。
騎士としてはもてたと思うが、女達はどちらかといえば、ルドガーの体や身分に夢中になった。
ソフィは、ローレンスのような見目好い男も知っているし、この国の身分にも関心がない。
「ソフィ、俺は君にも俺を好きになって欲しい」
驚いたようにソフィはルドガーを見返した。
ルドガーもソフィと同じように、相手に好きになってもらえるのか不安なのだ。
ルドガーに、夫婦になれるか試してみようと言われた日のことをソフィは思い出した。
『試してみてうまくいかなければ仕方がないが、俺達はまだ夫婦を始めてもいない。とりあえず俺達の関係をやり直してみないか?』
愛を捧げたら、愛してもらえるのだろうか。
自分が愛される日は生涯来ないのだと諦めてきたソフィは、その渇望してきたものがすぐそこにあるのだと初めて気が付いた。
ソフィは、改めてルドガーのことを考えた。
ルドガーはソフィを気味悪がって離れていったりしない。
死人を見ることが出来ないにも関わらず、ソフィの言葉を信じて萎びた老婆の指を探してきてくれた。
愛人を連れ込み、夫の親友とも寝たのに、夫として傍にいてくれる。
突然、温かな想いが胸いっぱいにひろがった。
それが恋だとは、まだわかっていなかったが、ソフィは今の気持ちを素直に受け入れた。
夫婦を始めてみなければ、うまくいくかどうかはわからない。
慣れないながらも、ソフィはぎこちなく微笑んだ。
「良い妻になれるように、私も頑張ってみる」
ルドガーの鼻が大きく膨らみ、顔が真っ赤に染まった。
獣のように襲い掛かりそうになり、ルドガーはかろうじて踏みとどまった。
「無理はしないでいい。少しずつ築いていこう」
ソフィはやっと自分のために生き始めたばかりなのだ。
夫婦も最初からやり直す必要がある。
ルドガーは優しくソフィの体を抱きしめ、ソフィもぎこちなくその背中を抱き返した。
ルドガーはその夜、今度こそ初夜に相応しい紳士的な態度でソフィの体を大切に抱き、ソフィは初めて誰かに大切にされる喜びを知った。
なぜ、この男は特別なのだろうとソフィは思ったが、その問いに答えはなかった。
互いに唯一無二の存在であることを確認し、二人は心の憂いなく眠りに落ちた。
紳士的な夜を終えた翌朝、ルドガーは目を覚ましたと同時に、もう一度やろうとソフィの体に飛びついた。
心は確かめあったし、ソフィも夫婦になることに前向きだった。
良くも悪くも単純明快な男は、あとはたくさん体を重ねれば、絆も深まるのではないかと考えた。
眠っているソフィに口づけを開始したルドガーは、目を覚ましたソフィの一言に愕然とした。
「ルドガー?私、そういえば言わなきゃいけないことがあって。ねぇ、今からあなたのお父様のところに行きましょうよ」
せっかくこれから甘い夫婦生活が始まるところだというのに、出鼻をくじかれ、ルドガーはがっかりした。
母親を死においやり、その祟りで死にかけている父親のところになど行きたくもなかった。
王墓の守り人の夫として息子を差し出したことは理解出来たが、それもこれも、浮気相手に財産を全て食いつぶされ、ルドガーに何も残せなくなったことが原因だ。
ソフィと出会えたことは幸運だったが、だからといって父親に素直に感謝する気にはならない。
「死にそうなのか?」
ルドガーの問いかけに、ソフィは真剣な表情で答えた。
「早い方が良いと思うの」
妻の願いをかなえるのは夫の役目だ。
ソフィはそうしたことに慣れていない。
たっぷり甘やかし、ルドガーが信頼できる夫だと思ってもらわなければならない。
「わかった。すぐに行こう」
自身の欲望を抑え込み、ルドガーはソフィを抱き上げると頬に口づけをした。
その勢いのまま、クローゼットに歩き出す。
「ソフィ、俺が今日は服を選ぶ。黒は禁止だ。」
どこかうきうきとした様子のルドガーの背中を、ソフィはまだ少し戸惑いながら追いかけた。
わずか数分後、二人は館の前にいた。
淡い桃色のドレスを着たソフィを馬の前に乗せ、ルドガーは前方の真っ青な空を見据えた。
一度目の失敗を覚えているルドガーは少し緊張して馬を走らせた。
絶対に離すまいとソフィを抱きしめる。
ぐんぐん馬は速さを増し、あっという間に王墓の敷地を乗り越えた。
その瞬間、ルドガーは歓声をあげた。
「王墓を出たぞ!」
腕の中にはソフィがちゃんといる。
「呪いも結界も失われた。ここはただの墓地よ」
ルドガーが新たな心配事に気が付いた。
「結界がないとなれば、誰でも入ってきてしまえるということか?もう誰も不気味に思わなくなるかもしれない。見張りの兵士が必要だな。人を雇った方が良い。
君を守ってくれる人を置かなければ。パールみたいに何か呼び出すことは出来ないのか?」
ルドガーにはまだパールは黒い子犬に見えていたが、その正体が岩をも溶かす魔犬であることも、もうわかっていた。
ソフィは幽霊も見えない男の言葉に、不思議そうに問いかけた。
「出来ると思うけど、見えないものを信じられる?」
「もちろん。君がいると言うなら見えなくても信じる。ソフィ、俺はずっと考えていた。以前、イーゼンと君、どちらを選ぶのかと君は聞いたな?その時、俺はイーゼンを信じると答えた」
ソフィは気まずそうな顔になった。ローレンスを使い、ソフィはルドガーの親友のイーゼンと寝たのだ。
それをイーゼンに誘惑されたのだと嘘をついた。
「あれは……私が嘘をついたから……」
「違う」
ソフィの言葉をルドガーが力強く遮った。
「俺にはどちらかを切り捨てることは出来ない。だから、君も信じる」
どういう意味なのかと、ソフィは一瞬首を傾けたが、すぐに考えるのを諦めた。
なにせ、ルドガーは決めたことを諦めたことがないのだ。
国の掟に背き王墓に侵入したが、騎士の任務を放棄したわけではない。
王墓の守り人の夫としてソフィを守り、国の騎士として呪いの元凶である指を回収し、国の平和を守った。
国の平和も王墓の守り人の妻も手に入れた大胆不敵なこの夫は、親友も妻も信じると決めたのだ。
であれば、その決めたことも諦めることなく、守り抜くのだろう。
ソフィは見知らぬ景色の中、何の憂いもなく夫の腕に身をゆだね、新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。
王都に続く分岐路に差し掛かった時、二人は見覚えのある人物と動物に出くわした。
それは巨大な黒い犬のパールとイーゼンだった。
宿の厩番に、パールは馬だと言い張ったイーゼンは、その言葉通り、パールに馬のようにまたがって町を出てきたばかりだった。パールもすまして馬のふりをしている。
「ルドガー!何処に行く?」
「俺の実家だ。ソフィが見てくれるらしい」
イーゼンは嫌な顔をした。
また幽霊絡みなのかとため息をついたが、他に選択肢はなかった。
「仕方がないな。付き合ってやるよ」
夫が親友と呼ぶイーゼンを、ソフィはルドガーの腕の中からちらりと見て、ふわりと微笑んだ。
その瞬間、イーゼンの顔がぼっと赤くなった。
ソフィはすぐにルドガーの腕の中に隠れてしまったが、いつも冷淡な顔しか見せないソフィのそんな顔を見たのは初めてで、イーゼンはどきまぎしながら視線をパールの背に向けた。
「よし、パール、ルドガーの後ろを追いかけろよ」
動揺を隠し、わざと大きな声を出す。
ルドガーはイーゼンの赤い顔に気づいた様子もなく、正面に向き直った。
「じゃあ、行くか」
その日、馬と犬が人を乗せて街道を走り抜ける光景を目撃した旅人達は、直後に二度も、三度も振り返り、それが馬二頭だったのか、それとも一頭は馬でもう一頭は犬だったのか、互いの目で見た物を確認し合う事態となった。
先に寝室に入ったソフィは、どんな顔でルドガーを待っていたらいいかわからず、不安な面持ちで寝台の端に座った。
敵国にたった一人で売られてきたソフィは、故郷の人々や兄のために呪いの川を消滅させようと、敵国の最深部にある王墓の中に侵入し、呪いの根源である三本の萎びた指を浄化することに成功した。
しかし、その技術はかつての敵国に残されていた知識と教育のおかげで身に着けたものであり、ソフィの願いを助けたのは敵国の騎士達だった。
たった一人でやり遂げるのだと気を張ってきたが、実際に出来たことはほんの少しのことだけだ。
さらに王墓の守り人という役目も消え、ソフィは嫌われ者のただのソフィに戻った。
誰にも信じてもらえず、愛されたこともない。
寝室の扉が開き、大きな男が入ってきた。
男ははじけるような明るい笑顔で、なれなれしくソフィの隣に座る。
捉えどころのない不思議な男だが、ソフィの夫だった。
「ソフィ、疲れているか?」
優しい男だと思うが、紳士的ではない。ソフィを気遣うふりをしながら、股間のものはズボンの布地を元気に持ち上げ、淫らな呼吸を必死に押さえている。
最初は疎ましく、大嫌いだったが、今は少し変わってきている。
命の恩人だし、ソフィの言葉を信じ、約束をまもってくれた男だ。
王墓の守り人の役目が消え、何もなくなったただのソフィにはこの夫だけが残った。
「ソフィ……」
掠れた声で呼びかけ、男はソフィの体をそっと抱き寄せる。
いつものように、乱暴に服を脱がせて体を重ねてくれたらいいのにとソフィは考える。
自分から誘うようなことはとても言えない。
熱を持った大きな手がソフィの頬を包む。
「ソフィ、俺達の出会いはひどかったな」
夫の言葉に、ソフィは小さく頷いた。今思えば、本当にひどかった。
王墓の守り人に夫は必要なかった。国が監視をしたいがために夫を送り込んでくるのだと知っていた。
フィリス家は国に仕える立場として、夫を受け入れるための教育を王墓の守り人に与えていたが、やはりその役割ほどには重視していなかった。
ソフィは教わった通りに妻らしくふるまったが、授業で聞いていたこととは違うことばかりが起こった。
「俺は結婚して一年、妻のもとに戻らなかったし、やっと戻ってみたら、君はローレンスと一緒にいた。それからまた一年後に訪ねたら、また君はローレンスと一緒にいた。
正直に言えば、少しほっとした。俺も散々遊んだからな。でも、俺は君のことが忘れられなかった」
ただのソフィを好きになる男なんていない。
ソフィは不思議そうに夫を見上げた。
故郷では向けられたこともない優しい眼差しがそこにあった。
「隊長に説得され、夫婦として始めたいと思って戻ってきた時もローレンスがいた。本当は仲良くするつもりだったのに、気持ちをうまく抑えられず、彼を無理やり追い出した」
「あれは……」
躊躇いがちにソフィは口を開いた。
「私も驚いた。だって、あなたはローレンスの腕を掴んで追い出したから。あなたには彼に触ることは出来ないはずなのに。でも、パールを見てなんとなく意味がわかった。
漂う物は強い思念に引き付けられる。
あなたは死人も生きている人も、こんな力を持った私のことも誰のことも区別しないのね。私のこと……結婚した妻とだけ見てくれた……」
「妻だろう?俺は、一人の女性とちゃんと愛し合いたかった。たしかに押し付けられた花嫁ではあったが、俺は君が妻でよかったと思う」
「最初は、違ったでしょう?」
自分に自信のないソフィは、どうしても確かめずにはいられない。
ルドガーがソフィを妻にしておく理由はもうないのだ。
「それはお互い様だ。ソフィ、君はまだ俺に怒っているか?」
確かに怒っていたが、それは目的達成のために邪魔だと感じたからだ。
ソフィは王墓で一人寂しく死ぬのに、ソフィを好きなふりをしに来た夫は、それを見送った後、好きな女性と結婚して幸せに暮らす。
そんな夫に束の間の愛を求められても、疎ましいだけだった。
王墓に入りたいと言い出した時は、嘘つきで、本当にひどい男だと思ったが、親友のイーゼンがルドガーの言葉を信じていると知り、ルドガーは本当に王墓に入るつもりなのかもしれないと少しだけ信じる気になった。
どうでもいい男だったのに、死んでほしくないと思うぐらいの男になっていた。
ネッドへの伝言を頼み、王墓から遠ざけ、その隙に呪いを進めてさっさと王墓に入った。
その時の恐怖を思い出すと、今でも震えが起きそうになるが、それはルドガーのせいじゃない。
もうどこを探しても、ルドガーに怒る理由が見つからない。
だけど、愛される理由も見つからない。
「あなたは?私、ひどい女だったでしょう?」
不安そうなソフィの眼差しを受けとめ、ルドガーはソフィの体をそっと寝台に横たえた。
輝く紫色の瞳に映り込む自分の姿を確認し優しく笑う。
「君の初めては最高に良かった。俺のものだと確信した瞬間だ」
純潔を奪われた日のことを思い出し、ソフィは一瞬以前の不機嫌な顔を取り戻した。
敵国の人間だとばれるのではないかという不安や、呪術師の指を王墓に探しにいかなければならない恐怖と戦っていた。
そんなときに、体を抱かせろと名前ばかりの夫が能天気に迫ってきたのだ。
腹立たしかったが、なぜかその時の痛みは覚えていた。
生身の男の体は温かく、生命力にあふれていた。
死の世界のことばかり考えてきたソフィには新鮮で、自分がまだ生きているのだと当たり前のことに気が付いた。
「あなたは……温かかった……」
悪い体験ではなかった。
その表情を確かめ、ルドガーはソフィの体に覆いかぶさった。
「ソフィ、愛している。君は俺のたった一人の妻だ」
ルドガーにとって、妻とは特別な存在だった。
母親はルドガーを置いて死んでしまったし、父親は幼いルドガーを家から追い出した。
イーゼンは、ルドガーにとって自分の分身のような存在で、戦友だ。
妻は一緒にいて心から安らげる相手であり、生涯変わらない愛を捧げ合う存在だ。
ソフィは愛を捧げてくれるだろうか。
ルドガーにも不安があった。
困ったことに、ルドガーの容姿はローレンスほどよくないし、顔だけに限っていえば、イーゼンの方が男前だ。
騎士としてはもてたと思うが、女達はどちらかといえば、ルドガーの体や身分に夢中になった。
ソフィは、ローレンスのような見目好い男も知っているし、この国の身分にも関心がない。
「ソフィ、俺は君にも俺を好きになって欲しい」
驚いたようにソフィはルドガーを見返した。
ルドガーもソフィと同じように、相手に好きになってもらえるのか不安なのだ。
ルドガーに、夫婦になれるか試してみようと言われた日のことをソフィは思い出した。
『試してみてうまくいかなければ仕方がないが、俺達はまだ夫婦を始めてもいない。とりあえず俺達の関係をやり直してみないか?』
愛を捧げたら、愛してもらえるのだろうか。
自分が愛される日は生涯来ないのだと諦めてきたソフィは、その渇望してきたものがすぐそこにあるのだと初めて気が付いた。
ソフィは、改めてルドガーのことを考えた。
ルドガーはソフィを気味悪がって離れていったりしない。
死人を見ることが出来ないにも関わらず、ソフィの言葉を信じて萎びた老婆の指を探してきてくれた。
愛人を連れ込み、夫の親友とも寝たのに、夫として傍にいてくれる。
突然、温かな想いが胸いっぱいにひろがった。
それが恋だとは、まだわかっていなかったが、ソフィは今の気持ちを素直に受け入れた。
夫婦を始めてみなければ、うまくいくかどうかはわからない。
慣れないながらも、ソフィはぎこちなく微笑んだ。
「良い妻になれるように、私も頑張ってみる」
ルドガーの鼻が大きく膨らみ、顔が真っ赤に染まった。
獣のように襲い掛かりそうになり、ルドガーはかろうじて踏みとどまった。
「無理はしないでいい。少しずつ築いていこう」
ソフィはやっと自分のために生き始めたばかりなのだ。
夫婦も最初からやり直す必要がある。
ルドガーは優しくソフィの体を抱きしめ、ソフィもぎこちなくその背中を抱き返した。
ルドガーはその夜、今度こそ初夜に相応しい紳士的な態度でソフィの体を大切に抱き、ソフィは初めて誰かに大切にされる喜びを知った。
なぜ、この男は特別なのだろうとソフィは思ったが、その問いに答えはなかった。
互いに唯一無二の存在であることを確認し、二人は心の憂いなく眠りに落ちた。
紳士的な夜を終えた翌朝、ルドガーは目を覚ましたと同時に、もう一度やろうとソフィの体に飛びついた。
心は確かめあったし、ソフィも夫婦になることに前向きだった。
良くも悪くも単純明快な男は、あとはたくさん体を重ねれば、絆も深まるのではないかと考えた。
眠っているソフィに口づけを開始したルドガーは、目を覚ましたソフィの一言に愕然とした。
「ルドガー?私、そういえば言わなきゃいけないことがあって。ねぇ、今からあなたのお父様のところに行きましょうよ」
せっかくこれから甘い夫婦生活が始まるところだというのに、出鼻をくじかれ、ルドガーはがっかりした。
母親を死においやり、その祟りで死にかけている父親のところになど行きたくもなかった。
王墓の守り人の夫として息子を差し出したことは理解出来たが、それもこれも、浮気相手に財産を全て食いつぶされ、ルドガーに何も残せなくなったことが原因だ。
ソフィと出会えたことは幸運だったが、だからといって父親に素直に感謝する気にはならない。
「死にそうなのか?」
ルドガーの問いかけに、ソフィは真剣な表情で答えた。
「早い方が良いと思うの」
妻の願いをかなえるのは夫の役目だ。
ソフィはそうしたことに慣れていない。
たっぷり甘やかし、ルドガーが信頼できる夫だと思ってもらわなければならない。
「わかった。すぐに行こう」
自身の欲望を抑え込み、ルドガーはソフィを抱き上げると頬に口づけをした。
その勢いのまま、クローゼットに歩き出す。
「ソフィ、俺が今日は服を選ぶ。黒は禁止だ。」
どこかうきうきとした様子のルドガーの背中を、ソフィはまだ少し戸惑いながら追いかけた。
わずか数分後、二人は館の前にいた。
淡い桃色のドレスを着たソフィを馬の前に乗せ、ルドガーは前方の真っ青な空を見据えた。
一度目の失敗を覚えているルドガーは少し緊張して馬を走らせた。
絶対に離すまいとソフィを抱きしめる。
ぐんぐん馬は速さを増し、あっという間に王墓の敷地を乗り越えた。
その瞬間、ルドガーは歓声をあげた。
「王墓を出たぞ!」
腕の中にはソフィがちゃんといる。
「呪いも結界も失われた。ここはただの墓地よ」
ルドガーが新たな心配事に気が付いた。
「結界がないとなれば、誰でも入ってきてしまえるということか?もう誰も不気味に思わなくなるかもしれない。見張りの兵士が必要だな。人を雇った方が良い。
君を守ってくれる人を置かなければ。パールみたいに何か呼び出すことは出来ないのか?」
ルドガーにはまだパールは黒い子犬に見えていたが、その正体が岩をも溶かす魔犬であることも、もうわかっていた。
ソフィは幽霊も見えない男の言葉に、不思議そうに問いかけた。
「出来ると思うけど、見えないものを信じられる?」
「もちろん。君がいると言うなら見えなくても信じる。ソフィ、俺はずっと考えていた。以前、イーゼンと君、どちらを選ぶのかと君は聞いたな?その時、俺はイーゼンを信じると答えた」
ソフィは気まずそうな顔になった。ローレンスを使い、ソフィはルドガーの親友のイーゼンと寝たのだ。
それをイーゼンに誘惑されたのだと嘘をついた。
「あれは……私が嘘をついたから……」
「違う」
ソフィの言葉をルドガーが力強く遮った。
「俺にはどちらかを切り捨てることは出来ない。だから、君も信じる」
どういう意味なのかと、ソフィは一瞬首を傾けたが、すぐに考えるのを諦めた。
なにせ、ルドガーは決めたことを諦めたことがないのだ。
国の掟に背き王墓に侵入したが、騎士の任務を放棄したわけではない。
王墓の守り人の夫としてソフィを守り、国の騎士として呪いの元凶である指を回収し、国の平和を守った。
国の平和も王墓の守り人の妻も手に入れた大胆不敵なこの夫は、親友も妻も信じると決めたのだ。
であれば、その決めたことも諦めることなく、守り抜くのだろう。
ソフィは見知らぬ景色の中、何の憂いもなく夫の腕に身をゆだね、新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。
王都に続く分岐路に差し掛かった時、二人は見覚えのある人物と動物に出くわした。
それは巨大な黒い犬のパールとイーゼンだった。
宿の厩番に、パールは馬だと言い張ったイーゼンは、その言葉通り、パールに馬のようにまたがって町を出てきたばかりだった。パールもすまして馬のふりをしている。
「ルドガー!何処に行く?」
「俺の実家だ。ソフィが見てくれるらしい」
イーゼンは嫌な顔をした。
また幽霊絡みなのかとため息をついたが、他に選択肢はなかった。
「仕方がないな。付き合ってやるよ」
夫が親友と呼ぶイーゼンを、ソフィはルドガーの腕の中からちらりと見て、ふわりと微笑んだ。
その瞬間、イーゼンの顔がぼっと赤くなった。
ソフィはすぐにルドガーの腕の中に隠れてしまったが、いつも冷淡な顔しか見せないソフィのそんな顔を見たのは初めてで、イーゼンはどきまぎしながら視線をパールの背に向けた。
「よし、パール、ルドガーの後ろを追いかけろよ」
動揺を隠し、わざと大きな声を出す。
ルドガーはイーゼンの赤い顔に気づいた様子もなく、正面に向き直った。
「じゃあ、行くか」
その日、馬と犬が人を乗せて街道を走り抜ける光景を目撃した旅人達は、直後に二度も、三度も振り返り、それが馬二頭だったのか、それとも一頭は馬でもう一頭は犬だったのか、互いの目で見た物を確認し合う事態となった。
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