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24.二人の旅人

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 東のウヴィアヌ国に向かう道は騎士達が見回りを強化しているが、ルドガーとイーゼンがいるのはウヴィアヌ国側とはいえ、東の果ての死の谷がある方角だった。

その国境沿いには年中黒い霧が発生し、教科書上では生者は通れないとされている。

百年以上も昔、大きな戦のあとに作られたというその死の国境は、ウヴィアヌ国の呪術師が築いたものであり、風で流れてきた黒い霧にあたれば呪いを受けるため、立ち入りを禁止されている領域だった。

そんなところに恐れる様子もなく向かうルドガーの背中を追いかけながら、イーゼンは時々ぶつぶつと祈りの言葉を唱えた。

「イーゼン、帰ってもいいぞ?」

ルドガーは後ろも振り返らずに声をかける。

「冗談じゃない。お前をそんなところに一人で行かせられるわけがないだろう。お前には悪いが、絶対あの女の罠だと思うぞ。あの女は、夫を死の谷に追いやり、殺そうとしている!」

王都に一旦戻ってきたルドガーに事情を聞いたイーゼンは、ソフィが邪魔な夫を殺そうとしているのだと反対したが、ルドガーはそれならばそれで良いと言い切った。

「彼女に俺が彼女の味方だということを信じてもらいたい」

「親友と得体の知れないお前の妻、どっちの言葉を信じるつもりだ!」

イーゼンはのたまったが、それを聞くとルドガーは苦笑した。
つい先日、ソフィから同じようなことを聞かれたばかりだ。

「お前も信じているし、彼女の信頼も欲しいと思っている。それに、彼女のことを知りたい。恐らくその男はソフィと深い関係がある。彼女は王墓に来る前のことを語ろうとしない。彼女の伝言を届けるついでに彼女のことを聞いてみるつもりだ」

「昔の男だろう?ふられて逃げ出したのではないのか?」

体を操られ、親友を裏切ることになったイーゼンは、完全にソフィを敵だと認識していた。
もう関わりたくもなかったが、親友のためならばイーゼンも逃げ出すわけにはいかなかった。

「実はこっちでも例の調査に動きがあった。
フィリス家から王墓に封じられた呪術師の魂を鎮めるため、生きたまま王墓に入ることを宣誓するソフィの署名入りの書類が発見された。強要されては効果のない誓約書だ。
少なくとも、ソフィは邪悪なものを解放し、国に災厄を招くようなまねはできないということだ」

これでソフィが王国側の敵ではないことは明確になったのだ。
となれば、王墓の守り人として無事に役目を果たせることになってしまう。

「なぜソフィは敵国のために命を捨てる覚悟をしたのだろう。彼女は売られたのではないのか?」

「さあな。そこは永遠の謎になる。もうソフィがセシリーであっても、敵国の人間であっても関係なくなった。
王墓の封印になる資格を持っていることは立証出来たのだ。俺達もそこはあえて調査をしないことになった」

フィリス家の出身でなくても、王国のため、邪悪な魂を鎮めることができるのであればそれでいいのだ。
今更新しい王墓の守り人を探すのは不可能だし、フィリス家に来る前の名前や経緯をほじくり返し、故郷に返却することになる方が王国にとっては損失だ。

「その理由も、橋の男から聞けるかもしれない。ソフィがなぜ自ら命を捨てようとしているのか、その理由がわかれば俺が夫としてその傷を癒してやることができる」

あれだけ嫌われているくせに、どこから上手くいく自信が湧いてくるのかと、半ば感心し、イーゼンは迷いなく進むルドガーの後頭部を見やった。

「王墓の守り人がこの国の人間でなかったとしても、それはもう問題にはならないが、他の人材に関しては少し気になる話があるな」

それは他の貴族に売られた能力者達の話だった。
彼らのほとんどが死の国境近くの出身だと判明していた。

取引名簿から売られたと思われる人材を密かに調査したが、彼らは大抵が勤勉であり、その能力を与えられた職場で遺憾なく発揮していた。

誘拐されたというより、自ら売られてきたようにさえ思われた。
イーゼンも王都で働く数名の薬師について調べたが、国に反するような動きはなかった。

ただ、気になる点が一つだけあった。

売られてきた能力者達は、驚くほど短命だったのだ。
奴隷業者の名簿にあった半数が既に死んでいた。死の国境を越える時に呪いを受けたのではないかとあらたな調査が始まっていた。

「そんな恐ろしい死の国境の、最も呪いの霧が濃いとされる死の谷に向かっているとは、命知らずにもほどがある。俺達はここまでずっと一緒に生きてきたが、このままでは一緒に死ぬことになる。無事に戻れたとしても、呪いの霧を浴びれば、来年あたりには寿命がきてしまいそうだ」

文句の尽きないイーゼンが、突然思いついたように大きな声をあげた。

「そうだ!ウヴィアヌ国を越える道はまだ見つかっていない。その死の谷の橋がウヴィアヌ国と我が国を繋ぐ唯一の橋だとすれば、それは国境を越える唯一の道ということになる。これを国に報告すればたいした手柄になるのではないか?」

どうせ呪いで死ぬなら、最後に騎士らしく華々しく手柄を立てた方が良い。
イーゼンにしては、珍しく前向きな意見だったが、
今度はルドガーが慎重だった。

「そうかもしれないが、まずその男に事情を聞かなければならないだろう。戦争があったのはもう百年以上も昔の話だが、友好国というわけではない。国が敵とすればソフィが好意を寄せていた男を捕まえることになる」

それこそソフィからの信頼を失ってしまう。

「その男が奴隷商人に自国の人間を売っている元締めで、大悪人だったらどうするつもりだ?」

「そうだな……。事情は聞きたいが、捕まえたらソフィが悲しむだろう。橋だけ明け渡してもらい、隠れてもらうかな」

「その前に、俺達が悪党に囲まれてやられるのではないか?俺達は二人きりで、仲間に行き先も告げて来なかったぞ」

この先には不安要素しかないが、ルドガーの足は止まらないし、となれば、どれだけ文句を重ねても、イーゼンもついて行かざるを得ない。
ここには騎士団の仲間はいないし、国の目もない。
親友が命の限り戦わなければならない状況に陥った時、共に戦えるのはイーゼンしかいないのだ。

イーゼンはあきらめの境地で口を閉ざし、勇敢な親友の背中を黙々とおいかけた。
やがて、足を止めたルドガーが、恐らくこの辺りだと言いながら手元の地図を畳んだ。

上空には黒いベールのような霧が漂い、その下には濃い緑に覆われた岩壁がそそり立っている。
死の谷はこの壁の向こう側だ。

二人は生い茂る木々の向こうにある崖に沿って移動し、影のように見える大きな亀裂を発見した。
人が通れるような道ではなく、今にも岩が崩れてきそうなひび割れに見えたが、ルドガーは迷わずその方角に進み始めた。

薄暗い木立の中に入った途端、がさりと茂みが鳴った。
イーゼンの鋭い声が上がる。

「ルドガー!魔獣だ!」

気づけば獣の唸り声に囲まれている。
死の谷から流れてきた黒い霧は邪悪なものを引き寄せる。
二人は背中合わせになり、物騒な気配を探りながらじりじりと円を描くように移動を開始する。
既に抜刀し、戦闘態勢に入っている。

藪の中で赤い目が光った。

「来るぞ!」

同時に叫び、二人は足を踏み出した。




――


 王墓の黒の館には珍しく客人の姿があった。
三年ぶりにここを訪れたフィリス家の当主ウーゴは、明るくなった玄関広間を見回した。
真っ黒だった壁は青く塗られ、血塗られたような絨毯も緑色に変わっている。
処刑場を描いたタペストリーも取り外され、替わりに華やかな花のタペストリーが壁を飾っている。

「お久しぶりです」

二階から黒いドレスに身を包んだソフィが下りてくると、ウーゴはそちらに視線を向け、穏やかに頷いた。

「時期が早まったと連絡を受けた。あと数年はあったはずだが、何かしたのか?」

王墓の守り人はだいたい十年で地上での役目を終える。

「悪いことが起こったわけではありません。ただ、私の覚悟は決まりました」

ウーゴにも多少の霊力はあったが、それは徐々に失われつつある力だった。
霊能者を仕入れるのは二度目だった。一度目はだいぶ長く結界を守った。
その次に一族の中から一人選ばれたが、やはり仕入れた霊能者ほど封印はもたなかった。

代々王墓の守り人を差し出してきたフィリス家だったが、王墓の守り人となれるものを一族から育てるよりも、それに相応しい人材を探す役目と割り切ることにしたのだ。

べゼナ山での山賊狩りでそれが国側にばれたが、当主のウーゴは事情を正直に話し、国をあざむくために手に入れた人材ではないことを説明していた。
ソフィ自身が自分で望んでここに来たと証言し、その能力を確かめた試験内容も提出済みだった。

「私もこの先は見たことがない」

ウーゴは現フィリス家の当主であったが、実際の王墓に入ったことはない。

「この力が通じるものかわかりませんが、でも、使い方を教えて下さったこと、感謝しております」

フィリス家に売られなければソフィはその力の使い方を正しく知ることは出来なかった。

「お前がよく学び、練習し習得したものだ。お前が王墓に入れば、また次を育てなければならないが、今のところ残念ながらあてがない。我が一族の力も年々弱まっている」

霊力はあとから知識や訓練で身につけられるものではない。
生まれつきのものなのだ。
王墓を守る役目を代々受け継いできたフィリス家も、ついにその役目を返上する覚悟をしていた。

「それよりもソフィ、遺言を書いておきなさい。あるいは、故郷に人知れず知らせたい者はいないのか?」

異国から渡ってきたソフィの事情をウーゴも詳しく聞いたことはなかった。
霊力のある少女だと言われ、大金を払って仕入れたのだ。
養女にし、王墓の守り人になるための教育を受けさせた。
もうただの奴隷ではない。
国に災いをもたらす邪悪な存在を封じる王墓の守り人として、知られざる英雄になる。

ソフィは一瞬、遠い目をしたが、静かに首を横にふった。

「書き残したいこともありませんし、何かを伝えたい人もいません」

「気配がする。お前には見えるか?」

ウーゴが二階に目を向ける。骨の形に削り出された手すりの向こうは壁と通路しかない。
しかしソフィには別のものが見えている。

階下の二人を古の騎士達が見おろしている。
これから王墓に向かう守り人が逃げ出さないように監視しているのだ。

冷酷な時代に巻き戻り、王墓の石の扉が開かれる。

「あと数日ある。最後の晩餐に相応しい品を仕入れておいた。フィリス家の料理番が厨房に入っている。ソフィ、しばらくはのんびりできる」

ウーゴはソフィの手を取り歩き出す。
一緒に足を踏み出したソフィは、歩調を緩め、階段の方から玄関に向けて視線を動かした。
階段にいたパールのための合図だったが、ウーゴには何も見えていなかった。
黒い犬は、ソフィの合図を受けて素早く館を出ていった。

「どうかしたか?」

食堂の扉に手をかけたウーゴが振り返って問いかける。

「いいえ、何も」

ウーゴは軽く頷き、ソフィの手を引き食堂に入った。





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