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10.妻を抱きたい男
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そこには容姿端麗なローレンスが立っていた。
またしても気配もなく現れたローレンスにルドガーは確信した。
やはり、ローレンスは相当な訓練を積んだ騎士なのだ。
すでに日は昇っているが、墓地にはまだ朝靄が少しだけ残っている。
「逃げるなよ。お前の役目は王墓の守り人をこの地に留めること。それが夫になる騎士に課せられた役目だ。彼女の持つ力はこの国にとってかけがえのないもの。利用し、繋ぎとめろ」
ローレンスの言葉にルドガーは嫌な顔をした。
「彼女が好きだから、こんな寂れた場所にも通っているのではないのか。
彼女は、喜んでお前を寝室に迎え入れるのに、利用しろとは酷い言い草だ。俺は……結婚したのだから、妻と仲良くなりたいと思っただけだ。それだけだ……」
「……奇妙な男だな。王命で結婚したのだからそれ以上の関係は不要だろう」
意外にも冷淡なローレンスの言葉に、ルドガーはさらに不愉快な気分になった。
「不要かもしれないが……俺の妻は一人きりだ。他に妻を持つことは出来ない。確かに妻がいながら他の女とも遊んだが、既に結婚しているし、それ以上の関係を築くのは難しかった。
いつも引っかかっていた。妻になった女性が、ソフィがどんな女性なのか、怒らずに話が出来たらどんな感じなのか。
墓しかないところで孤独のあまり泣いていたりしないだろうか、愛人となら楽しく過ごせるのだろうか、毎日気にしていたわけじゃないが、ふと思い出しては考えた。
あらためて顔を合わせてみたらあまりにも若くて、結婚なんてまだ早いのではないかと思うほどだった。
王城の同じぐらいの年齢の女性達はきれいに着飾り、いつも楽しそうに笑っている。
夜会で若い男達を品定めし、将来誰と結婚しようかと花嫁になる日を楽しみにしている。
町にいる娘たちだって、もっとましな服を着ているし、夫と手を繋ぎ子供を抱いている。
ソフィは……ソフィには墓しかない。こんなところに縛られて、それが俺の妻だなんて、あんまりじゃないか。
俺の妻は人生の楽しみを一つも知ることなく死人に縛り付けられて生きていく。
国の命令に逆らうことは考えていないが、女として少しはましな生活を望んでもいいだろう?俺は夫で彼女は妻だ。夫婦生活ぐらい楽しいものであってもいいだろう……」
まるで独り言のように長々と胸の内を吐き出したルドガーは、またもや頭を抱え、足元の貧弱な雑草に視線を落とした。
小さな虫が草の間を縫ってゆき、どこかに消えた。
「お前のような奇妙な男は初めてだ。ソフィはお前をそんなに嫌ってはいない」
「本当か?」
がばっとルドガーは顔をあげた。
ローレンスの方がソフィのことをよくわかっている。
その言葉にすがりかけたルドガーは、夫である立場を思い出し、情けなさにまた俯いた。
「ただ、彼女は普通の生活を知らないし、夫婦がどんなものなのかわからない。
フィリス家で教育されたように彼女は夫の世話をする。国の命令と同じだ。そこに感情は不要だ。
でも、もし人として、彼女と向き合いたいと思うなら、それを教えるべきだろうな。
俺はしたことがないが……。お前のやり方で近づいてみたらいい」
突然、ローレンスの声が遠くなり、足元の草を抜いていたルドガーは顔をあげた。
またもや気配もなくローレンスの姿は消えていた。
悔しいが、自分より腕の立つ騎士なのだろうとルドガーは考えた。
気配を消すのも、足音を立てずに移動するのも技術がいることだ。
それでも夫はルドガーなのだ。
いくら容姿がルドガーより優れていて、さらに剣の腕まで上だとしてもローレンスは夫ではない。
ルドガーは心を奮い立たせ、急いで館に引き返した。
ソフィは厨房で朝食用のパンをこねていた。
野菜と肉が調理台に並んでいる。
ルドガーはさりげなく近づき、黙ってその肉を刻み始めた。
手伝ってもいいかなどと問いかければ、駄目だと言われ追い出されてしまうかもしれない。
不愉快そうに顔を歪めたソフィだったが、ルドガーに出ていけとは言わなかった。
朝食が完成すると、いつも通り二人は厨房の片隅に置かれたテーブルで、向かい合って食事を始めた。
相変わらずソフィは不機嫌な顔をしていたが、ルドガーの目にはとんでもなく輝いて見えた。
体を重ねたからなのか、それとも愛人に遠慮してきた気持ちが解放されたからなのか、理由はわからなかったが、股間は痛いぐらい膨れ上がっていた。
どうしても今朝の出来事を思い出してしまう。
夫婦の交わりとしては最低なものだったが、ルドガーは最高に気持ちが良かった。
妻なのだから何回も抱きたいが、これ以上嫌われたくはない。
死ぬ気で己の欲望を封じ込め、ルドガーは出来る限り紳士的に語り掛けた。
「ソフィ、今日は珍しく天気が良かった。その、いつものように空は灰色だが、風は強くないし、肌寒くもない。良ければ墓地を案内してくれないか?その、フィリス家の本に書かれていた結界の端を見てみたい」
何事も無かったかのように話し出したルドガーを、ソフィは警戒するように睨みつけた。
「まだいるの?もう帰ったら?」
「ここが俺の家だ。結婚したのだから妻の家は俺の家でもある」
ソフィは反論できず、黙ってパンの欠片を口に入れた。
妻の物は夫の物であり、夫が帰ってきたら食事の世話から下の世話までしなければならない。
フィリス家でソフィはそう教わった。
ルドガーが今朝ソフィにしたことは乱暴だったが、夫の当然の権利であることもわかっていた。
むしろ、拒もうとしたソフィの方が、夫に従順でなかったことを謝罪するべきなのだ。
それなのに、ソフィの心に寄り添おうとするルドガーをソフィはどう考えたらいいかわからなかった。
貴族社会の妻について学んだ退屈な時間を思い出し、ソフィは憂鬱な溜息をついた。
「結界が見たいの?」
ルドガーの顔が輝いた。
「そうだ。案内してくれるのか?」
ぱっと明るくなった夫の声に、ソフィは戸惑いながらも頷いた。
朝食の片づけを終えると、ソフィは初めてルドガーと一緒に墓地に出た。
ルドガーは上機嫌だったが、しばらくして足を止めたソフィに、ここに結界があると言われ、驚愕してその先を見た。
そこは確かに墓地の外れだったが、特別なものは何もなかった。
ただ前後左右に枯草をまとわりつかせた乾いた大地が広がり、朽ちた墓石がごろごろ倒れている。
ソフィはある地点を越えて前に出ようとしなかったが、ルドガーの目にはどこもかしこも同じ景色に見えた。
「ここに結界が?何色に見えるのだ?」
ソフィには明確に見えているらしい結界に触ろうと、ルドガーはその辺りをうろうろと歩き回る。
それを呆れたように眺め、ソフィは指を差した。
「そこに金色の線がある。そこから向こうは出てはいけない」
「線?光っているのか?宙にある?それとも地面にあるのか?」
ルドガーは体を低くし、枯れ草の間から地面の上を確かめた。
やはりどこまでも同じような地面が続いている。
その様子を見ていたソフィは、軽くため息をついて首を横にふった。
ソフィの目から見れば、そこは王墓の地の突き当りで、その向こうは霧がかかっていて真っ白だった。
王墓の守り人としてこの地と契約してから、その先の世界は見えなくなった。
その境界線を行ったり来たりしているルドガーの姿は、時々見えなくなる。
「もう帰る。結界の外に出たあなたの姿は見えなくなるし、不愉快だから」
しまったといった顔になり、ルドガーが急いで追いかけてきた。
「すまない。そうか……」
王墓の地を出るどころか、外の世界を見ることさえ出来ないのだと知り、ルドガーは声を落とした。
ルドガーには、王墓の敷地の外に続く道が当然のように見えている。
その先は花が咲き、緑の植物が生い茂る。
街道の先には光が降り注ぐ美しい街並みも広がっている。
それなのに、ソフィにはその光景が一切見えないのだ。
「やはり花壇を蘇らせよう。花壇があるということは、花が咲いていたことがあるということだ」
「私はいらない。これ以上仕事を増やすのはうんざり」
確かに王墓の守り人にはやらなければならない決まりごとがたくさんある。
「俺がやろう」
ルドガーの言葉をソフィが跳ねのけた。
「毎日の世話は誰がするのよ」
「出来る限り世話のいらない花を買ってくる」
怒って早足になるソフィに追いつき、ルドガーはその腕を掴んで引き寄せた。
「放してよ!」
怒るソフィの顔を引き寄せ、無理やり口づけをする。
本当に卑怯な方法だと思うが、ソフィは肉体的な快感に弱い。
その体を抱きしめ、ルドガーはソフィの腰や背中を刺激するように撫でた。
ローレンスのおかげで、ソフィはこうした交流の仕方に慣れている。
「ソフィ」
一緒に花を買いにいきたいが、それは出来ない。
「玄関の前を見たか?三日でずいぶんきれいになった。あそこの雑草を抜いたのは俺だ。石もどけて入り口にタイルを敷こうと思っている。人を呼ぶべきだ。だいたいなぜ館の壁は全部黒い?色も変えよう」
「駄目よ。あれは決まりなの。死を意味する色なのよ」
「なぜ死を意味する色で塗った館で暮らさなければならない。俺達は生きているだろう?だいたい誰も来ないならそれこそ、好きな色に塗っても構わないじゃないか」
ルドガーに抱きすくめられ、怒っていたソフィは驚いたように目を丸くした。
「決まりなのよ?」
「誰が決めた決まりだ?それにそんなに全部決まりを守っているのか?」
扉だって開けっ放しだったし、水たまりを清めて回っている様子もない。
灯りの数も数えていないし、窓は雨水の跡がこびりつき、曇っている。
王墓の守り人がしなければならない決まりの全てをソフィが守っているわけがないし、祈りの言葉だって聞いたことがない。
「怖くないの?」
声を落とし、神妙な顔つきでソフィが問いかける。
大抵の人間は王墓にいるだけで呪われると信じ、食料を届けにくる神官も飛ぶように帰って行く。
呪いを遠ざけるための決まり事を王墓の守り人が続けていると信じている者でさえ、この地を恐れソフィに近づくことを嫌がるのだ。
「怖いのは……生涯の妻に嫌われることだ。二年間遊んでみてわかったが、俺はやはり一人の女としか付き合えない。
交際相手のことを真剣に考え始めれば、どうしたって妻のことを考えないわけにはいかなくなる。
君の存在はずっと胸の底にあって、あまり深く考えないようにしてきたが、やはり曖昧にしておくわけにはいかなかった。
正直に言えば、今回ここに来る前は王命だからと、義務的な意味で仲良くしなければと思っていたが、改めて君に会ってみたら、その、可愛いし……声や仕草も、体も……良い。
それに気が強くてすぐ怒るところも悪くない。仲良くできるなら、夫婦としてやっていきたいと思っている。この先もずっと……」
男の赤裸々な告白に、ソフィの顔は真っ赤になった。
浮気も堂々と告白し、さらに下心も見え見えで、真剣なのか、それとも下半身が緩いだけなのか、さっぱりわからない。
「今だけよ。だって、外でいくらでも若い女の子と遊べるじゃない。私のところになんて戻ってこなくなる。私はここで待つばかり」
言葉を切ったソフィは声を震わせ、目に涙をにじませた。
「そんなのずるいじゃない!もし、あなたが私に飽きたら?戻って来なくなったら?追いかけていって嘘つきと罵ることさえ出来ないのに!私だけ捨てられて、一人ぼっちで……あなたが戻って来るかどうかもわからず不安を募らせるばかり。
そんな苦しい想いをするぐらいなら、形だけの夫の方がよっぽどましよ!希望を与えて取り上げるようなことをしないでよ!心を奪われるなんてまっぴら!」
突然爆発するように叫びだしたソフィは、渾身の力でルドガーの腕を振りほどき、館に向けて走り出した。
その遠ざかる背中をルドガーは茫然と見送っていた。
またしても気配もなく現れたローレンスにルドガーは確信した。
やはり、ローレンスは相当な訓練を積んだ騎士なのだ。
すでに日は昇っているが、墓地にはまだ朝靄が少しだけ残っている。
「逃げるなよ。お前の役目は王墓の守り人をこの地に留めること。それが夫になる騎士に課せられた役目だ。彼女の持つ力はこの国にとってかけがえのないもの。利用し、繋ぎとめろ」
ローレンスの言葉にルドガーは嫌な顔をした。
「彼女が好きだから、こんな寂れた場所にも通っているのではないのか。
彼女は、喜んでお前を寝室に迎え入れるのに、利用しろとは酷い言い草だ。俺は……結婚したのだから、妻と仲良くなりたいと思っただけだ。それだけだ……」
「……奇妙な男だな。王命で結婚したのだからそれ以上の関係は不要だろう」
意外にも冷淡なローレンスの言葉に、ルドガーはさらに不愉快な気分になった。
「不要かもしれないが……俺の妻は一人きりだ。他に妻を持つことは出来ない。確かに妻がいながら他の女とも遊んだが、既に結婚しているし、それ以上の関係を築くのは難しかった。
いつも引っかかっていた。妻になった女性が、ソフィがどんな女性なのか、怒らずに話が出来たらどんな感じなのか。
墓しかないところで孤独のあまり泣いていたりしないだろうか、愛人となら楽しく過ごせるのだろうか、毎日気にしていたわけじゃないが、ふと思い出しては考えた。
あらためて顔を合わせてみたらあまりにも若くて、結婚なんてまだ早いのではないかと思うほどだった。
王城の同じぐらいの年齢の女性達はきれいに着飾り、いつも楽しそうに笑っている。
夜会で若い男達を品定めし、将来誰と結婚しようかと花嫁になる日を楽しみにしている。
町にいる娘たちだって、もっとましな服を着ているし、夫と手を繋ぎ子供を抱いている。
ソフィは……ソフィには墓しかない。こんなところに縛られて、それが俺の妻だなんて、あんまりじゃないか。
俺の妻は人生の楽しみを一つも知ることなく死人に縛り付けられて生きていく。
国の命令に逆らうことは考えていないが、女として少しはましな生活を望んでもいいだろう?俺は夫で彼女は妻だ。夫婦生活ぐらい楽しいものであってもいいだろう……」
まるで独り言のように長々と胸の内を吐き出したルドガーは、またもや頭を抱え、足元の貧弱な雑草に視線を落とした。
小さな虫が草の間を縫ってゆき、どこかに消えた。
「お前のような奇妙な男は初めてだ。ソフィはお前をそんなに嫌ってはいない」
「本当か?」
がばっとルドガーは顔をあげた。
ローレンスの方がソフィのことをよくわかっている。
その言葉にすがりかけたルドガーは、夫である立場を思い出し、情けなさにまた俯いた。
「ただ、彼女は普通の生活を知らないし、夫婦がどんなものなのかわからない。
フィリス家で教育されたように彼女は夫の世話をする。国の命令と同じだ。そこに感情は不要だ。
でも、もし人として、彼女と向き合いたいと思うなら、それを教えるべきだろうな。
俺はしたことがないが……。お前のやり方で近づいてみたらいい」
突然、ローレンスの声が遠くなり、足元の草を抜いていたルドガーは顔をあげた。
またもや気配もなくローレンスの姿は消えていた。
悔しいが、自分より腕の立つ騎士なのだろうとルドガーは考えた。
気配を消すのも、足音を立てずに移動するのも技術がいることだ。
それでも夫はルドガーなのだ。
いくら容姿がルドガーより優れていて、さらに剣の腕まで上だとしてもローレンスは夫ではない。
ルドガーは心を奮い立たせ、急いで館に引き返した。
ソフィは厨房で朝食用のパンをこねていた。
野菜と肉が調理台に並んでいる。
ルドガーはさりげなく近づき、黙ってその肉を刻み始めた。
手伝ってもいいかなどと問いかければ、駄目だと言われ追い出されてしまうかもしれない。
不愉快そうに顔を歪めたソフィだったが、ルドガーに出ていけとは言わなかった。
朝食が完成すると、いつも通り二人は厨房の片隅に置かれたテーブルで、向かい合って食事を始めた。
相変わらずソフィは不機嫌な顔をしていたが、ルドガーの目にはとんでもなく輝いて見えた。
体を重ねたからなのか、それとも愛人に遠慮してきた気持ちが解放されたからなのか、理由はわからなかったが、股間は痛いぐらい膨れ上がっていた。
どうしても今朝の出来事を思い出してしまう。
夫婦の交わりとしては最低なものだったが、ルドガーは最高に気持ちが良かった。
妻なのだから何回も抱きたいが、これ以上嫌われたくはない。
死ぬ気で己の欲望を封じ込め、ルドガーは出来る限り紳士的に語り掛けた。
「ソフィ、今日は珍しく天気が良かった。その、いつものように空は灰色だが、風は強くないし、肌寒くもない。良ければ墓地を案内してくれないか?その、フィリス家の本に書かれていた結界の端を見てみたい」
何事も無かったかのように話し出したルドガーを、ソフィは警戒するように睨みつけた。
「まだいるの?もう帰ったら?」
「ここが俺の家だ。結婚したのだから妻の家は俺の家でもある」
ソフィは反論できず、黙ってパンの欠片を口に入れた。
妻の物は夫の物であり、夫が帰ってきたら食事の世話から下の世話までしなければならない。
フィリス家でソフィはそう教わった。
ルドガーが今朝ソフィにしたことは乱暴だったが、夫の当然の権利であることもわかっていた。
むしろ、拒もうとしたソフィの方が、夫に従順でなかったことを謝罪するべきなのだ。
それなのに、ソフィの心に寄り添おうとするルドガーをソフィはどう考えたらいいかわからなかった。
貴族社会の妻について学んだ退屈な時間を思い出し、ソフィは憂鬱な溜息をついた。
「結界が見たいの?」
ルドガーの顔が輝いた。
「そうだ。案内してくれるのか?」
ぱっと明るくなった夫の声に、ソフィは戸惑いながらも頷いた。
朝食の片づけを終えると、ソフィは初めてルドガーと一緒に墓地に出た。
ルドガーは上機嫌だったが、しばらくして足を止めたソフィに、ここに結界があると言われ、驚愕してその先を見た。
そこは確かに墓地の外れだったが、特別なものは何もなかった。
ただ前後左右に枯草をまとわりつかせた乾いた大地が広がり、朽ちた墓石がごろごろ倒れている。
ソフィはある地点を越えて前に出ようとしなかったが、ルドガーの目にはどこもかしこも同じ景色に見えた。
「ここに結界が?何色に見えるのだ?」
ソフィには明確に見えているらしい結界に触ろうと、ルドガーはその辺りをうろうろと歩き回る。
それを呆れたように眺め、ソフィは指を差した。
「そこに金色の線がある。そこから向こうは出てはいけない」
「線?光っているのか?宙にある?それとも地面にあるのか?」
ルドガーは体を低くし、枯れ草の間から地面の上を確かめた。
やはりどこまでも同じような地面が続いている。
その様子を見ていたソフィは、軽くため息をついて首を横にふった。
ソフィの目から見れば、そこは王墓の地の突き当りで、その向こうは霧がかかっていて真っ白だった。
王墓の守り人としてこの地と契約してから、その先の世界は見えなくなった。
その境界線を行ったり来たりしているルドガーの姿は、時々見えなくなる。
「もう帰る。結界の外に出たあなたの姿は見えなくなるし、不愉快だから」
しまったといった顔になり、ルドガーが急いで追いかけてきた。
「すまない。そうか……」
王墓の地を出るどころか、外の世界を見ることさえ出来ないのだと知り、ルドガーは声を落とした。
ルドガーには、王墓の敷地の外に続く道が当然のように見えている。
その先は花が咲き、緑の植物が生い茂る。
街道の先には光が降り注ぐ美しい街並みも広がっている。
それなのに、ソフィにはその光景が一切見えないのだ。
「やはり花壇を蘇らせよう。花壇があるということは、花が咲いていたことがあるということだ」
「私はいらない。これ以上仕事を増やすのはうんざり」
確かに王墓の守り人にはやらなければならない決まりごとがたくさんある。
「俺がやろう」
ルドガーの言葉をソフィが跳ねのけた。
「毎日の世話は誰がするのよ」
「出来る限り世話のいらない花を買ってくる」
怒って早足になるソフィに追いつき、ルドガーはその腕を掴んで引き寄せた。
「放してよ!」
怒るソフィの顔を引き寄せ、無理やり口づけをする。
本当に卑怯な方法だと思うが、ソフィは肉体的な快感に弱い。
その体を抱きしめ、ルドガーはソフィの腰や背中を刺激するように撫でた。
ローレンスのおかげで、ソフィはこうした交流の仕方に慣れている。
「ソフィ」
一緒に花を買いにいきたいが、それは出来ない。
「玄関の前を見たか?三日でずいぶんきれいになった。あそこの雑草を抜いたのは俺だ。石もどけて入り口にタイルを敷こうと思っている。人を呼ぶべきだ。だいたいなぜ館の壁は全部黒い?色も変えよう」
「駄目よ。あれは決まりなの。死を意味する色なのよ」
「なぜ死を意味する色で塗った館で暮らさなければならない。俺達は生きているだろう?だいたい誰も来ないならそれこそ、好きな色に塗っても構わないじゃないか」
ルドガーに抱きすくめられ、怒っていたソフィは驚いたように目を丸くした。
「決まりなのよ?」
「誰が決めた決まりだ?それにそんなに全部決まりを守っているのか?」
扉だって開けっ放しだったし、水たまりを清めて回っている様子もない。
灯りの数も数えていないし、窓は雨水の跡がこびりつき、曇っている。
王墓の守り人がしなければならない決まりの全てをソフィが守っているわけがないし、祈りの言葉だって聞いたことがない。
「怖くないの?」
声を落とし、神妙な顔つきでソフィが問いかける。
大抵の人間は王墓にいるだけで呪われると信じ、食料を届けにくる神官も飛ぶように帰って行く。
呪いを遠ざけるための決まり事を王墓の守り人が続けていると信じている者でさえ、この地を恐れソフィに近づくことを嫌がるのだ。
「怖いのは……生涯の妻に嫌われることだ。二年間遊んでみてわかったが、俺はやはり一人の女としか付き合えない。
交際相手のことを真剣に考え始めれば、どうしたって妻のことを考えないわけにはいかなくなる。
君の存在はずっと胸の底にあって、あまり深く考えないようにしてきたが、やはり曖昧にしておくわけにはいかなかった。
正直に言えば、今回ここに来る前は王命だからと、義務的な意味で仲良くしなければと思っていたが、改めて君に会ってみたら、その、可愛いし……声や仕草も、体も……良い。
それに気が強くてすぐ怒るところも悪くない。仲良くできるなら、夫婦としてやっていきたいと思っている。この先もずっと……」
男の赤裸々な告白に、ソフィの顔は真っ赤になった。
浮気も堂々と告白し、さらに下心も見え見えで、真剣なのか、それとも下半身が緩いだけなのか、さっぱりわからない。
「今だけよ。だって、外でいくらでも若い女の子と遊べるじゃない。私のところになんて戻ってこなくなる。私はここで待つばかり」
言葉を切ったソフィは声を震わせ、目に涙をにじませた。
「そんなのずるいじゃない!もし、あなたが私に飽きたら?戻って来なくなったら?追いかけていって嘘つきと罵ることさえ出来ないのに!私だけ捨てられて、一人ぼっちで……あなたが戻って来るかどうかもわからず不安を募らせるばかり。
そんな苦しい想いをするぐらいなら、形だけの夫の方がよっぽどましよ!希望を与えて取り上げるようなことをしないでよ!心を奪われるなんてまっぴら!」
突然爆発するように叫びだしたソフィは、渾身の力でルドガーの腕を振りほどき、館に向けて走り出した。
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