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8.新婚の二人
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分厚い腕の中で目を覚ましたソフィは、すぐに先ほどの出来事を思い出し、後ろを振り返った。
目を閉ざした黒髪の男が、ソフィを背後から抱きしめている。
ぞっとして、ソフィは男の腕から抜け出ようと身じろいだ。
すると、男の右腕がソフィを締め付け、左手がソフィの体を撫で始めた。
「んんっ!」
大きな手がソフィの腰やお尻、腿をなぞり、裾をまきあげ服の下に入ってくる。
右腕はさらにソフィを後ろに引き寄せ、熱い男の胸が背中に押し付けられる。
なんとか逃げ出そうと、ソフィは腕を伸ばし、寝台の端を掴んだ。
体を引き抜こうと腕に力をこめると、あっさり男の手が伸びてきてソフィの手を引きはがした。
「起きているでしょう!離してよ」
ソフィが叫ぶと、男の低い声がすぐに答えた。
「俺は休暇中だ。お前は温かくて柔らかい。こんなに気持ちよく眠れたのは久しぶりだ。もう少し寝かせてくれ」
自分を枕代わりにする男に怒って、ソフィは手を振り上げようとしたが、肩はしっかり押さえこまれている。
ローレンスを呼ぼうとしたが、もう窓から朝日が差し込んでいた。
「嫌いよ。外で遊んで来たらいいじゃない」
ソフィは叫んだが、返事はなかった。男の寝息が聞こえ、ソフィはむっつりと黙り込んだ。
汗ばむくらい熱い男の体に押さえ込まれ、ソフィは息を潜めて目を閉じた。
昼近くになり、ルドガーは心地よく目を覚ました。二度寝をしたため、頭が少しぼんやりしている。
腕の中に温かく柔らかい体があることに気づき、ルドガーはさっそく妻の寝顔を確かめた。
明るい日差しの下で見るソフィの顔はやはり若く、頬にもあどけなさが残っている。
夫探しを始めるなら丁度良い年齢ではないだろうかとルドガーは考えた。
顔は好みだし、ソフィが怒ってさえいなければ、平和な夫婦生活が送れそうな気がしてくる。
しかしルドガーは毎日王墓に戻ってこられるわけではないし、となれば愛人を排除することもできない。
本来、妻の寝顔は夫だけのものなのに、愛人のローレンスの方がソフィの寝顔をたくさんみるのかと思うと、ルドガーはやはり少し面白くなかった。
わずかな嫉妬心に駆られ、ルドガーは眠っているソフィの唇をこっそり奪った。
すぐに唇を離そうとしたが、その感触はルドガーの欲望に火をつけた。
あと少しだけと言い訳し、何度も唇をついばみ、それから舌で触れる。
「んっ……」
眠っているソフィの瞼が震え、甘えるような声が漏れた。
その声の響きに押され、ルドガーはソフィの体を深く抱きしめた。
「んんっ……」
慣れた様子でソフィは体を誘うようにのけぞらせ、唇を開いた。
すかさずルドガーがソフィの体に覆いかぶさる。
その瞬間、ルドガーの頬に小さな力がぶつかった。
顔をあげると、目を怒らせたソフィが拳を振り上げている。
先ほどまでルドガーを迎え入れる気満々だった唇は、わなわなと震え、横に引き結ばれてしまっていた。
「はぁ……」
がっくりと肩を落としたルドガーの胸や顔をソフィの拳が殴った。
まるで子猫に反撃されているような気分で、ルドガーはその手を軽々と押さえ込む。
「すまなかった……。でも目覚めの口づけぐらい良いだろう?俺は夫で君は妻なのだから」
「名前だけの夫婦でしょう?もう私のことは放っておいてよ!」
ソフィのことを想えば当然そうしてやるべきだったが、ルドガーにも事情がある。
「そういうわけにもいかなくなった。その理由はわかるだろう?俺宛ての郵便物を燃やしたのか捨てたのかわからないが、この結婚に課せられた条件が判明した。俺は君を監視しないといけないし、君がきちんと仕事をしているのか確かめる必要がある」
「それのどこが夫なの?私を見張りにきた役人じゃない!利用するために私を懐柔しようとするのはやめて!放っておいてよ!」
国の意図はそうしたことだろうが、ルドガーはそれだけの関係で終わらせる気はなかった。
「俺にだって結婚にこだわりがあった。普通に女性と惹かれ合い、交際し、正式な申し込みの上、結婚という形になれば理想だったが、そうはならなかった。
二年間、俺もいろいろ遊び、特定の女と交際してみたりもしたが、やはり結婚を求められるとそれは応えられないし、妻がいるという現実からは逃げられない。となれば、やはり生涯の妻は君だけだ。
試してみてうまくいかなければ仕方がないが、俺達はまだ夫婦を始めてもいない。とりあえず俺達の関係をやり直してみないか?」
唖然としているソフィに、ルドガーは妥協案を提示した。
「俺は全ての女と手を切ってきたが、君にそれをしろとは言わない。ただ、夫がいる時は、愛人をここに入れないでくれ。ローレンスや、他に誰がいるか知らないが、愛人とは別れなくてもいい。俺との関係が良くなったら別れて欲しいが……。こんな寂しい場所だ。無理にとは言わない。ソフィ、真似事で良い。夫婦になろう。王墓の決まりについても君が学んできたことを教えてくれ。ここにいる間は手伝える」
ソフィは鼻に皺をよせ、不愉快そうにルドガーを睨みつけた。
ルドガーは喧嘩にならないように、なんとか笑顔を作り、その額にぎこちなく唇を押し付けた。
ソフィの態度はかわらなかったが、本気で仲良くしようと決めたルドガーは、ソフィが厨房に向かうと、その後を追いかけ、朝食作りを手伝い始めた。
パン生地をこねるソフィの傍に椅子を引き寄せ、ルドガーは器用に芋の皮をむいた。
「俺は早くに母親を亡くしている。すぐに若い女を父親が連れてきた。だからあまり世話をされなかった。家を追い出されることも覚悟して一人で生きていけるようになんでも覚えた。すぐに寄宿学校に入ったが、下っ端には仕事がある。
料理に洗濯、床磨きまでやった。戦場に出れば泥の中で眠ることもある。大抵のことには耐えられる」
少しでも打ち解けようと、ルドガーはソフィに語り掛けながら手際よく他のスープの具材も切った。
「君は?フィリス家は王の信任も厚い立派な家柄だ。料理はここに来る前に習ったのか?」
「そうよ……」
ルドガーは愛想のないソフィの返答を、会話の第一歩だと喜んだ。
「そうか。大変だったな。これだけの領地でこの館だ。召使が数十人いてもおかしくない。ここでの仕事は一人ではとても終わらないだろう?その、誰か探してみてもいいだろうか?
以前町の人間は誰も働きに来ないと言っていただろう?俺が連れてくるなら構わないか?一時的にでも人が入らないと草むしりだって終わらない」
「きれいにしたって誰も見ないじゃない。死んだ人間だって気にしない」
「まぁ、そうだが……」
正確な歳はわからないが、ソフィはまだ若く、墓場も黒い服も似合わない。
引退した老人だってもっとましな服を着るし、死の間際まで墓地になんて近づかない。
「墓地には枯草ばかりだったが、花壇があった。昔は花が咲いていたのかもしれない。明るい色の花を植えてはどうだろう?」
「私の仕事を増やしたいの?誰が世話をすると思っているの?」
突然怒りを爆発させ、ソフィは木のボウルを調理台に叩きつけた。
幸い、木製のボウルは割れなかったが、中に入っていた野菜が少しこぼれた。
ルドガーは動じた様子もなく肉を入れたスープをかき回す。
「確かに、維持するには人手が必要だな。住み込みで働いてくれる者がいればいいが、やはり難しいか」
イーゼンを連れてきた時のことを思い出し、ルドガーは残念そうに唸った。
騎士だというのに、イーゼンは荒れた墓地や黒い館、室内の悪趣味な内装に怯え、ローレンスの姿を見た時には死人だと信じ込んで、腰を抜かしていた。
戦闘訓練を積んだ男がそれでは、一般人を雇って働いてもらうのは難しいのかもしれないとルドガーは考えた。
ルドガーにさらりと怒りを流されたソフィは、不機嫌な顔で黙り込んだ。
朝食を終えると、ルドガーは洗い物を手伝った。
食器を布巾で拭いて、窓辺に並べていたルドガーの横を、ソフィが灰色のローブに身を包んで通り過ぎた。
それを追いかけ、ルドガーは馬を出すかと問いかけた。
「墓地を歩くのだろう?フィリス家から借りた本に書いてあった。結界を見て回るのは徒歩でなければならないのか?馬でも良ければ乗せて行こう」
振り返りもせず、ソフィは倒壊した墓石を乗り越え、荒れた墓地を歩き出す。
「いりません。全部見て回るわけじゃないから」
「時間が足りるのか?」
しつこく後ろをついてくるルドガーをソフィが鋭く振り返った。
「何もわからないくせに口を出さないで!」
突然怒鳴りつけられ、ルドガーが固まると、ソフィはくるりと背を向け、墓の間をすり抜けぐんぐん先に進んでいく。
遠ざかる背中を前に、これ以上食い下がればさらに嫌われてしまうかもしれないと考えたルドガーは、肩を落とし、寂れた玄関前を見回した。
王墓の地面は基本的に乾いている。
青々とした草は一本もなく、枯草ばかりが目立つし、地面は手入れをされた様子もなく穴だらけだ。
倒壊した墓石の欠片も多く、大小さまざまな石が転がり、墓石がいくつも積み上げられている個所まである。
堆積した石の下に出来た隙間には、怪しげなキノコが生え、かび臭い水たまりが出来ている。
常に灰色の雲に覆われている王墓は風通しも悪く、湿った場所は常に湿っており、乾いた場所は常に乾いているのだ。
王墓の地は常に人の手を入れ、見栄えよく保つ必要がある。
フィリス家から借りた本に、そんな項目があったことを思い出し、ルドガーは地面にしゃがみ込むと、枯草を取り除き始めた。
昼過ぎにソフィは館に戻ってきた。
ルドガーはすかさずソフィの後ろを追いかけ、朝と同じように一緒に料理し、昼食をとった。
それが終わると、ソフィはまた出かけていき、ルドガーは玄関前の草むしりに戻った。
夕刻になると、またソフィが戻ってきて、二人は一緒に厨房に立った。
ソフィはいちいち不機嫌で、ルドガーに怒っていたが、ルドガーはなんとか喧嘩にならないよう気を付け、食事の後片付けまで終わらせた。
お風呂に順番に入ったあと、ルドガーは何もしないと約束し、嫌がるソフィを自分の寝室に連れ込んだ。
ルドガーはソフィを抱きしめて寝台に横になった。
「夫婦は一緒に寝るものだ。まず俺達はそこから慣れよう」
何もしないというルドガーの言葉を怪しみながらも、ソフィはすぐに眠りについたが、ルドガーはなかなか寝付けなかった。
湯上りのソフィは昨日よりずっと柔らかく、花のような香りもした。
意識せずとも下半身が熱くなる。
朝まで我慢するのは至難の業だった。
ルドガーは自身の欲望から目を背け、墓地でのソフィの暮らしについて考えた。
国の決まりとはいえ、誰も近づこうともしない陰気な墓地に閉じ込められ、ソフィは長い人生を送るのだ。
毎日死者に祈りを捧げ、忘れ去られた土地を清め続ける。
これから自分が入る墓の準備をしているようにも思え、ルドガーの胸は痛んだ。
騎士であっても、この墓地で命を終えよと命じられたら、正気でいられるかどうかわからない。
王墓の守り人は王墓を出てはいけないことになっている。
生きているのに棺桶に入って死を待っているようなものだ。
それはあまりにも酷い話ではないだろうか。
睡魔が訪れるのを待ちながら、ルドガーはソフィがいつも不機嫌で怒っているのも仕方がないことなのかもしれないと考えた。
目を閉ざした黒髪の男が、ソフィを背後から抱きしめている。
ぞっとして、ソフィは男の腕から抜け出ようと身じろいだ。
すると、男の右腕がソフィを締め付け、左手がソフィの体を撫で始めた。
「んんっ!」
大きな手がソフィの腰やお尻、腿をなぞり、裾をまきあげ服の下に入ってくる。
右腕はさらにソフィを後ろに引き寄せ、熱い男の胸が背中に押し付けられる。
なんとか逃げ出そうと、ソフィは腕を伸ばし、寝台の端を掴んだ。
体を引き抜こうと腕に力をこめると、あっさり男の手が伸びてきてソフィの手を引きはがした。
「起きているでしょう!離してよ」
ソフィが叫ぶと、男の低い声がすぐに答えた。
「俺は休暇中だ。お前は温かくて柔らかい。こんなに気持ちよく眠れたのは久しぶりだ。もう少し寝かせてくれ」
自分を枕代わりにする男に怒って、ソフィは手を振り上げようとしたが、肩はしっかり押さえこまれている。
ローレンスを呼ぼうとしたが、もう窓から朝日が差し込んでいた。
「嫌いよ。外で遊んで来たらいいじゃない」
ソフィは叫んだが、返事はなかった。男の寝息が聞こえ、ソフィはむっつりと黙り込んだ。
汗ばむくらい熱い男の体に押さえ込まれ、ソフィは息を潜めて目を閉じた。
昼近くになり、ルドガーは心地よく目を覚ました。二度寝をしたため、頭が少しぼんやりしている。
腕の中に温かく柔らかい体があることに気づき、ルドガーはさっそく妻の寝顔を確かめた。
明るい日差しの下で見るソフィの顔はやはり若く、頬にもあどけなさが残っている。
夫探しを始めるなら丁度良い年齢ではないだろうかとルドガーは考えた。
顔は好みだし、ソフィが怒ってさえいなければ、平和な夫婦生活が送れそうな気がしてくる。
しかしルドガーは毎日王墓に戻ってこられるわけではないし、となれば愛人を排除することもできない。
本来、妻の寝顔は夫だけのものなのに、愛人のローレンスの方がソフィの寝顔をたくさんみるのかと思うと、ルドガーはやはり少し面白くなかった。
わずかな嫉妬心に駆られ、ルドガーは眠っているソフィの唇をこっそり奪った。
すぐに唇を離そうとしたが、その感触はルドガーの欲望に火をつけた。
あと少しだけと言い訳し、何度も唇をついばみ、それから舌で触れる。
「んっ……」
眠っているソフィの瞼が震え、甘えるような声が漏れた。
その声の響きに押され、ルドガーはソフィの体を深く抱きしめた。
「んんっ……」
慣れた様子でソフィは体を誘うようにのけぞらせ、唇を開いた。
すかさずルドガーがソフィの体に覆いかぶさる。
その瞬間、ルドガーの頬に小さな力がぶつかった。
顔をあげると、目を怒らせたソフィが拳を振り上げている。
先ほどまでルドガーを迎え入れる気満々だった唇は、わなわなと震え、横に引き結ばれてしまっていた。
「はぁ……」
がっくりと肩を落としたルドガーの胸や顔をソフィの拳が殴った。
まるで子猫に反撃されているような気分で、ルドガーはその手を軽々と押さえ込む。
「すまなかった……。でも目覚めの口づけぐらい良いだろう?俺は夫で君は妻なのだから」
「名前だけの夫婦でしょう?もう私のことは放っておいてよ!」
ソフィのことを想えば当然そうしてやるべきだったが、ルドガーにも事情がある。
「そういうわけにもいかなくなった。その理由はわかるだろう?俺宛ての郵便物を燃やしたのか捨てたのかわからないが、この結婚に課せられた条件が判明した。俺は君を監視しないといけないし、君がきちんと仕事をしているのか確かめる必要がある」
「それのどこが夫なの?私を見張りにきた役人じゃない!利用するために私を懐柔しようとするのはやめて!放っておいてよ!」
国の意図はそうしたことだろうが、ルドガーはそれだけの関係で終わらせる気はなかった。
「俺にだって結婚にこだわりがあった。普通に女性と惹かれ合い、交際し、正式な申し込みの上、結婚という形になれば理想だったが、そうはならなかった。
二年間、俺もいろいろ遊び、特定の女と交際してみたりもしたが、やはり結婚を求められるとそれは応えられないし、妻がいるという現実からは逃げられない。となれば、やはり生涯の妻は君だけだ。
試してみてうまくいかなければ仕方がないが、俺達はまだ夫婦を始めてもいない。とりあえず俺達の関係をやり直してみないか?」
唖然としているソフィに、ルドガーは妥協案を提示した。
「俺は全ての女と手を切ってきたが、君にそれをしろとは言わない。ただ、夫がいる時は、愛人をここに入れないでくれ。ローレンスや、他に誰がいるか知らないが、愛人とは別れなくてもいい。俺との関係が良くなったら別れて欲しいが……。こんな寂しい場所だ。無理にとは言わない。ソフィ、真似事で良い。夫婦になろう。王墓の決まりについても君が学んできたことを教えてくれ。ここにいる間は手伝える」
ソフィは鼻に皺をよせ、不愉快そうにルドガーを睨みつけた。
ルドガーは喧嘩にならないように、なんとか笑顔を作り、その額にぎこちなく唇を押し付けた。
ソフィの態度はかわらなかったが、本気で仲良くしようと決めたルドガーは、ソフィが厨房に向かうと、その後を追いかけ、朝食作りを手伝い始めた。
パン生地をこねるソフィの傍に椅子を引き寄せ、ルドガーは器用に芋の皮をむいた。
「俺は早くに母親を亡くしている。すぐに若い女を父親が連れてきた。だからあまり世話をされなかった。家を追い出されることも覚悟して一人で生きていけるようになんでも覚えた。すぐに寄宿学校に入ったが、下っ端には仕事がある。
料理に洗濯、床磨きまでやった。戦場に出れば泥の中で眠ることもある。大抵のことには耐えられる」
少しでも打ち解けようと、ルドガーはソフィに語り掛けながら手際よく他のスープの具材も切った。
「君は?フィリス家は王の信任も厚い立派な家柄だ。料理はここに来る前に習ったのか?」
「そうよ……」
ルドガーは愛想のないソフィの返答を、会話の第一歩だと喜んだ。
「そうか。大変だったな。これだけの領地でこの館だ。召使が数十人いてもおかしくない。ここでの仕事は一人ではとても終わらないだろう?その、誰か探してみてもいいだろうか?
以前町の人間は誰も働きに来ないと言っていただろう?俺が連れてくるなら構わないか?一時的にでも人が入らないと草むしりだって終わらない」
「きれいにしたって誰も見ないじゃない。死んだ人間だって気にしない」
「まぁ、そうだが……」
正確な歳はわからないが、ソフィはまだ若く、墓場も黒い服も似合わない。
引退した老人だってもっとましな服を着るし、死の間際まで墓地になんて近づかない。
「墓地には枯草ばかりだったが、花壇があった。昔は花が咲いていたのかもしれない。明るい色の花を植えてはどうだろう?」
「私の仕事を増やしたいの?誰が世話をすると思っているの?」
突然怒りを爆発させ、ソフィは木のボウルを調理台に叩きつけた。
幸い、木製のボウルは割れなかったが、中に入っていた野菜が少しこぼれた。
ルドガーは動じた様子もなく肉を入れたスープをかき回す。
「確かに、維持するには人手が必要だな。住み込みで働いてくれる者がいればいいが、やはり難しいか」
イーゼンを連れてきた時のことを思い出し、ルドガーは残念そうに唸った。
騎士だというのに、イーゼンは荒れた墓地や黒い館、室内の悪趣味な内装に怯え、ローレンスの姿を見た時には死人だと信じ込んで、腰を抜かしていた。
戦闘訓練を積んだ男がそれでは、一般人を雇って働いてもらうのは難しいのかもしれないとルドガーは考えた。
ルドガーにさらりと怒りを流されたソフィは、不機嫌な顔で黙り込んだ。
朝食を終えると、ルドガーは洗い物を手伝った。
食器を布巾で拭いて、窓辺に並べていたルドガーの横を、ソフィが灰色のローブに身を包んで通り過ぎた。
それを追いかけ、ルドガーは馬を出すかと問いかけた。
「墓地を歩くのだろう?フィリス家から借りた本に書いてあった。結界を見て回るのは徒歩でなければならないのか?馬でも良ければ乗せて行こう」
振り返りもせず、ソフィは倒壊した墓石を乗り越え、荒れた墓地を歩き出す。
「いりません。全部見て回るわけじゃないから」
「時間が足りるのか?」
しつこく後ろをついてくるルドガーをソフィが鋭く振り返った。
「何もわからないくせに口を出さないで!」
突然怒鳴りつけられ、ルドガーが固まると、ソフィはくるりと背を向け、墓の間をすり抜けぐんぐん先に進んでいく。
遠ざかる背中を前に、これ以上食い下がればさらに嫌われてしまうかもしれないと考えたルドガーは、肩を落とし、寂れた玄関前を見回した。
王墓の地面は基本的に乾いている。
青々とした草は一本もなく、枯草ばかりが目立つし、地面は手入れをされた様子もなく穴だらけだ。
倒壊した墓石の欠片も多く、大小さまざまな石が転がり、墓石がいくつも積み上げられている個所まである。
堆積した石の下に出来た隙間には、怪しげなキノコが生え、かび臭い水たまりが出来ている。
常に灰色の雲に覆われている王墓は風通しも悪く、湿った場所は常に湿っており、乾いた場所は常に乾いているのだ。
王墓の地は常に人の手を入れ、見栄えよく保つ必要がある。
フィリス家から借りた本に、そんな項目があったことを思い出し、ルドガーは地面にしゃがみ込むと、枯草を取り除き始めた。
昼過ぎにソフィは館に戻ってきた。
ルドガーはすかさずソフィの後ろを追いかけ、朝と同じように一緒に料理し、昼食をとった。
それが終わると、ソフィはまた出かけていき、ルドガーは玄関前の草むしりに戻った。
夕刻になると、またソフィが戻ってきて、二人は一緒に厨房に立った。
ソフィはいちいち不機嫌で、ルドガーに怒っていたが、ルドガーはなんとか喧嘩にならないよう気を付け、食事の後片付けまで終わらせた。
お風呂に順番に入ったあと、ルドガーは何もしないと約束し、嫌がるソフィを自分の寝室に連れ込んだ。
ルドガーはソフィを抱きしめて寝台に横になった。
「夫婦は一緒に寝るものだ。まず俺達はそこから慣れよう」
何もしないというルドガーの言葉を怪しみながらも、ソフィはすぐに眠りについたが、ルドガーはなかなか寝付けなかった。
湯上りのソフィは昨日よりずっと柔らかく、花のような香りもした。
意識せずとも下半身が熱くなる。
朝まで我慢するのは至難の業だった。
ルドガーは自身の欲望から目を背け、墓地でのソフィの暮らしについて考えた。
国の決まりとはいえ、誰も近づこうともしない陰気な墓地に閉じ込められ、ソフィは長い人生を送るのだ。
毎日死者に祈りを捧げ、忘れ去られた土地を清め続ける。
これから自分が入る墓の準備をしているようにも思え、ルドガーの胸は痛んだ。
騎士であっても、この墓地で命を終えよと命じられたら、正気でいられるかどうかわからない。
王墓の守り人は王墓を出てはいけないことになっている。
生きているのに棺桶に入って死を待っているようなものだ。
それはあまりにも酷い話ではないだろうか。
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