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6.話し合わない妻

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「ソフィ。ローレンスが逃げるように帰った。挨拶ぐらいさせてもらわなければ困る。俺は一応夫だ」

ルドガーはやはりローレンスが死人のわけがないと確信を持った。
死人がソフィの体に口づけの跡を作れるわけがないし、ソフィの気だるげな表情も、生身の体と交わった証拠だ。

「君に聞きたいことがある。俺の休暇を事前に調べ、俺がここに頻繁に帰っていると俺の上司に報告していたな?俺の休暇届けの申請理由の全てが君の監視になっている。
俺の役目は世継ぎを作ることだけではなかったのか?結婚に伴う夫の役目を記した婚前契約書があるなら見せてもらいたい」

淡々と話しながらも、ルドガーはソフィの体から目が離せないでいた。
ソフィの裸身は思いがけず美しく、ルドガーの下半身を強く刺激した。

顔だって悪くはない。
ルドガーは不機嫌そうなソフィと目が合うと、慌てて床に落ちていた上掛けを拾い、ソフィの上に投げかけた。

「俺に隠していることがあるだろう、ソフィ。だんまりを決め込むなら君が届け出ている通り俺は頻繁にここに通い、君の仕事ぶりを監視する必要がある」

「やめてよ!」

爆発するようにソフィが叫んだ。
素早く体を布でくるみ、上半身を起こしてルドガーを睨みつける。
ルドガーはこれ以上ソフィを刺激しないように、ソフィから視線を外した。

「俺は話がしたい。そのために戻ってきた。俺が君の生活の邪魔になることはわかっている。だからといって君に全てを譲ることは出来ない。王命に従う義務がある。
愛人と君を引き裂くような真似はしないし、極力君の意思に沿うように関係を築いていきたいと思っている。そのための話し合いをしよう」

「出て行ってよ!」

敵意に満ちたソフィの声に、ルドガーは肩を落とした。
愛人と愛し合った直後に邪魔な夫が寝室に入ってきたのだ。怒るのも当然だ。

「すまない。だが、君に話を聞いてもらいたかった。外で待っている。身支度を整えたら出てきてくれ」

ルドガーは素早く背を向け、寝室の外に出た。

「ルドガー!」

外で待っていたイーゼンが駆け寄った。
ルドガーの腕をとって、下の階を指し示す。

「人がいない。本当に誰もいない。だけどそこかしこに気配がする。扉をあけっぱなしにしたせいだ」

すっかり怯え切っているイーゼンを見て、ルドガーはさらに疲れ切ったようにため息をついた。

「お前まで問題を増やすな。もし幽霊がこの世に存在していたとしても何ができる?その辺にいるように感じさせるだけじゃ何の意味もない」

「剣で斬れない存在は怖いだろう!」

取り乱すイーゼンを、ルドガーは正気を疑うような目でまじまじと見た。
我に返ったようにイーゼンは顔を赤くしたが、先ほどの怪異は無かったことにはならなかった。

「こんなところにいたら気が病んでしまうのもうなずける。周りは墓だらけで家は真っ黒。死人の肖像画そっくりの愛人に、召使が一人もいないのに塵一つ落ちていない大きな屋敷だ。こんなところ、大金を積まれても婿入りなんてするもんじゃない」

「全くだ。俺だって他に選択肢があるなら選ばない。しかし王命であれば他に道はないだろう。これも任務の一つだ。しかし俺は自分の任務を正確に把握できていなかったようだ。彼女の役割についても全くわかっていない。
お前が調べてきた王墓の決まりも、何の意味があるのかさっぱり理解出来ない。
扉が閉まっていようと、開いていようとどうでもいい話だ。防犯上は閉めていた方がいいのだろうが、部屋の中で使える灯りの数なんてどうでもいいだろう?」

「ある意味お前はこの館の主に適任だよ。あの生きた幽霊を見てもまだ死人が出歩くなどあり得ないと思っているのだろう?」

「あれは死人じゃない。走っていたし、そこから飛び下りた。俺はこの目で見た」

「二階から飛び降りても痛そうな顔一つしなかった。まるで体重がないみたいに軽々と走って、外に飛び出して行った。それにあの顔は……いや。見間違いだ。そんなことがあるわけがない。夫が現れて驚いた愛人が逃げ出した。それだけだ。良くある話だ……」

イーゼンの声は次第に小さくなり、最後は独り言のように萎んで消えてしまった。
背後で扉があく音がして、二人は振り返った。

通路に灰色のローブを頭からすっぽり被ったソフィが出てきた。

「ソフィ、まず書斎だ。来てくれ」

室内でフードはいらないだろうとルドガーは思ったが、口には出さなかった。
服装のことで言い争うのはごめんだった。

 ルドガーは書斎まで大人しくついてきたソフィに、ソファを勧め、向かいに座った。
イーゼンは書斎の机に積まれていた書類を覗き見て、ルドガーが大金持ちだとわかり目を丸くしたが、羨ましそうな顔はしなかった。
大金を積まれてもこの屋敷に住むのはご免だった。

「彼は友人で同じ部隊に所属しているイーゼン。冷静に話し合うために、立会人を頼んだ。ソフィ、俺達の結婚に関して取り決めがあったと思うが、契約書の類を持っているか?」

ルドガーは穏やかに話しかけたが、ソフィは不機嫌な顔でそっぽを向いていた。

仕方なくイーゼンとルドガーは書斎内にある書類を調べ始めた。
数分の捜索で、結婚に関する書類が一枚だけ見つかった。

それは王墓にある財産が夫ルドガーの所有になることを記したもので、貴族社会では常識であり、書類にするようなことでもなかった。

「王墓の守り人の決まり事を書いた物などはないのか?毎日しなければならないとされている仕事の内容が書いてあるものだ。あるのだろう?」

優しい声音を心掛けたが、ソフィは険しい表情を崩さなかった。

「私は全てを学び、最終試験を経てここに来ました。今更そんなもの見なくてもわかっています。どうしても知りたいというのなら、フィリス家に行ってください」

「お前、歳はいくつだ?いくつからここに住んでいる?ずっと一人なのか?愛人は何人いる?ローレンスだけか?他にもいるのか?だいたいどこから通っている。こんな場所で出会いがあるのか?」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、ソフィはさらに不快感をあらわにし、敵意に満ちた眼差しをルドガーに向けた。

「もちろん、あなたの愛人の数も教えてくれるのよね?名前は?どれだけの付き合いなの?私と結婚する前から?仕事の合間にどれだけあっているの?既婚者なのに出会いがあるの?」

ルドガーはむっとして口を引き結び、前のめりだった姿勢を後ろに戻した。
向かい合う二人の顔はしかめっ面で両者とも鼻に皺を寄せている。
イーゼンから見たら似た者夫婦だ。

「とりあえず、結婚の契約内容を確認するなら、お前の実家にあるかもしれないぞ。勝手に結婚を取り決めたのはお前の父親だろう?それに王都にあるフィリス家に行けば王墓の守り人の役目もわかるだろう。良く知っている妻に聞くのが一番早いが、無理やり吐かせるわけにはいかない。とにかく、良好な関係とは言い難いようだからな……」

怒りの感情を見せるソフィに、イーゼンは少しだけ安心した。
少なくともソフィは生身の人間だと信じられる。

「フィリス家か……。そういえばソフィ、君の両親に挨拶もしていないな。互いに望まない結婚だったとはいえ、挨拶ぐらいはするべきだった。あるいは、俺の父親がもう挨拶に行ったかな?ソフィ、何か聞いているか?」

ソフィは横を向き、ルドガーと目も合わせようとしない。

「お前……何をしたんだよ」

妻に完全に嫌われているルドガーに、イーゼンが呆れたように問いかける。

「怒鳴り合いになるのも困るが、黙っていられるのも話し合いにならない。ソフィ、俺の最初の対応が悪かったのは認めるが、そろそろ普通に接してくれ。だったら、さっきのローレンスをよんでくれ。彼となら、まだ話ができそうだ」

イーゼンはどう考えても、ローレンスが本物の人間だとは信じられず、身震いした。

「ルドガー、彼女にこれ以上話す気はなさそうだ。出来ることから始めよう。お前の実家に行き、結婚の契約内容を調べて、その後、王都のフィリス家に向かおう。それにやはり上に報告しないわけにはいかない。まずいことになるぞ」

ルドガーも半ば覚悟を決めていた。

「ソフィ。また戻ってくる。お互いの役割を忠実に果たす必要がある」

ソフィは答えなかった。

すぐに出発しようと、イーゼンは飛ぶように部屋を出て行き、ルドガーはソフィに別れの挨拶をしようとしたが、ソフィが横を向いたままだったため、結局そのままイーゼンを追いかけた。



 書斎に残されたソフィは、窓の外に目を向け、遠ざかる馬蹄の音を聞いていた。
突然暖炉に火が入り、ぱちぱちと火が爆ぜる音が響きだす。

「彼宛ての書類は全て火の中では?」

いつの間にかローレンスが暖炉の傍らに立っていた。
ソフィは驚いた様子もなく、小さな顎に皺を寄せる。

ローレンスは火の中から燃え残った書類の切れ端を拾い上げ、テーブルに置いた。
三角の紙の切れ端は焦げて煤けている。

「彼は諦めないよ」

ローレンスは、先ほどまでルドガーが座っていた場所に優雅な所作で腰を下ろした。クッションが少し沈み、ほっそりとした指が肘あてを小刻みに打つ。

背後の窓から光が差し込んでいるが、正面に置かれたテーブルにローレンスの影は落ちなかった。

「夜まで引っ込んでいたら?そろそろあなたにも飽きたし、他の男を呼ぼうかな」

形の良い眉をひそめ、ローレンスはさっと立ち上がる。

「私に不満が?私は君の物なのに」

ソフィの手に触れ、ローレンスはその指先に唇を押し付けた。

「じゃあ、愛しているって言ってよ。誰よりも愛しているって。あなたの愛した人よりもずっと、私が好きだって」

「あなたを愛しています……嘘偽りなく」

唇を震わせ、ソフィは立ち上がるとローレンスの額を蹴りつけた。
避けることもなく、ローレンスは後ろに倒れかけ、すぐに元の姿勢に戻る。
ふわふわのスリッパに包まれたソフィの足にローレンスは身を屈めて唇を寄せた。

それを見おろし、ソフィは唇をかみしめた。
古の時代の英雄を辱めても少しも気は晴れない。
満たされない想いはどうしたら癒されるのか。

「夜になったら寝室に来て」

「そうしよう」

その言葉と共にローレンスの体は消え去った。
一人になったソフィは、王墓に続く一本道を窓越しに見つめ、固く拳を握りしめた。


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