未完の詩集

丸井竹

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異世界風中世の希望の歌

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『勇者の誕生』

魔物に故郷を奪われた人々を乗せた馬車が、田舎道を進んでいく。
小さな集落を抜けるその道からは、貧しい人々の暮らしぶりが見える。

親を亡くした子らが歌う。
希望を失った人々が土を耕す。

涙も枯れ果てた少女が空を仰ぐ。

一本の剣を握ったとしても、奇跡は付いてこない。
百人が剣を握ったとしても、その一本も奇跡を引き当てられないことだってある。

絶望に打ちひしがれた人々を乗せた馬車を守る騎士らは、暮らしではなく戦いを見ている。

集落を出て行く馬車の後ろを、一人の少年が追いかけてきた。

「ねぇ、王都に行く?僕、冒険者になりたいんだ!」

誰の手から奪ったものなのか、大きすぎる剣を胸に抱き、馬上の騎士らに声をかける。

「後ろに乗れ」

喜び勇み、少年は馬車の荷台に飛び乗った。
がらがらと回る車輪と馬蹄の音に包まれて、少年は幌を支えに、後ろを見る。

置いてきた村が遠ざかり、やがて小さな点となる。

「家族は?」

荷台にうずくまっていた一人の男が、疲れた顔で問いかける。
振り返った少年は、笑顔で天を指さした。




『雨の日』

森の中、見つけた小さな洞窟で、男が一人雨宿り。
湿った空気の中で、焚火の炎が弱々しく揺れている。
雨音に耳を澄ませていた男が、鞘から剣を引き抜いた。

焚火を踏み抜き、雨の中を走り出す。
泥をはね上げ、耳を澄ませる。
獣の息遣いと、力強く茂みを押し分ける音、それからかすかな悲鳴。
危険な気配が迫っている。

耳を塞ぎ、戦いを放棄し、逃げ回る人生の方がきっと幸せになれる。

そう確信していながら、魔獣に襲われる馬車を見つけ、迷いなく斜面を滑り降りる。
幾多の戦いを共にしてきた愛剣が雨の中で鈍く光る。

足を止めることなく、一頭目の魔獣の首をはね飛ばす。

なぜこんな生き方を選ぶのか。
そんな問いはこの時代には相応しくない。

男は少年の死体を乗り越え、次の魔獣と対峙する。
悲鳴をあげている少女の腕は血に染まっている。

その手元に届くように、男は落ちていた短剣を蹴り飛ばす。
少女は迷いなく、無事な方の手でその短剣を拾い上げる。

その間にも死闘は続く。
何人が戦い、何人が生き残っているのか。
なぜこんな利益にもならない戦いに身を投じるのか。
その問いも、この時代には相応しくない。

人の悲鳴と獣の威嚇音、それから自分の息遣い。
肉を引き裂き、骨を断つ野蛮な音が続く。

ぴたりと殺意の雨が止む。
濡れた地面に、男は一人立っている。

「助けて」

呟いた声の主を振り返ることなく、男は倒れている少年に歩み寄る。
泥の中に膝を付き、その細い体を抱き上げる。

泥水に子供用の剣が転がり落ちる。
胸に出来た大きな傷跡に、男は最後の蘇生薬をふりかける。

うっすらと開いた少年の瞳に、澄んだ青空が映り込む。
いつの間にか雨は止み、森には束の間の平和を告げるように、小鳥たちのさえずりばかりが聞こえていた。





『酒場の恋』

薄闇の中、少年が酒樽を転がしている。
そこは馬車の入らない狭い路地裏で、地元の人に愛される小さな酒場が店を開けている。

狭い裏庭を抜け、扉を叩く。
顔を出した少女が、エプロンで手を拭きながら少年から納品書を受け取る。

「こんなところまで、いつもありがとう」

店の看板娘に微笑まれ、少年は頬を赤く染めながら転がしてきた樽を持ち上げる。
数段上がって扉の脇に置く。

「重いので、店内に運びますよ」

少女は微笑み、樽を軽々と持ち上げる。

「大丈夫。これぐらい出来ないと、看板娘は務まらないの」

扉の向こうから酔っ払い達の野太い話し声が聞こえてくる。
甲高い娼婦の笑い声も混ざり込む。

体も酒も売る看板娘は酒樽を両腕で持ち上げ、店内に戻っていく。
その後ろを見送り、少年は扉を閉める。

落ちてきた夜闇がマントを広げ、小さな星々が瞬きだす。
少年は書類を肩掛け鞄にしまい込み、迷路のような路地裏を軽い足取りで歩きだす。




『孤児院の少女』

牛車の後ろを歩きながら、糞を拾っていた少年は、バケツがいっぱいになると、荷台にそれを押し上げ、また新しい桶を手に取った。

周辺からは、学校に向かう子供達の楽しそうな声が聞こえてくる。
鳥たちがさえずりながら木立の中から飛び立った。

牛車が止まり、前の荷台からミルク缶が下ろされる。
内容の入ってこない世間話が終わると、また牛車が動き出す。

少年は視線を下げる。

靴の先は穴が空き、汚れた親指が見えている。
爪は自然に削れて丸くなる。

がらがら回る車輪の間から、ほやほやの糞が現れた。
シャベルを差し込み、手にした桶に入れる。

契約している家を回り、別の道から牧場に引き返す。
最後の細道にさしかかると、少年の足取りが軽くなる。

白葉の木々が立ち並ぶその道沿いに、黄色い屋根の孤児院が見えてくる。
取り壊しが決まっている、その小さな孤児院には、少女が一人しかいない。

老いて寝たきりになった院長を世話するために残った少女は、庭先で洗い立てのシーツを干している。
黄ばんだシーツの汚れは完全には取れず、破れた場所には繕いの跡がある。

風で飛ばないように、金具でシーツを押さえていた少女が顔をあげ、道に近づき足を止める。

牛の糞が入ったバケツにシャベルを入れ、少年も少しだけ道の端に寄る。

互いの顔がはっきりと見えてくる。

途端に、はにかんだ微笑みがこの世界を温かく、幸福に照らし出す。
牛車はゆっくりそこを通り過ぎ、少年は遅れることなくそれを追いかける。

その背中を見送り、温かくなってきた日差しの下、少女は翻るシーツのもとに引き返す。




『襲撃』

短剣を胸に考える。
敵は無数にいるが、自分の心臓は一つしかない。

最後の情けにと投げ込まれた短剣は、希望と絶望どちらの予感もはらんでいる。

絶望しかないのなら、心臓を刺すべきだ。
そう思いながらも、結論を出せない。

心臓は生きたいと鼓動を刻む。
頭の中ではわかっている。
こんな地獄のような世界では生きていても仕方がない。

竜のような獣の咆哮が聞こえ、大きな揺れと共に、壁の一部が落ちてきた。
悲鳴を上げて後ろに下がる。

壁に穴が空き、隣の牢内が丸見えになる。
そこに意外にも若い男の姿があった。

「良い物を持っているな。貸してくれたら、死にたいときに殺してやるぜ」

その手には使い古したフォークがある。
壁に走ったひび割れをさらに広げようと、それを突き立てる。
外に面した壁の隙間からは、恐ろしい光景が見えている。

燃える城内、逃げ惑う人々、魔物達と戦いあっという間に殺されていく騎士達。

外に出れば、魔物に生きながら食べられるかもしれない。
火に放り込まれるかもしれない。
一思いには死ねないかもしれない。

恐怖で動けない女の手から、男が短剣を奪い取る。

「幸運だったな」

フォークから短剣に持ち替え、崩れかけた壁にその刃を突き立てる。
ブロックがぼろぼろと落ちていき、人が通れるほどの穴が出来上がる。

「幸運?」

果たしてそうだろうかと考えるより早く、男が穴を潜り抜ける。
差し出された手を掴み、女も外に出る。

「幸運だったな」

さっきまで処刑を待つばかりの罪人だった男を見上げ、女は呆れたように顔をしかめる。
皮肉な笑みを浮かべ、男は女の手を取り走り出す。

死屍累々の戦場を、どこまでも自由に走りながら、女はその先にある未来を思い描く。

この男と所帯を持ち、小さな町の片隅で食堂をするのだ。
宿をしても良い。
子供をあやしながら、酒を運び、どんな風に生き延びたのか笑いながら話すのだ。

地獄のようなこの世界で、雑草のように小さな花を咲かせ、生きた証を残すのだ。


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