死の花

丸井竹

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30.捕らえられた男と逃げた二人

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契約に定められた王都の屋敷で、フェスターは来るべき人物を待っていた。

そこに、鋭い音を立て黒い風が吹き込んだ。
フェスタ―の正面に、糸杉のようにやせ細り、黒い魔力を帯びたディーンが現れた。

「レイシャの位置情報だ」

フェスターは指から黒い指輪を外し、机に置いてディーンの方へ押し出した。
先ほど、研究棟でレイシャに面会した時に、こっそり作った物だった。

「戻ってくる必要はない」

迷いなく、フェスターはそう告げた。
ディーンは無言でうなずき、それを手にすると再び風になり姿を消した。

その直後、ディーンは王立解呪研究棟に囚われているレイシャの傍に姿を現した。

レイシャを見張っていた解呪師たちは驚愕し、ディーンを排除しようと動いたが、ディーンはレイシャを抱き上げ、瞬きする間もなくその場から消え失せた。

次に二人が姿を現した場所は、コト町郊外にあるフェスターの黒の館内だった。
ディーンは、レイシャを寝台に横たえた。

その体に魔力を注ぎ、絡まった刻印の中でうごめく死の呪いを解き始める。
それは解呪師の方法ではなく、呪いを生み出した者にそれを返すことのできる呪術師の技だった。

そこに封じられた呪いは全て持ち主に返されるのだ。
朝を迎える前に仕事を終わらせ、ディーンは意識を失っているレイシャを抱いてコト町から姿を消した。

次に二人が姿を現した場所は、強風が吹き付ける、死の森を見おろす岩山の中腹だった。
そこは、ちょうど隣国との国境沿いにあり、魔力を封じられている場所だった。

切り裂くような冷たい風の中、レイシャはディーンの腕の中でようやく目を覚ました。
ぼんやりと視線を上げると、そこに変わり果てたディーンの姿があった。

涙が溢れ、心がどうしようもなく震え出す。

「レイシャ、おろしてもいいか?」

昔とかわらない優しい声に、レイシャは黙って頷いた。
ディーンはレイシャを地面におろし、膝を立てて座ると、その足の間にレイシャを座らせた。

「痩せてしまったのね……」

レイシャの体を支えるその手も腕も、骨のように固く、肉の感触がない。
背中に当たる胸板も、骨が浮きごつごつしている。

「人である部分をほとんど外に出す必要があった。魔力で全てを満たしそこに人である部分を戻す。その仕組みを理解し、実際に出来るようになるまで時間がかかった。長いこと苦しい思いをさせた」

ディーンを振り返り、レイシャはその細くなった体を抱きしめた。
細く見えても、骨格は男のものであり、確かな感触にレイシャはほっとした。

「君の刻印は消えた。君は普通に生きられる」

驚いたレイシャに、ディーンはかすかに微笑んだ。

その漆黒の瞳は不安に揺れている。
呪器でなくなればレイシャは好きに生きられる。
ディーンを選ぶ必要すらないのだ。
王女として国に迎えられ、王妃の保護のもと裕福に暮らすことさえ可能だ。

レイシャは死の呪いをその身に受けて耐えきった、ディーンの黒ずんだ肌に手を滑らせ、膝立ちになった。
背中に冷たい風がふきつける。
その風から庇うように、レイシャはディーンの首を抱きしめた。

「ならばディーン、私をあなただけの呪器にして」

予想だにしなかったその言葉に、ディーンは驚愕し、本気なのか確かめようとレイシャの顔を覗き込む。

「また呪器に?」

ディーンはローブの中にレイシャを抱き込み、風除けの魔法を使った。
耳を切りつけるような寒さも、うなるような風の音もぴたりとおさまった。

「そうよ。呪器にして。だって、ディーンは解呪師になったのでしょう?それなら呪器がいる。私は経験者だし、その、呪器ならディーンを守れるし、他の人に体を使われなくて済むのよ。私を抱ける?」

その恐ろしく素朴な質問に、ディーンは顔を綻ばせた。
ディーンが男娼であったことを思い出し、レイシャも顔を赤くした。
慌ててレイシャは、ディーンの能力を疑ったわけではないと訂正した。

「フェスター様に、呪器は汚れた存在だと教えられてきたの。ごみ箱のように吐き捨てられる存在だって。他の解呪師の使った呪器なんて使いたがる人はいないと思って……だから、ディーンが他の人を呪器に選びたいならそれは仕方がないけど……」

他の呪器を抱いてほしくないレイシャは、言葉を続けることが出来ず黙り込んだ。
ディーンはレイシャに優しく微笑んだ。

「正確には解呪師じゃない。俺は呪術師になった。王国が禁じている力を使う。だから、呪器を必要としない。
呪器を持ってもいいが、それは一時的な盾の役割となる。呪器はごみ箱ではなく盾だ。君はいつも誰かを守っていた。そうした存在だ」

レイシャは不満だった。

「私を守ってくれる人はいないのに、私ばかり守っていたなんて不公平だわ」

確かにその通りだと、ディーンは軽く笑った。

「とにかくここを離れよう。魔法契約で縛られていない魔法使いは、見つかれば捕まることになる。この先にフェスター様が作った結界がある。そこに入れば安全だと言われた。まずは君をそこに連れていく」

「フェスター様は?」

レイシャの質問に、ディーンは曖昧に微笑み答えなかった。

二人は立ち上がり、岩ばかりの細い道を歩き始めた。
夜は明けて、迸るような白い光が地上に降り注ぎ始めた。

いつの間にか二人は岩山の山頂に到達し、何もない虚空に目を向けていた。
ディーンは指に嵌めた黒い指輪の中に宿る魔力を確かめた。
レイシャはディーンの腕にしがみつきながら、もう片方の手で後ろの突き出た岩を掴んだ。

「前に行くのね?」

ディーンの進もうとする先に地面はない。
足を踏み出せば尖った岩だらけの急斜面を落下することになる。

地面は見えないが、ディーンが行くのであれば、一緒に行こうとレイシャは心を決めた。

ディーンはレイシャを抱き寄せた。
レイシャは掴んでいた岩から手を離した。
空中に踏み出した一歩は、不思議なことにまるで固い地面に触れたかのようにそこにとどまった。

もう一歩進むと、ディーンの両足は見えない橋の上を歩いているかのように空中を進んだ。
レイシャがその後ろを進み、二人は完全に虚空に立った。

ディーンがさらに一歩踏み出した。
その瞬間、レイシャの足が目に見えない地面を踏み外した。

重力に引きずられ、レイシャの体が滑り落ちる。
ディーンはすぐに虚空に身を躍らせ、その体を抱きしめた。

二人は抱き合ったまま、透明な水の中に落ちていくかのように歪んだ景色の中に飲み込まれた。

切り裂くように吹き付ける風だけがそれを見ていた。



――


王城では大変な騒ぎが起きていた。王立解呪師研究棟の研究室に囚われていたレイシャが、忽然と消えたのだ。
見張りをしていた解呪師達は、黒いローブを着た魔法使いが現れ、レイシャを連れ去ったと証言したが、一瞬の出来事であり、フード下の顔を確認できた者はいなかった。

当然のようにフェスターに容疑がかかり、騎士達がフェスターのもとに駆け付けた。

兵士達が恐れる中、イウレシャが解呪師たちを連れて屋敷に足を踏み入れた。
フェスターは解呪師に定められた漆黒のローブに身を包み、階段を下りてきた。

「レイシャを返してくれる気になりましたか?」

淡々としたフェスターの言葉にイウレシャは激怒した。

「白々しいことを!お前が連れ去ったのではないのか!」

「私が何を言っても、信じるわけがないか」

イウレシャはぐっと言葉を詰まらせ、フェスターを睨みつけた。
真夜中であったにもかかわらず、尋問のためフェスターは王城に連れて行かれ、王妃は王と共にその知らせを受けた。

「レイシャが消えたのですか?」

王は王妃の前でその報告をした騎士に対して舌打ちしたが、耳に入ってしまったものは仕方がなかった。

「フェスターが連れ去ったに決まっている」

王は決めつけたが、王妃は納得しなかった。

「彼がそんなことできるわけがない!だって彼は契約を……」

レフリアの言葉を王は遮り、部屋で待つようにと告げた。
王国で働く魔法使いは全員契約で縛られる。
その魔力の全てが王国のために使われるようにするためだ。

彼らは奴隷のような扱いではなく、対価を定めた契約を結ぶ。
約束を破れば両者にそれ相応の報いがあるのだ。
レフリアは侍女に目立たない灰色の外套を持ってこさせると、それを身につけフードで顔を隠した。

それから王妃は侍女と共に部屋を抜け出し、抜け道を使って夜明け前の庭に飛び出した。


――

二人は豊かな森の中にいた。
 
あまりにも眩しい緑に驚き、レイシャは開いた目をまた閉じた。
体を横向きにして、もう一度目を開ける。
そこには愛しいディーンの姿があった。
柔らかな眼差しがレイシャを見つめている。

二人は微笑み合い、同時に上を見た。
空は真っ青で、先ほどまでいたはずの岩山はどこにも見えない。

木立の間を穏やかな風が吹き抜け、葉がさざ鳴った。
その後ろから小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。

「レイシャ、怪我はないか?」

体を起こしながら、ディーンはレイシャに手を差し伸べた。
レイシャは、髪にからまった木くずや土を払いながら、ディーンに抱き上げられ、苔の上に立った。

「大丈夫。ディーンは?」

「大丈夫。ここは、フェスター様が使っていた隠れ家のはずだ。ここに逃げ込むように言われていた」

こつこつと地面を叩くような音が聞こえ、二人は振り向いた。

明るい陽ざしの降り注ぐ緑の道を、杖をついた老婆が近づいてくる。
不思議な緑色の瞳が皺ぶかい瞼の下から覗いている。
歩くたびに、大きく編み込まれた真っ白な髪が背中でふわふわ揺れ、首元の数珠もきらきら輝いた。
身を包んでいる大きめのローブには不思議な文様が縫い込まれている。

手にしている杖は、先端がまるくなっており、そこに生き生きとした葉が茂っていた。
風変わりな姿だが、ディーンはすぐに老婆が魔法使いだと気が付いた。

「フェスターから客人が来ると知らせがあったが、あんたらのことだろうね。レイシャとディーン、そうだろう?」

小柄な老婆は足を止め、二人をじっと見上げた。

「そうよ、おばあちゃん」

レイシャが答えると、老婆の緑の目が丸くなった。
それからにやりと笑うと、くるりと背を向ける。

「わしは隠れ魔法使いのロナ。ほれ、ついておいで」

すたすたとロナが杖を突きながら歩きだすと、レイシャとディーンも急いでその背中を追いかけた。

柔らかな土の上を歩きながら、二人は森の中を見回した。
そこはため息が出るほど美しい場所だった。

そこかしこに美しい花が咲き乱れ、苔や草も生き生きと生えている。
虫や小動物の姿も木陰からちらちらと見え、二人の前を大きな蝶がひらひらと横切った。

「フェスターはここで育ったのだよ。良いところだろう?あの子は、自然にあるものを研究するのが大好きでな。とにかく泥だらけになって遊びまわり、何かを発見しては実験しておった」

今のフェスターからは想像も出来ないような話しに二人は驚いた。

「ここがフェスター様の故郷なのですね?じゃあ、フェスター様は時々ここに戻ってきていたのですか?」

「王都に連れて行かれてから一度も戻っておらぬ。便りは時々来たから大体の事情は知っているが、全く、研究好きな大人しい子が王宮などに行くからこんなことになる。気の毒な子だよ。だが、最後にやっと自分自身を見つけたようじゃな。あんた達をここに逃がしてきたのだから」

突然視界が開き、森の中に大きな空き地が現れた。
その真ん中を横切るように、曲がりくねった小さな川が流れている。

その中央に、木の橋がかかっていた。
それは奇妙な造りで、歩く場所は丸太だったが、その手すりは橋の両端に生えている木の根で出来ていた。
まるで蔦のように地面から突き出したその長い根は、丸太を巻きこみ、絡み合って橋の手すりになっていた。

その根で出来た手すりの上を緑の蔦がからみつき、橋を彩るように花まで咲いていた。

「素敵!あの橋を渡りたいわ!」

その橋の向こうには何があるのかと、伸びあがって見たレイシャは、さらに大きな声をあげた。

「あの家もすごく可愛い」

対岸は緩やかな斜面になっており、その頂きに黄色い屋根を乗せた小屋が建っていた。
赤い扉がついており、壁に並んだ窓は丸く、色とりどりの花を咲かせた植物が絡みついている。

妖精の住処のようなその家に、ディーンも口をぽかんと開けた。
あの恐ろしいフェスターが住んでいた家だとはとても思えない。

「ここにフェスター様が住んでいたのですか?」

ディーンの質問に、ロナはけたけたと笑い、そうだと答えた。

「探してごらん、あの子が遊んだおもちゃがそのまま残っている」

ロナの言葉に、二人は注意深く周囲を観察して歩いた。

川べりには虹色のボールが半分埋まった状態で落ちており、橋には光を反射する紙で出来た不思議な飾りが吊るされていた。
対岸に渡ると、出迎えた花の中に、キノコを重ねた塔が建てられており、道端に転がっていたかごの中には、縛られた長靴が入っていた。
さらに花の咲き乱れる花壇の中に、瓶が埋められており、中には月明りが閉じ込められていた。

魔法使いの子供に相応しい奇妙な遊び道具の数々に、二人は夢中になってフェスターの子供時代の痕跡を探しながらロナの後ろを追いかけた。
気づけば、二人は、丘に建つ小屋の前まで来ていた。

ロナが、前庭に置かれたテーブルについてお茶を飲んでいる。
見れば、テーブルの上には三人分のお茶の用意がされていた。

導かれるように、二人は老婆の向かいに腰を下ろした。

「さて、それじゃあ話を始めようかね」

ロナはカップをテーブルに戻し、口を開いた。


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