死の花

丸井竹

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29.奪われた呪器

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 王の執務室に飛び込んだレフリア王妃は、デノン王に向かって激しく詰め寄った。

「せっかくレイシャを取り戻したのに!なぜあんな扱いを許すのです!」

勝手に娘をイウレシャに差し出した夫をレフリアは許せなかった。
難しい顔をして黙り込んでいるデノンに、さらにレフリアが訴えようとした時、扉が鳴りイウレシャが入ってきた。

「無礼な!」

王の執務室に許可もなく入ってきたイウレシャに、レフリアは激高したが、王が片手をあげてそれを制した。
王妃はショックを受けたように黙り、不信感に満ちた目で王を見た。

「王妃様、フェスターはこの国でまだ一番力のある魔法使いであることも確かなのです。契約をさせたとはいえ、解呪師としても彼は一流だ。その秘密を独占していることが問題なのです。本来呪器の寿命は短いもの。あんなに長く使えるものではない。王女の刻印には秘密があるはずです」

堂々と部屋に入ってきたイウレシャは、忠実な臣下らしく跪いた。
唇を震わせ、レフリアはイウレシャを睨みつけた。

「イウレシャ、お前のせいで私は娘を奪われたのよ!」

王がまたしても割り込んだ。

「全てを承知して行動したのはお前だろう。レフリア」

イウレシャの味方をする王に、レフリアは怒りを爆発させた。

「子供など何人でも産めると、あなたが言うから!」

子供は王子と王女、二人だけだ。
レイシャは奪われ、王子は一度呪いで死にかけている。
フェスタ―の力なしには助からない命だった。

王は疲れたようにため息をつくと、王妃から背を向け部屋の奥に向かう。
その後ろを当然のようにイウレシャが追いかけた。

「レフリア、仕事の話がある。話はあとだ」

怒りに震えながらも、王妃はなんとか礼節を守り、退室のお辞儀をした。
頭を上げるや否や、部屋を飛び出し、扉を乱暴に閉めた。

王妃は大急ぎで研究棟に向かった。

死の花を研究する解呪師達の研究棟に入るにはイウレシャか、王からの許可が必要だ。
当然ながら見張りの兵士達は王妃を通そうとはしなかったが、王妃は自分の護衛騎士を連れていた。
彼らは王妃の命令にのみ従う。

研究棟の見張りを押しのけ、中に入ろうとする王妃たち一行に、見張りの兵たちは悲鳴を上げた。

「こ、困ります!許可がなければ入れません!それに、それに危険です!」

研究棟の解呪師達も出てきたが、王妃を守る騎士達の階級の方がはるかに上であり、足止めすることも出来ない。

王妃は容赦なく通路を突き進み、レイシャが閉じ込められている部屋まで押し入った。

ガラス張りの特殊な研究室には、まだ大勢の解呪師たちの姿があった。
通路にまで溢れる人々を押しのけ、王妃は中に入った。

王妃の騎士達に追いだされ、解呪師達の大半が部屋の外に出た。
それでもまだ多くの解呪師が残り、実験台のレイシャを観察している。

その姿を目にした王妃は絶句した。
先ほどまでスカートをめくられていたレイシャは、今や全裸の状態になっていた。

その全身には呪いの刻印が這いまわり、編み目のような染みが浮き出ている。
苦痛の表情は石のように固まり、体も人形のように動かない。

「な、な、なにをしているの!私の娘よ!」

レフリアは絶叫した。
護衛の騎士達が武器を振り上げ、ガラスの壁を破壊しようとしたところで、やっと部屋の壁が消え去った。
レフリアは実験台にかけより、着ていたマントを脱いでレイシャに被せた。

刻印を書き写していた解呪師の一人が不愉快な顔をした。

「国で最も優秀な解呪師の呪器の刻印を書き写していただけです。刻印はその奥まで続いており……」

耳にするのもおぞましい話に、レフリアは怒り狂った。

「ならば呪器を所有する者の許可はとったの?!しかも人妻で夫もいるわ!夫の許可は?夫がいる女性のそんなところを、夫の許可もなく覗きこむなんて……」

レイシャが小さな声で呻いた。
レフリアは急いでその口もとに耳を寄せようとした。

「その体には呪いと死が詰まっています。触れない方がいい」

戸口から飛んできた険悪な声が、王妃をひきとめた。
部屋の入り口にイウレシャが立っていた。

先ほどまで王の執務室にいたのに、もう戻ってきたのだ。
王妃はレイシャを後ろに庇った。

「イウレシャ、あなたは死の花を広めているのはフェスターだと断言した。
彼からその研究を奪うことが、この国を救うことになると言ったわ。
だから、私は彼に研究を捨てさせた。この子を引き換えにして。
なのに、死の花は消えなかった。
王宮には瘴気がたまり、城内の者たちが死の呪いにかかるようになった。
フェスターに死の呪いを消してもらうために、彼が王宮を出ることを許した。
何もかも、あなたの提案通りにしているのに何一つこの国はよくなっていない。
死の花も消えないし、私は娘を奪われ、王子も死にかけた。あなたのやることを私はもう受け入れられない!」

「彼が研究の全てを公開してくれたら済んだ話でした。彼が明かさないのであれば奪うしかない。陛下は私の考えを支持してくださっている」

王の言葉には王妃でさえ逆らえない。

「レイシャは夫のある身、こんなことフェスターだって許さないわ」

夫がいる妻は王でさえ自由に出来ないはずだった。

「当然、交わるようなことはしません」

露骨な表現にレフリアは屈辱に顔を染めた。

「私の娘よ?血筋でいえば王女と呼ばれるはずだった娘よ」

「しかし、もうそうは呼べないはずです。縁は切られている」

レフリアはさらに言い返そうと大きく息を吸い込んだ。
その時、背後から苦しそうなレイシャの声がした。

「フェスター……様……くるし……早く……」

いてもたってもいられず、王妃はついに憎いフェスタ―にすがった。

「フェスターを呼びなさい!」

レフリアは叫び、レイシャを振り返った。黒い網目に覆われたレイシャは全身に汗をかき、苦悶の表情を浮かべ、苦しみから逃れようと身をよじっている。

「その刻印は命を封じるもの。死ぬことはないでしょう」

「苦しませておけと?まだフェスターが王都にくるまで半月はあるのに?」

イウレシャは落ち着き払った様子で苦笑した。

「あなたと王女との時間を割くために、フェスターが自分でしかけていった呪いかもしれませんよ?とにかく、彼が戻るまでその刻印を研究させてもらいます。彼はまだ何かを隠している。王も同じお考えだ」

イウレシャは王の許可証を王妃の前で掲げてみせた。
先ほど、こそこそと二人で話していたのは、王妃を黙らせるための書類を作るためだったのだ。

王妃はレイシャの頬に手を伸ばした。

「刻印の謎は解かれていない。触れない方がいい」

イウレシャが声を飛ばす。
取り戻したい娘だったが、王妃も呪いを恐れ、うごめく線には触れられなかった。
王家と縁を切った娘であり、フェスターはもう解呪師として王宮に籍を置く身でもない。
王立解呪研究棟のすることを止める権限を、王妃はもたない。

あと頼れるのは王でさえ手を出せない婚姻の宣誓だけだ。

どうやってもレイシャを取り戻せなかったレフリアは、苦渋の決断をした。
フェスターに「助けて欲しい」と手紙を出したのだ。
それ以外にレフリアに出来ることは何もなかった。



――

 数日後、フェスターは王妃からの書簡を受け取った。
書斎でそれを開き、中身を確認すると、簡単に暖炉の中に投げ込んだ。

書簡が燃え尽きたのを確認し、フェスターは引き出しから黒い石を数個取り出した。
それはフェスターの指の間で粘土のように柔らかく形を変え、指輪になった。

それを指にはめると、フェスターは弟子の名前を呼んだ。

風がうねり黒い霧が吹き込むと、机を挟んだ向こう側に、先ほどまで部屋にいなかったはずのディーンが現れた。

まるで影のようにひっそりとした気配に包まれたディーンは、その風貌をさらに不気味なものに変えていた。
糸杉のように細くなった体に、憔悴しきった顔が乗っている。
幽霊のような顔つきだが、目だけがぎらぎらと燃えるように輝いている。

「生きていたようだな」

魂のない人形のように、ディーンは瞬きもせず黙って頷いた。
ぎりぎり生きている状態のディーンの体の周りには、魔法使い特有の巨大な魔力の層が巻き付いている。
目に見えるものではないが、その厚みが力ある魔法使いの証だった。
フェスタ―はその魔力の強さを確認し、言葉を続けた。

「レイシャの刻印を見に行く必要がある。王宮で意識を失ったらしい」

行かせてほしいと訴えるようにディーンは膝をつき、頭を下げた。

「お前には別のことを頼みたい」

フェスターは再び引き出しから黒い石を取り出し指輪を三つ作った。

「一年と数か月か……人の限界だな。お前を魔法使いにする予定はなかった。当初の予定をだいぶ狂わされた。なぜかな……」

フェスターは指輪を手に乗せ空中に放った。
それらはディーンの前で浮いた状態で止まった。

ディーンは指輪を掴み取り、右の中指と左の中指、それから小指に嵌めた。
他の指には既に同じような指輪が嵌められている。

ディーンの首にも同じ石で作られた首飾りがある。
数珠の一つ一つに刻印がほどこされ、呪器のようになっている。
それは死の呪いから身を守る鎧のようなものでもあった。

武装を終えたディーンを前に、フェスターは観念したように小さくため息をついた。



 それから半月後、フェスターは契約で決められた通り王宮にやってきた。
レイシャは既に意識もなく、声すら出せなかった。

心臓の鼓動がかろうじて聞こえていたが、まるで石膏で固めた人形のように動かなかった。
刻印の力で封じ込められた死の呪いは飽和状態でいまにもはちきれそうだった。

イウレシャは忌々し気に顔を歪めたが、フェスターをレイシャのもとに案内した。
レフリア王妃も、手紙を出したにも関わらず、すぐに戻ってこなかったフェスターを責めるように睨みながら、二人の後ろに続いた。

フェスターは研究室の実験台に横たえられたレイシャを一瞥し、非情な言葉を発した。

「ああ、これは手遅れだ。この王宮で作られる死の呪いの全てを吸い取ったらしい。今回、私を必要とする仕事はないのでは?」

レフリアは真っ青になり、優秀とされる解呪師達は黙り込んだ。

イウレシャが率いる王宮の解呪師たちは、長持する呪器の秘密を解き明かすことが出来なかった。
密かに交わろうとした者もあったが、その禍々しい姿に尻込みし、あれを立たせることは出来なかった。

冷酷なフェスターが刻印を女の最も神聖な場所に刻んだのは、そうした理由からだったのだ。
死の呪いの巣窟に男の大事な逸物を突っ込めるような、勇敢な解呪師が王宮にいるわけがない。

レイシャを連れて帰ろうとするフェスターを、王が騎士達を引きつれ止めに来た。

「フェスター、王国で発見される死の花が前触れもなく消えている。同時に謎の症状で寝込む者も増えている。お前らしき男の姿が目撃されたが、どういうことか?まさか研究を再開させたわけではあるまいな?」

「私は解呪師の力しか使えない。全てを奪われながらも王国に尽くしていますよ。契約は一時的なものだと言われたのに、十数年もそのままになるとは思いもしませんでしたが、私は大人しく従っているはずです。
代償としていただいたレイシャを連れて帰ります」

フェスター以上の解呪師はいない。それ故、フェスターを拘束し尋問することを避けてきた王宮側は、フェスターを従わせるため、レイシャは渡さないと主張した。
王妃はその狭間で揺れた。

「で、でも、フェスターがいなければレイシャはこのままなのでは?」

「王都に留まり、新しい呪器の作成を王国の研究者たちと共に行えばいい」

王とイウレシャが欲したのは、その力の秘密だった。
さらに偉大な力を持つフェスターが、王国に忠誠を誓う立場にいないことに脅威を感じているのだ。

「レイシャを返して下さい。これは魔法対価契約のはず。私は約束を守っている」

フェスターの主張は正しいものだったが、それでも王国側はレイシャの身柄は渡さなかった。
月に一度、フェスターは王宮に来て仕事をしなければならない。

とりあえず契約通り仕事を終えるまで返せないと王国側は主張し、フェスターにしか救えない人々を用意する間、フェスターは黒の屋敷に軟禁されることになった。

フェスターは衛兵たちに促され、レイシャの前を立ち去る直前、王妃に向けて言葉を発した。

「またもやあなたは私を騙した。私は誇りも愛も情熱も、研究の全てを奪われ、首輪を嵌められいいように使われている。レイシャは私の憎しみを受け入れる器でもあった。それも奪われては、私の想いはどこへいくのか、難しいところだ」

その言葉に背筋を凍らせたのは王妃だけではなかった。
王国一の魔法使いであるフェスターが敵に回ることを恐れ、力と研究を奪って契約で縛り付けてきたのだ。

だからといってイウレシャも王もフェスターを殺すことは出来ない。
王国中の解呪師たちにも消せない死の呪いを消せる力を持つフェスターは、死の花がはびこるこの王国になくてはならない存在だった。

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