死の花

丸井竹

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24.募る想い

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 音もなく、早朝の黒の館に侵入したディーンは、二階のフェスターの書斎を目指した。
フェスタ―に新たな課題を与えられたが、やはりレイシャの無事な姿を確認せずにはいられず、こっそり抜け出してきたのだ。
まだ刻印が稼働していたら、レイシャは恐ろしい苦しみの中にあることになる。
そんな状態で放っておけばどうなるか、ディーンにはもうよくわかっていた。

廊下を軋ませないように慎重に進み、部屋の前で足を止める。
扉に手を当て、フェスタ―の気配がないことを確かめると、慎重に扉を開けた。

そこに、フェスターの姿はなかった。
すぐに寝室に向かい、扉を開けた。

カーテンの隙間から朝日が差し込み、塵がきらきらと輝いている。
静まり返った寝室に、健やかな寝息が聞こえていた。

ほっとして寝台に近づくと、レイシャは穏やかな表情で眠っていた。
その柔らかな寝顔に心から癒され、ディーンは床に膝をついて数秒だけ、レイシャの寝顔を見つめていた。

すぐにまた立ち上がったディーンは、背中を向けて引き返そうとした。

と、そのローブの裾が引っ張られた。
振り返ると、いつの間にかレイシャが目を覚まし、ディーンの服を掴んでいる。
その明るい眼差しに、ディーンは優しく微笑んだ。

「ディーン……」

かすかな声でレイシャは呼びかけた。その表情は少し曇っている。

「もうやめて。私のせいでこんな風になってしまうなんて……」

光の中で見るディーンの姿は、あまりにも異様だった。

やせ衰え、白くなった顔は死人のようで、不吉な影が宿っている。
ディーンは膝をついて横たわるレイシャに顔を寄せた。

「レイシャ、君のせいじゃない。俺が……これを望んでいる。
俺は、男娼であった時から、君が信じられる存在かどうか試してきた。
君を信じられず、ずっとどこかで妬んできた。
俺は……ずっと自分を消してしまいたかった。誰も彼もが憎くて仕方がなかった。
自由になれたら、俺には憎しみしか残らないのではないかとさえ思っていた。
だけど、そうじゃなかった。信じられるものが一つ残った。
レイシャ、君だ。君が、この世界も悪くないと思わせた。だから、レイシャ、君にも悪くないと思える世界を見て欲しい。呪器でいる限り、君は絶対に幸せになれない」

それはレイシャが考えていた呪器の在り方と少し異なっていた。
驚いて首を傾ける。

「絶対に幸せになれないの?そうなの?苦しいこともあるけど、幸せな時もあるのよ。悪くないと思う人生を生きていると思うし」

「え?!」

ディーンも驚いた。
呪器は常に不幸に保つ必要があるし、レイシャはフェスターの管理のもと、まさにその通りの境遇にあると見て取れる。それなのに、レイシャは幸せな時もあると口にした。
それは少し危険な事だとディーンは考えた。

「それは……口に出さない方が良い。フェスタ―様に知られたら、幸せの芽を摘まれてしまうかもしれない」

呪器の在り方について楽観的に捉えていたレイシャは怪訝な顔付きになった。

「呪器である間は痛いし苦しいし、とても不幸だと思う。結婚前も不幸だったかも。でも呪器として仕事をしていない時は幸せよ。フェスター様とは夫婦として愛は無くても情は育ってきていると思っているし、それに……人妻としてはいけないことかもしれないけど、ディーンと会っている時が一番幸せ。幸せって掴み取れると信じているの」

レイシャはフェスターがその幸せを消すために、ディーンを殺そうとしたことを知らない。
さらに、底抜けの楽観主義者でもあった。
解呪師としての勉強を始めたディーンには真実がわかっていた。

「呪器は……幸せを望めない。不幸でなければ寿命を縮める。君が幸せを感じる時も、必ずそこには障害があるはずだ。完璧な幸せが訪れないように、不幸である要素が常に用意されている」

衝撃を受け、レイシャは目を見開き固まった。

フェスターが鞭を使い始めた理由が、分かった気がした。
幸せになれば、不幸の要素を足すのだ。
フェスタ―が結婚記念日の贈物としてレイシャが作った帯を身につけてくれた時も、やっと夫婦の情が育ってきたと喜んだレイシャに、フェスターは死の呪いを集める首飾りを与えた。

その後に訪れた苦痛と恐怖はまだ覚えている。フェスターも傍にいなかったため、不安で仕方がなかった。

幸せになれば、必ず不幸になる要素が追加されるよう、フェスターが仕組んでいたのだ。
そんな思いやりのない夫婦があるだろうか。それは夫婦といえるのか。

「努力しても無駄なの?不幸な呪器は優秀だとは言われたけど……結婚前が不幸だったのだから、もう完成した呪器だと思っていた。幸せを全く望めないなんて思いもしなかった……私が幸せを感じるたびに、フェスター様が不幸を追加してくるのなら、いつまでも幸せになれないじゃない。夫婦の愛とか情はどうやっても育たないの?」

レイシャの頬を涙が一筋流れ落ちた。
今、ディーンが辛い目にあっているのも、レイシャのせいなのかもしれない。
わざと希望を持たせ、幸せを感じたところで奪い、レイシャを不幸に叩き落とすつもりだとすれば、この先に待っている未来はディーンの死だ。

「レイシャ……」

まさか、レイシャが呪器であることを、そこまで楽観的に考えていたとは知らず、ディーンはしまったといった顔になった。

「レイシャ、俺がきっと刻印を消してやる。そうすれば幸せを望める」

夫婦仲を良くしようと努力してきた日々が、音を立てて崩れていくようで、レイシャは悲しいため息をついた。
こんな不毛なことに、ディーンを巻き込むわけにはいかない。

「私にそこまでしてくれる必要ない。ディーン、私だって、あなたを利用していたの。
結婚前の酷い生活が終わって、フェスター様と少しでもましな結婚生活が送れると思っていたのに、毎日寂しくて、しかも私は死と呪いの器で忌み嫌われる存在で、友達も作れないし、孤独で毎日が憂鬱だった。
それで、たまたま町で優しく声をかけてくれたあなたに逃げた。
辛い現実から逃げて、あなたのくれる夢にすがった。
私が呪器であることがわかれば、あなたが優しい言葉をくれなくなることはわかっていた。
あなただって、呪器である私のそばにいたと知られたら、忌み嫌われる存在になってしまう。
わかっていたのに、私は自分の正体を隠して、あなたに会い続けた。
あなたが自由になった後だって、別れなきゃと思いながら、会いに行く口実ばかり探していた。
私は結局自分のことばかり、身勝手にあなたを利用していただけ。
だから、あなたはここから逃げてもいい。自由になって、幸せになっていいのよ」

自由のために女を利用した男と、辛い現実から目を背けるために男を利用した女は、互いの気持ちを探るように見つめ合った。

「今は?」

答を恐れるようにディーンが囁いた。

「君はあのごろつきどもを前に、俺に逃げろと言った」

それは愛故の行動ではなかったのだろうか。

「私は死と呪いの器だから、私を犯せば彼らの方こそ大変な目になることはわかっていた。
それに、あなたはもう十分なほど傷ついてきた。望まぬ相手に暴力で体を奪われるようなこと、もう二度とあってはいけないと思ったの。それなのに、守れなくてごめんなさい……。
私があなたに呪器だと話していれば、あなたは、きっと迷わず私を捨てて逃げられたはずよ。呪器はどんな扱いをされても構わないとされているのだから」

「君は俺のために俺を売ったアンナに立ち向かい、さらに自分の体を顧みず俺を逃がそうとした。誰もが少しでも俺から何かを奪おうするのに君は違った。見返りもなく俺を守ろうとしてくれた人は初めてだ」

ディーンはレイシャの手にそっと触れた。
その手を振り払うべきだと思いながらも、レイシャは動けなかった。

「俺達は互いに少しだけ不誠実な出会いをした。だけどそれは互いの境遇を考えれば自然なことだ。
君が約束を守ったことは確かだし、俺を想ってくれたことも本当だ。
俺が、君に惹かれていることも……。
毎日呪いと死に触れ、この手で命をいくつも奪った。君が呪器としての役目を終えたら、俺は……レイシャ、君に幸せになってもらいたい。死と呪いの痕跡は全て消してやる」

ディーンは、いつもレイシャに温かな言葉をくれるのだ。
熱い涙が溢れ、ディーンの姿が霞む。
心に秘めてきた想いが、舌の先までのぼってきた。

「もし、私がフェスター様の呪器でなくなれば、フェスター様にとって私はいらない存在よね。それなら、ディーン、私はあなたと幸せになりたい。それは、ディーンが嫌?」

今度こそ不倫になるとレイシャは思ったが、その気持ちは止まらなかった。
ディーンもまた、秘めてきた想いが実る予感に心を震わせた。

「男娼だった男なのに?こんなに死と呪いと血に染まっている」

「私は……呪器だった女で人間扱いだってされていない」

ディーンは師匠を裏切り、レイシャは夫を裏切り、結ばれる未来があるだろうか。
レイシャを抱きしめたい気持ちをなんとか抑え込み、ディーンは寝台を離れた。

「レイシャ、俺は地下室に戻る。必ずやりきるよ」

レイシャを自由の身にするまでは、フェスターにここを追い出されるわけにはいかない。

レイシャも黙って頷いた。ディーンと関係を深めたら、レイシャを不幸にするため、フェスターは容赦なくディーンを殺すかもしれない。

「レイシャ、この心が許されないものであったとしても、俺は君を想っている」

それだけ告げると、ディーンは寝室を飛び出した。

レイシャは溢れる涙を拭い、毛布の中に逃げ込んだ。

その心には複雑な思いが渦巻いている。
夫の寝室でディーンと気持ちを伝えあってしまった罪悪感や、夫婦の情ぐらいは実ってきたと思っていたことがそうではなかった虚しさ、夫と仲良くなろうと努力してきたレイシャの心を弄んできたフェスターへの怒り。
それから幸せになれば不幸を追加されてしまう仕組みについても発覚し、どうやって生きていけばいいのかわからない。
そんな複雑な事情や気持ちを全部跳ねのけてしまうほど、ディーンが好きでたまらない。
こんな状況では絶対に幸せになれないのがわかっているのに、その想いが手放せない。

いつも楽観的に考えてしまうレイシャだが、今回ばかりはそうはいかなかった。
ディーンの命がかかっているのだ。

やはり、フェスタ―とはやっていけない。

これまで必死に結婚生活を頑張ってきたレイシャは、初めてそう考えた。



――

 その頃、フェスターは死の花の咲き乱れる遠方の丘にいた。
雑木林に囲まれた、小さな空き地には真っ白な花が咲き乱れ、幻想的な光景を作り出している。

時折、呪いの胞子をまきあげるが、それはフェスターに向かうことなく、呼ばれたところに飛んでいく。

フェスタ―は花の中にしゃがみ、その花の根元を観察した。
純白の花弁を支える茎から根までは真っ黒で、その根の先端から黒い液体が染み出している。

聖騎士達が清められた炎でそれを焼き払っているが、その根から出たものが消えるわけではない。
聖なる護符を身につけた騎士達でさえ、途中で具合が悪くなり、ばたばたと倒れて行く。

そのたびにフェスターは呼ばれ、小さな呪いを払ってやる。

「フェスター様、お願いします!」

舞い上がる花弁の向こうから、一人の騎士が手を振っていた。

フェスタ―はそちらに向かい、花の中に倒れている騎士を見おろした。
聖なる護符まで呪いに染まり、騎士の気力の全てを奪っている。

「知っているか?死の花というのはやましい心がなければ育たない。誰かを呪い、憎む心が糧となるのだ。野心や嫉妬……そうしたものが大好物だ」

その言葉を耳にした騎士達が嫌な顔をした。

若い騎士はフェスターを睨み、無言だった。
フェスターは簡単な呪文でその騎士の体を楽にしてやると、また退屈そうに騎士団の作業を眺める。
症状が出てすぐの段階であれば、呪器は必要ない。

全ての白い花が消え去ると、フェスターは地中に残った根に宿る瘴気を確かめた。
敵はわかる。狙いもわかる。対応する呪文も知っている。
それなのに手出しは出来ない。

苛立ちを募らせながら、フェスターはその瘴気を呪器に向けて吐きだした。
黒い霧のようなものが地面から吹き上がり、まっすぐにレイシャのいる黒の館に向かっていく。

まさか誰かに攻撃をしかけたのかと聖騎士達がフェスターを振り返った。

「呪器に投げたのだ。私が大切にしている呪器を知っているだろう?王都によく連れていくあの娘だ。そろそろまたそんな時期だな」

ほっとした者は誰もいなかった。
その呪器の姿を聖騎士達は覚えている。若い頃の王妃によく似た、ほっそりとした金髪の少女だ。
死ぬほどの汚れた呪いを受けながら、その苦痛から逃げることが出来ない気の毒な存在だ。

聖騎士達の不愉快そうな顔を眺め、フェスターは満足げに口角をあげた。
こうした小さな嫌がらせをするために、気まぐれに彼らの仕事を助けてやっているのだ。

どこからともなく、再び呪いの胞子が飛んできた。
聖騎士達は気づかずに帰って行く。

それを見届け、フェスターもまた、そこから姿を消した。


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