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23.呪われた人妻
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フェスターの了承を得たレイシャは、翌日から、ディーンのもとに食事を運ぶようになった。
すっかり弱り切っていたディーンだったが、レイシャが来るとなると活力が湧き、さらには身だしなみまで気にし始めた。
時々レイシャはディーンを湯あみに誘い、フェスターに内緒でこっそり上等の石鹸を使った。
フェスタ―に誤解されないように、二人は口をきかないように気を付けたが、それは数日だけのことだった。
あっという間に我慢の限界が来て、レイシャは丸椅子を運んで、ディーンの食事に付き合うようになった。
その最初の日、温かな食事を乗せた盆をテーブルに乗せると、レイシャはすぐに壁際に片付けられていた椅子を持ってきて向かいに座った。
「私を呪器から解放しようとして、こんな無茶なことを?」
問いかけながら、レイシャはちらりと後ろを振り返った。
夫が来たら、すぐに椅子を片付け、立ち上がらなければならない。
温かな食事をすすりながら、ディーンはかすかに微笑んだ。
「あれは、死ぬかと思うほど苦しい呪いだった。あれを何度も体に受け入れるなど、とんでもないことだ。受け入れなくても呪いを解くことができれば呪器は必要なくなるだろう?」
そうだろうかとレイシャは首を傾けた。王国にはフェスター以上の解呪師はいないと聞いている。
ディーンがフェスターを超えるような解呪師になるには、それこそ血を吐くような努力が必要なはずだ。
「生まれつき才能がある人でも難しいと聞くわ。私のためなら無理しないで欲しい」
娼館にいた頃とはすっかり変わってしまったディーンの姿に、レイシャの胸は締め付けられた。
呪器として使われる苦痛に耐えることより、ディーンの苦痛を見ているだけというこの状況に耐えることの方が難しい。
「男娼でいるよりここで学んでいる方がずっと充実しているよ。解呪師のことも、魔力の扱い方もいろいろとわかってきた。やっと男娼以外で食べていけることを見つけられるかもしれない」
そうだろうかとレイシャはまたもや首を傾けた。
呪いや死に触れる仕事は人々に嫌われる。
男娼のように客に愛され、求められるようなことは一度もないのだ。
「気味悪がられるし、その、仕事を知られると町にも出られないわ。他で生き直すことが出来なくなる」
ディーンは構わないと言い切った。
心配そうなレイシャに微笑みかけ、ディーンはレイシャに熱く問いかけた。
「もし俺が、呪器が不要の腕の良い解呪師になれたら、レイシャ、君のその呪器の刻印を消したい。消えたらうれしくないか?」
レイシャはわからないと、小さく首を横に振った。
呪いの刻印は、フェスターと結婚した日の夜に入れられたものであり、結婚の証でもあった。
これがなくなれば、ディーンとレイシャを妨げる壁は、また一つ無くなることになる。
封印した恋心がまた疼きだすかもしれない。
既に、ディーンの声を聞き、姿を見るだけで胸がざわめいて仕方がないのだ。
生まれながら呪いの器になるように作られた自分よりも、ディーンにはもっと相応しい人がいるだろう。
レイシャは言葉を選びながら慎重に答えた。
「私は……このままでも構わない。役割があって良かったと思う。フェスター様は少し意地悪だけど、結婚の宣誓をした夫だし、死と呪いを入れるこの体を受け入れてくれるのはフェスター様しかいないのだから、関係を改善すればきっと……」
絵空事のように言葉が響き、レイシャはあまりの虚しさに言葉を続けることができなくなった。
フェスターがレイシャを幸福にするわけがない。
それを知っているディーンには耐えられなかった。
「もし、フェスター様が、君の望むものを与えてくれなかったら?このまま優しい言葉一つかけてもらえず、年老いても鞭を使われ、体が壊れるまで呪器として使われる。祭壇の前で夫婦になることを誓ったからといって、そんな生涯を自分に強いる必要がないとしたら?」
「やめてっ」
レイシャは叫び、両手で顔を覆った。
「ディーン、あなたにはたくさんの素敵な時間をもらったわ。夢のような時間よ。使い道のない大金で私はあなたを自由にしたけど、あなたはそれ以上の夢を私にくれたのよ。だから、私のために命を縮めるようなことしないでいいのよ」
レイシャの声は震えていた。
その肩を抱き、優しく触れる立場にディーンはいなかった。
客であり金蔓だったレイシャはいつしか特別な存在に変わっていた。
人として、男として筋を通したい一心で恩返しを考えたこともあったが、お金だけが返したいわけではなかった。
男娼と対等に口をきいてくれたこと、体を張って守ってくれようとしたこと、レイシャへの気持ちにいくつもの理由を考えたが、どれもしっくりこなかった。
男娼に恋をした客達も、こんな思いだったのだろうかとディーンは考えた。
「レイシャ、俺は……ただの友達で、君に触れられる立場にいない。だけど、君には幸せになって欲しい」
「ディーンは?せっかく自由になれたのだから幸せになってよ」
二人は互いに見つめ合い、隠された本心を探り合うように黙り込んだ。
レイシャが人妻である限り、二人で幸せにはなれないし、離縁できたとしても、互いに自分は相応しくないと思っている。呪器であるレイシャと男娼のディーンは他者に嫌われる痛みを知っている。
自分と一緒になれば、幸せにはなれないと二人はそれぞれ信じていた。
永遠にこの距離は縮まらないのだと思いながらも、二人は食事のたびにわずかな時間を過ごし、その時間は少しずつ伸びていった。
死の呪いは相変わらず王都で猛威を振るっていた。
おかげで、月に一度の王都訪問は、レイシャにとってさらに憂鬱な仕事になっていた。
レイシャとフェスターが王都に行っている間、フェスターはディーンに難易度の高い課題を与えた。
戻る前に課題を終えていなければ、レイシャを鞭で打つことになると脅すことまで忘れなかった。
自分が弟子になると宣言してしまったせいで、レイシャがさらに不幸になるようなことは絶対に避けなければならないと、ディーンは必死にその課題に取り組んだ。
まるで毒に侵されていくかのように、ディーンの髪はフェスターのように漆黒に変わり、その目の色まで変わっていった。
男娼独特の色艶は多少残ったが、爽やかな存在感は、ひっそりとした謎めいた雰囲気にかき消され、ほどよくしまっていた体も骨や皮ばかりになり、肌の色は死人のような白に変わっていった。
様々な変化を重ね、ディーンがフェスターの弟子になってから一年近くが経った。
レイシャはディーンの変わりようにひたすら心配していた。
食事を届けに行くと、意識を失っていることがたびたびあった。
その日、レイシャは食事を片付けに地下に行くと、ディーンは書物の間で気を失っていた。
手元には薬瓶が転がり、底に残った黒い液体から瘴気が噴き出していた。
その瘴気がレイシャの刻印から胎内に吸い込まれた。
「あ……」
呪いを閉じ込める刻印が稼働し、肌の上を滑るように黒い枝が伸びた。
そうなればもう体は自由に動かない。
レイシャは机に手を付こうとして失敗し、床に倒れた。
大きな音が鳴り、ディーンは目を覚ました。
薄暗い部屋の床に倒れている人影を見つけ、ディーンは急いで立ち上がろうとした。
その時、机の上についた手が何かを弾き、床に小瓶が転がった。
小瓶の底にわずかに残った瘴気が床に倒れている人影に向かって流れていく。
ディーンはよろめきながらも立ちあがり、その人影に近づいた。
ぐったりとしたレイシャの顔が灯りに浮かび上がる。
「レイシャ、レイシャ!」
レイシャの肌には刻印から伸びた黒い線が蛇のように這いまわっている。
小瓶の魔力は一年前に使用していたものとは比べ物にならないぐらい濃いものになっていた。
それは強力な死の呪いで、数滴で数人分を殺すほどの威力がある。
取り込まれた呪いが、自分では消せない強さだと気づくと、ディーンは弱った体をふらつかせながらも、レイシャを抱き上げた。
必死に階段を上がり表に出る。
裏口から屋敷に入ると大声で叫んだ。
「フェスター様!」
レイシャを抱いてなんとか二階に上がり、フェスターの書斎に入ったが、そこにフェスターの姿はなかった。
時々姿を消すフェスターが、どこにいるのかディーンも知らない。
隣の寝室の扉を開け、ディーンはレイシャを寝台の上に寝かせた。
その体はぐったりとし、浅い呼吸が続いている。
網のように絡みついた黒い線は既に全身を覆いつくし、レイシャは苦悶の表情で石のように固くなっている。
もう呪文だけではどうにもならない段階だった。
「レイシャ!」
体を重ねれば、絡まった呪いを端から少しずつ消し去っていける。
それがもっとも確実で早い。
その方法をディーンは既に学んでいた。
しかし、レイシャはフェスターの妻であり、弟子のディーンに許されている行為ではない。
その時、黒い風が流れ込んだ。
その気配を読み取れるほどにディーンは腕をあげていた。
急いで寝台を離れ、床に膝をつく。
そこにフェスターが立っていた。
寝台に横たわるレイシャを一瞥し、興味もなさそうに寝室を出ていこうとする。
「フェスター様、私はまだ何もしていません。どうか、レイシャを助けてください」
ディーンは飛び出し、フェスターの前にひれ伏した。
フェスターは不機嫌そうに眉根を寄せ、ディーンを迂回して書斎へ向かう。
それをディーンが追いかけた。
「フェスター様!レイシャの刻印が稼働している。彼女は苦しんでいます」
「あの程度の呪いなら当分もつ。放っておけ。そんな気分ではない」
あそこが立つ気分ではないのだと察し、ディーンは苦痛の表情で訴えた。
「霊薬があります。その、私が使っていた勃起薬の残りが……」
「そんなもの使えるか」
フェスターは吐き捨てた。
「しかし、このままでは……あの……私では……私がしてはいけないでしょうか?」
青白い顔に緊張を走らせ、ディーンは決死の覚悟で頭を下げた。
「私の呪器だ。勝手はさせない」
フェスターは机の引き出しをいくつか開け、何かを探し始めた。
ディーンはじっとその時間に耐えて待った。
やがてフェスターが何かを取りだし、手のひらに乗せて見せた。
それは一本の古びた鍵だった。
「地下通路の奥の扉を開けろ。そこにあるものをお前にやる。それを習得出来たら、レイシャに指一本触れずに呪いを消すことが出来るようになる」
ディーンはフェスターに投げつけられた鍵を空中で受け止めた。
「しかし、一秒でも早く……」
さらに訴えるディーンに、フェスターは鋭く叫んだ。
「俺の妻にかってはさせないと言っている!」
ディーンは鍵を握りしめると部屋を飛び出した。
その足音が聞こえなくなると、フェスターは椅子から立ち上がり、寝室へ向かった。
寝台にはレイシャが横たわり、苦悶の表情をうかべている。
その隣に、フェスターは椅子を引き寄せ腰掛けた。
「あ……フェスターさ……ま」
薄めを開け、レイシャが夫であるフェスターの名を呼んだ。
フェスターはレイシャの顔に手を伸ばし、額に張り付いた金糸の髪を後ろに払いのけた。
「お前の苦痛を眺めるのが私の最たる喜びだ」
フェスターの言葉に、レイシャは涙をにじませ鼻をすすった。
苦しそうに喘ぎながら、それでもレイシャは手を伸ばそうとする。
しかし腕は動かなかった。
黒い刻印に縛られ、レイシャは身をわずかによじることさえ出来ない。
その苦しそうなレイシャの姿を、フェスターは冷やかに眺めていた。
すっかり弱り切っていたディーンだったが、レイシャが来るとなると活力が湧き、さらには身だしなみまで気にし始めた。
時々レイシャはディーンを湯あみに誘い、フェスターに内緒でこっそり上等の石鹸を使った。
フェスタ―に誤解されないように、二人は口をきかないように気を付けたが、それは数日だけのことだった。
あっという間に我慢の限界が来て、レイシャは丸椅子を運んで、ディーンの食事に付き合うようになった。
その最初の日、温かな食事を乗せた盆をテーブルに乗せると、レイシャはすぐに壁際に片付けられていた椅子を持ってきて向かいに座った。
「私を呪器から解放しようとして、こんな無茶なことを?」
問いかけながら、レイシャはちらりと後ろを振り返った。
夫が来たら、すぐに椅子を片付け、立ち上がらなければならない。
温かな食事をすすりながら、ディーンはかすかに微笑んだ。
「あれは、死ぬかと思うほど苦しい呪いだった。あれを何度も体に受け入れるなど、とんでもないことだ。受け入れなくても呪いを解くことができれば呪器は必要なくなるだろう?」
そうだろうかとレイシャは首を傾けた。王国にはフェスター以上の解呪師はいないと聞いている。
ディーンがフェスターを超えるような解呪師になるには、それこそ血を吐くような努力が必要なはずだ。
「生まれつき才能がある人でも難しいと聞くわ。私のためなら無理しないで欲しい」
娼館にいた頃とはすっかり変わってしまったディーンの姿に、レイシャの胸は締め付けられた。
呪器として使われる苦痛に耐えることより、ディーンの苦痛を見ているだけというこの状況に耐えることの方が難しい。
「男娼でいるよりここで学んでいる方がずっと充実しているよ。解呪師のことも、魔力の扱い方もいろいろとわかってきた。やっと男娼以外で食べていけることを見つけられるかもしれない」
そうだろうかとレイシャはまたもや首を傾けた。
呪いや死に触れる仕事は人々に嫌われる。
男娼のように客に愛され、求められるようなことは一度もないのだ。
「気味悪がられるし、その、仕事を知られると町にも出られないわ。他で生き直すことが出来なくなる」
ディーンは構わないと言い切った。
心配そうなレイシャに微笑みかけ、ディーンはレイシャに熱く問いかけた。
「もし俺が、呪器が不要の腕の良い解呪師になれたら、レイシャ、君のその呪器の刻印を消したい。消えたらうれしくないか?」
レイシャはわからないと、小さく首を横に振った。
呪いの刻印は、フェスターと結婚した日の夜に入れられたものであり、結婚の証でもあった。
これがなくなれば、ディーンとレイシャを妨げる壁は、また一つ無くなることになる。
封印した恋心がまた疼きだすかもしれない。
既に、ディーンの声を聞き、姿を見るだけで胸がざわめいて仕方がないのだ。
生まれながら呪いの器になるように作られた自分よりも、ディーンにはもっと相応しい人がいるだろう。
レイシャは言葉を選びながら慎重に答えた。
「私は……このままでも構わない。役割があって良かったと思う。フェスター様は少し意地悪だけど、結婚の宣誓をした夫だし、死と呪いを入れるこの体を受け入れてくれるのはフェスター様しかいないのだから、関係を改善すればきっと……」
絵空事のように言葉が響き、レイシャはあまりの虚しさに言葉を続けることができなくなった。
フェスターがレイシャを幸福にするわけがない。
それを知っているディーンには耐えられなかった。
「もし、フェスター様が、君の望むものを与えてくれなかったら?このまま優しい言葉一つかけてもらえず、年老いても鞭を使われ、体が壊れるまで呪器として使われる。祭壇の前で夫婦になることを誓ったからといって、そんな生涯を自分に強いる必要がないとしたら?」
「やめてっ」
レイシャは叫び、両手で顔を覆った。
「ディーン、あなたにはたくさんの素敵な時間をもらったわ。夢のような時間よ。使い道のない大金で私はあなたを自由にしたけど、あなたはそれ以上の夢を私にくれたのよ。だから、私のために命を縮めるようなことしないでいいのよ」
レイシャの声は震えていた。
その肩を抱き、優しく触れる立場にディーンはいなかった。
客であり金蔓だったレイシャはいつしか特別な存在に変わっていた。
人として、男として筋を通したい一心で恩返しを考えたこともあったが、お金だけが返したいわけではなかった。
男娼と対等に口をきいてくれたこと、体を張って守ってくれようとしたこと、レイシャへの気持ちにいくつもの理由を考えたが、どれもしっくりこなかった。
男娼に恋をした客達も、こんな思いだったのだろうかとディーンは考えた。
「レイシャ、俺は……ただの友達で、君に触れられる立場にいない。だけど、君には幸せになって欲しい」
「ディーンは?せっかく自由になれたのだから幸せになってよ」
二人は互いに見つめ合い、隠された本心を探り合うように黙り込んだ。
レイシャが人妻である限り、二人で幸せにはなれないし、離縁できたとしても、互いに自分は相応しくないと思っている。呪器であるレイシャと男娼のディーンは他者に嫌われる痛みを知っている。
自分と一緒になれば、幸せにはなれないと二人はそれぞれ信じていた。
永遠にこの距離は縮まらないのだと思いながらも、二人は食事のたびにわずかな時間を過ごし、その時間は少しずつ伸びていった。
死の呪いは相変わらず王都で猛威を振るっていた。
おかげで、月に一度の王都訪問は、レイシャにとってさらに憂鬱な仕事になっていた。
レイシャとフェスターが王都に行っている間、フェスターはディーンに難易度の高い課題を与えた。
戻る前に課題を終えていなければ、レイシャを鞭で打つことになると脅すことまで忘れなかった。
自分が弟子になると宣言してしまったせいで、レイシャがさらに不幸になるようなことは絶対に避けなければならないと、ディーンは必死にその課題に取り組んだ。
まるで毒に侵されていくかのように、ディーンの髪はフェスターのように漆黒に変わり、その目の色まで変わっていった。
男娼独特の色艶は多少残ったが、爽やかな存在感は、ひっそりとした謎めいた雰囲気にかき消され、ほどよくしまっていた体も骨や皮ばかりになり、肌の色は死人のような白に変わっていった。
様々な変化を重ね、ディーンがフェスターの弟子になってから一年近くが経った。
レイシャはディーンの変わりようにひたすら心配していた。
食事を届けに行くと、意識を失っていることがたびたびあった。
その日、レイシャは食事を片付けに地下に行くと、ディーンは書物の間で気を失っていた。
手元には薬瓶が転がり、底に残った黒い液体から瘴気が噴き出していた。
その瘴気がレイシャの刻印から胎内に吸い込まれた。
「あ……」
呪いを閉じ込める刻印が稼働し、肌の上を滑るように黒い枝が伸びた。
そうなればもう体は自由に動かない。
レイシャは机に手を付こうとして失敗し、床に倒れた。
大きな音が鳴り、ディーンは目を覚ました。
薄暗い部屋の床に倒れている人影を見つけ、ディーンは急いで立ち上がろうとした。
その時、机の上についた手が何かを弾き、床に小瓶が転がった。
小瓶の底にわずかに残った瘴気が床に倒れている人影に向かって流れていく。
ディーンはよろめきながらも立ちあがり、その人影に近づいた。
ぐったりとしたレイシャの顔が灯りに浮かび上がる。
「レイシャ、レイシャ!」
レイシャの肌には刻印から伸びた黒い線が蛇のように這いまわっている。
小瓶の魔力は一年前に使用していたものとは比べ物にならないぐらい濃いものになっていた。
それは強力な死の呪いで、数滴で数人分を殺すほどの威力がある。
取り込まれた呪いが、自分では消せない強さだと気づくと、ディーンは弱った体をふらつかせながらも、レイシャを抱き上げた。
必死に階段を上がり表に出る。
裏口から屋敷に入ると大声で叫んだ。
「フェスター様!」
レイシャを抱いてなんとか二階に上がり、フェスターの書斎に入ったが、そこにフェスターの姿はなかった。
時々姿を消すフェスターが、どこにいるのかディーンも知らない。
隣の寝室の扉を開け、ディーンはレイシャを寝台の上に寝かせた。
その体はぐったりとし、浅い呼吸が続いている。
網のように絡みついた黒い線は既に全身を覆いつくし、レイシャは苦悶の表情で石のように固くなっている。
もう呪文だけではどうにもならない段階だった。
「レイシャ!」
体を重ねれば、絡まった呪いを端から少しずつ消し去っていける。
それがもっとも確実で早い。
その方法をディーンは既に学んでいた。
しかし、レイシャはフェスターの妻であり、弟子のディーンに許されている行為ではない。
その時、黒い風が流れ込んだ。
その気配を読み取れるほどにディーンは腕をあげていた。
急いで寝台を離れ、床に膝をつく。
そこにフェスターが立っていた。
寝台に横たわるレイシャを一瞥し、興味もなさそうに寝室を出ていこうとする。
「フェスター様、私はまだ何もしていません。どうか、レイシャを助けてください」
ディーンは飛び出し、フェスターの前にひれ伏した。
フェスターは不機嫌そうに眉根を寄せ、ディーンを迂回して書斎へ向かう。
それをディーンが追いかけた。
「フェスター様!レイシャの刻印が稼働している。彼女は苦しんでいます」
「あの程度の呪いなら当分もつ。放っておけ。そんな気分ではない」
あそこが立つ気分ではないのだと察し、ディーンは苦痛の表情で訴えた。
「霊薬があります。その、私が使っていた勃起薬の残りが……」
「そんなもの使えるか」
フェスターは吐き捨てた。
「しかし、このままでは……あの……私では……私がしてはいけないでしょうか?」
青白い顔に緊張を走らせ、ディーンは決死の覚悟で頭を下げた。
「私の呪器だ。勝手はさせない」
フェスターは机の引き出しをいくつか開け、何かを探し始めた。
ディーンはじっとその時間に耐えて待った。
やがてフェスターが何かを取りだし、手のひらに乗せて見せた。
それは一本の古びた鍵だった。
「地下通路の奥の扉を開けろ。そこにあるものをお前にやる。それを習得出来たら、レイシャに指一本触れずに呪いを消すことが出来るようになる」
ディーンはフェスターに投げつけられた鍵を空中で受け止めた。
「しかし、一秒でも早く……」
さらに訴えるディーンに、フェスターは鋭く叫んだ。
「俺の妻にかってはさせないと言っている!」
ディーンは鍵を握りしめると部屋を飛び出した。
その足音が聞こえなくなると、フェスターは椅子から立ち上がり、寝室へ向かった。
寝台にはレイシャが横たわり、苦悶の表情をうかべている。
その隣に、フェスターは椅子を引き寄せ腰掛けた。
「あ……フェスターさ……ま」
薄めを開け、レイシャが夫であるフェスターの名を呼んだ。
フェスターはレイシャの顔に手を伸ばし、額に張り付いた金糸の髪を後ろに払いのけた。
「お前の苦痛を眺めるのが私の最たる喜びだ」
フェスターの言葉に、レイシャは涙をにじませ鼻をすすった。
苦しそうに喘ぎながら、それでもレイシャは手を伸ばそうとする。
しかし腕は動かなかった。
黒い刻印に縛られ、レイシャは身をわずかによじることさえ出来ない。
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