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21.三人の食事
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柔らかな朝日を浴び、レイシャはぼんやりと意識を取り戻した。
強い眠気に逆らいながら、ゆっくり瞼を上げると、そこに夢のような光景があった。
透ける光の中に、凛々しい顔つきの男性が俯き加減に眠っている。
憂いのある目元に、すっきりとした口元、形の良い頬から顎にかけてうっすらと髭が生え始めている。
いつもきれいに整えられた顔しか見たことのなかったレイシャは、ちょっと得した気分でうっとりとその姿を見つめた。
それから、こんな夢ならもっと長く見ていたいと、もう一度眠ろうとした。
その瞬間、眠っているのに、また眠れるわけがないことに気が付いた。
となれば、今見えている光景は、夢の中のものではないということになる。
レイシャはぱっちり目を開け、飛び起きた。
そこには、やはり見惚れるような寝顔がある。
椅子に座り、前かがみの姿勢でこくり、こくりと首を揺らしている。
その瞼が閉じていることを確かめ、レイシャはそっと体を起こした。
座りながら眠っていた男も、その気配ですぐに目を覚ました。
寝台の上から身を乗り出し、四つん這いになっているレイシャとぴたりと目が合った。
レイシャがそっと口を開く。
「ディーン?」
そこはフェスターの寝室で、ディーンが座っている椅子もフェスターのものだった。
ディーンは今にも泣きだしてしまいそうな表情で、ぎこちなく微笑んだ。
あまりの驚きに次の言葉が出ず、レイシャはただただディーンの顔を食い入るように見つめる。
その時、寝室の扉が開いた。
椅子に座っていたディーンは飛び上がり、すぐに椅子をどかして寝台の脇に立った。
入ってきたのはこの部屋の主、フェスターだった。
その手には鞭が握られている。
一体何が起きているのかレイシャにはさっぱりわからなかったが、フェスターが妻にお仕置きをしたいのだということだけはわかった。
しかもあろうことか、ディーンの前でレイシャの失態をあげつらう気なのだ。
なんて意地悪な夫だろうと、レイシャは心の中で毒づいた。
フェスターは不満そうな顔のレイシャを、お前の考えていることはわかっているぞと言わんばかりに見おろし、口を開いた。
「レイシャ、勝手に呪いを移したな?その後のことはどうするつもりだった?死の呪いを閉じ込めたお前の姿が見つかれば、人々は死の呪いを恐れ、お前を生きたまま焼いてしまうところだ。愚かな人々は過剰に恐れ、呪器の灰すら残さない。私が何年かけて呪器を育てたと思っている」
レイシャはやっと自分のしたことを思い出した。
ディーンを助けるために、夫に刻まれた呪器の刻印を勝手に使ってしまったのだ。
素直に謝るべきだと思ったが、レイシャにも不満が溜まっていた。
「お言葉ですが、フェスター様は以前、私が外で誰と寝ようと構わないと仰いました。だから勝手に寝ただけです。たまたまその人が死の呪い持ちだっただけのことです。あんなところに刻印があるのですから、避けようもありません」
もともとフェスターはレイシャの男娼通いを咎めもせず、誰と寝ようと関係ないと言い放ったのだ。
となれば、ディーンと寝たとしても客と男娼の関係であれば、夫の許可を得ていたことになる。
レイシャは強引にそう考え、開き直った。
フェスターのこめかみがぴくぴくと引きつった。
音を立てて鞭をふり、片手で受けとめながら脅すようにレイシャを見おろす。
「ほお。ではお前は、死の呪い持ちと知らずにその男娼と交わり、うっかり呪いを吸収してしまったというのだな?俺の呪器を勝手に使う意図は全くなかったということか?」
これはまずいとは思ったが、レイシャも引けなかった。
「フェスター様の呪器を勝手に使うことになったのは申し訳ありませんが、こんな体にしたのも、外で遊んで良いとおっしゃったのも、フェスター様です」
「夫以外とそんなことはしたこともないと二度も聞いたが?」
確かにこれまでは手を繋いだことしかなかったのだ。
交わったのはこれが初めてだが、交わったと言えるほどのこともしていない。
嘘は言っていないし、今回だってフェスターを裏切ろうと思ってやったことではなかった。
どうしても素直に謝れないレイシャは鼻に皺を寄せる。
二人のやりとりを見ていたディーンは、いてもたってもいられず、二人の間に割り込んだ。
「俺のせいです。彼女とそうした関係になったことは本当に、一度もありません。彼女は俺を助けようとしただけです。どうか罰は俺にお願いします!」
ディーンは膝をつき懇願した。
それを一瞥もせず、フェスターが冷酷に言い放つ。
「私のやることに逆らえば、出て行ってもらう。次はない」
ディーンは飛ぶように後ろに下がり、額を床に擦りつけた。
「申し訳ありません!」
レイシャは不可解な顔をした。
「どういうこと?」
フェスタ―は鞭を走らせ、ディーンに横にどくようにと合図をした。
即座に、ディーンは指示通りに動いた。
続いて、フェスターは鞭をレイシャの眼前に突き付けた。
それは姿勢を作れという合図だった。
これだけ口答えをしたのだから仕方がないと、レイシャは服を脱ぎ始めた。
床に膝をつき、寝台の上に上半身を倒す。
「十回だ。数えろ」
レイシャはシーツに顔を押し付け頷いた。
声が小さいとむち打ちを増やされるため、レイシャはシーツ越しに声を張り上げ、十まで数えた。
燃えるように背中は痛んだが、それよりもディーンの前でこんな姿を晒したことが恥ずかしくてたまらなかった。
ディーンは拳を握りしめ、それを黙って見守った。
むち打ちが終わると、フェスターはディーンに命じた。
「ディーン、レイシャを部屋に閉じ込めて来い」
それを聞くと、レイシャは顔を上げ、意地悪な夫を無言で睨んだ。
この上、あんな部屋をディーンに見られることになるのだ。
その反抗的な態度に、フェスターは顔をひきつらせたが、さらに鞭を追加しようとはしなかった。
うんざりとため息をつき、書斎へ戻っていく。
気まずい沈黙の中、レイシャは落ちている服を拾い上げて身につけた。
なるべく平静を装い、さっさと尖塔に続く急な階段に向かう。
ディーンは無言で後ろからついてくる。
レイシャは大粒の涙を落としながら、天井に頭をぶつけそうな階段を抜け、屈んで尖塔の部屋に入ると、寝台に上がって頭から毛布をひっかぶった。
ディーンの気配を毛布越しに感じ、レイシャはようやく声を出した。
「どうしてここにいるの?」
震えるような涙声が飛び出し、レイシャは恥ずかしさに毛布の中で止まらない涙を拭い続ける。
「弟子になった」
予想だにしなかった返答に、レイシャの涙が引っ込んだ。
沈黙が続き、ディーンの声がした。
「君に……謝りたい。君は……俺よりずっと辛い思いを……」
がばっと毛布を跳ねのけレイシャが顔を出した。
その顔は涙で濡れていたが、少しも弱っている様子ではなかった。
「同情なんてしないで!私は、十分幸せよ!ここに来る前は暖炉の横に寝ていたし、食べるものにさえ困っていた。でもここは快適。風が強い日は部屋ごと落ちてしまいそうに揺れるけど、自分の部屋もあるし、自由だってある!
娼館通いだって夫が許してくれていたことよ。あなたの目からは、惨めに見えるかもしれないけど、私は満足なの!」
叫ぶだけ叫ぶと、レイシャは再び毛布の中に引っ込んだ。
「それで、弟子になるってどういうこと?私をここに連れてきてくれたのよね?私が解呪師の呪器だって知っていたの?」
レイシャの怒涛の発言に、面食らっていたディーンは、すぐに事情を話し始めた。
「いや……。君がそうだとは知らなかった。目を覚ましたら、君が倒れていて、奇妙な模様が浮き出ていた。俺は……噂で呪器にそうしたものが出ると聞いたことがあった。君がいつも帰る方向はわかっていたし、まさかとは思ったが、とにかく助けたくて解呪師のフェスター様に助けを求めた。それで……弟子になった」
毛布の中で、レイシャは首を傾けた。
あのフェスタ―が、弟子にして下さいと言われ、いいだろうなんて答えるわけがない。
次の質問をしようとしたレイシャの耳に、扉が軋む音が聞こえてきた。
「師匠の命令だから、外から鍵を閉める」
その声は先ほどより遠かった。
鍵のかかる音がすると、レイシャは毛布から飛び出し、扉に駆け寄った。
「ディーン!」
足音は遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。
仕方なく、レイシャは毛布の中に引き返した。
恥ずかしさで死にそうな気分だったが、次第に違う考えが浮かんできた。
これだけ恥ずかしい思いをしたのだから、もう今後どんな恥ずかしい目にあっても、それはたいしたことがないと思えるだろう。
それに、今日もまたディーンに会えた。
全てを知られたのだから、もう今度こそ隠し事のない友人になれるかもしれない。
先ほどまでの惨めさはいつの間にか消えていた。
その心には喜びさえ沸いてくる。
レイシャは毛布の中で丸くなると、にんまりして目を閉じて睡魔を待った。
フェスタ―は階段下で弟子が来るのを待っていた。
ディーンが階段を下りてくると、フェスターは無言で背を向け歩き出す。
フェスタ―はディーンを地下に連れていき、鎖につないだ囚人たちの前に立たせた。
囚人たちは、苦悶の表情で呻いている。
「良い具合に溜まっているな」
フェスタ―は壁に立てかけてあった剣を取り上げ、一人目の囚人の心臓を貫いた。
ディーンはテーブルに置かれた銀盤を取り上げ、剣を伝う血をそれで受け止めた。
「それを飲み干せ。生きている間に全員を殺せ」
黒く濁ったその液体を見つめ、ディーンは頷いた。
禍々しい霧を吐き出すその液体は死の花の魔力で出来ている。
息絶える前に仕事を終えなければ、課題はそこで終わりだ。
何のための修行なのかわからないが、ディーンはレイシャのためにどんなことでもすると誓ったのだ。
フェスタ―のやり方についていくしかなかった。
銀盤を傾け、ディーンはそれを一気に飲み込んだ。
途端に死の気配が迫ってくる。
孤独と絶望、苦痛と恐怖、全ての負の感情が頭を支配し、心が押しつぶされそうになる。
そんな苦しみに耐え、ディーンは剣を握った。
震える両手でしっかりと狙いを定める。
フェスタ―は傍らにいる。
全員殺すまで、絶対にディーンを助けようとしない。
殺すことが出来れば、次の課題を与えられる。
次に進むには生き延びるしかない。
残酷な処刑を繰り返し、ディーンはゆっくり通路を奥に進む。
最後の一人の前に立ち、ディーンはついに膝を落とした。
息はほとんど止まっている。
体重をかけ、ディーンは斜めに立てた剣を押し出した。
呼吸が止まり、ディーンはそのまま床に倒れ込む。
目に映る床には黒い血液が川のように流れている。
その呪われた血液の向こうに、フェスターの足が現れた。
ディーンの呼吸が不意に戻った。
「はぁ……はぁ……」
目を上げると、最後の囚人が死んでいる。
「次の課題だ」
フェスタ―が血に染まる床に、小瓶を置いた。
ディーンは何も考えずに腕を伸ばし、その小瓶の中身を喉に流し込んだ。
――
ディーンが黒の館に住み始めて数日が過ぎた。
最初は、屋敷にディーンがいることに慣れず、レイシャはどういう反応をしたらいいかわからず逃げ回っていた。
夫がいるのに、親しく話しをするわけにはいかないし、とはいえ、他人のような顔をして無視することもできない。
しょっちゅうフェスターに鞭を使われる姿を見られるのも嫌だったし、その後で同情的な視線を向けられるのも耐えられなかった。
ところが、慣れとは恐ろしいもので、結局そんな生活も続けば日常となってしまう。
いつの間にか、どこからとも現れる二人に、食事はどうしますかなどと普通に話しかけられるようになっていた。
夫を立て、良い妻であろうとしたが、完全に口答えを無くすことは出来なかったし、ディーンにお仕置きされる姿を見られることも日常の一部になった。
だいたいフェスターは理由がなくてもレイシャに鞭を使いたがるのだ。
ディーンと手を繋がなくても殴られるのであれば、最後までやりまくっておけばよかったと、レイシャはこっそり考えた。
そんなある日、珍しく三人は同じ食卓についた。
フェスターは食べない日も多く、大半の料理は捨てるしかなくなる。
ディーンは数日おきにどこからとも現れ、食事をとるが、いつも死んだような表情で会話もない。
レイシャはもっぱら自分の部屋に皿を持っていって食べるようになっていた。
フェスタ―がそう命じるからだ。
しかしその日、厨房で食事を作っていたレイシャに、フェスターが面倒だからここで食べると言い出した。
ディーンも珍しくそこにいて、崩れるように食堂の椅子に座った。
今こそ妻らしく給仕しようと、レイシャは張り切って皿を並べ、料理を盛りつけた。
レイシャとディーンは食べ始めたが、フェスターは食事に手を付けず、おもむろに語り出した。
「この国には昔、解呪師という仕事はなかった。かわりに呪術師がいた。
彼らは人の念が魔力にどう作用するのか研究していた者たちだった。
ある日、風に乗って黒い胞子が飛んできた。それは白い花となり、国中に咲き誇った。
国の呪術師たちは、魔力を帯びたその珍しい花を研究し始めた。新しい力が産まれるかもしれないと期待し、その研究を王国も支持していた。
ところが研究が進むにつれ、その花の持つ魔力が、邪悪なものであることがわかってきた。
花の魔力は、人々の呪いの念を現実のものに変えてしまったのだ。
それは誰の念でも引き受けた。魔力を持たない者にも、呪文を知らない者にも、あるいは店先で店員に文句を口走っただけの者にも力を与え、死の呪いを発動させた。
呪術師たちはその呪いを消す力を持っていたが、もっと面白い使い道を見つけてしまった。
花は彼らの力を増幅させることが出来たのだ。隣国の王さえ暗殺出来るほどの強い力だ。
そして確実に呪いを成就させることが、いつの間にか呪術師たちの研究の目標になっていた。
それは身勝手な正義のための研究だった。
逆に、その呪いに対抗する者も育っていた。
解呪師はそうして生まれたが、呪術師のようには戦えない。一方は武器と盾であり、一方は盾に過ぎない」
フェスタ―の長い話が止まった時、食事をしていた二人の手は完全に止まっていた。
レイシャは目をぱちくりとさせ、素朴な疑問を口にした。
「その話に呪器のことって出てきました?」
呪術師も解呪師も人間の話だ。道具扱いの呪器は、わざわざ語ってもらえないのかと、少し不満げな表情だった。
気持よく語り終えたフェスターは、気分を削がれた様子でレイシャを睨んだ。
「呪器の歴史は新しい。死の呪いがどれだけ進行すれば、解呪師であっても消せないものになるのか調べた結果、呪いが効きにくい者がいることが判明したのだ。
それは、苦痛に強く、不幸に慣れたものだ。そうしたものは呪器として優れていると言える。
レイシャ、丈夫な呪器は重宝するものだ」
まるで、レイシャがものすごく不幸な存在であるかのように揶揄し、フェスターは低く笑うと席を立った。
食事には一口もつけていない。
むっとしてレイシャはその背中に叫んだ。
「私は不幸ではありません!毎日食事も出来るし、寝る場所もある。夫もいるし、友達もいます。フェスター様の仕事を助けていますし、こうした仕事にやりがいも感じています」
ディーンは複雑な顔をした。
「考え方一つだな」
嘲るような口調でフェスターは言って、さっさと食堂を出ていった。
強い眠気に逆らいながら、ゆっくり瞼を上げると、そこに夢のような光景があった。
透ける光の中に、凛々しい顔つきの男性が俯き加減に眠っている。
憂いのある目元に、すっきりとした口元、形の良い頬から顎にかけてうっすらと髭が生え始めている。
いつもきれいに整えられた顔しか見たことのなかったレイシャは、ちょっと得した気分でうっとりとその姿を見つめた。
それから、こんな夢ならもっと長く見ていたいと、もう一度眠ろうとした。
その瞬間、眠っているのに、また眠れるわけがないことに気が付いた。
となれば、今見えている光景は、夢の中のものではないということになる。
レイシャはぱっちり目を開け、飛び起きた。
そこには、やはり見惚れるような寝顔がある。
椅子に座り、前かがみの姿勢でこくり、こくりと首を揺らしている。
その瞼が閉じていることを確かめ、レイシャはそっと体を起こした。
座りながら眠っていた男も、その気配ですぐに目を覚ました。
寝台の上から身を乗り出し、四つん這いになっているレイシャとぴたりと目が合った。
レイシャがそっと口を開く。
「ディーン?」
そこはフェスターの寝室で、ディーンが座っている椅子もフェスターのものだった。
ディーンは今にも泣きだしてしまいそうな表情で、ぎこちなく微笑んだ。
あまりの驚きに次の言葉が出ず、レイシャはただただディーンの顔を食い入るように見つめる。
その時、寝室の扉が開いた。
椅子に座っていたディーンは飛び上がり、すぐに椅子をどかして寝台の脇に立った。
入ってきたのはこの部屋の主、フェスターだった。
その手には鞭が握られている。
一体何が起きているのかレイシャにはさっぱりわからなかったが、フェスターが妻にお仕置きをしたいのだということだけはわかった。
しかもあろうことか、ディーンの前でレイシャの失態をあげつらう気なのだ。
なんて意地悪な夫だろうと、レイシャは心の中で毒づいた。
フェスターは不満そうな顔のレイシャを、お前の考えていることはわかっているぞと言わんばかりに見おろし、口を開いた。
「レイシャ、勝手に呪いを移したな?その後のことはどうするつもりだった?死の呪いを閉じ込めたお前の姿が見つかれば、人々は死の呪いを恐れ、お前を生きたまま焼いてしまうところだ。愚かな人々は過剰に恐れ、呪器の灰すら残さない。私が何年かけて呪器を育てたと思っている」
レイシャはやっと自分のしたことを思い出した。
ディーンを助けるために、夫に刻まれた呪器の刻印を勝手に使ってしまったのだ。
素直に謝るべきだと思ったが、レイシャにも不満が溜まっていた。
「お言葉ですが、フェスター様は以前、私が外で誰と寝ようと構わないと仰いました。だから勝手に寝ただけです。たまたまその人が死の呪い持ちだっただけのことです。あんなところに刻印があるのですから、避けようもありません」
もともとフェスターはレイシャの男娼通いを咎めもせず、誰と寝ようと関係ないと言い放ったのだ。
となれば、ディーンと寝たとしても客と男娼の関係であれば、夫の許可を得ていたことになる。
レイシャは強引にそう考え、開き直った。
フェスターのこめかみがぴくぴくと引きつった。
音を立てて鞭をふり、片手で受けとめながら脅すようにレイシャを見おろす。
「ほお。ではお前は、死の呪い持ちと知らずにその男娼と交わり、うっかり呪いを吸収してしまったというのだな?俺の呪器を勝手に使う意図は全くなかったということか?」
これはまずいとは思ったが、レイシャも引けなかった。
「フェスター様の呪器を勝手に使うことになったのは申し訳ありませんが、こんな体にしたのも、外で遊んで良いとおっしゃったのも、フェスター様です」
「夫以外とそんなことはしたこともないと二度も聞いたが?」
確かにこれまでは手を繋いだことしかなかったのだ。
交わったのはこれが初めてだが、交わったと言えるほどのこともしていない。
嘘は言っていないし、今回だってフェスターを裏切ろうと思ってやったことではなかった。
どうしても素直に謝れないレイシャは鼻に皺を寄せる。
二人のやりとりを見ていたディーンは、いてもたってもいられず、二人の間に割り込んだ。
「俺のせいです。彼女とそうした関係になったことは本当に、一度もありません。彼女は俺を助けようとしただけです。どうか罰は俺にお願いします!」
ディーンは膝をつき懇願した。
それを一瞥もせず、フェスターが冷酷に言い放つ。
「私のやることに逆らえば、出て行ってもらう。次はない」
ディーンは飛ぶように後ろに下がり、額を床に擦りつけた。
「申し訳ありません!」
レイシャは不可解な顔をした。
「どういうこと?」
フェスタ―は鞭を走らせ、ディーンに横にどくようにと合図をした。
即座に、ディーンは指示通りに動いた。
続いて、フェスターは鞭をレイシャの眼前に突き付けた。
それは姿勢を作れという合図だった。
これだけ口答えをしたのだから仕方がないと、レイシャは服を脱ぎ始めた。
床に膝をつき、寝台の上に上半身を倒す。
「十回だ。数えろ」
レイシャはシーツに顔を押し付け頷いた。
声が小さいとむち打ちを増やされるため、レイシャはシーツ越しに声を張り上げ、十まで数えた。
燃えるように背中は痛んだが、それよりもディーンの前でこんな姿を晒したことが恥ずかしくてたまらなかった。
ディーンは拳を握りしめ、それを黙って見守った。
むち打ちが終わると、フェスターはディーンに命じた。
「ディーン、レイシャを部屋に閉じ込めて来い」
それを聞くと、レイシャは顔を上げ、意地悪な夫を無言で睨んだ。
この上、あんな部屋をディーンに見られることになるのだ。
その反抗的な態度に、フェスターは顔をひきつらせたが、さらに鞭を追加しようとはしなかった。
うんざりとため息をつき、書斎へ戻っていく。
気まずい沈黙の中、レイシャは落ちている服を拾い上げて身につけた。
なるべく平静を装い、さっさと尖塔に続く急な階段に向かう。
ディーンは無言で後ろからついてくる。
レイシャは大粒の涙を落としながら、天井に頭をぶつけそうな階段を抜け、屈んで尖塔の部屋に入ると、寝台に上がって頭から毛布をひっかぶった。
ディーンの気配を毛布越しに感じ、レイシャはようやく声を出した。
「どうしてここにいるの?」
震えるような涙声が飛び出し、レイシャは恥ずかしさに毛布の中で止まらない涙を拭い続ける。
「弟子になった」
予想だにしなかった返答に、レイシャの涙が引っ込んだ。
沈黙が続き、ディーンの声がした。
「君に……謝りたい。君は……俺よりずっと辛い思いを……」
がばっと毛布を跳ねのけレイシャが顔を出した。
その顔は涙で濡れていたが、少しも弱っている様子ではなかった。
「同情なんてしないで!私は、十分幸せよ!ここに来る前は暖炉の横に寝ていたし、食べるものにさえ困っていた。でもここは快適。風が強い日は部屋ごと落ちてしまいそうに揺れるけど、自分の部屋もあるし、自由だってある!
娼館通いだって夫が許してくれていたことよ。あなたの目からは、惨めに見えるかもしれないけど、私は満足なの!」
叫ぶだけ叫ぶと、レイシャは再び毛布の中に引っ込んだ。
「それで、弟子になるってどういうこと?私をここに連れてきてくれたのよね?私が解呪師の呪器だって知っていたの?」
レイシャの怒涛の発言に、面食らっていたディーンは、すぐに事情を話し始めた。
「いや……。君がそうだとは知らなかった。目を覚ましたら、君が倒れていて、奇妙な模様が浮き出ていた。俺は……噂で呪器にそうしたものが出ると聞いたことがあった。君がいつも帰る方向はわかっていたし、まさかとは思ったが、とにかく助けたくて解呪師のフェスター様に助けを求めた。それで……弟子になった」
毛布の中で、レイシャは首を傾けた。
あのフェスタ―が、弟子にして下さいと言われ、いいだろうなんて答えるわけがない。
次の質問をしようとしたレイシャの耳に、扉が軋む音が聞こえてきた。
「師匠の命令だから、外から鍵を閉める」
その声は先ほどより遠かった。
鍵のかかる音がすると、レイシャは毛布から飛び出し、扉に駆け寄った。
「ディーン!」
足音は遠ざかり、すぐに聞こえなくなった。
仕方なく、レイシャは毛布の中に引き返した。
恥ずかしさで死にそうな気分だったが、次第に違う考えが浮かんできた。
これだけ恥ずかしい思いをしたのだから、もう今後どんな恥ずかしい目にあっても、それはたいしたことがないと思えるだろう。
それに、今日もまたディーンに会えた。
全てを知られたのだから、もう今度こそ隠し事のない友人になれるかもしれない。
先ほどまでの惨めさはいつの間にか消えていた。
その心には喜びさえ沸いてくる。
レイシャは毛布の中で丸くなると、にんまりして目を閉じて睡魔を待った。
フェスタ―は階段下で弟子が来るのを待っていた。
ディーンが階段を下りてくると、フェスターは無言で背を向け歩き出す。
フェスタ―はディーンを地下に連れていき、鎖につないだ囚人たちの前に立たせた。
囚人たちは、苦悶の表情で呻いている。
「良い具合に溜まっているな」
フェスタ―は壁に立てかけてあった剣を取り上げ、一人目の囚人の心臓を貫いた。
ディーンはテーブルに置かれた銀盤を取り上げ、剣を伝う血をそれで受け止めた。
「それを飲み干せ。生きている間に全員を殺せ」
黒く濁ったその液体を見つめ、ディーンは頷いた。
禍々しい霧を吐き出すその液体は死の花の魔力で出来ている。
息絶える前に仕事を終えなければ、課題はそこで終わりだ。
何のための修行なのかわからないが、ディーンはレイシャのためにどんなことでもすると誓ったのだ。
フェスタ―のやり方についていくしかなかった。
銀盤を傾け、ディーンはそれを一気に飲み込んだ。
途端に死の気配が迫ってくる。
孤独と絶望、苦痛と恐怖、全ての負の感情が頭を支配し、心が押しつぶされそうになる。
そんな苦しみに耐え、ディーンは剣を握った。
震える両手でしっかりと狙いを定める。
フェスタ―は傍らにいる。
全員殺すまで、絶対にディーンを助けようとしない。
殺すことが出来れば、次の課題を与えられる。
次に進むには生き延びるしかない。
残酷な処刑を繰り返し、ディーンはゆっくり通路を奥に進む。
最後の一人の前に立ち、ディーンはついに膝を落とした。
息はほとんど止まっている。
体重をかけ、ディーンは斜めに立てた剣を押し出した。
呼吸が止まり、ディーンはそのまま床に倒れ込む。
目に映る床には黒い血液が川のように流れている。
その呪われた血液の向こうに、フェスターの足が現れた。
ディーンの呼吸が不意に戻った。
「はぁ……はぁ……」
目を上げると、最後の囚人が死んでいる。
「次の課題だ」
フェスタ―が血に染まる床に、小瓶を置いた。
ディーンは何も考えずに腕を伸ばし、その小瓶の中身を喉に流し込んだ。
――
ディーンが黒の館に住み始めて数日が過ぎた。
最初は、屋敷にディーンがいることに慣れず、レイシャはどういう反応をしたらいいかわからず逃げ回っていた。
夫がいるのに、親しく話しをするわけにはいかないし、とはいえ、他人のような顔をして無視することもできない。
しょっちゅうフェスターに鞭を使われる姿を見られるのも嫌だったし、その後で同情的な視線を向けられるのも耐えられなかった。
ところが、慣れとは恐ろしいもので、結局そんな生活も続けば日常となってしまう。
いつの間にか、どこからとも現れる二人に、食事はどうしますかなどと普通に話しかけられるようになっていた。
夫を立て、良い妻であろうとしたが、完全に口答えを無くすことは出来なかったし、ディーンにお仕置きされる姿を見られることも日常の一部になった。
だいたいフェスターは理由がなくてもレイシャに鞭を使いたがるのだ。
ディーンと手を繋がなくても殴られるのであれば、最後までやりまくっておけばよかったと、レイシャはこっそり考えた。
そんなある日、珍しく三人は同じ食卓についた。
フェスターは食べない日も多く、大半の料理は捨てるしかなくなる。
ディーンは数日おきにどこからとも現れ、食事をとるが、いつも死んだような表情で会話もない。
レイシャはもっぱら自分の部屋に皿を持っていって食べるようになっていた。
フェスタ―がそう命じるからだ。
しかしその日、厨房で食事を作っていたレイシャに、フェスターが面倒だからここで食べると言い出した。
ディーンも珍しくそこにいて、崩れるように食堂の椅子に座った。
今こそ妻らしく給仕しようと、レイシャは張り切って皿を並べ、料理を盛りつけた。
レイシャとディーンは食べ始めたが、フェスターは食事に手を付けず、おもむろに語り出した。
「この国には昔、解呪師という仕事はなかった。かわりに呪術師がいた。
彼らは人の念が魔力にどう作用するのか研究していた者たちだった。
ある日、風に乗って黒い胞子が飛んできた。それは白い花となり、国中に咲き誇った。
国の呪術師たちは、魔力を帯びたその珍しい花を研究し始めた。新しい力が産まれるかもしれないと期待し、その研究を王国も支持していた。
ところが研究が進むにつれ、その花の持つ魔力が、邪悪なものであることがわかってきた。
花の魔力は、人々の呪いの念を現実のものに変えてしまったのだ。
それは誰の念でも引き受けた。魔力を持たない者にも、呪文を知らない者にも、あるいは店先で店員に文句を口走っただけの者にも力を与え、死の呪いを発動させた。
呪術師たちはその呪いを消す力を持っていたが、もっと面白い使い道を見つけてしまった。
花は彼らの力を増幅させることが出来たのだ。隣国の王さえ暗殺出来るほどの強い力だ。
そして確実に呪いを成就させることが、いつの間にか呪術師たちの研究の目標になっていた。
それは身勝手な正義のための研究だった。
逆に、その呪いに対抗する者も育っていた。
解呪師はそうして生まれたが、呪術師のようには戦えない。一方は武器と盾であり、一方は盾に過ぎない」
フェスタ―の長い話が止まった時、食事をしていた二人の手は完全に止まっていた。
レイシャは目をぱちくりとさせ、素朴な疑問を口にした。
「その話に呪器のことって出てきました?」
呪術師も解呪師も人間の話だ。道具扱いの呪器は、わざわざ語ってもらえないのかと、少し不満げな表情だった。
気持よく語り終えたフェスターは、気分を削がれた様子でレイシャを睨んだ。
「呪器の歴史は新しい。死の呪いがどれだけ進行すれば、解呪師であっても消せないものになるのか調べた結果、呪いが効きにくい者がいることが判明したのだ。
それは、苦痛に強く、不幸に慣れたものだ。そうしたものは呪器として優れていると言える。
レイシャ、丈夫な呪器は重宝するものだ」
まるで、レイシャがものすごく不幸な存在であるかのように揶揄し、フェスターは低く笑うと席を立った。
食事には一口もつけていない。
むっとしてレイシャはその背中に叫んだ。
「私は不幸ではありません!毎日食事も出来るし、寝る場所もある。夫もいるし、友達もいます。フェスター様の仕事を助けていますし、こうした仕事にやりがいも感じています」
ディーンは複雑な顔をした。
「考え方一つだな」
嘲るような口調でフェスターは言って、さっさと食堂を出ていった。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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