地に落ちた鳥

丸井竹

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第三章 旅立ち

29.利用された血

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魔物達の繁殖場を見回っていたフェイデルは、人間用の檻が並ぶ通路に入り、憂鬱な溜息をついた。
まともな人間の寿命は短く、気が狂った人間ばかりが残っている。
餌やりを担当しているコールが腰を屈めてやってきて、三匹死んだと報告した。

死体が残った牢に向かうと、既に死体の処理が始まっていた。
生まれた魔物が親であった体を食べているのだ。
人間を使えば知能を持った魔物が生まれると思われたが、その試みは今のところ真逆の成果しか生んでいなかった。

フェイデルも種付けを命じられ、さらってきた女達を吊るして犯したが、その子供は悲惨な運命をたどることになった。
闇の瘴気に弱く、あっという間に奇形種になり、もともとの肉体がその変化に耐えきれず次々に瀕死の肉の塊になってしまったのだ。

自分の子供だと思うと、気が狂いそうな状況だったが、ローナがそれを次々にガルバンに命じて潰してしまった。
それらは全て魔獣の餌になった。
その後は、もっと悲惨だった。

魔獣に犯される人間の女達の管理を命じられ、死なないように舌をあらかじめ切らなければならなかった。
手足を固定し、体を壁に埋め込み、繁殖用の道具を作っているうちに、心は麻痺していった。
これは夢なのではないかとさえ考えた。

ローナを犯した奴隷のコールが、股間を抉りとられてもへらへらしている理由が分かった気がした。

人間も魔獣も、闇族たちも等しく同じ扱いだった。
道具であり、おもちゃであり、床を這う虫けら程度の価値しかなかった。
ガルバンだけは違った。
十数年の歳月をかけ作られた魔物であり、ローナは気に入っていた。

「もう作れないの。原種を殺してしまったから」

闇の魔王の姿は気配ばかりはあるが、なかなかその姿は表に現れない。
その言葉は大抵ローナの口を使って語られる。
ローナの意思がどこまで残っているか、それもわからない。
千年封じ込められ、実験動物のように扱われてきた闇の王は、地底の種族を新しい種族を作るための材料にしている。

それは知能を持たない、命令に従順な種族だ。
千年前のように闇の王に歯向かい、地上の種族と協力し、闇の王を封じようと考えるような賢い種族はもはや地底に存在しない。

ローナの言葉の端々から、そうした事情が読み取れてしまう。
まずは闇の王に従順であること。
それから、地上を征服できる程度の知能があること。

残忍で狂暴な生き物が地上に溢れ、人々は狩られ餌になる。それが闇の王が理想とする世界だ。

「人間って弱くて改造に向かないのね。そういえば、ヒューイ族の居場所がわかりそうなのよ。彼らは移植技術を持っているのよね……。全部殺すつもりだったけれど、一匹ぐらい残してもいいわ」

いつの間にか、ローナが後ろに立っていた。
闇の王の気配に包まれ、その目はどこか遠くを見ている。

「わかりました……場所を教えてください。私が連れてきます。あの翼をあなたの背中に……」

ナディの翼をヘイゼルの技術を使って、ローナの背中に植えれば良い。
人形のようなローナの前に跪き、フェイデルはそう考えた。
小さな娘の背中で羽ばたいた美しい純白の翼と、人の町で穏やかに暮らしていたヘイゼルの姿を思い出したが、もうその心はざわついたりしなかった。

あれからどれぐらいの時間が経ったのか、フェイデルにはもうわからなかった。



――

光の溢れる洞窟内で、奇妙な男と二人きりになったナディは、鳥籠を作り出す訓練を始めていた。
ギデリオールは、紙に美しい装飾を施した鳥籠を描いた。

「ここに閉じ込めたいものを考えるだけで良い。誰にも侵入されないように鍵をかけることを忘れないようにすることだ。具体的に覚えていることも大切だ」

鳥籠の隣に、複雑な文様のついた鍵の絵を付け足す。

「こんなことで?」

剣や魔法の訓練はしたことはあるが、想像力を鍛える訓練は初めてだった。

「これは簡単なことではない。魂を移動させる作業になる。故郷の町を思い浮かべ、そこに魂だけを運ぶことだ。王座にいながら、王国中の好きな町に飛べるようになる。
それが想像なのか、それとも現実の世界なのかわからなくなるまで、意識を遠くに飛ばし、その世界にのめり込むことだ。
この……マス目を見てごらん」

テーブルの上に置かれた駒を並べた盤を指さし、ギデリオールは教えた。

「駒を動かせば、一歩進む。しかし、その一歩はここまで歩いてきた行程であると想像すれば、君が通ってきた町の景色が、このマスの中に存在することになる。これは世界の縮図だよ。
君が守りたいもの。鳥籠に閉じ込めたいものを想像し、それがどこにあるのか意識を飛ばして探してみるのだ。見つけたら、そこを包み込み、扉を作って鍵をかけると良い」

「想像なのに、現実になるの?」

疑心暗鬼のナディに、ギデリオールはわからないと首を横に振った。

「やってみたことはないよ。ただ古い書物にはそう書かれていた。この辺にあったかな。
鳥族は視力が良いだけではない。飛んで見た光景を脳裏に焼き付け、その場所に何度でもどこにいても飛ぶことが出来た。それは、実際に行くことではなく、意識だけの話だ。
鳥族のウイゾル国は、そうして作られたとされている。なぜ巨大な王国が宙に浮いていたと思う?黄金の血がそれを望み、その国の形を維持させてきたからだ。探してごらん、会いたい人の姿を」

目を閉じたナディの手に、ギデリオールは鳥の駒を握らせた。

「この鳥になったつもりで、意識を飛ばしてその光景を見てみるのだ」

最初は真っ暗だった景色に湿原の光景が戻ってくる。
灰色の空の下、憔悴しきった顔で重い荷物を引きずって大陸の端に逃げる人々の姿、それから紫色の凶悪な植物や、黄金の血を探し駆けまわる魔獣の群れ。

故郷を出て、どれだけの月日が経ったのかもう思い出せない。

「駒が動き出した時、世界は時を止め、その歳月は永遠のものになった。拷問や与えられる死でしか死ねなくなった。この世界は同じ時の中にあり、このマス目のある盤の中のように、どこにでも行くことが出来る」

ギデリオールの言葉を聞きながら、暗闇に目を凝らす。
次第に、故郷の町が見えてきた。
町を囲む高い壁に、見張りのための塔。
魔物を狩る戦士達、物騒な世界に放り出され、身を寄せ合って暮らす子供達と、それを守る大人達。

訓練場とレイリー先生の研究所。
治癒院には薬にするための魔物素材が積まれている。
瓶の中には汚染された森で採取された素材と、それを浄化したものがある。
移植の技術を教えていたのはヘイゼルだった。

ヘイゼルはナディに文字や言葉を教えてくれた先生でもあった。
古代の書物が地底の自宅にまだ残っていると語っていた。

次に見えてきたのは通りにある仕立て屋の看板だ。
アレナとそれからリックがいる。
まさか片思いだったとは思いもしなかったが、今思えばリックとアレナはお似合いだ。
リックはか弱く、守ってあげたくなるような女性が好きだった。

ナディとは正反対の性格であるアレナは、いつも手元で繕い物をしている印象だ。
話し方も穏やかで、誰かと張り合うような強い物腰ではない。
その通りを右に曲がり、真っすぐに丘に向かう。
そこを迂回し、町の郊外に向かえば、汚染された森に隣接したヘイゼルの隠れ家がある。

そこからさらに丘を回り込み、しばらくいけば懐かしい我が家だ。
フェイデルはまだ自宅にいる。
娼館の仕事は夕刻からで、穏やかな笑顔でナディを迎えてくれる。

「ナディ、今日は早かったな。夕食の準備は出来ているから、ちゃんと食べるんだぞ」

優しい父親の声と、温かな大きな手。
仕事に行く父親と入れ替わりにヘイゼルがやってくる。

「ナディ、夜更かしはだめだぞ」

魔族特有の醜い顔立ちだが、ナディはその顔が好きだった。
醜いと思ったこともなかったのに、ヘイゼルの顔を見た町の子供達がそう叫んで逃げ出した。
ヘイゼルを悪く言われ、ナディは悔しくて泣いたが、ヒューイ族は人間から見たらそう見えるというだけのことだと気を悪くした様子もなくヘイゼルは笑い、ナディを慰めた。

ヘイゼルは、今どこにいるのだろう。

そう考えた途端、意識は地中深くに潜り、見知らぬ場所を旅していた。
不意に地上に出た。

見たことのない景色が広がる。
一面に霧が立ち込め、なだらかな稜線が見える。
ごつごつとした黒い地面に大きな空洞がいたるところに出来ている。
ずんぐりとした後姿が迫り、ナディは懐かしさにその名前を呼んだ。

「ヘイゼル!」

驚きの顔でヘイゼルが振り返る。
まるで、見えない誰かに名前を呼ばれたかのように。
聞こえないはずの声が耳元でした。

「ナディか?」

その瞬間、反対側の耳から全身を凍り付かせるような恐ろしい声が聞こえた。

『見つけた』


ぱっと目を開けると、ナディは元の場所に戻っていた。
目を閉じる前にいた場所であり、どこにも移動していない。

先ほど見た物が現実だったのか、それとも想像上のことだったのかわからず、ナディはギデリオールにそれを聞こうと後ろを振り返った。

最後に聞いた、恐ろしい声が蘇る。

『見つけた』

誰が、何を見つけたのか。
闇の王の声ではなかっただろうか。

そう思った瞬間、ヘイゼルが闇の王に狙われていることを思い出した。

「ギデリオール!」

人の気配のないがらんとした空間に、ナディの声だけが響く。
地面からせり出した不思議なテーブルに目をやると、盤の上に並べられた金と黒の駒が見えた。

近づいてみると、一つの駒に目が吸い寄せられる。
闇の王の陣地に、本を抱えた老人の駒が置かれている。
それを持ち上げた瞬間、ナディの脳裏に、最後の砦でギルバット地方に住む偏屈な学者の事を教えてくれた、異国の騎士ディガーンの言葉が蘇った。

――白髭の老人で、百歳とも二百歳とも噂された……

ここにいたギデリオールは百歳には見えなかったし、癖のある黒髪だった。
ディガーンが学者の名前を告げたときに、ふと胸に覚えた違和感を思い出す。

――確か、ギデリオールという名前だったな……

その時の表情は、ディガーンのものではないような気がしたのだ。
まるで誰かがとりついているような。

背中にびっしょり汗をかいている。
なぜ忘れていたのか。
ナディはもう一度、広い空間を見回した。

ギデリオールは、本当にディガーンが話していた、あの学者だろうか。
それを確かめる方法はどこにもないのに、なぜあれが本物のギデリオールだと信じられたのだろう。

唐突に、この広い空間の奥に、異様に大きな石の箱が置いてあることに気が付いた。
心臓の音が耳元で聞こえ始める。

ナディは石の箱に駆け寄り、その蓋を力いっぱい横に押した。
蓋がずれ、暗い箱の中に光が降り注ぐ。

そこには、折り畳まれた老人の遺体が横たわっていた。
頭髪も髭も真っ白で、百歳とも二百歳とも見える。
耳元で声がした。

『見つけた』

ナディは意識を失い、地面にばたりと倒れた。

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