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32.消えた花嫁と絶世の美女

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外から差し込むわずかな光が室内をぼんやりと照らしている。
窓辺に置かれた寝台に一組の男女が抱き合って横たわっていた。

せっかく愛する人と体を重ねることが出来たというのに、残念ながらリーアンの胸中は複雑だった。
廊下に面した扉を少し開け、手を繋いだ時にはまさかこんな関係になるとは思いもしなかった。

リーアンはその手を離したくなかったし、シーリアも帰ろうとはしなかった。
外がすっかり暗くなり、互いの顔も見えなくなってきた時、リーアンはようやく、シーリアを早く家に帰すべきだと気が付いた。

夜遅くまで高貴な女性を引き止めておくわけにはいかない。

それを言葉で告げる勇気はなく、リーアンは立ち上がり、そっとつないだ手を引っ張った。
シーリアはリーアンに導かれるまま立ちあがり、廊下に面した扉に向かった。

リーアンがドアノブに手をかけた時、その上からシーリアが手を重ね、ぐっと力を込めて扉を閉じた。

驚くリーアンの目の前でシーリアが鍵を回した。

リーアンがシーリアを振り返ると、シーリアの潤んだ瞳がまっすぐにリーアンを見上げていた。
その唇が動いた。

「結婚したのに、初夜もまだだわ」

リーアンの心臓は跳ね上がった。
拒絶されることを恐れるようなシーリアの震える声に、リーアンはいいのだろうかと迷った。

リーアンはシーリアの表情を見て気持ちを確かめようと、うっすらと光が差し込む窓辺にシーリアを連れて行った。
窓辺には寝台が置かれており、シーリアは体を求められたのだと勘違いしてさっさと寝台に腰掛けた。

恥ずかしそうに服を脱ぎ始めたシーリアの姿に、リーアンの目は釘付けになった。

リーアンはシーリアが後悔するのではないかと心配した。

それでももう想いは止められなかった。
差し込む夜の淡い光の中に、シーリアの素肌が露わになると、心のままに愛する女性を抱きたいという欲求が抑えきれなかった。気づけばリーアンはシーリアの頬を抱いて熱く唇を重ねていた。

愛の無い行為に疲れ果て、もう二度と誰かを欲しい気持ちになることは無いのではないかと思ったこともあったが、シーリアといる時だけは別だった。

娼館で働く男娼であった時も、リーアンはシーリアの前ではただの一人の男だった。

リーアンは唇を離すと、素早く全裸になり恥じらうように横たわったシーリアの上に覆いかぶさった。
理性が残っていたのはほんの数秒だった。
獣のようにシーリアの体を求め、奥へ奥へと腰を押し込んだ。
腕の中のシーリアが喜びの声をあげるたびに男である誇らしさが蘇った。
自分が惹かれている女性を存分に抱ける喜びに酔いしれ、その体を隅々まで愛した。

それでもどこかで最後まで抱いてはいけないと警告するような声が心に残っていた。
シーリアが後悔するかもしれない。

そう思ったのに、シーリアのひと際甘い声がとどめだった。

その声に押されるように、ついにリーアンはシーリアの中に想いの全てを吐きだした。汗に濡れ、荒くなった呼吸を落ち着かせながら二人は抱き合い横たわった。いつの間にかシーリアが眠っていた。

リーアンにとっては幸福な時間だった。

しかし、シーリアにとってはどうだったのか、それはまだわからなかった。
こんなことをしてはいけなかったと、リーアンは深い後悔に苛まれながらも、まだ希望も捨てきれないでいた。


しばらくして、眠っていると思っていたシーリアの目が静かに開いた。

その瞬間、リーアンはこれは過ちだったのだと悟った。

シーリアは黙り込み、じっと天井を見上げていた。その表情は幸福そうには見えなかった。

自分が我慢をするべきだったのだとリーアンは後悔した。

「シーリア様、私のせいです……」

リーアンは静かに告げて、シーリアの肩を慰めるように優しく撫でた。
シーリアはその腕に頬を擦り付けた。

その行為は拒絶を意味するものではなかったが、リーアンはどうしていいかわからずただシーリアを抱いていた。

一方天井を見上げているシーリアの胸中も複雑だった。
リーアンに抱かれたシーリアは体中が満たされ、幸福の中にいた。

それなのに、別の感情が混在しているようで奇妙な違和感が消えなかった。
ヴェイルスに悪いと思っているのだろうかと考えたが、そんな感じでもなかった。

リーアンの腕の中にいながら、ヴェイルスの事を考える自分をどう受け入れていいのかわからず、シーリアは黙り込んだまま、リーアンの腕にしがみついた。

窓から差し込むのは夜のかすかな明かりだけだ。
しばらくして控えめなノックの音が聞こえた。

「シーリア様、あの、研究棟にはお帰りになるのでしょうか?」

シーリアを町まで連れてきてくれたデルタだった。シーリアが上体を起こすと、リーアンがそれを手伝った。
暗がりにリーアンの顔を見上げ、その表情も見えぬままシーリアは扉の外に向かって声を発した。

「今日は夫のところに泊まるわ。知らせるのが遅くなってごめんなさい。明日には戻るわ」

シーリアは答えを待った。この宿は騎士団が守っているし、デルタも安心できるはずだ。

デルタの返事は少し遅れたが、明日迎えに来ますと聞こえ、足音が遠ざかった。

リーアンは驚いたように目を見張ったが黙っていた。シーリアは胸元に上掛けを引き寄せて俯いた。

「迷惑だった?」

「とんでもない。ただ、シーリア様の評判に障るのではと心配です」

シーリアは不思議そうに「どうして?」と問いかけた。

「私は自由の身になったとしても男娼であった過去は消えません。娼館の外ではそうした経歴持ちの男は恥とされるものです。それに、シーリア様は私と離縁されたら、身分の相応しい方と縁を結ばれることになるでしょうから、その時に後悔なさるかもしれません……」

シーリアはリーアンに手を伸ばし、きれいな銀色の髪を除けて頬に触れた。

「リーアンに惹かれているのは本当なの。好きよ。他の人と結婚することは考えていないの。それに、私でいいのかと思うぐらい。ほら、リーアンはこんなにきれいなのに、私はそうじゃないし、リーアンの方がもっときれいな人を欲しいと思うかもしれない。
私ってひがみっぽいわね。周りが美人ばかりですっかりひねくれたのね。でも、リーアンが素敵なのは本当よ。とてもきれいよ」

リーアンは微笑んだ。

「ありがとうございます。おかげで高く売れました」

自嘲するような声の響きだった。
男にとって美しいという評価は、ある意味屈辱的なものだった。女のように尻を売る人間に下される評価だ。それでも大切なものが守れるのであればいくらでも投げ出すが、シーリアのことは守れなかった。

「あなたを守れるなら、私はこんな容姿いくらでも売ります」

心からの愛を感じ、シーリアは微笑みかけたが、心の中にいるヴェイルスの存在のせいで素直に喜べなかった。
覚悟が足りないのか、愛が足りないのか、こんなふらついた人間だったのか、シーリアは少しばかり落ち込んだ。

「あなたが羨ましい。リーアン、あなたは本当に素敵な人。私にもリーアンみたいな強さがあれば……」

まるで霞がかかったかのように頭の中がすっきりしなかった。
シーリアはリーアンの胸に頭を押し付け、目を閉ざした。リーアンはシーリアの体を大切に抱きしめた。

二人はそのまま寝台に横たわり、互いの体温を感じながら、ゆっくり眠りに落ちた。



わずかな眠りの後、リーアンは腕の中のぬくもりが急激に冷めていくのを感じ飛び起きた。
シーリアがいつの間にか研究棟に帰ってしまい、寝具が冷たくなってきたのかと思ったのだ。

リーアンが灯りをつけると、寝台に眠るシーリアの姿が浮かび上がった。
ほっとして、再びその体の下に腕を入れようとしたリーアンはその異変に気が付いた。
シーリアの温かく柔らかな体が火が消えるように熱を失いつつあった。

「シーリア様!シーリア様!」

眠っているシーリアの頬に触れ、リーアンは声をかけた。
その触れた肌がまるで水面に触れたかのような不確かな感触にかわった。

実体のない映像のように透けていくシーリアの体に、リーアンは驚きながらもなんとか奪われまいと必死にかき抱いた。

「シーリア様!シーリア様!」

目には見えるのに、水面に映った月のように触れることが出来なくなったシーリアの体をリーアンの腕が貫通した。

「シーリア様!」

リーアンが悲鳴のような声をあげると、シーリアの目がうっすらと開いた。
その瞳にリーアンの姿が映った。

「どうか、シーリアと呼んで、私、リーアンが好きだった」

何が起きているのかわからないままリーアンは叫んだ。

「シーリア!どうか、消えないでくれ!」

不可思議な現象の前でなすすべもなく、リーアンは懇願した。
無情にも、その言葉が終わるか終わらないうちにシーリアの体はその影さえ残さず消えてしまった。



リーアンは灯りをかざし部屋中を探した。何か手がかりがないかと枕の下、棚の裏まで探した。
しかし何も得られないまま、リーアンは助けを求めて外へ飛び出した。




――

夜通し走る馬車の中、ヴェイルスは心地良い揺れに身を任せ眠っていたが、ふと目を覚まし、鞄を開けて転送箱を取り出した。
留め金にはめ込まれている宝石が赤く光っている。

指を押し当てると、箱の蓋があき、中には巻かれた紙が入っていた。
広げて文面に目を走らせると、ヴェイルスの顔は険しいものに変わった。

そこにはリーアンの腕の中からシーリアが忽然と姿を消したと書かれていた。

シーリアには秘密がある。それはわかっていたが、引き返すという選択肢はなかった。
ヴェイルスは王宮に向かっていたのだ。

しかも呼び出しは知識の塔からであり、永伝師ラフィーニアに優れた魔力持ちの子供を生ませるための交配相手の一人として選ばれたと記載があった。
永伝師は王位を継いだものが、その次代の永伝師をも継承する。王の一族に魔力の強い者を増やすためだった。

しかし、長いこと永伝師から子供は生まれていない。
ついに王族がその力を得るよりも、次世代に向けて後継者を作ることを優先したのだ。

これは千載一遇の機会だった。
永伝師に直接会えるのは何百年もの間王族だけだった。

ヴェイルスはシーリアのことは後回しにすることを決めた。言止めによる記録を残さないように書き記し再び転送箱に収める。
シーリアの謎めいた現象を外に知られるわけにはいかない。同時にリーアンの口も封じておかなければならない。

急いで新しい紙を鞄から取り出し、リーアンを研究棟の離れに監禁するようにと書き記した。

夜を徹して馬車は走り、馬の交換を繰り返し数日のうちに王都に到着した。
そのまま城下町を通り抜け、貴族街の門をくぐり抜けた。
通りが広くなり、その先に知識の塔が霞の中に現れた。

その塔の大半が言止めと太古の魔法の力によって建てられたと言われているが、正しい歴史を知るものは当然生き残ってはいない。
その起源を記した書物さえ存在していなかった。

言止め用の門をくぐらず、馬車は王城に向かった。

ヴェイルスを迎えに出たのはなんとブライン国王自身だった。知識の塔の最上階に向かう道は王と一部の上級管理官しか知らず、その中では魔力の使用も禁止されていた。

ヴェイルスが恭しく頭を下げて顔を上げると、国王はその見事な造形美に感心したように唸った。

「驚いたな。霊薬師でありながらそれほど高い魔力を持っているとは。魔導士や魔法使い、あるいは言止めの才などはないのか?」

「初級魔法程度なら多少は使えますが、向いてはいないようです」

異なる能力を複数併せ持つ者はなかなかいない。極秘の通路へ向かう際、ヴェイルスは魔力封じの腕輪を嵌められた。

王城の最上階に位置する転送の間に入ると、知識の塔の第一管理官が出てきて、ヴェイルスに入室に関する書類へのサインを求めた。

ヴェイルスは階級や名前、魔力鑑定の数値などを記載し、最後にサインをした。

それが終わると、第一管理官はヴェイルスの手首に魔封じの腕輪がしっかり嵌っているかどうか確かめた。
最後に王国の意に反することは決してしないと誓約を立て、ヴェイルスは王と共に転送装置に足を踏み入れた。

一瞬で王とヴェイルスの姿は知識の塔の最上階に現れた。
白い通路の先に金色の扉が見えた。

王が先頭を歩き、ヴェイルスがそれに続いた。
扉に行きつくと、王は鍵を開けゆっくりと扉を開いた。

まばゆい黄金色の光が目に飛び込んできた。ヴェイルスは腕をかざしながらその眩しさに目を慣らした。
ヴェイルスの頭にシーリアの言止め記録で見た光景が蘇った。

――金色の部屋の壁際にぎっしり本が並んでいました。あと、天井の高いところに窓があって……

そこはまさにシーリアが証言した通りの部屋であり、見上げれば鉄格子の嵌った天窓があったのだ。

奥の扉が開いて、黄金の輝きをまとう美女が現れた。

宝石のような輝く紫色の瞳。

王以外の者が長年接触を禁じられてきた永伝師ラフィーニアの姿であった。



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