鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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エピローグ

90. 終 (3)

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 初めてそこを訪れた時、湖ほどの広さの泉を、悠真は森の上から見つけることができなかった。
 けれど今は夜の森であろうと、そこにあるものがわかる。夜目が利くようになったわけではなく、の存在を感じ取ることができるようになったからだ。

 《ラディウス》が降下を始め、巨木の張り巡らせた枝葉の天井を抜けた。以前は気温差の激しさから、何かの膜を通り抜ける感覚があったけれど、今回は何も感じない。
 ただ、葉の色が途中で変わった。上のほうの葉は、月夜の中で暗い青緑の輪郭を描いていたのに、下半分は明らかに違う色が交ざっている。同じ大樹の繁らせた葉でありながら、上と下で季節が違っていた。

「う、わぁ……!」

 悠真は目を見開いて歓声を上げた。
 あちこちに光る植物がたくさん生えている。野花や木の実、キノコまで、どこもかしこもカラフルな色に光っていた。

「満月の夜は時々こうなる。精霊の宴会とも呼ばれているな」
「確かに宴会っぽい! なんだか見ているだけで楽しい気分になるし」

 草地に舞い降りた《ラディウス》から辺りを見回し、悠真はますます声を弾ませた。温かみのある光に満ちているおかげで、周囲の風景がよくわかる。
 まさにそこは秋の季節だった。足元の草は味のある枯草色。樹々の葉は赤や黄色に染まって、なんとも色鮮やかだ。
 オスカーが先にひらりと着地し、悠真は彼の手を借りて鞍から降りた。

「満月であればいつでも『宴会』をしているわけではない。だが、今夜はなんとなくやっていそうな気がした」
「なんとなく、かぁ」

 その言い方に悠真は笑ってしまった。整い過ぎた顔立ちはどこか厳しそうで、四角四面の印象を受けやすいオスカーだが、実際はこういう適当というか、意外と感覚派なセリフをよく口にするのだ。

「おまえはこれも気に入るだろうと思ってな。見せてやりたいと思っていたのだが……」
「こういうの大好きだよ! ……あれ、でも、なんか変じゃ……?」

 妙な感覚に悠真は首を傾げる。オスカーの表情にも困惑が滲み、二人して違和感の正体を探った。
 それはすぐに判明した。―――泉が真っ黒なのだ。
 これほど光る植物が周りを囲っているのに、水面に一切映し出されていない。
 自然の天井から漏れ落ちる月光どころか、ほとりから覗き込むように咲いた花の輝きすら反射しない、のっぺりと黒い泉。

「でも、悪い感じはしないね?」
「おまえもか?」

 悠真の独白にオスカーが反応した。彼もそこに悪い物を感じてはいなかったのだ。
 二人の感覚が一致しているのなら、やはり無害な現象である可能性は高い。どちらからともなく顔を見合わせ、ゆっくりと泉に近付いて行った。

「あっ……!?」

 黒い水面の奥からスゥ、と現われた人影に、悠真が小さく叫び声を上げた。
 咄嗟に警戒をみなぎらせ、背中から抱きしめたオスカーだったが、すぐにそれがにいる存在だと直感する。
 あの顔立ち、それに服装は……。

「お……父さん!? お母さん、兄ちゃん、姉ちゃん……お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも!」

 向こう側は真っ暗というより、やはり真っだ。立った姿勢で見下ろす悠真とオスカーの姿は、もちろんそこに映ってはいない。
 彼らは「ここはどこだろう?」と言いたげな表情で、パジャマ姿で立っていた。つまりあちら側では夜中なのだ。
 ―――つまり、これは。

 悠真の声が届いたのか、彼らは一斉にこちら側に顔を向けた。
 そしてみるみるうちに瞳を潤ませ、口もとに手を当てた。
 その唇が、悠真、と言っているように動いた。

「みんな、大好き……大好きだよ! 僕はここで、幸せなんだよ……!」

 悠真が泣き笑いの顔で叫んだ瞬間、それらは呆気なくフッと消えた。
 そして水面には輝く植物や、それらに照らされた草や木の根が映し出されていた。

「あ……消えちゃった」
「なかなか粋なことをする」

 背中から抱きしめたまま、悠真の目尻の雫を指で拭いながら、オスカーは驚きを滲ませた声で呟いた。

「先ほどの現象は、精霊からおまえへの贈り物だ」
「おくりもの……」
「こういうことをする精霊は滅多にいないのだが」

 精霊には基本的に、罪悪感というものは存在しない。ミシェルが祈り、精霊が応え、悠真の魂がこの世界に引きずり込まれた。それは精霊にとって、決まりごとや仕組みに従っただけに過ぎず、それで不幸になった人間がいようと、彼らにはどうでもいい。
 約束ごとを守る者には望みを叶え、破る者は罰する、それ以上でも以下でもない。そのはずだった。

「数多いる精霊の中で、《鏡の精霊》は人という生き物に最も詳しいのかもしれん」

 お気に入りのために何かをしてあげる精霊は皆無ではないが、それを人間が喜ぶとは限らないのが『精霊の贈り物』だ。そもそも人が何を喜ぶのか、彼らは本質的に理解できていないのだから。
 だから年を経た賢い精霊ほど、滅多に人に何かを贈ったり、特別に何かをしてやることはない。

 けれど《鏡の精霊》は。
 人という生き物の深淵を、良くも悪くも映し続けてきた性質上、人という生き物のことを人よりも深く理解しているのかもしれなかった。

「僕の声、聴こえたかな……?」
「聴こえていなかったとしても、伝わったのではないか?」
「だったらいいな……。ていうか、笑えてよかった。あそこで悲しそうな顔してたら僕、今頃めっちゃ後悔してるよ。事前に教えてくれてたら心の準備もできたのに。危なかった」

 後半はぶちぶちと愚痴になりつつも、悠真は「でも、ありがとう」と、誰へともなく小声で締めくくった。
 オスカーはそれに小さく笑い、揶揄からかいとも真面目ともつかない声で言った。

「私も事前に聞いておきたかったな。おまえのご両親に挨拶をし損ねた」
「あ。そ、そうか……。って、この体勢、一目瞭然じゃないの? うわあぁ、どうしよう。あっち側で『悠真が男と付き合ってる!?』なんて大騒ぎになってそうだ」

 想像して、悠真はプッと吹き出した。
 涙はすぐに止まり、後ろからこめかみに落とされる口づけのくすぐったさにクスクスと笑う。
 やがてどちらともなく、唇を重ね合った。


 ひとときの『宴会』の美しい光景を楽しみ、しばらくして、二人を乗せた翼竜が飛び立つ。
 次の約束を交わしながら、彼らの『家』へ帰るために。





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 鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚、これにて完結となります。
 1話完結の短編「ある神と~」が初めて書いたBL、そして初の連載がこちらの小説なので、何もかも手探りだらけでした。懐かしい……。
 思った以上にたくさんの方が読みに来てくださり、応援や感想もいただけて本当に嬉しいです!!

 お付き合いくださって本当にありがとうございました!!

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