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エピローグ
88. (1)
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軽やかな小鳥の囀りが聴こえる。
窓からこぼれて床を照らす光は、時間の経過とともに少しずつ白くなっていた。
横になった悠真の目の前に、長い灰色の髪がある。後ろの髪が幾筋か端整な顔の前にさらりと流れて、指先ですくって耳にかけてやれば、見た目の印象よりもやわらかくて艶やかな感触を残した。
もっと明るい日差しの中では、その表面に銀色が混じって輝くだろう。今は長いまつ毛に隠された瞳も、角度によっては灰銀に見えた。
(でも、この色も悪くないよな。落ち着いたグレイ)
悪くないどころか、むしろ好きだ。昔は灰色にそこまで興味がなかったのに、今では温かみがあって安心する色だと感じている。
相手の形よい唇から穏やかな寝息が漏れ、悠真の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
いつもは彼のほうが先に起きて、悠真は寝顔を見られる側だったけれど、今朝は偶然逆になった。せっかくだから、覚醒までのひとときを存分に楽しもう。
□ □ □
寝台の上で向かい合って微睡んでいると、悠真の侍女のペトラとモニカがやってきた。ノックの音に反応し、オスカーの意識もふっと浮上したらしい。
寝室に入ってきた侍女二人がカーテンを開け、二人分の服を用意し、主人達の朝の支度を手伝い始める。
今は花の節、第一月の後半。
あちらの世界の暦では春の三月後半頃だ
斬りつける刃のごとき冷気は遠く去り、服装も防寒性の強いものから、やや薄手の爽やかな生地に変わっていた。
悠真の衣類の上下は、相変わらず黒で統一されている。着る者によってはシンプル過ぎて面白みのない印象を与えそうだが、悠真が纏えばすっきりとした体形が際立ち、さりげない刺繍や飾りボタンがお洒落で、何より本人によく似合っていた。
衣類にほつれや引きつれはないか侍女達が最終チェックをし、満足げに「本日もお似合いです」「素敵です」と笑顔で合格点を出した。
耳たぶで揺れるカラスの形の耳飾りを指でもてあそびながら、悠真もにっこりと笑顔で返す。
ちょうどそこに執事のウィギルもやって来た。
「おはようございます、旦那様、ユウマ様」
「ああ、おはよう」
「おはようウィギル」
彼はテラスに朝食の準備がととのったため、二人を迎えに来たのだった。
この館のテラスは最も明るく開放的で、アトリエのようだと悠真が気に入っている場所だ。
ウィギルの後に付いて廊下を歩き、階段を下りて入り口に向かう。そこをくぐった最初の一歩目の感動は今も薄れることがなく、この瞬間さえも悠真のお気に入りのひとつに加わっている。
始めに目へ飛び込むのは、大きな一枚板のガラス窓。その向こうには、季節ごとに変化する不思議な絵画のごとく、春の庭が広がっている。植木の緑だけでなく煉瓦の色も鮮やかに浮かび、既に何種類かの花も咲いていた。
悠真とオスカーはテーブルの向かい合った席につき、彩り豊かな朝食を味わった。隣に座るのも体温を近くに感じて悪くないが、対面のほうが互いの顔を見やすくていい。
「あちらの館が完成したと連絡が来た。細部にこだわったから少々かかったが」
「えっ、もう? すごいなぁ、充分早いよ」
王都にある旧カリタス邸。その敷地内に新たに建設していた、『レムレスの王都邸』が無事完成したというのだ。
あちらの執事のフロースや、オスカーのもとで働くことを選択した使用人が生活できるように、まだ旧カリタス邸は完全には取り壊していない。旧カリタス邸は前庭が狭く、門に接するほどの位置に建物があって、プライベートな裏庭の部分が広かったのだが、その庭を一旦更地にして新たな館を建てていたのだ。
裏の庭がやたら広かった理由としては、以前はそこに先代カリタス伯の蔵書を保管する図書棟があったからだ。ロベールが自分の使える一冊を残してすべて手放した後、建物は解体され、跡地にはごく一般的な貴族の庭園が造られていた。
「昨日のうちに完成していたので、既に家具や荷物を順次運び込んでいるそうだ。旧カリタス邸よりも多少狭くなっているが、そのぶん間取りに工夫している。使用人の数も減っているし、別荘として使うのだから充分だろう。午後にでも見に行ってみるか」
「うん! あ、でも荷物を移動させている最中だったら、僕らがお邪魔すると迷惑じゃないかな?」
「あちらの魔法使いどもが何人か協力しているそうだから、そこまでかからんだろう。心配なのは引っ越し作業の遅れよりも、奴らが勝手に要らん仕掛けをどこぞに設置しかねないことだ。……やはり心配だから早めに見に行くか」
「あはは……」
あの発明好きの実験好きな連中であれば、杞憂とは言い切れない。しかも《レムレスの別邸》なのだ。一般的な貴族の館とは異なる構造、魔術的な仕組みもふんだんに取り入れているので、興味津々になっているのは想像に難くなかった。
(もしかして、それ見たさに荷運びの手伝いを申し出たとか? ……有り得る。なんか僕も心配になってきたな)
午後にでも、という発言は早々に撤回され、朝食後すぐ出発することになった。
「まだ若干肌寒うございますから、こちらをお召しくださいませ」
「ああ」
「ありがとう、ゾーイ」
メイド長のゾーイが外套を手配してくれて、二人でそれを着込み、ヘリポートのような屋上に向かう。その二人の後に、侍女と執事とメイド長が続いた。
階段を上り切って屋上に到着すると、悠真は両手を一杯に広げて春の空気を吸い込む。不思議と指先までエネルギーが染み込むような心地だった。
「風がだいぶあったかくなってきたね」
「ああ、出かけやすくなってきたな」
オスカーの足元から影が伸び、天高く伸びて、闇色の竜が音もなく四枚の翼を広げた。この翼竜も、今はどちらかの影で待機している心強い護衛戦士も、手紙のやりとりで大活躍な魔鳥も、すべて悠真のお気に入りだ。
使役霊の契約を結んでから現われたという鞍へ、悠真が前に、オスカーがその背中を抱え込むように乗る。重力の抵抗など無関係と言わんばかりに、翼竜は長い首をもたげて屋上から浮き上がった。
「行ってらっしゃいませ」
ぴしりと並んだ使用人達が同時に挨拶をするのが聞こえ、悠真は彼らに「行ってきます!」と手を振った。
窓からこぼれて床を照らす光は、時間の経過とともに少しずつ白くなっていた。
横になった悠真の目の前に、長い灰色の髪がある。後ろの髪が幾筋か端整な顔の前にさらりと流れて、指先ですくって耳にかけてやれば、見た目の印象よりもやわらかくて艶やかな感触を残した。
もっと明るい日差しの中では、その表面に銀色が混じって輝くだろう。今は長いまつ毛に隠された瞳も、角度によっては灰銀に見えた。
(でも、この色も悪くないよな。落ち着いたグレイ)
悪くないどころか、むしろ好きだ。昔は灰色にそこまで興味がなかったのに、今では温かみがあって安心する色だと感じている。
相手の形よい唇から穏やかな寝息が漏れ、悠真の唇には自然と笑みが浮かんでいた。
いつもは彼のほうが先に起きて、悠真は寝顔を見られる側だったけれど、今朝は偶然逆になった。せっかくだから、覚醒までのひとときを存分に楽しもう。
□ □ □
寝台の上で向かい合って微睡んでいると、悠真の侍女のペトラとモニカがやってきた。ノックの音に反応し、オスカーの意識もふっと浮上したらしい。
寝室に入ってきた侍女二人がカーテンを開け、二人分の服を用意し、主人達の朝の支度を手伝い始める。
今は花の節、第一月の後半。
あちらの世界の暦では春の三月後半頃だ
斬りつける刃のごとき冷気は遠く去り、服装も防寒性の強いものから、やや薄手の爽やかな生地に変わっていた。
悠真の衣類の上下は、相変わらず黒で統一されている。着る者によってはシンプル過ぎて面白みのない印象を与えそうだが、悠真が纏えばすっきりとした体形が際立ち、さりげない刺繍や飾りボタンがお洒落で、何より本人によく似合っていた。
衣類にほつれや引きつれはないか侍女達が最終チェックをし、満足げに「本日もお似合いです」「素敵です」と笑顔で合格点を出した。
耳たぶで揺れるカラスの形の耳飾りを指でもてあそびながら、悠真もにっこりと笑顔で返す。
ちょうどそこに執事のウィギルもやって来た。
「おはようございます、旦那様、ユウマ様」
「ああ、おはよう」
「おはようウィギル」
彼はテラスに朝食の準備がととのったため、二人を迎えに来たのだった。
この館のテラスは最も明るく開放的で、アトリエのようだと悠真が気に入っている場所だ。
ウィギルの後に付いて廊下を歩き、階段を下りて入り口に向かう。そこをくぐった最初の一歩目の感動は今も薄れることがなく、この瞬間さえも悠真のお気に入りのひとつに加わっている。
始めに目へ飛び込むのは、大きな一枚板のガラス窓。その向こうには、季節ごとに変化する不思議な絵画のごとく、春の庭が広がっている。植木の緑だけでなく煉瓦の色も鮮やかに浮かび、既に何種類かの花も咲いていた。
悠真とオスカーはテーブルの向かい合った席につき、彩り豊かな朝食を味わった。隣に座るのも体温を近くに感じて悪くないが、対面のほうが互いの顔を見やすくていい。
「あちらの館が完成したと連絡が来た。細部にこだわったから少々かかったが」
「えっ、もう? すごいなぁ、充分早いよ」
王都にある旧カリタス邸。その敷地内に新たに建設していた、『レムレスの王都邸』が無事完成したというのだ。
あちらの執事のフロースや、オスカーのもとで働くことを選択した使用人が生活できるように、まだ旧カリタス邸は完全には取り壊していない。旧カリタス邸は前庭が狭く、門に接するほどの位置に建物があって、プライベートな裏庭の部分が広かったのだが、その庭を一旦更地にして新たな館を建てていたのだ。
裏の庭がやたら広かった理由としては、以前はそこに先代カリタス伯の蔵書を保管する図書棟があったからだ。ロベールが自分の使える一冊を残してすべて手放した後、建物は解体され、跡地にはごく一般的な貴族の庭園が造られていた。
「昨日のうちに完成していたので、既に家具や荷物を順次運び込んでいるそうだ。旧カリタス邸よりも多少狭くなっているが、そのぶん間取りに工夫している。使用人の数も減っているし、別荘として使うのだから充分だろう。午後にでも見に行ってみるか」
「うん! あ、でも荷物を移動させている最中だったら、僕らがお邪魔すると迷惑じゃないかな?」
「あちらの魔法使いどもが何人か協力しているそうだから、そこまでかからんだろう。心配なのは引っ越し作業の遅れよりも、奴らが勝手に要らん仕掛けをどこぞに設置しかねないことだ。……やはり心配だから早めに見に行くか」
「あはは……」
あの発明好きの実験好きな連中であれば、杞憂とは言い切れない。しかも《レムレスの別邸》なのだ。一般的な貴族の館とは異なる構造、魔術的な仕組みもふんだんに取り入れているので、興味津々になっているのは想像に難くなかった。
(もしかして、それ見たさに荷運びの手伝いを申し出たとか? ……有り得る。なんか僕も心配になってきたな)
午後にでも、という発言は早々に撤回され、朝食後すぐ出発することになった。
「まだ若干肌寒うございますから、こちらをお召しくださいませ」
「ああ」
「ありがとう、ゾーイ」
メイド長のゾーイが外套を手配してくれて、二人でそれを着込み、ヘリポートのような屋上に向かう。その二人の後に、侍女と執事とメイド長が続いた。
階段を上り切って屋上に到着すると、悠真は両手を一杯に広げて春の空気を吸い込む。不思議と指先までエネルギーが染み込むような心地だった。
「風がだいぶあったかくなってきたね」
「ああ、出かけやすくなってきたな」
オスカーの足元から影が伸び、天高く伸びて、闇色の竜が音もなく四枚の翼を広げた。この翼竜も、今はどちらかの影で待機している心強い護衛戦士も、手紙のやりとりで大活躍な魔鳥も、すべて悠真のお気に入りだ。
使役霊の契約を結んでから現われたという鞍へ、悠真が前に、オスカーがその背中を抱え込むように乗る。重力の抵抗など無関係と言わんばかりに、翼竜は長い首をもたげて屋上から浮き上がった。
「行ってらっしゃいませ」
ぴしりと並んだ使用人達が同時に挨拶をするのが聞こえ、悠真は彼らに「行ってきます!」と手を振った。
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