81 / 90
魔法使いの流儀
81. 後片付け
しおりを挟む突然ミシェルが姿見に駆け寄ったかと思えば、鏡面に両手を叩きつけるなり、ガックリと崩れ落ちた。
フロースや使用人達は肝を冷やした。お坊ちゃまの身を案じたのではない。中にいる相手に無礼ととられる行動を取り、自分達まで怒りを買ったのではないかと。
ハラハラしながら見守る彼らの前で、ぴしりと音が鳴った。両手の当たっていた部分からヒビが入ったのだ。
それはみるみるうちに放射状に広がり、白く濁って―――。
ザラリと崩れ、砂になって床へ広がった。
「あっ! ……どうすんのこれ。ガラスの粉末って危なくない?」
粉末状になったそれを見て、黒髪の青年が慌て始めた。途端に恐ろしい空気が消え、フロース達は詰めていた息を吐き、何がどうなったのだろうと戸惑った。
目の前にあるものを完璧に映し出していたそれは、枠と台座だけを残して完全な粉と化し、一部はミシェルの頭にもかかっている。そのミシェルは、豪華な枠付きの板に縋りついたまま、動く様子もない。
意識を失っているようだ。
「そうだ! いけるかな?」
悠真は安全な掃除方法を思い付き、実行に移した。イメージしやすいように両手を身体の前で広げ、その手の間に大きな水球を発生させる。
その水球を徐々に下ろしていき、ミシェルの頭や肩の一部、床などに接触させた。フロース達はそれを知らないが、悠真の頭にあったのはゼリー状のぷよぷよスライムだ。
ぷるんと音がしそうな水球の中、接触した場所からきらきらと舞い上がるものがある。
ガラスの粉末だ。それは悠真の思惑通り、安全に綺麗に吸い上げられた。
体内にすべての粉末をとりこんだ後、スライム球は再び空中浮遊を始める。フロース達はその光景に、目を丸くして言葉を失っていた。
「よし、うまくいった! ……でもこれ、どうしよう。ねえ、フロース」
「は、はいっ。何かお困りのことでも……?」
文字通り困った顔をして振り向いた悠真に、執事は反射的に型通りの言葉を返す。
「ガラス片を触ったり吸い込んだりしそうで危ないから、僕が掃除しとこうと思ったんだけど」
「それは、わたくしどもへのお心遣い、ありがたく存じます……」
「でもこれ、集めたはいいけど、この後どうしようと思って。何か濾すものはないかな」
「濾すもの―――予備のシーツがございますので、それをお使いになればよいかと」
執事が使用人に指示を出すと、彼らは一様に夢から覚めた表情になり、一人が早足でリネン室を目指した。一枚で良かったのに、焦っていたせいか、戻った時には数枚のシーツを抱えている。
別に咎めるほどのミスではない。むしろ人がテンパっているのを見ると冷静になれるのか、彼らは苦笑するだけの余裕を取り戻した。
そのうちの一枚を取り、何人かで端を掴んで広げれば、水球が上からゆっくりとシーツに触れ、水だけが徐々に通り抜けてゆく。
「うん、よし。じゃあ、シーツを包んでくれる? 粉がこぼれないように」
「はいっ」
濡れて光る粉末だけが残された布を、彼らは命令通り袋状に包んだ。途端、水分が霧となって消滅し、先ほどまで濡れていたシーツの重量も減った。
魔法で出した水というものは、このように完全に消すことも可能なのかとフロースは舌を巻いた。今日はすべてが驚き通しの一日だ。
「ありがとう。このシーツもらってもいいかな? ガラス粉を再利用したそうな人が、知り合いに何人もいるんだ」
「は、どうぞお持ちくださいませ」
フロースは頷いた。本来なら夫人に無許可で譲渡してはいけないのだが、もうその必要はない。
きっとカリタス伯がこの館に戻ることはないのだから。そしてこの、どうしようもないお坊ちゃまが後を継ぐ日も来ない。先代の頃から仕え続けてきたフロースは、カリタス家というより、この一家そのものを既に見限っていた。
(今後はオスカー坊ちゃまにお仕えできればいいが。この御方にご相談してもよいのだろうか?)
この黒髪の青年はオスカーと親しく、彼を追いやるのに加担した使用人達に良い感情を持ってはいない。けれどフロースに関しては、もしかしたらオスカーから話を聞いているのかもしれず、どちらかといえば好意的だった。
(好意を利用する行いは怒りを買う。お願いするにしても、慎重にならねば)
しかし、ミシェルをどうすればいいか。そもそもこれは生きているのだろうか? どちらであろうと、もうここに放置していてもいい気がしてきたのだが。
お坊ちゃまを見おろす執事に気付き、悠真は口をひらいた。ただし彼はフロースの内心を一部誤解していたのだが。
「安心してフロース、これは生きてるから(中身はここにないけど)」
「さようでございますか(残念でございます)」
「数日もすれば起きるから、部屋に寝かせておいてくれる? その間、とくに世話をする必要はないよ。ないと思うけど、誰かが傷付けないように気を付けて(まだ利用方法があるからね)」
「かしこまりました。でしたら、わたくしがお部屋に鍵をかけておきましょう(別にコレを処分してくださってもよいのに、なんと慈悲深い御方なのでしょう)」
お互い一部の誤解に気付かぬまま会話は成立し、指示を受けた使用人達がミシェルを抱え、いささか乱暴な手つきで寝室に放り込んだ。
全員が部屋から廊下に出たのを確認し、フロースが最後に扉へ鍵をかけようとしたところで、ふと気付いた。
「そういえば、あなた様の魔道具はいかがいたしましょう?」
悠真がミシェルの部屋の壁に付けた携帯鏡のことだ。
「あれはそのままでいいよ。それと、倉庫に鏡がいっぱいあったけど、あれカリタス伯の指示でしょう?」
「仰る通りにございます」
「やっぱりね。全部もとの位置に戻していいよ。あれは全体的に魔よけの効果があるんだ。それを全部仕舞い込ませたのは、あいつ自身に後ろ暗いことがあって、邪魔をされたくないとか罪を暴かれたくないって思ったからじゃないかな」
「ただちに、元の配置に戻します」
フロースはキッパリと宣言して鍵を閉め、倉庫に追いやられていたそれらは、再び本来の役目を果たせるようになった。
そしてフロースにより、使用人の全員が広間に集められ、新たな命令系統が伝えられた。暫定的に主人は《精霊公》であり、ユウマと名乗ったこの半精霊が、かつてミシェルの中にいた存在であるという事情も周知された。
「カリタス伯は、逆賊の味方をしたんだ。その罪が許されることはない」
静かに語られた内容に、彼らは戦慄した。自分達は大逆を犯した人間の使用人ということになるのだから。
「国王陛下のご一家から救けを求められて、今はオスカーや魔導塔の人々が王宮へ救出に行っている。詳しい話は彼らが戻り次第になるけど、カリタス夫人ニネットも容疑者の一人だ。たとえ彼女が『自分は何も知らなかった』と主張しようと、身分は剥奪されることになるだろうね」
謀反人の妻とはそういうものだ。一族郎党が連座で処刑されるほどの重罪であり、『知らなかった』は減刑の理由にならない。
罪が免じられる唯一の方法は、謀反を防ぐ側に回ることだった。
王都が現在、大騒ぎになっている理由は誰もが知っている。一部大臣達が近衛騎士団長と結託し、近衛や王国兵の半数を私物化して、王宮で籠城を始めたというのだ。国王夫妻は、その王宮内にある建物で守りを固め、謀反人達による退位の要求を突っぱね続けているという。
そんな正確な噂が、今や王都だけでなく、国じゅうに広まっていた。
「僕はオスカー達の仕事が片付くまで、ここで待たせてもらうよ」
フロースは悠真のために、一番良い客室を手配した。
その後案の定というか、悠真が「フロース以外はこの館から出るな」と言っておいたにもかかわらず、金品をかき集めて夜逃げする者が続出した。
このままでは自分も逆賊に加担したと見做され、捕えられるかもしれない。しかもカリタス夫妻と一緒になってオスカーを貶し、陰口をさんざん叩き、積極的に悪口を広めてきた。
きっとオスカーが戻ったら、自分も裁かれてしまう―――。
「浅はかだなあ。無駄だよって言ったのに」
「このような体たらく、お恥ずかしゅうございます」
縄をかけられ、広間で膝をつかされている逃亡者達は、呆然と青ざめて悠真とフロースを見上げた。
彼らの背後には、手際よく捕縛してくれた魔法使い達の姿。あらかじめ王都に潜伏していた者の一部だった。
「あのさ。その行動、『謀反人の仲間だから逃げます』って主張してるのも同然だってわかってる?」
「そっ、そんな!」
「わたしめはそんな、謀反などとっ」
「お慈悲を、お慈悲を……」
「どのみち、館にある金目の物を持ち逃げした時点で、みんな泥棒だからね?」
ある者は目を見開き。ある者は蒼白になって震え。ある者はしくしくと泣き。
そんなかつての同僚の情けない有様を、逃げなかった使用人は恥じ入り、あるいは瞳に幻滅を湛えて冷ややかに見おろしていた。
(こちらはこれで完了、かな)
あちらはオスカーやリアム達がうまくやってくれる。
悠真の中に不安はなかった。
『ここまで好条件がご丁寧に揃っておきながら、失敗などするようでは無能の極みだ』
ここに来る前、オスカーがフンと胸を張って言い切った台詞を思い返し、悠真はクスリと笑みをこぼした。
1,220
お気に入りに追加
1,812
あなたにおすすめの小説
弟のために悪役になる!~ヒロインに会うまで可愛がった結果~
荷居人(にいと)
BL
BL大賞20位。読者様ありがとうございました。
弟が生まれた日、足を滑らせ、階段から落ち、頭を打った俺は、前世の記憶を思い出す。
そして知る。今の自分は乙女ゲーム『王座の証』で平凡な顔、平凡な頭、平凡な運動能力、全てに置いて普通、全てに置いて完璧で優秀な弟はどんなに後に生まれようと次期王の継承権がいく、王にふさわしい赤の瞳と黒髪を持ち、親の愛さえ奪った弟に恨みを覚える悪役の兄であると。
でも今の俺はそんな弟の苦労を知っているし、生まれたばかりの弟は可愛い。
そんな可愛い弟が幸せになるためにはヒロインと結婚して王になることだろう。悪役になれば死ぬ。わかってはいるが、前世の後悔を繰り返さないため、将来処刑されるとわかっていたとしても、弟の幸せを願います!
・・・でもヒロインに会うまでは可愛がってもいいよね?
本編は完結。番外編が本編越えたのでタイトルも変えた。ある意味間違ってはいない。可愛がらなければ番外編もないのだから。
そしてまさかのモブの恋愛まで始まったようだ。
お気に入り1000突破は私の作品の中で初作品でございます!ありがとうございます!
2018/10/10より章の整理を致しました。ご迷惑おかけします。
2018/10/7.23時25分確認。BLランキング1位だと・・・?
2018/10/24.話がワンパターン化してきた気がするのでまた意欲が湧き、書きたいネタができるまでとりあえず完結といたします。
2018/11/3.久々の更新。BL小説大賞応募したので思い付きを更新してみました。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話
深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!
兄たちが弟を可愛がりすぎです
クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!?
メイド、王子って、俺も王子!?
おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?!
涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。
1日の話しが長い物語です。
誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。
悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。
逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!
ハッピーエンド確定
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位
2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位
2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位
2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位
2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位
2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位
2024/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる