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魔法使いの流儀
77. 懐かしの場所へ降臨
しおりを挟む「私とリアムが露払いをしておきます。殿下は後からゆっくり、威厳をもって登場なさってください」
オスカーの言葉にジュール王子は頷いた。
彼らは初日の、魔法使いの領土へ入った時に来ていた服装に戻っている。初日と異なるのは、比較的シンプルだった王子の装いに、サークレットや腕輪、首飾りなどの装飾品が増えているこどだ。
すべて魔導塔から提供した守護の魔道具である。それらは彼の装いに調和して、気品と威厳を演出する小道具にもなっていた。
ジスランもやはり初日の服に魔道具の腕輪、首飾りなどが追加されている。これらに関しては後々トラブルの種にならぬよう、後日返却するつもりでいた。
ジュール王子は近衛達に向き直り、それぞれに声をかけた。
「近衛隊長パッシオ、近衛騎士フィデリタス、並びにアキエス。そなたらに同行を許す」
「はっ!」
胸に手を当てて敬礼をする彼らの手首にも、それぞれ守護の腕輪が装着されていた。
彼らを従え、王子はリアムの用意した雪車に向かう。そして改めて、そこに展開されている光景を前に呟いた。
「壮観だな」
レムレスの館の庭に、数多の雪車が並んでいる。雪車を牽くのは魔犬であり、乗っているのは魔法使い達だ。
これほど多くの魔犬がいたことも、これほど大勢の魔法使いが控えていたことにも驚かされるのに、ここにいるのはまだ一部でしかないというのだ。
さらに、先行して王都に潜んでいる者もいる。
「ヴェリタス様が斬り込みをされることにも、自分は驚きを禁じ得ませんでした」
近衛隊長の感想に、ジュール王子は「さもあらん」と頷く。
―――リアムはお気に入りの魔犬に、直接またがっていくのだ。
それらの魔犬の祖先は《風の精霊》の眷属であり、愛し子たるリアムとは非常に相性がよかった。
リアムはここにいる魔犬と、さらに雪車へも一時的に風の加護を与えている。風の膜に包まれ、初日にモレスを気絶させた時より速度が出せる上に、岩や大樹をかすめても衝撃を受けない。
しかも地上から数十センチほど浮き上がって進むため、地面の間隙や多少の障害物があっても、そのまま通過できるようになっていた。
悠真は最初にそれを聞き、「ホバー? 反重力? ちょっと違うかな」と瞳を煌めかせていた。
自身も風を纏って魔犬にまたがり、オスカーと先に行く予定のリアムは、地上どころか樹々の上を走らせることもできる。いつもの気軽なローブ姿で、凶悪な面構えの魔犬を悠々と駆り、屋根の上まで行ってのけたリアムに悠真が歓声を上げ、オスカーが対抗心を燃やしたとか燃やさなかったとか。
そんなオスカーが騎乗してゆくのは、四枚羽を広げた闇色のドラゴン《ラディウス》。銀色に光る目で辺りを睥睨し、空の王者の風格を漂わせていた。
オスカーとリアムが先に王宮へ奇襲を仕掛け、魔導塔の領域に属するものを始末する。王子達には大勢の魔法使いを伴い、その後に現われてもらうのだ。
フルーメンと主だった仲間のほとんどが王宮に集まってくれたが、彼らが落ち目だと察し、まんまと王宮から離脱していた者もわずかながら存在した。その者どもの目にも、ジュール王子を敵に回したらこうなるとしっかり焼き付いてくれるだろう。
「リアム。行けるか」
「私はいつでも行けるよ、オスカー」
頷き合い、二人の視線が同じ方角に向けられる。
灰銀色の長い髪が風になびき、その瞳も煌々と銀色に輝いていた。冷ややかでいて灼熱の力を湛えた双眸が目指すのは、王都の方角。
リアムの深緑から明るい緑へ移り変わる髪は、時にそこだけ風の流れが異なるようにゆったりとなびいている。相変わらず美女と見紛う容姿に麗しい微笑を乗せ、腹の中で考えていることは敵の料理方法だ。
「ユウマくんはうまくやっているかな」
距離が多少離れても、リアムの声は風によってオスカーに伝えられた。
「もう着いた頃だろう。彼の心配は要らない。ユウマは優しいだけの存在ではないからな」
悠真は善良で、とても優しい。
けれどそんな彼の中に、ミシェルへの慈悲は欠片もない。
当然だとオスカーは思った。もはやオスカーの中にさえ、弟への情や憐れみが何ひとつ残っていないほどなのだから。
「必ず、ミシェルを仕留めるだろう。それもミシェルにとって、最も絶望的な方法で」
□ □ □
国中の鏡が自分の道であり、扉になる。
早い段階でその能力を確認していた悠真は、当然ながらカリタス邸の鏡も把握済みだった。
カリタス伯本人は、しばらく前から戻っていない。彼はフルーメン大臣の一派に強引に連れて行かれ、王宮内で一緒に閉じ込められることになったのだ。
相変わらず夫人は「何故このようなことになってしまったのかしら」としくしく涙する日々だ。実に夫とそっくりである。
自分の夫のことも、息子のことも、家のことも、どうにかしようという気概がまるでない。己の不幸を嘆き、嘆き疲れては床に臥す。
(風邪すら引いていないくせに。あんたのどこが不幸なんだっての)
使用人に世話をされながら食っちゃ寝の生活を続け、カリタス夫人は健康そのものだった。気分が塞いでいるからと、大袈裟に病人の顔をしているだけ。
彼女は精神的にもほとんどストレスのない日々を送っており、ストレスがないあまりに、わざわざ自分で自分の不幸を演出しているだけだった。
そして使用人達の間には、不安と困惑が蔓延している。主人が戻らず、夫人が役に立たず、そしてミシェルは自室で謹慎中。
(ますます救いようのない状態になってるな。フロースが可哀想だろ)
執事のフロースだけがまともだった。こういう時は、唯一まともな人間が割を食う。
建物にはカリタス伯による術式がかけられていた。敵が侵入しそうになったら攻撃を加えるという、少々物騒な代物だ。
さらに、ミシェルの部屋にもガチガチに術をかけていた。ミシェルは謹慎というより完全に閉じ込められている。そしてその部屋には、一枚の鏡もない。
ミシェルの部屋だけではなかった。カリタス邸すべてから、『鏡』が遠ざけられている。
「ミシェルのやらかしと、僕の存在を察したあたり、素質だけはそんなに悪くなかったろうにな」
カリタス伯は、歴代最低の無能力者というわけではなかった。しかし、実は素質がなくもないという話になると、それに見合った『努力』をしなければならなくなる。この親子は単に、それが嫌だっただけだ。
悠真は今、カリタス邸の中にいる。それも、夫人の部屋に。反撃の術式は、内部に現われた者には無反応だった。
夫人と召使いの女性が、呆然とこちらを見上げている。夫人は椅子に座り、顔の手入れと化粧を施されているところだった。
彼女の手には手鏡がある。邸内の鏡は残らず処分するようにとカリタス伯が命じ、執事のフロースが一旦すべて倉庫に片付けさせていた。ところが、鏡がなければ不便だと夫人が言い出し、自分の手鏡だけをそこから持ち出させたのだ。当主が何日も戻らなければ、女夫人の命令に逆らえる者はいない。
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そこに待機していた使用人達は、漆黒の髪に黒い瞳、黒衣を纏った青年があまりに普通に出てきたために、これは不審者なのか夫人が部屋に招き入れたのか、どちらなのかと反応に困った。
何より、神秘的な色と雰囲気に気圧され、声が出ない。
「ここの執事を呼んでもらえるかな」
「えっ……あっ……」
優しい声に安心感と恐怖心を覚え、使用人が一人、急いで執事を呼びに行った。どのみち奇妙な人間が出現したのなら、執事に判断を仰がねばならない。
部屋の中のカリタス夫人に頼ろうとは、その場の誰も思っていなかった。
やがてフロースが現われるのと、室内からカリタス夫人が怯えながら出てくるのがほぼ同時だった。
「あなた様は―――」
「お、おまえは何者なのです? わ、わ、わたくしの部屋に、どのようにして入ったのです?」
悠真が侵入者だとこれで判明した。執事が駆け付けるまで出て来る様子がなかったのは、主従揃ってどうしようどうしようと無駄に繰り返していたからだ。
悲鳴を上げて騒がれないだけマシかな、と悠真は思った。
「こんにちは、フロース。こんな形で挨拶することになってごめんね。ミシェルが勉強のできる子になっていた期間、あいつの中であいつの代わりに、何もかもやってあげていた者だよ」
にこりと笑み、悠真はハッキリ言い切った。澄んだ声はその場の全員の耳に届く。
「フロースにお茶の淹れ方を教わった『ミシェル』も、本当は僕なんだ。ちゃんとお礼を言えなくて、ずっと気になってた。落ち着いたら、また話してくれると嬉しいよ」
「そ……れは、わたくしも……そのように仰せいただけるとは、光栄に、存じます……」
困惑の中に、どことなく歓喜の混じっているフロースの言葉と表情は、ますます周囲を困惑させた。
「フロース? この者は、わたくしの部屋に断りもなく、突然……」
「カリタス夫人」
「なっ、な、なんですの?」
「邪魔だから、部屋で静かにしていてもらえないかな? あなた、どうせここにいたって何もしないでしょう? ありもしない不幸に浸るのが大好きなのは知っているから、そのまま大人しく不幸に浸っていてもらえる?」
優しげな口調でいながら、その発言の内容は苛烈。
しかしこの場にいる何人かは、心の中で頷いていた。
以前はカリタス夫妻のことを、善良な主君、善良な夫人だと皆が思っていた。けれどここ最近の夫妻は―――……。
夫人は何を言われたのか理解できず、ポカンと固まった。
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