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魔法使いの流儀
76. 平和の証明あるいは弊害
しおりを挟むフルーメン大臣派が、王宮から味方以外を追い出した。
その際に大きな反発はなく、血はほとんど流れぬまま、フルーメン達の王宮占拠と籠城が開始された。
国王夫妻が『人質』にとられている上に、カリタス伯が気前よく放出した召喚術などの恐ろしい戦力を見せつけ、誰も抗うことができなかったから―――ではない。
少なくともフルーメン達は、自分達が巧くやった結果だと思っていたが、実際は違う。
―――数日前。
彼らのやっていることは反逆であり、国王夫妻を救出せねばと密かに話し合っている者達のもとへ、奇妙な客人が訪れた。
「何奴!? ……え?」
突然現われた奇妙な身なりの人物は、まずこの国の国旗が描かれた布をバッと前面に広げた。騒ぎかけた者がそれを見て一瞬黙ると、その人物は「静かに」と簡単なジェスチャーをした後で国旗の布を仕舞い、次に書状らしきものを広げた。
目の前でちゃんと読めるように上下を押さえ、下の部分は指で署名の箇所を示している。
―――フォレスティア国王ガーランド、王妃アンナ、第一王子ジュールの署名であった。
彼らは目を剥いてその内容を追い、怪しい侵入者の正体を知った。
魔法使いだ。どんな方法を使ってか、ひっそりと王都に入り込み、やすやすと彼らの館にまで侵入してのけたらしい。
(救援要請……)
国王一家が魔導塔に救けを求める旨の、正式な書状。さらに、これを見た者は魔法使いの指示に従えとある。
彼らは顔を見合わせ、重々しく頷き合い、その魔法使いに指示とやらを求めた。それによれば、彼らがフルーメン一派を追い込む作戦を決行するゆえ、衝突を控えるようにとのことだった。
「カリタスの血統魔術が乱用されている。我々がそれに対処する」
そう言われれば納得するしかない。カリタス伯の気弱さ、流されやすさは前々から話のタネにすらならないほど有名だったが、あんな隠し玉を持っていたとは誰も思わなかったのだ。
そんな会話が、王都のいくつかの家で密かに交わされていた。
そして魔法使いの接触があった人々は、不安を押し殺しつつ指示に従い、表向きフルーメン一派に反発するフリを継続しながら、王宮からやすやすと追い出されたのだった。
「いい具合に敵と味方が分離できた」
王宮内の環境がすっきり整ったと、オスカーがそんな感想を口にしたのが昨日のこと。
それにリアムが「じゃ、そろそろ出かけようかねえ」と軽く笑って答えた。
下位の兵士は上の命令に従った結果、逃げ遅れた者も多い。だがその連中に関して、オスカーとリアムは同情など無用と断じていた。
王国兵が仕えるべきは、国王であり王家である。いくら武を司る最高位が近衛騎士団長のもとに集約されているからといって、騎士団長の命令が王よりも優先されることなどあってはならない。
それが許され得るのは戦の時だけだ。
「ですから殿下? わけもわからず従った者もいよう、なぁんて免罪符、刃物をつきつけられている側のあなたが用意してあげちゃいけませんよ?」
ジュール王子の顔色を呼み、リアムが意地悪そうな笑みとともに釘を刺した。
オスカーも頷き、善良な性格の王子を諭す。
「それを許せば、今後も『わけがわからなかった。仕方なかった』という言い逃れを許し続けることになります。そもそも王を護るべき者として、覚悟が足りないにもほどがある」
その言葉に厳しい顔で頷いたのは、ジュール王子に同行していた近衛達だ。そこに国王夫妻がいると誰もが知っていた建物を包囲しなから、自分達が誰に剣と槍を向けているのか知らなかったなどと通用するはずもない。
ここで王子が甘い顔を見せてしまえば、この先も権力を持った臣下が、やすやすと下克上を狙えることになる。
王子の横で聞いていたジスランも、臣下としてオスカーと同意見だった。
「そもそも逆臣の命令など誰も相手にしなければ、このようなことにはなっていないのです。お二人が仰る通り、あなたが彼らのために心を痛めてやる必要などありません」
「ジュール……そうだな」
たとえ王宮にいたとしても、ジュールは間違いなくフルーメン一派には流されなかった。耳を傾けるべき相手を、同情で見誤ってはならない。
「そんな弛んだ思考の兵士が半数もいるぐらい、この国が平和だったってことでもあるけどねえ。誰のおかげかも知らないで」
リアムの皮肉がとどめとなり、王子は溜め息をつく。
途方もない年月、王家は決して己にも身内にも腐り果てることを許さず、ただ国と民の安寧だけを考え続けてきた。国王ガーランドの亡き兄は、腐ればどうなるかのわかりやすい見本でもある。
亡き王兄がどのように他界したのかは具体的に広まっていないが、ほぼ自死であったとジュールは聞いていた。弟に立場を奪われる恐怖より、権力にしがみつこうとしている自分こそが何よりも恐ろしかったのではないか。
それなのに、彼ら親子はずっと守ってきた対象から刃を向けられてしまっているのだ。
被害者たる王家の者が、加害者のために情状酌量を求めてやるなどおかしな話である。
「ま、いい機会ですからお掃除しちゃいましょう。わたくしめが汚いものなんぞピュ~っと吹っ飛ばしてキレイに片付けちゃいますから、ご安心を」
王子とジスランを凄まじい不安が襲った。―――王宮の土台しか残らないほど、一切合切キレイに吹っ飛ばしたりはしないだろうな。
リアムの力でできるかどうかはさておき、やるかやらないかで言えば。
(この男、やりかねない)
二人はほぼ同時に、救いを求める視線をオスカーに向けた。
「いざという時はこやつを止めてくれ!」
「お願いいたします!」
これまでずっと、《灰の精霊》による破壊の性質を恐れられ続けてきたオスカーは遠い目になった。
□ □ □
さんざん陸み合った翌朝、まだ裸のままの悠真は、こちらも服を着ていないオスカーの胸の中で、ぶちぶち文句を垂れていた。
もちろん、昨夜のあれこれについてである。
素肌と素肌をくっつけ、ぴたりと抱き付きながら毛布の中で恨みがましく見上げてくる伴侶に、オスカーの返す視線は砂糖のように甘い。
悠真の身体にダメージは残っていなかった。交わりそのものが回復を促し、さらにオスカーのアフターケアがしっかりしているからだ。
しばらくいちゃいちゃと伴侶からの苦情を楽しんでいたオスカーだが、いつまでもこうしてはいられなかった。名残り惜しくも自分から「そろそろ下に行くか」と言い、楽しい時間の中断を告げた。この続きは、もろもろの『片付け』を済ませてからだ。
今朝は侍女を呼ばず、互いの支度を互いが手伝う。悠真は床の上にしっかりと立つ己の足を見おろし、ほーっと深く息を吐いた。
「よ、よかった……ちゃんと歩ける」
「もう少し追加しておけばよかったか?」
「もうっ! ダメだって!」
後ろの双丘をさらりと撫でながらそんなことを言ってくる男を、悠真は胸中で「セクハラおやじーっ」と罵りつつ、降りてくる唇を少し背伸びで受け止めた。
自分からも積極的に唇を深く重ね、舌をからめ、愛しげにオスカーの両頬を手の平で撫でる。
「ん……すき……オスカー……」
「ユウマ……」
長い口づけの合間に愛を告げ、これ以上は止まらなくなりそうで、どちらからともなく残念そうに唇を離した。
服を整えて階下に向かえば、既に全員が食堂に揃っていた。オスカーはともかく、悠真の全身からはほんのりと事後の色香が漂い、心臓に毛の生えていない者はやや赤面して視線を逸らした。
さすがに悠真も、自分の目元の色合いから「これはバレるかも……」とある程度は覚悟していた。心構えをしていたおかげで、わずかながら冷静さを保ち、彼らの反応に気付かなかったフリをして、和やかな朝食の席につく。
特別な会話など必要はない。約束も必要はない。
これはただの日常であり、リアム流に言えば「ちょっと散歩」に出かけて、何事もなく帰るだけなのだから。
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