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魔法使いの流儀

73. 椅子にしがみつく亡者

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 時は少し遡り。
 報告を受け、しばし固まった老人がいた。

「失敗……失敗だと?」

 初めは言葉の意味がすぐに頭に入ってこなかった。
 徐々にそれが脳に浸透し、やっと理解に及び、表情の抜け落ちた顔から感情のこもらない声を発した。
 老人の反応に、報告者は背筋に冷たい汗を感じる。
 この主人はいつだって、優しげに語りかけながら、下の者に極度の緊張を強いた。

 ―――フルーメン大臣だ。
 かつて同類の老人達とともに、担ぎ上げようとしていた筆頭。
 傀儡かいらいを豪華な椅子に座らせ、まつりごとを意のままにする計画だった。
 しかし思った以上に兄が軟弱で、弟のほうが即位してしまった。そこから何食わぬ顔で方針転換し、新王の重臣の席に名を連ねた。
 そうやって、元兄王子派でありながら、表向きそれを表明していなかったことでまんまと鞍替えを果たした者は何人もいる。

 席の半数を『仲間』が占めたことで、彼らは今度は新王を支配することにした。ただし新王は頑固で、思い通りに動かしにくい。
 ならば、新たに王子または王女が生まれれば、今度はその子を傀儡かいらいに育てよう。
 ところが、唯一の王子は気性も性格も父親そっくりで、『仲間』の誰が何をどれだけささやこうと、フルーメン達の思い通りの方向には育たなかった。
 致命的な隙も弱みも見せず、それなりにフルーメン達を重用している素振りで、ここぞという時は決して従わない。
 小賢しく、思い通りにならない親子。どうしてこうも自分達に逆らうのか。大人しく言うことを聞いていればよいものを。

 そうしているうちに、フルーメン達には、どうしようもなく『老い』が忍び寄る。
 昔、王子達の間に争いを起こさせた時でさえ、皆がそこそこの年齢だった。
 今や完全に、引退していなければおかしい年齢すら通り過ぎている。王や王に忠実な臣下がそれとなく引退を仄めかす前に、先手を打って椅子にしがみついてきた。
 ―――しがみついていなければ、座っていられない。そんな状態になっていることを、フルーメン達は認められなかった。
 年齢だけではない。能力的にも、そして立場的にも、ジュール王子が成長するにつれ、彼らはどんどん危うくなっていく。
 このままでは、この椅子から蹴落とされてしまう……。

(あ奴め、それを待っておる)

 新王のまなざしに、その意図を感じ取ったのはいつだったか。
 フルーメン達の頭の中で、ガーランド国王は今でも『新王』であり『若造』のままだ。いくらでも自分達の思い通りに、とはいかなかったが、とうとう自分達を排除することは叶わなかった、その程度の者に過ぎない。
 自分達の立場は揺るぎなかった。これからも手出しできぬであろう。我々はそれほどに力ある存在なのだ、と。
 だが……。
 止めようのない『老い』の実感に、悟る。
 あの男はただ静かに、これを待っているのかと。
 何もせずとも、自分達は消える。転がり落ちる。
 足掻いている老いぼれに、花を持たせてやっているつもりなのだ。その瞳に軽蔑と憐れみを湛えて。

 屈辱だった。自分こそが上であるべきだ。
 のぼりつめたこの頂上から転げ落ちるなど、断じて許されない。

 長らく王の周りに取り憑いてきた魑魅魍魎は、長過ぎる年月を経た今、終わりの接近を強く予感しながら、断じてそれを認めることができなかった。
 ごく自然に人として退き、後進に席を譲る。そんな当たり前のことが許容できなかった。
 そして、焦った。

「失敗……」

 魔法使いどもの領土に現われたという、新たな精霊。
 愛し子ではなく、精霊そのものが人型を取っているという。
 それを支配しようと思った。その手段も手元にあった。
 カリタス伯だ。

「あの小物に、期待などしておらなんだが……」

 捕獲用の罠を持たせたモレスは、忠実で有能な捨て駒だった。あの駒は間違いなく術を発動させた。フルーメン達が何年もかけ、こつこつと集めてきた魔石を瞬く間に消費してしまったというのだから。
 だが、肝心の精霊がこちらに現われることはなかったと、たった今フルーメンは知らされた。

「カリタスの小僧を呼べ」
「はっ」

 ややして駆けつけたカリタス伯は、小動物のように怯えて縮こまっていた。
 精霊を捕獲し、使役する方法。フルーメンがそれとなく尋ねるのに、深く考えずその方法を教えたのはこの男だ。
 そして実行するにあたり、待機用の魔法陣の前で、フルーメンの子飼いとともにこの男も待機させていた。あまり期待はできないとしても、召喚術に最も詳しいのはカリタス伯であり、万一に対処できるのもこの男しかいなかったからだ。
 何より、「自分は知らなかった。無関係だ」と後になって言わせる気はなかった。―――それは仮に必要になった時、フルーメンが口にする予定の言葉なのだから。
 カリタス伯には関係者になってもらう。それも、主犯に。

『もしや、誘拐などと考えてはいまいね? それは勘違いだ、カリタス伯よ。我ら忠実なる者のもとにお招きするだけだ。そなたのご子息がそれに相応しき存在だと思うのかね? かの《精霊公》もきっと、このような冷徹な男の元になどいたくはないと困っておいでだ。我らがお助けしなければ』

 そうやって『理由』を用意してやれば、カリタス伯の不安そうなおもてに安堵の色が浮かんだ。「そうだ、その通りだ。我らはただお助けしたいだけなのだ」と、さっそくもらったばかりの理由を使って、己に言い聞かせている。
 先代とまるで異なり、手の平の上で転がしやすい、実に滑稽な男であった。
 そのようにしたのは、フルーメン達なのだが。

 魔導塔のような不気味な存在はいずれ支配下に置くか、あるいは滅ぼすつもりでいた。そんな彼らにとって、魔法系の筆頭であるカリタス家は目障りな存在だった。
 それを無力化するために取った方法は実に単純だ。
 先代カリタス伯が政略婚を行う際、そうとわからぬよう、自分達の息のかかった家の令嬢をあてがったのだ。
 善良で無邪気で、たいした能力もない、無知な娘。野心はなく、薬にはならないが毒にもならない。
 フルーメン達がその娘に何か指示をしたことはなかった。その令嬢はただ、実家でそうしていたように、貴夫人として面白おかしく暮らしただけ。
 夫が多忙になれば、おのずと妻が我が子の教育に責任を持つことになる。
 しかし妻の辞書に『責任』の文字はなかった。
 ひたすら甘やかし、可愛がる。それだけ。
 跡継ぎ息子が妻そっくりの無知で無能な楽観主義者に育ってしまった事実に気付いた時は、後の祭り。

 自らが教育し直そうとしても、母親によってすっかり怠惰が身に染みついていた息子に、努力などできるわけがない。
 母を遠ざけ、厳しく言い聞かせてくる父を「無茶ばかり言う残酷な人だ」と思い込み、期待に応えられない自分の能力の低さを思い知っては卑屈になる。
 挙句に無能な跡継ぎ息子は、母親そっくりのお花畑が咲いたお姫様を、勝手に妻に選んでしまった。

(こ奴に愛し子の息子が生まれた時は、少々ヒヤリとしたが……)

 カリタス一家が、一丸となって長男を追い出してくれた。
 そうして、カリタス家の無力化に成功した。
 だがここへ来て、また番狂わせが起きようとしているのではないか。

「カリタスよ? そなたの言い訳を聞いてやろうではないかね、ん?」
「ひっ……あああの、あの……その……む、息子の、オスカーが……妨害を、したのでは、ないかとっ……」

 あちらの妨害?
 そのような可能性など、百も承知だ。

「その上で、『あれにも邪魔はできないでしょう』と言ったのは、誰だったかね……?」
「ひっ……ももも、申し訳、ございませんっ」

 フルーメンは、ひざまずいて震える男の頭を踏みつけたくなった。


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