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魔法使いの流儀

69. 仕返しのはじまり

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 ほっそりと若木のようにしなやかな青年は、意識の隙間を突いたかのようにそこに出現していた。
 くせのない漆黒の髪に、多少の距離があってもわかる黒い瞳。顔立ちは異国風で、切れ長の一重瞼にはどこか神秘と、不思議な色香を感じさせる。
 彼が纏っているのは、古風な紋様の刺繍が施された漆黒のローブ。その衣装に、王は二人の魔法使いを連想した。
 王の視線を追った者もやがてその青年に気付いた。最初から気付いていても、あまりに突然現われたため、己の目の錯覚を疑った者もいたようだ。

 近衛がすみやかに守りの配置につき、おのおの槍や剣に手をかける。しかし何者かも不明な相手に、声をかけあぐねていた。
 おそらく下手に刺激してはならない相手だ。
 沈黙と警戒心で空気が張り詰める中、青年は少し困ったような笑みを浮かべ、口もとに指をあてて「しー」という仕草をした。

「すみません、あまり大きな声は出さないでくださいね。外に聞こえてはいけませんので」

 すっと胸に通って沁みる、涼しげで優しい声だ。それに、場違いにやわらかな雰囲気。ある者は気をゆるめかけ、ある者は却って恐怖を覚えた。
 王はどちらかといえば後者に入る。妻と目を見合わせ、自分達の前にいる近衛をやんわりと退かせた。

「陛下……」
「手出しはならぬ」

 王と王妃は周囲の者を静かにさせ、自ら青年の元に歩み寄り、二人とも数歩前でひざまずいた。
 周囲の者が息を呑み、青年の瞳にますます困った色が浮かぶ。
 それを近くで見上げ、王は「うわべだけでなく本当に心根が優しいのかもしれぬ」とようやく察し、やや緊張が抜けた。

「余はフォレスティア王国国王、ガーランドと申す。こちらは王妃アンナ。……《精霊公》とお見受けするが」

 《精霊》の部分に、そこかしこで誰かが喉をごくりと鳴らした。

(さもあらん。余とてまさか、このように心構えもなく会うことになろうとは……)

 王は事前に《精霊公》の特徴をリアムから伝えられていた。黒髪、黒い瞳、おおよその体型と外見年齢。それから、王家に対して敵意はないとも。
 だが性格その他、細かいところまで教えてもらえたわけではない。リアムはとにかく急いでおり、すぐに森へ舞い戻ってしまった。
 ゆえに王の頭の中で、《精霊公》のイメージは精霊の愛し子二人、つまりリアムやオスカーのような性格をした人物になっていたのだ。
 こんなにも安らげる雰囲気の、穏やかな夜のような青年とは思ってもみなかった。

「どうか、お二人とも立ってください。仰る通り、僕は少し前に《精霊公》になった者です。ユウマと呼んでください。敬称も不要です」
「では、ユウマ殿とお呼びすればよろしいか?」
「はい、それで結構です。本当はこんな形で、あなた方に挨拶をするはずではなかったのですが」

 王と王妃がゆっくり立ち上がり、彼を見おろす形になってからも、『ユウマ』の雰囲気と態度は変わらない。
 国王夫妻は完全に緊張を解き、徐々に周囲の者からも警戒が薄れていった。

「僕がここへ来たのは、オスカーがあなた方の窮状を知って、僕らに伝えたからです。ジュールもジスランも、オスカーがリアムさん達と一緒に保護していますからご安心を」
「まぁ……」
「そうか、それはよか……」
「殿下が!?」
「殿下はご無事なのか!?」
「しーっ! お静かに!」

 『ユウマ』が慌てて振り返り、騒ぎかけた者が両手で己の口を塞いだ。

「も、申し訳ございませぬ……」
「はぁ……あの、外に聞こえてしまったら『仕掛け』が失敗するかもしれないので、気持ちはわかりますが少しの間だけ静かにしておいてください」

 つい大声を出しかけた者達は、周囲から非難の視線を浴びて縮こまった。王も先ほどはヒヤリとさせられたので、可哀想だが庇う気にはなれない。

「ユウマ殿。仕掛けとは?」
「ああ、すみません。これから説明しますね。オスカーとリアムさん、それから魔導塔の魔法使い達は、あなた方をここへ追い詰めた奴らの性根もやり方も、とにかく気に入らないんです。なので、ジュールやあなた方ご夫婦の味方をすることに決めました」
「―――ありがたい」

 王はもう一度「ありがたい」と繰り返し、王妃は泣き笑いで夫の腕へ寄りかかって、控え目に抱き付いた。
 二人の仲睦まじい様子に少し目を細めた『ユウマ』に、王は好感を覚える。やはりこの《精霊公》は心根が優しい。
 と思っていたら、ニヤリと悪戯いたずらっ子の笑みを浮かべた。

「それで、あなた方をお助けすると同時に、あいつらをおちょくってやろう! ということになったんです」
「……おちょくる」
「……おちょくる?」

 王妃は「『おちょくる』って何のことかしら?」と首を傾げていた。また余計な俗語が記されそうになっている。

「それで、その方法として僕が来たんですけれど。……テーブルがないんですね?」
「すまぬ。それらは扉などを塞ぐのに使っておる」
「あ、そうなんですか。なら、床に置くのはあれなので、椅子に置かせてもらいますね」

 気を利かせたエルヴェが即座に椅子を運んだ。何故かエルヴェとクレマンの顔を懐かしげに見上げた後、『ユウマ』はポケットの中身を次々と椅子の上に並べていった。
 紋様を刻んだ石ころ、布切れ、首飾りや腕輪などの装飾品……。

「これらは全部、魔法使い達が用意してくれた魔道具です。装飾品は身につけずに使います。効果としては、すべて防御結界を張るためのもので、この建物の守りを完璧にし、外部の者が決して突入できないようにガチガチに固めます。武器による攻撃だけでなく、魔術を使った攻撃も防げますよ」
「心強いものだ。……だが、も?」
「はい。敵側に魔術を使える者がいるので」

 もしや、カリタスだろうか。王はピンときたが、言葉にはしなかった。
 愛し子レムレスの父であり、重宝も警戒もしないが、敵対は避けたいと思っていた相手。《精霊公》が明確に『敵側』と断じた以上、もはや手心を加える必要なしということだろう。

「全部ご説明する前に、結界を張らせてもらっていいですか? 数があるのでどなたかに手伝っていただきたいんですが」
「うむ」

 エルヴェとクレマン、近衛の数名が手伝うことになった。彼らはそれぞれ紋様つきの石を渡され、この建物の端へ置いて来るように指示をされた。
 彼らが走って行った後、『ユウマ』は椅子の上に積んであった魔法陣らしき布切れを、今度は床に広げ始めた。その上に装飾品をすべて載せた頃、石を置きに行っていた全員が戻って来た。

「ありがとうございます。じゃあ、次は……」

 『ユウマ』は何やら覚え書きの紙片を手元に持ち、涼やかに読み上げ始めた。床に並べた魔法陣が淡い光を発し、そこから輝く文字が波紋となって周囲へ広がり、やがて床や壁や天井がうっすらと光を帯びた。
 魔法陣の描かれていた布切れと装飾品は、ホロホロと崩れて床に消え、同時に周囲の燐光も消える。

「成功しました。今回のは使い切りタイプの防御魔法なんですけど、大勢の魔法使いがたくさん道具を提供してくれましたので、解除の詠唱をしない限りは一ヶ月ぐらい維持されますよ。外の連中がもし投石機を使ってきても、かすり傷ひとつつかないらしいです」
「…………」

 王は頷き、言葉を探しあぐねた。『ユウマ』以外の全員が複雑な顔になっている。
 助かる、それは嘘ではない。しかしつまり、魔法使いとはそんな真似ができてしまうということで。

「守りは心配がなくなったので、これから陛下達にやってもらうことなんですけど」
「―――うむ」
「ここで籠城を継続してください。日数が長いほどいいです。リアムさんは、敵側がしびれを切らすのは五日ぐらいじゃないかと見ていますが」

 つまり、そのぐらい耐えれば援軍に駆けつけてもらえるということだろうか。王は落胆した。

「すまぬ。ここにある食料は三日分なのだ。五日ほどもつか……」

 おまけにその三日分は、誰かが己の分を削った上での三日分だ。自分を守るために、まともな臣下ほどそうすると王は知っていた。
 だが『ユウマ』は顔の前で手を横に振った。

「いえ、大丈夫ですよ。食べ物と飲み物の心配はまったく要りません」
「何?」
「たくさんご馳走しますから、休暇だと思ってのんびりゆっくり、楽しく気楽に過ごしてください。外の奴らがイライラするぐらいに♪」

 青年はにこぉ~、と愉しそうに笑った。


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