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喚び招く
57. 精霊談義
しおりを挟む昼近くなっても、悠真は昏々と眠り続けていた。
どこにも異常はないはずなのに、さすがにおかしいと感じたオスカーは、自分の見立てにどこか誤りがないかとリアムにも診てもらうことにした。
「うーん。私から見ても、どこも悪くはなさそうだよ。ユウマくんに関してはきみのほうが確実だと思うけれど、普通に寝ているだけにしか見えない」
「そうか……」
「ユウマくんの寝顔としては、少し不自然なのかな?」
「寝返りを一度も打たないのが不自然だ。それと、呼吸が一定過ぎる。口も眉もほぼ動かない」
「あぁ、それはちょっと気になるねぇ。精霊に訊いてみたかい?」
「問題はないようだが、どう問題がないのかがわからん」
詳細を教えてくれないのか、とリアムは察した。別に意地悪をされているのではなく、そもそも精霊との意思疎通については言語より感覚的なものが多いのだ。
だからオスカーに深刻そうな様子はないものの、状況がわからず困惑しているのだろう。
「私もちょっとお伺いを立ててみるよ」
「頼む」
リアムは己の内側に向けて問いかけた。精霊が体内にいるのではなく、心か頭か心臓か、どこか判然としない魂と呼ぶべき中心に精霊との繋がりがある。
室内の魔力の密度が増し、表面の髪が数本ふわりと揺れ、《風の精霊》の気配が増した。
(んんっ?)
するとリアムだけでなく、オスカーの精霊も呼応するのを二人して感じ取った。これはあまりないことだった。
驚きつつも《風の精霊》に悠真の状態を尋ねれば、精霊は何を調べるまでもなく、やはり何もすることはない、という感覚を伝えてきた。さらに驚いたのは、《灰の精霊》までもが問うてもいないのに同じことを伝えてきている。
(うわーあ。何かあるねえ、これは)
リアムがオスカーに目をやると、オスカーも少し目を瞠っていた。さもあらん、まさか自分の精霊が、頼んでもいないのにリアムへ応えてやるとは思いもしなかったのだ。
やがて精霊の気配が薄れ、二人とも困惑顔を向け合った。結局、大丈夫そうなのにただごとではないという、何とも言い難い結論しか出なかった。
「うーん、だから何なんだ? 要するに、このままユウマくんを寝かせててもいいってこと?」
「まれに精霊の記憶を見せてもらえることもあるが、おまえはそういうものはあったか?」
「今回はなかったよ。きみもだろ?」
「ああ。見せてもらえたらわかりやすいのだがな……」
「百の言葉より一目瞭然ってやつだね。十の言葉でもいいから教えてくれないものかな。しかし文字を書いて欲しいなんて頼んでも、こちらが読める書き方をしてくれるとは限らない―――」
「文字。それだ」
オスカーはサイドテーブルから、覚え書き用の紙とペンとボードを取り出した。
「《シーカ》。書けるか?」
「あっ、それか!」
リアムが手をポンと打ち鳴らす前で、オスカーはそれらの筆記道具を《シーカ》に渡した。影の中に控えさせていた時に弾かれてしまったのを反省し、ずっと外に出していたのだ。
魔力の消費が多くなるため、召喚士としては使役霊を出し続けることを好まない。だが、オスカーほどの魔力があればさして負担ではなかった。何よりこの場には今、《シーカ》を怖がる者がいない。
巨大な人型の影はこくりと頷き、さらさらと文字を綴り始めた。古語だが、リアムよりも達筆で非常に読みやすい。
『恐れ多くも 御声がそれがしも 聴こえておりましたゆえに 精霊様方が無問題と仰せの意味も 理解し申しておりまする』
「聴こえていたか! それは助かるな」
「まさか使役霊が精霊の通訳官になれるなんて……! オスカーきみちょっと恵まれ過ぎ! ズルくない!?」
やかましく騒ぐリアムを無視し、オスカーは先を促した。《シーカ》は主人と主人の友人を見比べ、どことなく「いいのかな?」と思っていそうな空気を漂わせたあと、また文字を綴りだす。
『ご伴侶様は 深く潜っておられるものと』
「潜る?」
『精霊様としての御力を これまではご自覚なされず されど狼藉者にて御心へ攻撃を受けられ 深層が揺らぎ 道が拓いたものと思われまする』
「……深層への道が?」
『本質に到達する道 にござりまする』
これまでは塞がれていたものが、オスカーの『助力』により取り除かれている。精霊達はそう言っていたらしい。《シーカ》は使役霊であるために、オスカーやリアムよりもある意味精霊に近い位置におり、より明確に聴き取りやすいのだという。
「ずるい……筆談なんてずるい……何だいこの裏技は……」
「やかましいぞさっきから。―――もしや精霊達は、我々ではなくユウマに呼応しているのか?」
《シーカ》は頷いた。
いわく、《灰の精霊》までもがリアムに応えた理由だが、精霊達の意図としては問題がないから邪魔をするなと伝えたかったようだ。
「ユウマの邪魔をするな、ということか?」
『おそらくは それがしにも 詳細はわかりかねまするが 必要なことであると』
「……終わりそうなのは、いつ頃かわかるか」
精霊の時間の感覚は、人間と大いに異なる。愛し子には配慮してくれるはずだが、悠真の目覚めが一年二年、どころか十年先となるのは勘弁してもらいたいのだ。
『長くとも 数日ほどかと』
オスカーは本気で安堵した。ぶちぶち文句を垂れていたリアムも、それを聞いて口をつぐむ。
オスカーが懸念したことは、リアムにとっても他人事ではなかったのだ。幸いにして彼らにそういった経験はないけれど、笑えない記録が大量にある。
精霊が絡むと、自分の妻子や恋人が十年二十年眠り続けた、などという事件が平気で起こるのだ。
「ユウマくんが自分の意思で潜ったというのなら、早めにオスカーの元へ戻ろうとしてくれるだろうし、その点も安心できる……のかな」
「……そもそも、ユウマは自らの意思で潜ったのか? 潜ることで本質に到達し、そしてどうなる?」
《シーカ》は首を振り、『わかりかねます』と答えた。
普通に考えれば、悠真の意思でなければ深層へは行けないはずだ。ただ、悠真がこの世界に来た経緯からして、悠真以外の何かが関わっている可能性は捨てきれない。
「でも、私達に加護を与えた精霊が無問題って言っているのなら、少なくともそれは危害を加えたり妨害する存在ではない、って思っていいのかな」
《シーカ》は頷いた。
「精霊達はどうもユウマに注目しているようだが、彼の『本質』に興味があるのだろうか?」
再び《シーカ》は頷き、紙に補足を書いた。
『ご伴侶様は 鏡の精霊に ございまする』
「《鏡の精霊》か。そもそも彼が別の世界からこちらへ引きずり込まれたのは、ミシェルがそれに祈りを捧げ続けたから、だったはず。それで彼が精霊化するのはまだしも、《鏡の精霊》そのものに近い存在になるというのは、考えてみれば奇妙だな」
「確かに。少々皮肉というか、不思議な話だよね。同じ性質の精霊が同時期に複数存在することなんてあるんだろうか?」
愛し子は常に複数いたとしても、同じ性質の精霊から加護を得ている者はいない。
《灰の精霊》の愛し子も《風の精霊》の愛し子も、同時代に二人以上存在したためしはなかった。
「我々の精霊はユウマに関心があるとして、《鏡の精霊》になぜ興味を持っている?」
オスカーの問いに、《シーカ》は逡巡した。しかし主人からの問いに答えないわけにもいかない。
『ある一面において すべての精霊様を 凌駕しますゆえに』
『我が君と筆頭殿の 加護を授かりし精霊様方いずれも 鏡の中へ封じることが 可能と仰せにござりました』
「…………」
「…………」
二人は沈黙し、目を見合わせた。
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