鏡の精霊と灰の魔法使いの邂逅譚

日村透

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喚び招く

53. 仕込みの正体

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 完全に氷で塞いでいるのに呼吸ができるなんて変な感じだ。
 そう思いつつ、人を窒息なんてさせたくない自分が無意識に調整しているんだろうな、とも思った。
 自信満々で格好をつけていたモレスが、滑稽なほど慌てふためく。最初からずっと滑稽な男ではあったが、この館で奇妙な魔法を堂々と使えるところが油断ならない。
 悪意ある魔法の使用制限は、魔法使いの館の基本のはずなのに。

(オスカーの魔法にあらはない。でもどこかに抜け道があって、そこを突いたってことだよな、こいつ)

 頭が悪そうに振る舞っているのは計算だろうか?
 耳鳴りと、胃の底からくる不快感に思考を散らされそうになり、思いのほか制御がきつい。ちゃんと手順を踏んで発する魔法と違い、無詠唱の弱点は、コントロールが甘くなった途端に崩壊しがちなところだ。
 水やジュースを凍らせるのとは違って、何もない空間に氷を出した時、その氷は純然たる魔力の塊だ。いつもすぐに消す前提で使っていたから、逆に気を逸らしても消えてなくならないよう維持することが不得手だとオスカーとの練習中に判明し、思わぬ欠点はほんの数日ですぐ改善されるものでもなかった。

(すぐに来てくれる。時間を稼がないと)

 逃がさないように捕え、自分達も傷付かないように、待つ。
 ―――まさか本当に、自分がこの館の中で、それを実行することになるなんて。

「なんなのですかこれは!? なぜわたくしににこのような仕打ちをするのです!?」
「何を言っているんだ、きさまは……」

 頑丈な氷の箱が誰によるものかは明らかで、近衛隊長の言葉には呆れと、若干の安堵が混じる。
 しかし気は抜いていない。顔面が潰れるほどの勢いでぶつかったのに、あの奇怪な獣に痛覚はないのか、ガリガリと内側から氷を削ろうとしている。
 まだ安全かどうか判断がつきかね、彼らは剣の柄から手を離さなかった。その箱が衝撃を重ねると消えるものなのかそうでないのか、わからない以上は下手に接近できない。
 ジュール王子とジスランは悠真の顔色を見て取り、質問を控えた。声かけが集中力を切らす要因になってしまうかもしれない。
 箱の中から垂れ流される、醜悪な妄想で塗り固められた呪詛を聞き流しながら、じりじりと待つ。

 やがてビシ、と家鳴りに似た音が弾け、風が通り抜けた。

 背中から抱き込まれ、鼓膜から頭の奥に反響する不快な耳鳴りが消えた。
 途端に楽になった呼吸に、悠真は涙が出そうになる。

「オスカー……!」
「すまん、遅くなったな」

 とてつもない安心感。澱んだ空気が消え去り、斜陽の明るさに目を瞠る。
 そうか、まだこんなに明るかったのか。待ち伏せをされてからそれほど時間は経っていないのに、闇の侵食が深まったような錯覚をしていた。

「頑張ったねユウマくんさすが―――って、汗びっしょりじゃないか!」

 オスカーの腕の中でようやく息をついている悠真の唇は、血の気が引いて白くなっていた。

「熱はない。貧血を起こしているな」

 濡れた額をぬぐいながら、オスカーが気遣わしげに唇を落とした。
 うっとり瞼を閉じながら、そのまま眠ってしまいそうな心地良さに、「貧血になってたんだ」と悠真は自覚した。

「もしや体調が思わしくなかったのか? すまぬ、気付かなかった」
「いえ殿下、そうではないですよ。アレの瘴気にあてられて近い症状を起こしただけです」
と言うな」
「はいはい」

 オスカーが突っ込み、リアムが肩をすくめる。何気ない普通のやりとりに心から安堵が湧いて、悠真はくすりと笑った。

(まだ油断しちゃダメなんだろうけど……)

 ぐったりと視線を向ければ、荒ぶる獣は影も形もなく、床に芋虫が転がっていた。
 いつの間にか大勢の人が集まり、従僕によって両手両足を縛られ、猿轡もかまされている。道理で静かになったわけだ。
 ウゴウゴと這う芋虫の床には、浮き上がって光る封印の魔法陣。

「ごめんオスカー……これっぽっちで、こんなに疲れるなんて」
「落ち込むことはない。相手の結界内で力を使ったのだから当然だ」
「結界? ―――ああ、そうだったんだ」

 人の気配がなさ過ぎて不自然だった。いつの間にか敵のテリトリーに踏み込んでいたというやつか。

「結界だと? レムレスの館でか?」
「そうですよ? オスカーの守りが張り巡らされてる中で、自分に都合のいい結界張れる輩がいるなんて我々もあんまり想定してなかったんですよねえ。していなくもなかったんですけれど、優先順位は低いというかね。だから相当、気合い入ったやつですよアレは」

 不機嫌そうに眉根を寄せるオスカーの口から否定は出ない。油断とまではいかずとも、腹立たしいのだ。

「この一帯を呪術の檻が囲っていた。標的はおまえだったから、おまえに最も負担が集中していたはずだ」
「そうそう、見つけた瞬間にオスカーが八つ裂きにしそうになったんで、止めるのにちょい手間取っちゃったよ。気持ちはよぉおくわかるけど、今ったら確実にこっち有責にされるよ? そいつがユウマくんへ精神攻撃しやがった事実をうやむやにしてあげるなんて、いつからそんな親切になったの」

 後で言いがかりをつけられる面倒さえなければ、止めなかったと暗に言っている。

「あれは精神攻撃だったのか!? 気持ち悪さがあまりにも自然で逆に気付かなかったぞ……!」
「挨拶と同じ感覚で人を呪える、性根から気持ち悪い奴に向いている術なんですよ、呪術ってのは」
「大丈夫なんですかユウマは!?」
「あ……うん、大丈夫。休んだらすぐ治るよ……」
「こら、ジスランくん。つらそうな人に喋らせちゃダメでしょ」
「っ……すみません!」
「や、だいじょうぶだよ、僕は……」
「無理に話すな。―――状況を説明できるか」

 後半は近衛隊長にかけた言葉だ。近衛隊長は頷き、オスカーの腕の中におさまっている悠真に一瞬だけ微妙な視線を向けた後、モレスが現われたところから順を追って話し始めた。簡潔で的確な意思伝達に慣れているため、わかりやすく早い。
 オスカーは何やら思案する様子で沈黙し、リアムといえば、近衛隊長の視線に悠真が無反応だったことから、「これはよっぽどしんどいんだな」と察した。いつもの悠真なら、他人の視線を気にして腕から抜け出そうとするはずなのに。そして余計にがっちり抱え込まれるまでがセットだ。

 モレスは憎々しげにオスカーを睨みつけ、かと思えば近衛隊長を小馬鹿にした笑みで見上げ、ふがふが怒鳴ろうとして猿轡を噛みしめたりと落ち着かない。
 やはり、気が触れている。誰もが半ば確信するのを、オスカーの言葉が裂いた。

「この男は正気だ。己の行動を理解している」
「……は?」

 近衛隊長はつい問い返した。彼と同じく耳を疑い、困惑する者が続出する。
 逆に、「やっぱりかぁ」と嫌そうに顔をしかめたのはリアムだ。

「自我を奪われずとも、自主的にやれるクズのほうが呪いって強力なんだよ~。やだやだ。正気の状態で狂ってる奴が一番めんどーなんだよねぇ」

 いっそほがらかに言うのに、実際その狂人と対峙していた面々はゾッと青ざめた。

「おまえの見立て通り、服だな。上着に隠し持っているのではなく、服自体に仕込んである」
「そうなんだ? 一応さぐってみたのに、何も持ってないと思ったら」

 オスカーの足元の影がゆらぎ、漆黒の巨人が現われた。近衛が反射的に王子を守る位置につき、王子とジスランも一歩後退っている。

(? ……なんでみんな、そんな反応するんだろ)

 漆黒の戦士―――《シーカ》はそもそも《冥鬼》と呼ばれる恐怖の対象なのだが、ここ最近、悠真の頭からは飛んでいた。
 それだけでなく、連想した者は多い。モレスの足元から、あの獣は現われた……。

 体重のない《シーカ》は足音もなく、後ろ手に這う芋虫をわしづかんだ。「うーっ、うーっ!!」と暴れるのを意に介さず、縫い目の部分に刃を入れて上着をむしり取る。モレスに傷ひとつつけなかったのは、呪術のある部分に血がついたらまずいという理由でしかない。
 《シーカ》はオスカーの前に跪き、主君に捧げる首級さながらに上着だったものを掲げた。これも一種、異様な光景だった。

 ただ、自力で立つのもつらそうな細身の青年を気遣い、背中を支えている姿が恐怖心を緩和させていた。
 完全に信頼しきって背中を預けている悠真は、まさか自分の行動がそんな効果を周囲にもたらしているとは思いもよらない。
 オスカーは片腕で悠真を支えつつ、自由な片手で《シーカ》の手にある服を検分した。しばらくその服の裏地を注視し、指で触れ―――ひやりと、静かに殺気を放った。

「召喚術だ」




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 読みに来てくださってありがとうございますm(_ _"m)
 4月中はとにかく隙があれば睡眠をとっていた記憶しかありません。
 3月からいきなり5月になったような…。

 いいね押してくださる方、ありがとうございます(これ前はなかったですよね?)
 今月は復活していきたいと思っております。

※追記:8月半ばまでには再会予定ですm(_ _"m)
※追記2:8/14から再開いたしました!


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