上 下
46 / 90
友との再会

46. 案外知らないことはある

しおりを挟む

 心の中の憧れのヒーローが現実に存在するとすれば、悠真にとってそれはオスカーのことだ。
 自分より何でも出来て、強くて格好いい憧れの対象。だからといって、何でもかんでもやってもらえばいいとは思わない。
 恋人、伴侶という関係にあり、特別に守られ、細かいところまで気を配ってもらうのは、それ自体は悪いことではないと思う。けれど、もらうばかりで何ひとつ返さない、返そうとしない自分を当然と思うのは、やはり違うと思うのだ。

 自分の心臓が動いていた朝。ずっと流せなかった涙が溢れ、生きているんだと実感できたあの瞬間は、どんな言葉でも喩えようがない。
 あれと同じほどのものを返すことはできなくても、自分が与えられた救いを、幸福な気持ちを、オスカーに少しでも還元したいのである。

(あの一家のことだけじゃなく、それ以外でも、あの人だけを矢面に立たせないためには、自分の足で立てていなきゃいけないんだ)

 大切な友が会いに来ようとしてくれている、その中に紛れているであろう招かれざる客のために、オスカーは《シーカ》を悠真の護衛につけた。その客人がどういう危険をはらんだ者なのか、無知なままでは対処を誤ってしまいかねず、だから彼は悠真に手紙を読ませた。
 そのおかげで悠真は、少なくともやすやすと相手の口車に乗るリスクは回避できた。オスカーがどんなに堅固な守りを築いてくれても、自分でそこから出るような愚を犯してしまっては意味がない。

「ねえ、《シーカ》。少し意見を聞きたいんだけど、いいかな」

 部屋の隅に控えていた影へ問えば、影はこくりと頷いた。

「ありがとう。ところで《シーカ》って、読み書きはできる?」

 影は反応しなかった。否定も肯定もない。どうしたんだろうと思っていると、ゾーイが「あの、ユウマ様…」と遠慮がちに口を挟んだ。

「読み書きができるか、とは、どういうことでしょう?」
「え? 普通に……あ、そうか、ごめん。この質問、結構ふんわりして答えにくいね」

 読めても書けないことだってあるだろうし、そもそも《シーカ》は何百年も昔に生きていた人だ。この時代とは言い回しや使っている言語が異なるとすれば、頷くのも躊躇ためらわれるだろう。
 ゾーイが言いたいのはそういうことではないのだが、気付かずに悠真は質問を変えた。

「《シーカ》は生前、字を読むことはできた?」

 頷いた。

「じゃあ、書くことはできた?」

 頷いた。
 それならと、悠真は机から紙とペンとインクを取り出し、ローテーブルの上に広げた。《シーカ》に対面のソファへ座るよう勧めれば、ゾーイが横で目を丸くし、影が素直に従うのを見てさらにギョッとしていたが、やはり悠真は気付かない。

「魔導語とか精霊言語だったら、時代が離れていてもそんなに大きく変わったりしないよね。《シーカ》はどちらか書ける?」

 影は首を横に振り、ペンにインクをつけてサラサラと書き始めた。

『それがしが 書き文字として理解しております言語は この言語のみにございます』

 この国の古語だった。文字の形や文法が現代と一部異なり、古語をたしなんでいる者でなければ読めなかったろう。

「《シーカ》の字、リアムさんより綺麗じゃないか!」

『お褒めを賜り 恐悦至極に存じます 筆頭殿の御文字は それがしもどうかと 我が君も度々 解読に 難儀しておられます』

「あははは! だよね~!」

 悠真は手を叩いて笑い、ゾーイは皿のように目をいていた。

「意見を聞きたいっていうのはね……僕はさ、オスカーやここの人達を守りたいし、何かをしてあげたいって思うんだ。でも思い込みで勝手に行動した結果が、オスカーやみんなの足を引っ張ることになったらいけない。だから、僕はこうしたほうがいいって指摘したいことや助言がもしあれば、聞きたいと思ってさ」

『されど申し上げられますことは 至極単純にございます おのが身にできる範囲にて できることを行うべし 基本にございまするが 基本こそ存外忘却の果てに 打ち捨てられておりましょう』

「……《シーカ》の言う通りかも。慣れてくると、やっているつもりで実は案外やっていないことってあるし……ということは、初心に立ち返って、僕にできることを一つずつ考えてみたほうがいいってことかな。頭とか体力は人並みで、得意なのは魔法だよね。無詠唱で使える。火と水の属性が使えて、応用で熱や氷も感覚的に使える。あとは……」

『御身をお護りする者として 率先しての戦闘は 避けていただきたく』

「うん、もちろんしないってば。実戦て、きみとオスカーがやっていたようなあれだろ? あれは僕には無理だよ、頑張ってどうにかなる次元じゃない……。だから僕としては、護衛してくれる人の邪魔をせずに自分を守れる方法を、何かしら持っておいとくのがいいよね。そうしたら護衛の人も、僕を気にせず仕事に集中できるだろうから」

 《シーカ》は頷いた。《シーカ》は悠真の守護を命じられており、悠真が我が身を危険に晒して護衛に助太刀しようとしたり、周りを助けようと動いてしまったら非常に困るのだ。

「うーん、後は何かあったかな。僕、あんまり特技ってないんだよなあ」

いな 文字これ自体が ご伴侶様の特技かと存じまする このように それがしとも対話が 可能にございましょう』

「そうだった。灯台下暗し……ボケてるな、僕」

 サインを鏡文字で書いて、オスカーやリアムを驚かせたのは大昔の話ではない。彼らにさえ読めない、書けないものが悠真には読み書き可能だとすれば、オスカーの普段の仕事で手伝えることが意外とあるのではないか。相談してみて問題がないようであれば、真面目に助手を検討してみよう。
 そもそも彼の仕事を手伝えないと思っていたのは、自分の魔法のレベルがそこまでではないと思い込んでいたからだ。ずっと初級程度のレベルだと思っていたから、実は違うと言われても、その根拠になるのが無詠唱だけでは意識がなかなか変わらない。努力せずに得たものは、自分の中での価値がどうしても低くなりがちだ。

(鏡の世界では練習をやり尽くした感があったせいで、こっちの世界に戻れた後、あんまり魔法魔法! ってならなかったんだよね。でもあっちの世界と違って、こちらでは火が燃え移るし、氷は冷たい。なのに宴会芸で披露したのと、時々飲み物を冷やすぐらいで、前より全然使ってないよな)

 鏡の中では、とにかく時間だけは有り余っていた。眠りがなく消耗しない、この二点だけでもこちらとは隔絶した違いがある。
 途中からはあんなに好きだった魔法も、上達する感覚や新しい発見を得られなくなってからは、退屈になってきていた。改めて思えば、ちゃんと検証ができていないかもしれない。―――既にわかっているつもりになって。

(そういえばなんだか、前にガゼボでヤバめのことなかったっけ?)

 アレな記憶と一緒に封印していたのだが、ガゼボから出た時、周辺の樹々の枝から雪や氷柱つららが落ちて、池の氷もバキバキに割れてしまっていた。
 あれが悠真の仕業しわざだとしたら、一体どんな魔法を使ったのだろう? 衝撃波など放った覚えはない。

(もしかして、あれも水魔法? 雪と氷と池の水に、気付かず干渉した、とか?)

 有り得ることだった。グラスの中の水を冷やせるのなら、池の水や降り積もった雪に影響を与えられない道理はない。
 次いで思い付いてしまった可能性に、ゾッと皮膚の表面が逆立った。……自分が影響を与えられる『水』とは、どこまでの範囲を言うのだろう。
 ジュースを冷やすことはできた。……血液は?
 人の体内に、流れている血は。

(やばい……激ヤバじゃん……。これ、オスカーに訊いてみないと……)

 火と水だけではない。もうひとつある。
 そもそも、と、考えれば。
 青くなった悠真に、《シーカ》がさらさら紙に続けた。

『恐れながら ご伴侶様の特技につきましては 火と水と字 この三柱のみに非ずと存じまする』
『貴方様は 《鏡の精霊》にござりますれば』

「……ゾーイ。ごめん、忙しいかもしれないけど、オスカーが」
「かしこまりました。ただちに旦那様にご報告いたします」
「え、報告?」

 オスカーが戻ったらすぐ行くから、ウィギルに僕を呼ぶよう伝えてもらえないかな―――と続けたかったのだが、ゾーイは優雅に音もなく高速でドアから消えてしまった。
 《シーカ》と二人してポカンとドアを見つめ、やがてどちらともなく再び顔を見合わせる。

『頃合いよく 我が君がお戻りでございますな 間もなく参られましょう』

「そうなんだ? タイミングよかったね」

 ほのぼのとした空気が漂い、筆談を再開した。
 やがて数分も経たずに、オスカーがいきなりドアを開けた。

「オスカー、お帰りなさい! 相談したいことがあったんだ」

『お帰りなさいませ』

 オスカーは目を見開き、悠真と《シーカ》を交互に見て、テーブルに散らばる紙と《シーカ》の手元の紙を凝視した。

「オスカー? どうしたの?」
「《シーカ》、おまえ―――読み書きができたのか……!?」



------------------------------------

読んでくださってありがとうございますm(_ _)m
一部修正しました。
今月多忙のため更新が不定期になっており申し訳ないです…。

しおりを挟む
感想 44

あなたにおすすめの小説

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

弟のために悪役になる!~ヒロインに会うまで可愛がった結果~

荷居人(にいと)
BL
BL大賞20位。読者様ありがとうございました。 弟が生まれた日、足を滑らせ、階段から落ち、頭を打った俺は、前世の記憶を思い出す。 そして知る。今の自分は乙女ゲーム『王座の証』で平凡な顔、平凡な頭、平凡な運動能力、全てに置いて普通、全てに置いて完璧で優秀な弟はどんなに後に生まれようと次期王の継承権がいく、王にふさわしい赤の瞳と黒髪を持ち、親の愛さえ奪った弟に恨みを覚える悪役の兄であると。 でも今の俺はそんな弟の苦労を知っているし、生まれたばかりの弟は可愛い。 そんな可愛い弟が幸せになるためにはヒロインと結婚して王になることだろう。悪役になれば死ぬ。わかってはいるが、前世の後悔を繰り返さないため、将来処刑されるとわかっていたとしても、弟の幸せを願います! ・・・でもヒロインに会うまでは可愛がってもいいよね? 本編は完結。番外編が本編越えたのでタイトルも変えた。ある意味間違ってはいない。可愛がらなければ番外編もないのだから。 そしてまさかのモブの恋愛まで始まったようだ。 お気に入り1000突破は私の作品の中で初作品でございます!ありがとうございます! 2018/10/10より章の整理を致しました。ご迷惑おかけします。 2018/10/7.23時25分確認。BLランキング1位だと・・・? 2018/10/24.話がワンパターン化してきた気がするのでまた意欲が湧き、書きたいネタができるまでとりあえず完結といたします。 2018/11/3.久々の更新。BL小説大賞応募したので思い付きを更新してみました。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...